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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第二章 ファンタジーの住人たち
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境界が消える夜 7/7

 サーフィが、放射状に無数の光線を放つ。毒々しくも神々しい紫の光が、夜をむしばんでいく。


 そしてその光線のひとつが、いままさにルシアと沙杏のもとへ迫っていた。


 迫っていた、とは言うものの、「来た」と思ってからでは避けられない規模と速度だ。なにかをするにはすでに手遅れだった。それにそもそも、先ほどの戦いでルシアは力を使い果たしている。彼女にできることと言えば、反射的に瞼を閉じることだけだった。 


 そして――

























 どれだけ待っても、なにも起こらなかった。


 音も、衝撃も、熱も、痛みも。


 ルシアはなにも感じなかった。


 死とは、こうも呆気ないものなのか。それとも――


「ねえ、ルシアっち、あれ!」


 隣から、沙杏の声がした。


「沙杏? 私たち、どうなって……」


 言いながら、ルシアは恐る恐る目を開ける。


 光線が消えていた。最初から見間違いだったのかと思うくらいに、サーフィが放ったすべての光線が消失していたのだ。まるで時間がそっくりそのまま数秒前に巻き戻ったかに思える。……ある一点を除いては。


 いつの間にか、数秒前にはいなかったはずの人物が、怪物とルシアたちのあいだに立っていた。


 細身のスーツ姿に、やけに鋭い目つき。かったるそうな表情で、右手には日本刀を持っている。


「おう、こんな時間になにやってんだ。ガキは家にいる時間じゃねえのか?」


 ――狩欺かりのぎまこと


“あの街”の、そして県の魔法使いたちを束ねている男だ。


「狩欺さん、どうしてここが……?」


「お前ら、さっきからこの辺でドンパチやってるだろ。あんだけ派手にやってりゃさすがに異変に気づく。それに、“やつ”の船はバカにはええからな。移動するのに時間はいらなかった」


 そう言って、狩欺は空を見上げた。釣られてルシアも視線を頭上に移す。


 そこにあったのは、巨大な木造船だった。呪われた海賊船のような不気味な船が、空に浮かんでいた。


 知っている。ルシアはこの船をよく知っている。以前、春心を箒に乗せて飛んでいたときに、街の上空で出会ったあの船だ。


 あのとき、船の持ち主は「一月半、海外に行く」と言っていた。それが六月の半ばの話で、いまが七月の末だから――そうか、ちょうど帰国するタイミングだったのか。


 あの日と同じように、船の持ち主は、船首から伸びているバウスプリットの上で、なんてことなさそうに胡坐あぐらをかいていた。


 よれよれの甚平を着ていて、丸眼鏡に無精髭という、少し前の時代の不健康で貧乏な作家を思わせる風体。


 要麻いるま 布施伍ふせご


 ルシアの先輩にあたる、ファンタジーのボツキャラクターだ。


『やあ、久しぶりだね、ルシアちゃん。夜遊びとはまったく健全なことだ』


 要麻は拡声器のようなものを口元に当てていた。彼の声がやたらと大きくなって、森中に響き渡る。


『なんだか大変なことになってるけど、まあ、ここは大人たちに任せておきなさい』


 要麻が言い終わるや否や、サーフィが咆哮し、紫の光がその巨大な身体に集まり始めた。


 狩欺がルシアの方を振り返る。


「お前ら。危ねえから、あと二十歩くらい後ろに下がっとけ」


 ルシアは沙杏と共に後退しながら、


「狩欺さん、気をつけてください!」


「わかってる」


 サーフィは狩欺を異物と判定したのか、先ほどまで無差別に暴れまわっていたのとは打って変わって、明らかに狩欺一人を狙って光線を放った。


「おっとぉ」


 狩欺は刀をわずかに傾け、飛んできた光線の軌道を逸らし、上空へと受け流す。


「……なんだこりゃあ? やっぱ、思ってたより大したことねえんだよなぁ。封印を解くのに正式な手続きを踏んでねえのか……? まるで無理矢理起こしたみてえな……目的はなんだ……証拠の隠滅か……?」


 狩欺はなにを不思議に思ったのか、あごに手を当てて、急にぶつぶつと呟き始めた。


 だがその間、敵が待ってくれるはずもない。サーフィはすでに、鉤爪の付いた腕を狩欺に向けて振り下ろしていた。


「狩欺さん、上っ!」


 ルシアが叫ぶと、狩欺は怠そうに顔を上げた。


「おう、近づいてくんじゃねえよ」


 狩欺が睨んだ瞬間、唐突にサーフィの腕が後ろに弾かれた。狩欺はただ見ただけ。特になにもしていない。それなのに、怪物は狩欺に触れることができなかった。


 ――この場に“なにか”がいる。


 目に見えない“なにか”が、狩欺を守っている。ルシアはなぜだかそう感じた。


「なんにしても、完全体じゃねえなら都合がいい。これくらいなら俺たちだけで抑えられる」


 狩欺は刀を片手に重心を落とし、独特の低姿勢の構えを取った。


 そして、刀を振る。


 サーフィからしてみれば、つまようじよりも小さなもので斬りつけられているようなものだ。普通に考えれば、効果があるとは考えにくい。


 だが、狩欺の刀は普通ではない。


 ルシアは狩欺の使う魔法をほとんど知らない。だが、その刀だけは一度だけ見たことがある。『意識を斬る刀』。相手の身体ではなく、相手の意識を斬ることで、強制的に眠らせるという能力だ。


