こんにちは、クレイジー師匠 1/4
「あっちぃな~、すんげぇあっちぃな~」
繰田朱音はすっかり参っていた。
この日、午後四時現在の外気温は三十九度。朱音はラフ&ピース部の活動を終え、この凄惨な暑さの中、徒歩で帰宅中だった。可能であれば空調の効いた学校の中にずっとこもっていたいところだったが、家に帰らないわけにもいかない。
話し相手がいれば多少は気を紛らすことができたのかもしれないけれど、春心は用事があるとかで、ルシアと一緒にどこかへ行ってしまった。
「あっちぃな~。こういう日はあれだな。角材を見に行くしかねえな」
ということで、朱音は帰りがけにホームセンターへと足を運ぶことにした。
一見、まったく理屈が通っていないように思えるので、情報を整理する。
暑い→角材を見る→涼しくなる。よし。
この女、正気である。
朱音はホームセンターの中へと入ると、まっすぐに角材コーナーへと進んだ。
「やっぱ涼しいわ~」
暑い日は角材を見るに限る。COOLなサマータイムを演出するぜ。
「クレイジー師匠!」
と、そこで誰かに声をかけられた。そんな変な呼びかたをするのは一人しかいないので、朱音には声の主が誰なのか、顔を見ずともわかった。
「おう、順哉か」
上木内 順哉。小学五年生の男の子だ。
朱音と順哉は五学年も離れているので、普通に生活していればなんの接点もないのだが、彼とは少し前にいろいろあって、それをきっかけに交流が生まれていた。
「つーかお前、そのクレイジー師匠ってのはやめろ。煽ってるようにしか聞こえねえかんな。だいたいお前、クレイジー小僧はやめたんじゃなかったのか」
「だって、師匠は師匠ですから」
そう言って、順哉は少し照れたように笑った。
あの一件以降、順哉は動画アカウント『クレイジー小僧ちゃんねる』を削除した。その代わり、彼は姉と共同で新たなアカウントを作成したのだ。
そこで最初に投稿された動画は、『不仲な姉弟がオムライスを作ってみた』。
なんとか姉弟仲を改善させたい姉と弟が、ぎこちない会話をしながらオムライスを作り続けるという内容だ。まず不仲というワードが直球すぎて笑ってしまうし、オムライスを作る意味がわからないところが、朱音のお気に入りのポイントだ。
いまは謎動画を中心に動画投稿をしているようだが、いずれは姉弟でゲーム実況をしたいそうだ。朱音としては、そのまま謎動画を投稿し続けてほしいところだけど、そこに口を出すつもりはない。姉弟が仲良くやってくれていればそれでいい。
それよりも、言いたいことは。
「……まあ、最悪呼びかたはどうでもいい。けどその敬語はやめてくれって。お前、そんなキャラじゃなかったろ」
あの日から、順哉は朱音のことを『クレイジー師匠』と仰ぎ、敬語を使うようになっていた。
だけど正直、小学生に敬語を使われるのはむずがゆい。
身近なところに、メーベルという敬語でしか喋らない人物もいるにはいるのだが、朱音に言わせれば、そして誤解を恐れずに言うのなら、メーベルの敬語には敬意がこもっていない。あれは敬語というより、口癖だ。
その点、順哉の敬語からはばっちり敬意を感じる。
「僕もお姉ちゃんも、師匠にはお世話になったので。なかなか普通には話せないですよ」
「そんなもんか……?」
態度が変わりすぎだろ、と思わないでもない。順哉と最初に出会ったときは、かなり生意気な感じだったのに。
けれど考えてみれば、無理をしていたのはあのときのほうで、むしろこっちのほうが彼の素に近いのかもしれない。
どうでもいいけど、焼き鳥が食べたくなってきた。
「ところで、師匠はここでなにしてたんですか?」
「角材を見てたんだよ」
「角材。なにか作るんですか?」
「いや、暑いから見てたんだよ」
「?」
順哉は眉をひそめ、首を傾げた。察しの悪いやつだなと思いながら、朱音は筋道を立てて教えてやった。
「暑いだろ? 暑いときに角材を見るだろ? 涼しくなるだろ? オッケー?」
「はい……? あの、言葉を選ばずに言いますけど……脳ミソ腐ってるんですか?」
「それだよそれぇ!」
朱音は歓喜のあまり飛び上がった。
「いまの敬語には全然敬意がこもってなかったな! 次からもそんな感じで頼む!」
「えぇ、どういう思考回路なんですか……」
一から十までわからないというような、困惑した表情の順哉。
大丈夫。お前もいつかわかるようになるさと、朱音は心の中で呟く。
「で、順哉はなにを買いに来たんだ?」
「自由研究の買い出しですよ」
「おお、自由研究か。いいじゃん。なにやんだ?」
「お風呂の三十八度はぬるいのに、気温の三十八度が暑いのはなぜか。という研究です」
「お前、天才か!?」
言われてみれば気になるテーマだ。たしかに三十八度の風呂は全然熱くない。なのに、三十八度の気温と言ったら地獄のような暑さだ。これはいったいどういうことなんだ。
「いや、褒めてもらえるのは嬉しいんですけど、そのテーマは僕が考えたんじゃないんですよ。自由研究の本に載っていたんです」
「自由研究の本?」
なんだそれは。
「自由研究のガイドブックみたいなものですよ。テーマとか実験のやりかた、レポートの書きかたが載ってるんです」
