そして私は日常へ帰る 1/3
サーフィとの戦いから一週間後。
昼過ぎに、ルシアは狩欺から、魔法使いの集まる喫茶店“ウィル”に呼び出されていた。今回の一件に関する沙杏の処遇を聞くためだった。
以前と同じように、二人は“ウィル”の隠し部屋で、テーブル越しに向かい合って会話を始めた。
「最初に言っておくぞ。荒月沙杏はいま、檻の中にいる」
檻の中。
一言目から穏やかではない内容を告げられ、ルシアは思わず声を荒らげる。
「檻って、どうして!」
「リフレインよ、お前さんだってわかってんじゃねえのか? 未遂とは言え、未成年とは言え、あいつがやろうとしたことは大量殺人だ。お咎めなしってわけにはいかねえだろうが。なぁなぁで済ますつもりか?」
「…………」
言い返せなかった。
ルシアは内心、こうなるだろうと予想してはいたのだ。沙杏は無実ではない。しかしそれを気持ちの上で納得できるかどうかはまた別の話だ。
「沙杏はいま、どこにいるんですか?」
「普通の留置場や刑務所にはいねえよ。東京の奥多摩の方にな、異能力者を収容する特別な施設があるんだ。特殊な力を持ってるやつに、普通の法や檻は通用しねえからな」
狩欺はカップを手に取り、口元へ運んだ。以前彼が飲んでいたのはアイリッシュ・コーヒーだったが、今回飲んでいるのは“ウィル”特製のコーヒー・リキュール――つまり、今回もお酒だ。
「ま、仮に荒月が無実だったとしても、しばらくどこかの施設にいてもらうことになってただろうがな。そのほうが、俺たちも守りやすい」
「守る……?」
「あいつ、いま一人でその辺をうろついてみろ。消されるぞ」
沙杏が消される? いったい誰に? 狩欺さんは、なにを意味のわからないことを言っているんだろう――なんて、ルシアは微塵も思わなかった。
むしろ、「やっぱりそうか」とすら思った。
ルシアはあの夜から今日までの一週間、あることをずっと考え続けていた。
――今回の一件は、沙杏が一人でやったことなのか?
最初は現実逃避だった。沙杏があんなことをするはずがない。なにかの間違いだ。誰かにやらされていたんだ。ルシアはただ、そう思いたかっただけだった。
ところがいざ今回の出来事を一から振り返ってみると、奇妙な点や違和感が次々と出てきたのだ。
沙杏は魔法生物の研究所から、十数体もの魔法生物を脱走させ、サーフィだけを事前に回収したと話していた。しかし考えてみれば、そんなこと、実際にできるものなのだろうか。
あのマンティコアやスレイプニルが、普段は安全に飼育されているような施設なのだ。その辺の民家に忍び込むのとはわけが違う。いくら沙杏が強い魔法使いだとは言え、たった一人で研究所に忍び込み、手際よく目的を達成することなんて、本当にできるのだろうか。
おかしな点は、ほかにもある。
沙杏がサーフィを匿っていた場所――あとでわかったが、千葉県南部のとある山の中だったらしい――へ移動する際、彼女は木造アパートの一室に細工をし、一種のワープホールとして利用していた。
あの部屋を、沙杏はどうやって借りたのだろう。彼女は「協会にだって秘密で、こっそり借りてる」と言っていた。けれどいま思えば、彼女は未成年だ。そして未成年が一人だけで賃貸契約を結ぶことは普通はできないはず。そうなると、あの部屋を沙杏のために用意した大人が存在することになる。協会に秘密で、実際には誰も住まない部屋を、黙って借りてくれる、そんな大人が。
そんな物分かりのいい大人とは、いったい誰だ?
ほかにも細かな違和感はたくさんある。どうして沙杏はあの夜、ルシアをあの場所へ連れていったのだろうとか、どうしてサーフィが急に暴れだしたのだろうとか。
だけどここまでなら、「なにか理由があるのだろう」「なんとか上手くやったのだろう」「偶然そうなったのだろう」というような言葉で済ませることができたのかもしれない。
だがあの日、あの夜。
明らかに、決定的に、おかしな点がひとつあった。
悪意を喰らう怪物、サーフィ。あれは、インターネットから世界中の悪意をかき集める機械に繋がれることで急速に成長していた。
――インターネットから世界中の悪意をかき集める機械。
それって、ファンタジーなのか?
それって、SFじゃないのか?
