こんにちは、クレイジー師匠 2/4
校長はホームセンターを出ると、徒歩で駅の方へと歩き始めた。
車で移動されたらその時点で尾行が難しくなっていたので、朱音としては助かったという思いだった。
「ツイてるな。これは天が『やりなさい』と言ってるようなもんだぜ」
「ろくなこと言いませんね、天……」
と、順哉。
「いいじゃねえか。たまにこういうのも面白いだろ」
「まあ、ちょっとわくわくしてはいます」
「よし」
こうして二人は尾行を開始した。
校長はどんどん街の中心へ進んでいく。適度に人通りが多いと、そこに紛れて行動できるので、かえって尾行がしやすい。
やがて校長は、駅前のビルに入っている、大手チェーンの古本屋に入っていった。
「なるほどな。校長は時間が空いたら『ブッ〇オフ』に行く。よし順哉、メモしとけよ」
「ちょっと待ってください」
順哉はスマホを取り出した。
「【校長先生は時間があるとき、ブック〇フに行く】と……。このメモ、価値あります?」
「やめろ。冷静になったら終わりだ」
「ですね」
校長のあとに続いて店内へ入ると、校長が迷いのない足取りで十八禁コーナーへ吸い込まれていくのを見た。
「きたぜ! 見たか順哉! エロだ! エロだぞォ!」
「わかってますから、そんなに騒がないでくださいよ……」
順哉は顔を赤くして、朱音から顔を背けた。
「メモしとけよ、【教師も一人の人間だった】ってな」
「はいはい。【教師も一人の人間だった】。この流れで見るとすごく嫌なメモだなあ……」
それから待つこと数分。校長は腕を組み、険しい目つきをしながら、十八禁コーナーから出てきた。
あの目つき、どっかで見た気がすんなあと朱音は思う。
そうだ、以前休日にテレビで流れていた将棋番組だ。双方持ち時間を使い果たしたまま、なお勝負所を向かえているときの、将棋の棋士の目つきとそっくりなのだ。
「なんであいつ、エロコーナーから出てきて勝負師の顔してんだよ。そうはならねえだろ」
「にやにやしてたらそれはそれで嫌でしたけど……」
「なにと戦ってんだあいつは」
校長は腕を組んだまま、古本屋を出ていく。そして彼は駅近くのクレープ店“ラーチェル”へと足を運んだ。しづくがよく通っているクレープ店だ。
人の往来が盛んなのをいいことに、朱音と順哉は通行人に紛れ、校長の声が聞こえるギリギリの距離まで近づいた。
校長が、興味深そうにメニュー表を眺めている。
「ほう、ここには具が入っていないクレープがあるのか。面白い。店主よ、この具無しクレープとやらを一つもらおうか」
会計を済ませ、具の入っていない皮だけのクレープを受け取ると、校長は勢いよくかじりつき、「む。味が薄いな……」と顔をしかめた。
「そりゃそうですよ! なにも入ってないんですから!」
「あいつ、アホなのか?」
そして校長はバカみたいに大口を開けると、クレープを一口で食べ終えてしまった。
「一口!? 具が無いとはいえ!? もっとゆっくり食べましょうよ!?」
「ここもちゃんとメモしておけよ、【校長はクレープを一口で食べる】ってな」
「【校長はクレープを一口で食べる】と……。これが研究? これが?」
無理矢理クレープを詰め込んだせいで、校長の頬はハムスターのように膨らんでいる。しかしそれでいて勝負師のような鋭い眼光を瞳に宿し、校長は駅へ向かった。
「校長のやつ、電車に乗る気か……? だとしたら、ちょっと面倒だな」
もしも朱音一人だったら、構わず電車に乗り込んで尾行を続けるだろう。だがいまは順哉がいる。さすがに小学生をどこまで行くかもわからない電車に乗せてまで、校長を追いかけるというのは、ちょっと気が引ける。
しかしそんな心配は杞憂だったようで、校長は駅に来たというのに、改札へ近づこうともしなかった。
ここの駅は三階建てになっていて、三階がホーム、一、二階が商業施設となっているのだが、校長はその商業施設のエリアだけを、ふらふらと歩き続けているのだ。どこの店にも立ち寄らず、まさに徘徊という言葉がしっくりくる。
