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こんにちは、クレイジー師匠 4/4

「邪魔が入るとは、面倒なことになってきましたねぇ……。あなたたち、早く堂島さんを捕らえなさい。ガキのほうはどうなっても構いません」


 死んだ目の男がなんとも物騒な指示を出すと、朱音と校長の元に、凶器を手にした信者たちがいっせいに襲いかかってきた。


「校長、ここは私にやらせてくれ」


「よせ、繰田くん。一人で戦うのは危険だ」


「挨拶拳、私もやってみたくなったんだよな!」


 校長の制止も聞かず、朱音は信者たちに向かって走りだす。


「よっしゃ、いくぜぇ! 挨拶拳!」


 朱音の手には、唐突に、脈絡もなく、掃除機が出現していた。そして――


「きゅうりッ! なすッ! 洗濯機ッ! さんッ!」


「ぐわああああああああああああッ!」


 朱音は掃除機を無茶苦茶に振り回し、武器を持った信者たち六人をまとめてなぎ倒した。


「やっぱつえーな! 挨拶拳!」


「い、いやいや、繰田くん。いやいやいや……」


 校長は苦々しげな表情で言葉を詰まらせながら、額に手を当てていた。


「そ、その、なんだね、わ、私のなにを見てその技に至ったのかね……? 掃除機を振り回すって、気の触れた家政婦にしか見えんが」


「校長の家で家政婦雇ってんのか? 金持ちだな~」


「違う! ものの例えだ! それよりも、さっきのを挨拶拳と名乗らないほうがいい。老師に殺されるぞ」


「まじか」


「老師は挨拶拳の伝統にこだわっていらっしゃるからな。私はいまでこそ日本語で『こんにちは』と言えているが、もともとは『ニーハオ』と言わなければ殴ら――待て繰田くん! 後ろだっ!」


 会話の途中で、急に校長が切羽詰まった声を上げた。


 慌てて後ろを振り返ると、信者の一人が血走った目でナイフを振りかぶっているところだった。すでに朱音の二メートル以内に接近されている。回避が間に合わない。


(やべっ! 油断した!)


「死ねえッ!」


 朱音の頭に向かって、躊躇なくナイフが振り下ろされる。


 が、そこで誰かが信者にタックルをかました。信者はバランスを崩し、タックルをしてきた人物ともみくちゃになって地面を転がっていく。


 誰だ、と一瞬思ったが、その辺の通行人がこんな都合のいいタイミングで助けに入ってくれるとは思えない。となると……。


 朱音は乱入してきた人物に視線を移す。思った通り、朱音を助けてくれたのは順哉だった。


 しかし、ナイフを持ったやつに体当たりをするなんて危険すぎる。大怪我したらどうするつもりなのか――朱音はつい怒鳴ってしまう。


「バカ、順哉! 危ないから勝手に出てくんなって言っただろ!」


「バカは師匠だ! いまかなり危なかったよ!」


 逆に叱られてしまった。順哉は涙目になって息を切らしている。よっぽど余裕がないのか、敬語も抜けている。


(……心配、かけちまったか)


 正直、いまのは朱音にとってピンチでもなんでもなかった。ナイフを持った男に殺意を向けられるのはそれなりに怖かったが、ギャグのキャラクターは身体が異常に丈夫だから、ナイフくらいでは大した怪我にはならなかったはずだ。


 だが、順哉はそんな事情を知らない。朱音が本当に危ない目に遭っていると思ったから、わざわざ危険を顧みず飛び出してきてくれたのだろう。


 そう考えると、怒鳴るのは筋が違ったなと、朱音はちょっとだけ反省する。あくまでちょっとだけ。


「いや、わりいって! ごめんな! 気をつけっから!」


「ほんとですよ! 師匠はおかしなことが好きみたいですけどね、そうやっていろんなことに首を突っ込んでいるうちに、取り返しのつかないことなったらどうするんですか!」


「わかったわかった! ごめんって、な?」


 本格的にお叱りを受け始めたところに、校長の緊張感のこもった声が飛んできた。


「二人とも、まだ終わってないぞ! 油断するな!」


 見れば、信者がナイフを拾い上げ、立ち上がろうとしている。


「信仰心のないバカどもが、俺たちの邪魔をすんじゃねえッ! てめえらみてえなクソは地下世界に行く権利も、モグラさまにお会いする資格もねえ! ここで死ねええええええええッ!」