沙杏はファンタジーのボツキャラクターであって、SFのキャラクターではない。あのような装置を自前で作成できるほどの技術力は持っていないはずなのだ。もちろん、電気屋で市販されているようなものでもない。
だとすれば、あれを沙杏に提供した人間がいる。
沙杏の背後に、誰かがいる。
ファンタジー以外の人間が、今回の一件に絡んでいる。
そして狩欺の「消されるぞ」という発言。ルシアはもう、はっきりと確信していた。
「やっぱり、いるんですね?」
狩欺の目をじっと見つめる。
「沙杏の裏で動いていた人間が、いるんですね!?」
「…………」
狩欺は、肯定も否定もしなかった。その代わりに彼は、
「洗脳の手口って、知ってるか?」
と言った。
一瞬、話を逸らされたのかと思った。だが狩欺は誤魔化そうとしているのでも、ふざけようとしているのでもなさそうだ。雰囲気でわかる。だからルシアは余計なことは言わず、素直に話の続きを聞くことにした。
「いいか、洗脳するには特別な魔法なんて必要ねえ。詐欺まがいのエセ宗教や、ブラック企業なんかもよくやってるくらいだからな。洗脳ってのは、意外と現実に溢れてんだよ。
その手口についてだが、簡潔に言うと、そうだな……まず、ターゲットを孤立させる。精神的にも、物理的にもだ。それからターゲットの判断能力を鈍らせる。その際によく使われるのは人格否定や暴力だ。そんでターゲットの精神が弱り、判断能力が鈍ったところで、新しい思想や価値観を教え込む。そしてターゲットがその思想を理解したら、徹底的に肯定する。異様なまでに優しく、寄り添ってやる。それで洗脳は完了だ。
まあ、細かいノウハウや技術をここで言うわけにはいかねえが……要は過度なまでの飴と鞭ってところだ」
狩欺は一息つくと、再びカップを口に運んだ。
「ところで、荒月沙杏が虐待されていたという話は知ってるか?」
「えっと……それは少しだけ、本人から聞きました」
また話が変わった。しかしこれがただの雑談であるはずはないだろう。洗脳に虐待。どうにも嫌な感じのするワードが続く。
もちろん沙杏が虐待されていたことは、かなり衝撃が強い内容だったから、ルシアもよく覚えている。
「たしか親代わりの、協会の職員の人に、暴力を振るわれていたんですよね?」
「そうだ」
話しているだけで気分が悪くなってきた。友人が受けていた虐待の話なんて、口に出したくもない。ルシアですらこう思うのだから、本人にとってはどれだけ大きな心の傷になっていることか。
「そしてある男が、荒月を虐待から救った。その話は聞いてるか?」
「はい、それも聞いてます。助けてくれた人が男の人だって話は、いま知りましたけど」
これはなんの話だろうか。どうして沙杏の過去を蒸し返すのだろうか。ルシアの頭に、嫌な想像がよぎる。
「……もしかして狩欺さん、本当はまだ虐待が続いてるって、そういう話ですか?」
「いや、そうじゃねえ。問題はそこじゃねえ」
ということは、問題がないわけではないのだ。
狩欺は言う。
「荒月を虐待していた女と、それをやめさせた男。そいつらな、二人仲良く行方不明になってるぞ」
「え?」
「しかも、一週間前にな」
「一週間前って!」
「そうだ。俺たちがあの化物と戦ったあの日の夜だよ。あの夜を境に、二人とも煙のように消えちまったんだ。荒月の計画がばれた日に、荒月と関係のある人間が同時に消えた。まったく、すげえ偶然があったもんだよな、ええ?」
狩欺は白々しい口調で“偶然”と言った。
本当に偶然なのか? ……それは考えづらい。
「家はもぬけの空だし、連絡もつかねえ。追跡しようにも痕跡すら残してねんだよ。ちょっと手際がよすぎるな。いつかこうなる日が来るとわかってたみてえだ。特に男のほうは徹底してるぜ。なんせ顔写真一枚出てこねえんだからな」
「写真が……? どこにも写ってないんですか?」
「ああ。日頃から写真に写らないように気をつけていたとしか思えねえ」
写真に写らないように気をつけていた、という狩欺の言葉に、ルシアは奇妙な引っかかりを覚えた。最近、どこかで似たような話を聞いたような。
――そうだ。沙杏が言っていたじゃないか。彼女は自身を救ってくれた人のことを、写真が苦手な人だと言っていた。なんでもしてくれる優しい人なのに、プリクラだけは一緒に撮ってくれなかったと、たしかそう話していた。
それが本当なら。
いつか追われる日が来るときのことを想定して、日頃から写真を避けて生活している人間なんて……どう考えても、まともじゃない。
「グルだった可能性が高い」
と、狩欺が言った。
「虐待する係と、助ける係だ」
「え……?」
ルシアは露骨に狼狽えた。まったく話が飲み込めない。
だって、虐待した側と、それを助けた側が裏で結託していたなんて――それじゃあ、沙杏の虐待は、最初から仕組まれていたことみたいじゃないか。
「いや、ちょ、ちょっと待ってください、狩欺さん……私……意味がわかりません……」
「だから、さっき言ったろう。洗脳の手口を知ってるかってな。荒月を痛めつける係と、救う係。否定と肯定。飴と鞭だ。完全に洗脳のやり口なんだよ」
まだ取り乱したままのルシアに向けて、狩欺は淡々と言い放つ。
「そいつらはな、孤独の身である荒月の境遇に付け込み、上手いこと精神を操作することで、荒月をテロリストに仕立て上げたんだ」