校長は壁に向かって突き進んだかと思うと「こっちは行き止まりか……」と呟きながら引き返したり、エスカレーターの乗り口と降り口を間違えて足を踏み出し、「うわっ!」と叫んでよろけたりしながら、二十分ほど徘徊を続けた。
その間、消火器を二度見しつつ「なんだこの消火器!? 普通の消火器より色が濃いぞ!? いや、やっぱり普通だ……」と言ったり、駅中に入っているパン屋の入口で「小麦の匂いだァ……」と、うっとりしながら深呼吸を始めたりもした。
そして校長は駅の外へと出ていった。
「なにがしたかったんですかね……」
「時間の使いかた下手すぎだろォ!」
朱音から見てもわけがわからない。大人って、もっと忙しいんじゃなかったのか。
こんな時間の無駄としか思えない奇妙な行動を取ってばかりの人物が、学校長にまで上り詰めているという事実……恐ろしい。
世の中をナメるな――世間の大人たちはしきりにそんなことを言う。しかし、校長を見ていると、実は世の中って、もっとナメてもいいんじゃないかという気がしてくる。
駅を出た校長が、今度は路地裏の方へ歩きだした。ビルとビルの隙間を縫うように、より薄暗い方、薄暗い方へと進んでいく。
気づけば、この街にこんな場所があったのかと思うほどに、仄暗く、湿った雰囲気の通りに出ていた。
人気はほとんどない。
寂れたビルの裏口で、派手なドレスを着た化粧の濃い女性が、生活感丸出しでタオルを干しているところを見かけた以外、誰ともすれ違わなかった。
どういう土地の管理がなされているのか、道の途中に、ぽっかりと穴が空いたような、なにもないスペースがあった。校長がその空き地で足を止める。朱音と順哉は一番近いビルの隙間に潜り込み、顔だけを覗かせて、校長の様子を窺った。
「校長先生、こんなところになんの用でしょう?」
「さあな。これも意味なんてないのかもしれないぜ」
朱音が軽い気持ちで呟くと――
「尾行に気づいてないとでも思ったのかね?」
背を向けたまま、校長がはっきりとそう言った。
これには朱音も驚き、思わず順哉と顔を見合わせてしまう。
「ば、ばれてますよ!? しかもなんかちょっと怒ってません?」
「はは、やるな~、校長。ま、大丈夫だ。あいつが怒ってるとこなんて見たことねえよ。気のせいだ」
ほら、見てみろよ、怒ってねえから。
朱音は順哉の肩を叩き、校長を指さす。
「ククク、追い詰めたと思ったか……? バカめ! 誘い出されたのは貴様らのほうだッ! 一人残らず叩きのめしてやる! 出てこい、薄汚いネズミどもがァッ!」
「めちゃくちゃ怒ってますけど!?」
校長は静かに、それでいて確かに怒気を孕んだ声で言い放つ。
「十秒数えるうちに出てくるがよい。その場合、利き腕だけは勘弁してやろう。だが、そのままそこに隠れているようであれば…………ハッ。さあ、出てきなさい。ワン……トゥー……スリー……」
地獄のカウントダウン――いや、カウントアップが始まった。しかも英語で。
朱音はどうすればここからより校長をおちょくれるかを考える。「ピピラポ~♪」と奇声を発し、小刻みに動きながら出ていけば、校長は見たこともないキレかたをするんじゃないか。
よし、そうしよう。
朱音が小刻みな動きをしながらビルの隙間から出て行こうとした――そのときだった。
「さすが堂島さん。お気づきでしたか」
と、誰かが言った。
その声の主は朱音でも、順哉でも、もちろん校長でもない。
見れば、校長の周囲から、ビルの隙間という隙間から、夕闇が溶けだしてくるかのように、怪しげな男たちが続々と姿を現し始めた。おそらく十人以上はいる。校長を尾行していたのは朱音たちだけではなかったのだ。
その不気味な集団の中で、特に陰気で死んだ目をした男が校長に語りかけた。
「お久しぶりですね、堂島さん。覚えてらっしゃいますか? 私のことを」
校長は言う。
「貴様のようなやつなど知らんな」
死んだ目の男は言う。
「二十年前、あなたに潰された宗教団体の者ですよ」
そして朱音は言う。
「焼き鳥が食べてぇなぁ……」