 信者はタガが外れたように叫びながら、朱音と順哉に突進した。


「いつまでも好きにはさせん! こんにちブッ!」


 校長は口を尖らせ、口腔内から高速で液体を射出した。


 唾液である。


 ナイフを持った信者の両目に、校長の唾液が直撃した。


「ぎゃあああああああ! 目がああああああ! なんだ、なんだこりゃあ、なにを飛ばしやがった!?」


「私のツバなのだよ」


「うわああああああああああッ! 最悪だぁああああああ!」 


「油断大敵……だな。挨拶拳に遠距離攻撃が無いと思っていたのかね?」


 校長は勝ち誇った顔のまま、飛ばしきれなかった余分な唾液を口元から垂らしている。


「くっそおおおおお! ツバ飛ばしのどこが拳法なんだよおおお! 汚ねええええ!」


「これも広義の間接キッスかな?」


「もおおおおおおおおお、間接だってキッスは初めてなのにいいいいいいいいい! いやだあああっ! クソッ、しかも心なしか、ピッ、ピリピリしてきた……なに食ったらこんなツバが出るんだよ……」


「今日の昼食は納豆と漬物、そして味噌汁だったのだよ」


「質素な食事でこれかああああああああああああああ!」


 どれだけ危険な刺激があるのか、校長の唾液を受けた信者は悶え、震え、戦うどころではなくなっている。


「繰田くん、いまだ!」


「おう!」


 隙ありと見て、朱音は校長とともに信者に向かって走りだし、同時に拳を突きだした。


「こんにちはァッ!」


「きゅうりッ! なすッ! 洗濯機ッ! 三ッ!」


「がはァッ!」


 完全に拳が入り、信者はうめき声をあげ、その場に倒れ込んだ。それから朱音は即座にナイフを遠くへ蹴飛ばす。これで起き上がったとしてもすぐには拾えないはずだ。


「バカなやつ……私たち挨拶拳を敵に回すなんてな」


「繰田くん、もう二度と挨拶拳を名乗るな。どこが挨拶だ。きみのお国ではきゅうりと挨拶するのかね?」


「黙れ」


「黙れ!? え、黙れ!? 校長に向かって!? え!?」


「…………」


「なんとか言いたまえ」


「三」


「そう言えば、その数字はなんなのだね? 意味不明な数字が一番怖いのだよ」


「消費税だよ」


「きみは本当にわけがわからんな」


 呑気に会話をしている朱音と校長のあいだに、順哉が焦れったそうに割り込んでくる。


「二人とも、喋ってないで、早く警察を呼びましょうよ! いまがチャンスですよ!」


 死んだ目の男を残して、ほかの信者たちは全員気絶している。通報するなり逃げるなりするのなら、確かにいまがチャンスなのかもれない。


 ところが校長は意外にも「いや、その必要はない」と首を横に振った。そして彼は一人呆然と立ち尽くしている死んだ目の男に視線を向ける。


「きみ、名前はなんというのだね」


 死んだ目の男は、渇いた笑みを漏らした。


「はは、覚えてませんか……。そうですよね。当時、ただの下っ端だった私の名前など、憶えているはずがないですよね」


「すまない」


天児あまごです。私の名前は、天児あまご 瑛路えいじです」


「……天児よ、信仰は自由だ。私のことを恨むのなら、復讐に来るのもよかろう。しかし今回のように無関係な人間を巻き込むというのなら、けして許しはせん。次はないと思いなさい」


 そう告げると、校長は死んだ目の男――天児に背を向けて歩き始めた。朱音と順哉がぽかんとそれを見つめていると、校長は短く「帰るぞ」とだけ言った。


「おい、見逃すのか?」


 朱音が尋ねると、校長は返事の代わりに苦笑いで返した。その目に自虐の色が宿っているように見えるのは、気のせいだろうか。


 校長の判断に納得したわけではないが、かと言って、この路地裏に残るつもりもない。朱音は順哉を連れて、校長のあとに続いた。


「モグラさまは実在します。モグラさまは実在します。モグラさまは実在します」


 背後から、天児の虚ろな声が聞こえてくる。


 校長は振り返らずに呟いた。それは朱音や順哉に向けた言葉というより、独白のようだった。


「私はかつて、詐欺集団を潰した。その判断は間違っていなかったといまでも思う。ただ、当時そこにいた若者の居場所を奪ったこともまた確かだったのだと思うと――」


 そして短く息を吐く。


「なんだかな、嫌になってしまってな」


 朱音は、ちらりと校長の横顔を覗いてみた。くたびれた様子の、還暦近い男の顔。年相応に刻まれた皺が、二度と引きはがすことのできない闇のように見えた。


 そんなシリアスな校長の表情を見て、朱音は心の中でビートを刻む。


 ドゥンツクトゥッ!  ドゥンツクトゥッ!