「なあ、お前みたいな怪物はよ、いったいどんな悪夢を見んだ? ええ?」


 狩欺は続けざまに斬撃を放ち続ける。


 やがて四、五回斬りつけるころには、明らかにサーフィの動きと反応が鈍くなっていた。


「まあ、どうでもいいか。よーし、いまだ。やれ、お前ら!」


 空に向かって狩欺が叫ぶ。


 すると、上空に浮かんでいた船から、箒に乗った魔法使いたちが次々と飛び出してきた。要麻の船には、何人もの大人の魔法使いたちが同乗していたのだ。中には箒ではなく、ソファや掃除用具入れのロッカーに乗っている奇抜な者もいれば、鳥やドラゴンに変身し空を羽ばたいている者もいる。


『はいそこ、射線上に入んないでねー。危ないよー』


 拡声器を通した要麻の声が響いたかと思うと、船首の下から大砲がせり出してきた。


『じゃあ始めるよ。スリー、ツー、ワン……』


 ドン!


 空気を震わせる爆音と共に、砲身から炎が吹き出す。


 砲弾が、真正面からサーフィに直撃した。華々しい青色の爆炎が巻き起こり、怪物はその百メートル以上ある巨体を大きくのけ反らせる。


 その隙にほかの魔法使いたちは上空からサーフィを取り囲んでいた。そして彼らは、四方八方からいっせいに魔法を放つ。


 そんな戦いの中、一人だけ怪物のところには向かわずに、ルシアのもとに飛んでくる者がいた。背中から白い翼を生やした、長い黒髪の女性だ。その女性は箒には乗らず、自前の翼で空を滑空している。


 よく見ると、その女性はある少女を抱きかかえながら飛んでいた。その少女とは――


「おーい、ルシアちゃん!」


「春心ちゃん!」


「危ないからって、拾ってもらっちゃった!」


 春心が翼の生えた女性に抱えられながら飛んできて、ゆっくりとルシアの目の前に着地した。気づけばルシアは、春心に抱きついていた。


「よかったぁ! 春心ちゃん、無事だったのね!」


「ルシアちゃんも無事でよかったよ~! どうなるかと思ったんだから!」


「もう、本当に、本当に……よかった……!」

 

 喜ぶというよりも、嬉しいというよりも、ただただ、安堵した。


 春心と再会できたことで、ルシアはかえって彼女と再会できなかったときのことを強く想像してしまった。縁起でもない映像が頭の中に浮かび上がり、心臓の鼓動が速くなる。最悪な結末は、いくらでもありえたのだ。


 ルシアは春心から身体を離し、春心を連れてきてくれた恩人に頭を下げた。


千暁ちあきさん、お久しぶりです」


「お久しぶりですね、ルシアさん」


 翼の生えた女性が、丁寧にお辞儀を返した。


 彼女の名前は要麻 千暁ちあき。要麻布施伍の妻だ。


「ありがとうございました。千暁さんたちが来てくれなかったら、私たち、いまごろどうなっていたか……」


「お礼なら狩欺さんに言ってくださいね。あの人、結構無茶な召集をかけたんですよ」


 要麻千暁は、上品ながらも茶目っ気のある微笑みを見せた。彼女の物腰は柔らかく、ひとまわり年下のルシアにすら敬語を使う。だけどルシアは、不思議と彼女に壁を感じたことはない。


「ルシアさん、色々と大変だったようですね。でも、もう大丈夫です。魔法使いはとっても強くて、素敵なんですから。見てください、あれを」


 彼女の視線の先には、怪物と戦う魔法使いたちの姿があった。


 火、風、水、土、雷、氷、木、光、闇――様々な光と魔法が煌めき、入り交じり、夜空を七色に染めている。


 それはとても、幻想的な光景だった。


「ねえ、私たち、助かるよ」


 やがてルシアは、沙杏に語りかける。


「だからもう、死のうだなんて言わないで。生きようよ、一緒に」


 ルシアは沙杏の目を見つめた。彼女の透き通るようなブラウンの瞳を、まっすぐに。


「あたしは……」


 沙杏はなにかを言いかけて、首を横に振った。


「あたしには、そんな資格ないよ。あたしがやったことは……謝って済むことじゃないから。もし帰れたとしても、ルシアっちと同じ場所にはいられない」


「いやだ」


「……いやだ?」


「いやだって言ったの! 沙杏に資格がなくても、私にはあるの! もう決めたから! 私、これからずっと沙杏の隣にいるから!」


 不意を突かれたような顔。


 それから「はは」という息が、沙杏の口から漏れる。


「ルシアっちてさ、そんな滅茶苦茶なこと言うようなキャラだったっけ?」


「たまには自分に正直になれって、そう言ってくれたのは沙杏、あなたじゃない」


 ルシアは、沙杏の手を取る。


「もう、離さないから」


「…………」


「水族館、今度こそ行こうね」


 沙杏は顔を背けた。


 彼女の肩が、震えている。


 嗚咽混じりの声が聞こえたような気がしたけれど、ルシアは沙杏の顔を覗き込もうとは思わなかった。


 沙杏はなにも言わない。


 だけど、ルシアの手だけは固く握り返してくれている。


 いまはただ、それだけで十分だった。

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