「へぇ~」
そんな便利なものがあるのか、と感心しかけた朱音だったが、よくよく考えてみれば全然納得できない。
「ちょっと待て。それ、ありなのか? だって本に書いてる通りに実験するなんて、全然自由じゃねえじゃん」
「ありですよ」
「いやいや、やめとけって! せっかくの自由研究なんだぞ? 本の通りに実験してどうすんだよ! どうせその本に結果も載ってんだろ?」
「載ってますけど……」
「じゃあいいだろ! その研究はもう! 終わり終わり! 終わりだ!」
「そんなに強く言われたら、本当にやる意味がないんじゃないかって気がしてきましたよ……。それなら、師匠はどんな研究をしたほうがいいと思うんですか?」
「そうだな……春心を使ってなんかできねえかなぁ」
「春心さんに協力してもらうんですか」
「たとえばこう、私が毎日一ミリずつ前髪を切り続けたら、何日目で春心が気づくか、とか」
「バラエティ番組みたいになってません?」
「そっか」
なるほど。いざ自由に研究してみてくださいと言われてみると、たしかにテーマ決めには悩む。
――自由って、難しいんだな。
思えば、スポーツはルールがあるから面白いんだし、芸術だって、規制や縛りの中でもがいていくうちに新しい表現の形が生まれたりするものだ。
そして、さっきからずっと焼き鳥が食べたい。もう完全に焼き鳥の口になっている。なぜだろう。
まあ、そんなことより、「別のテーマにしろ」と言った以上、ここで順哉を突き放すわけにはいかない。朱音なりに責任を感じてはいる。
なにか研究テーマになりそうなものはないかと、とりあえず店内をぐるりと見回してみた。そんなにすぐに見つかるとは思えないが。
「……ん?」
と、ブルーシート売り場の前に、やけにダンディな初老の男性がいるのを見つけた。
檸文高校の校長、堂島 花男だ。
彼はラフ&ピース部の創部に大きく関わっており、朱音とはそれなりに面識がある。朱音は順哉に断りを入れて、校長のもとへと向かった。
「よう、校長!」
「これはこれは。繰田くんじゃないか、こんにちは」
校長は爽やかな笑顔で挨拶をしてきた。
挨拶をされたら挨拶で返す。常識だ。朱音は明るい声で言う。
「こんにちは!」
すると校長は、倍の声量で挨拶を返してきた。
「こんにちはッ!」
負けてなるものかと、朱音はさらに大声で返す。
「こんにちはァアアッ!」
「チッ」
校長は舌打ちをすると、息を大きく吸い込み、
「こーんにぃーちーわああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァオッ!」
「あざす!」
「あざァ~ッス!」
朱音と校長の挨拶合戦を見ていた順哉が、青ざめた顔で走ってきた。
「二人とも、なにやってるんですか!? 店員さんに怪しまれますよ!」
「いやー、わりいわりい。つい学校と同じノリでやっちまった」
「学校でもこんなことやってるんですか!?」
というか、この人は誰なんですか? と順哉が小声で聞いてくるので、檸文高校の校長だということを教えてやった。
校長は、朱音と順哉のやり取りを微笑ましく眺めている。
「繰田くん、その子は?」
「ああ、同級生の弟だよ」
そこで順哉が頭を下げた。
「どうも、いつも姉がお世話になっています」
「ほう、礼儀正しい子じゃないか。素晴らしい」
朱音は校長に尋ねる。
「校長はなにしてたんだ?」
「いや、少し空き時間ができたのでね。ホームセンターでウィンドウショッピングと洒落込んでいたのだが……もうこんな時間か。会って早々ですまないが、私はそろそろ行くとしよう。若者たちよ、夏休みを楽しみたまえ。熱中症に気をつけるのだぞ。それでは」
校長が優雅な足取りでホームセンターを去っていく。
その後姿を見つめながら、順哉が呟いた。
「師匠、ウィンドウショッピングって、ホームセンターでするものですか」
「いや~、どうだろな~。あいつ、まともじゃねーかんな! ところで順哉、いまから校長を尾行するぞ」
「びっ、尾行? どうしてですか?」
「自由研究だよ」
最高の研究テーマを見つけてしまった。わからないことなんて、日常にいくらでも転がってるんだなと朱音は思う。
「順哉はよ、世の校長が普段どんな生活をしてるか知ってるか?」
「どんな生活? う~ん、いや、わからないです」
「だろ? 校長ってのは、生徒からすると謎の存在なんだよ。だいたい全校集会で長い話をしてるとこしか見ねえだろ。普段どんな仕事してんだ? プライベートでなにしてんだ? 意外とわかんねえだろ?」
「言われてみれば……」
「だから校長が普段どんな生活をしているのかを調べて発表すれば、結構ウケがいいと思うんだよな!」
「たしかにちょっと面白そうですけど。でも、尾行って……本当にするんですか?」
「ああ。校長のリアルな一日を克明に記録してやろうぜ!」
「それ、自由研究というか犯罪記録になりません?」
「大丈夫大丈夫! 校長にはうまいこと言っとくから!」
ほら、いくぞ! 見失っちまう!
こうして朱音は順哉を引っ張って、校長を追い始めた。まさかあんな暴力珍事件に巻き込まれることになるだなんて、夢にも思わずに。