 特に意味はない。





 路地裏を出て、見慣れた駅前通りに戻ってきた。人通りが多く、活気がある。先ほどまでいた場所とは大違いだ。もしかして、この十数分間だけどこか別の世界に迷い込んでいたんじゃないのかという気さえしてくる。


 駅のすぐ目の前に交番がある。ここまで来ればもう安全だろうと、三人は足を止めた。


「ちょっと聞いていいか?」


 朱音は好奇心から、校長にこんな質問をぶつけてみた。


「校長って本当は何者なんだ? なんつーかさ、少し話を聞いただけでもいろいろありすぎんだよな。年上の女子高生を探して全国を放浪したり、中国の山奥で修業したり、詐欺集団を潰したり、学校の校長をやっていたり、それに“私たち”のことも知ってるだろ? どうやったらそんな人生になんだ?」


「ふっ、私は何者でもないが……転機があったとするなら、高校生のときだな」


 そう答える校長は、どこか懐かしそうだった。


「私はね、ある先輩に誘われて本気部という部活に入ったのだよ」


「本気部?」


「そうだ。活動内容はずいぶん曖昧だったが、まあ、きみたちラフ&ピース部と似たようなものだ。困ってる人の頼みごとを聞いては、問題解決に向け、本気で行動する。それが本気部だった。不思議なもので、高校を卒業したあとも本気部の活動は続いてな。頼みごとを聞いていろいろなことに首を突っ込んでいるうちに、こんな人生になってしまった」


 頼みごとを聞いて問題解決に取り組むというのは、たしかにラフ&ピース部の活動にそっくりだ。自分も同じように、大人になってからもラフ&ピース部の活動を続けていけるのだとしたら、それはずいぶん楽しそうだなと朱音は思う。


 けれど、今日の校長を見る限り、必ずしも楽しいことばかりとは限らないようだ。


 校長はもう六十年近く生きている。当たり前と言えば当たり前だが、その年齢の分だけ様々な経験をしてきたのだろう。では、具体的にどんな経験をしてきたのか。朱音はそこに新たな興味を抱いたが、


「さて、次は私がきみに尋ねる番だ」


 と、校長から逆に質問をされてしまった。


「どうしてきみたちはあの場にいたのかね?」


 もっともな疑問だ。もっともすぎる。


 いまさら隠すようなことではないので、朱音は校長を尾行するに至った経緯を説明した。


「なるほど、校長の一日を調べたい、か。それはなかなか面白い発想だ。自由研究の題材が教師だというのは、意外と盲点かもしれんな。……が、今日のことは黙っていてくれないだろうか。校長がストリートファイトをしていたと周囲に知れたら、厄介なことになる」


 校長はいかにも高級そうな名刺入れから――朱音は最初財布かと思った――名刺を一枚取り出すと、それを順哉に手渡した。


「上木内くん、だったかな。取材がしたいのならここに連絡をしなさい。改めて時間を作ろう」


「あ、ありがとうございます!」


「お安い御用だ。子供の学びをサポートするのが教師の務めだからな。――ところで、私の初恋の人は年上の女子高生だった」


「?」


 突然すぎるカミングアウトに、順哉はなんの反応もできていないようだった。もちろん、朱音も校長の意図がまったく読めない。


 困惑する二人をよそに、校長は順哉になにかをささやいた。小声すぎて朱音にはほとんど聞こえない。一方で順哉は顔を赤くして、首をぶんぶんと荒っぽく横に振っている。いったいなにを言われたのだろう。卑猥なことか?


 唐突に、聞いたこともない妙ちきりんな歌が聞こえてきた――かと思えば、どうやら校長の携帯電話の着信音らしい。校長が電話に出た隙に、朱音は順哉に訊いた。


「おい順哉、校長はなんて言ったんだ」


「いえ、僕もよくわかりませんでしたッ!」と、何故か強い口調で否定して、「そ、それより、師匠はいつもこんな忙しい生活をしてるんですか?」


 なんだか話を逸らされた気がするが、まあいいか。


「さすがに今日みたいことはたまにしかねえよ」


「たまにはあるんですね?」


「まあな~。変なことに巻き込まれる才能があんのかもな~」


「……さっきも言いましたけど、あんまり変なことに首を突っ込みすぎないでくださいよ。その、心配なんですよ、僕だって」


 クレイジー小僧の件も相当変なことだったけどな、と言おうかと思ったが、あれはまだ笑い話にしてはいけないと朱音は判断した。それに、順哉は本気で気にかけてくれているようだ。いい後輩を持ったなと思う。


「わかってるよ。さっきは助けてくれてありがとな」


「いえ、いいんです」


「ま、でもよかったじゃねえか。校長から連絡先貰ったんだろ? これで自由研究はなんとかなりそうだな」


「そうですね」


「なあ、学校行くの、怖くないのか?」


 脈絡のない質問だったかもしれない。朱音は言葉を付け足す。


「自由研究をやる気があるってことは、休み明けも学校に行く気があるってことだろ。でもよ、学校には嫌なやつらがいるんじゃないのか?」


 順哉は少し前まで『クレイジー小僧』という、社会的にあまり好ましくない活動をしていた。


 あれは順哉が自発的に始めたことだったが、それを後押ししたのは順哉の周りにいた悪い級友たちだ。


 だが、順哉はもうクレイジー小僧をやめた。それは、その悪い級友たちと距離を置くことに繋がる。そうなればなにかしらの反発があるだろう。嫌がらせをされるかもしれない。


 嫌な人間とは距離を置けばいい――なんて、それが簡単にできれば苦労はしないということくらい、子供の朱音にだってわかる。いや、子供だからこそわかる。子供にとって学校というのは、大人が思っているよりずっと狭くて窮屈な、世界の中心だから。


 順哉は言った。


「嫌ですよ。けど、不登校になる勇気もありません」


「そうか」


「でも、前よりはがんばれそうな気がするんですよ。僕には居場所ができたから」


 強がっているのか、本音で言っているのかわからない。たぶん、半々だろう。せめて少しでも勇気づけられるようにと、朱音は言う。


「順哉、辛いことがあったらいつでも言えよ。お前の師匠はな、強いんだ」


「知ってます」


 お、生意気なことを言うじゃねえかと、順哉の顔を見てみると、彼は俯きながら恥ずかしそうに笑っていた。


「すまない。大事な電話だったのでね」


 校長が携帯電話をポケットにしまった。通話が終わったようだ。


「ところできみたち、あんなことがあったあとだ。これからタクシーで家まで送ろう」


「まじか!」


「いいんですか?」


「私の事情に巻き込んだのだ。ここで放り出すのは、あまりにも無責任だろう」


 ちょうど駅前はちょっとしたバスターミナルになっていて、タクシーも常に数台は待機している。わざわざ電話で呼ぶ必要もなさそうだ。校長が空いているタクシーを探しに行った。


「おい順哉、タクシーに乗ったことあるか?」


「いえ、ありませんけど」


「じゃあ乗ったらびっくりするぜ。タクシーってな、臭えんだ」


「臭いんですか!?」


「いや、いい臭さなんだけどな」


「どんな臭さですか」


 校長はすぐに空いているタクシーを捕まえて戻ってきた。


 乗車する瞬間、順哉が「ほんとだ! 臭い!」と言って、運転手が眉をひそめた。順哉が自分で自分の口を塞ぎながら、慌てて謝っているのが面白かった。


 行き先をどうするかという話になり、まず高崎家に向かうことにした。単純に一番近いからだ。順哉のことは校長が責任を持って送り届けてくれるそうだ。


 やがて、タクシーが走りだす。


 普段、朱音が車に乗ることはない。年齢的に朱音自身が運転できないのは当然として、保護者の高崎も、ある事情によって車を運転することができないからだ。タクシーの窓越しから眺める街並みは、朱音の目に新鮮に映った。見慣れたはずの景色も、目線と速度と角度が変われば、まったく違うものに見えてくる。


(……一回家に連絡を入れとくか)


 夕飯には充分間に合いそうな時間だったが、朱音はいちおう高崎に電話をかけてみた。ついでに、夕飯のメニューはなにかを聞いてみる。焼き鳥だといいな。


 返ってきた答えはこうだった。


「今晩は焼きカレーよ」


 リアクションが難しかった。

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― 新着の感想 ―
[一言] なぁ嘘であって欲しいことに気付いてしまったんだ 順哉って頭おかしい奴しか恋愛対象にならなくなったりしてないよな、してないよな
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