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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第二章 ファンタジーの住人たち
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境界が消える夜 3/7

「サーフィ。人の悪意を食べる怪物。あたしね、この子が育つのを、毎晩ここで見守ってるんだ」

 

 沙杏は相変わらず半透明のドームを見つめたままでいる。

 

 その中に閉じ込められている怪物は、一見大きな木のようだった。毒々しい、紫色の巨木。

 

 しかしよく見ると、普通の枝に混じって、竜の首の形をした一際太い枝が一本、鋭い鉤爪かぎづめのついた腕の形をした枝が二本生えている。夜空に広がるように生えているその他の枝葉は、まるで竜の翼のようだ。

 

 さらに木の幹には、大きなコンピュータのような電子機器が埋め込まれていて、様々な太さのコードやパイプが、木の根っこと絡み合いながら地面へと続いている。

 

 植物とも、動物とも、機械とも言えない、歪な姿。

 

 悪意を喰らう怪物、サーフィ。

 

 その名前はルシアも知っていた。逃げ出した魔法生物はすべて、狩欺のメモに記されていたからだ。

 

 だが、メモで見たそれと、いま目の前で眠っている実物とでは、姿形がまったく違う。ルシアはこんな魔法生物、見たことがなかった。


「これが……サーフィ……?」

 

 本来のサーフィは、近くにいる人間の悪意を吸収して身体を膨らまし、やがて限界が来ると小規模な爆発を起こして身体を縮めるという、風船のお化けみたいな魔法生物だ。

 

 それがどうしていま、この世のどんな生きものとも違う、生命を冒涜したような姿の怪物になってしまっているのか。


「驚くのもしょうがないよ。あの子は特別だから」

 

 沙杏はサーフィのことを“あの子”と呼び、幹の部分に埋め込まれている電子機器を指さした。


「あの子はね、あの機械で世界と繋がってるの。インターネットから世界中の悪意をかき集めて、ここでずっと吸い続けてるんだ」

 

 続けて沙杏はドームそのものに視線を移した。


「それであのドームはね、あたしの反射魔法をもとに作られた結界なの。せっかく溜め込んだ悪意が外に漏れちゃったら困るからさ、閉じ込めてんだ。いまのあの子は吸い取った悪意を吐き出すことができない。だから、ずーっと成長し続けるの」


「なに……言ってるの……?」


 沙杏がなにか熱っぽく語っているのはわかる。でも、話の内容がルシアにはまったくわからない。内容だけではない。沙杏の目的も、思想も、わからない。


「わからないよ……私、沙杏が言ってること、全然わからない……」

 

 夢でも見ていることにしたかった。こんな突拍子もない展開を、ルシアは信じたくなかった。


「ねえ、嘘なんでしょ? なにか冗談でこんなこと――」


「冗談でこんなこと、するわけないじゃん」


「沙杏……」

 

 わかってる。こんなわけのわからない冗談、誰も言わないことくらい。


「ねえ、なんで?」


「なにが」


「なんでこんなことしてるのってことよ! まさか、いままでの魔法生物のことも、全部沙杏がやったことなの?」


「それは、んー、どう言ったらいいのかな」

 

 沙杏は少し考えるような素振りを見せた。


「目的はね、最初からサーフィだけだったんだよ。でも、研究所から直接サーフィだけを盗んだら足がつきやすいでしょ? だから大雑把に何匹も魔法生物を脱走させて、先にサーフィだけを回収したの。それで、ほかの魔法生物についてはノータッチ。むしろ好き勝手に逃げてほしかった。そのほうが捜査がややこしくなるっていうかさ、時間稼ぎになるでしょ」

 

 軽い雑談でもしてるみたいな口調で、沙杏は犯罪行為を語る。


「でも、マンティコアだけは捕まえようとしたんだよね。アリバイ作りって言うか? あんな危ないのを捕まえようとするやつが、まさか犯人だとは思わないでしょ。……まあ、あの夜はルシアっちに先を越されちゃったけど。そうそう、スレイプニルについては本当に偶然。だからあのとき、罰が当たったって思ったよ。こんなことしといて水族館を楽しもうなんてさ、やっぱ駄目なんだね」

 

 沙杏は饒舌だった。まるで前々からルシアに聞いてほしかったかのように。


「だから、全然わからないの……。どうしてそんなことをするの? 魔法生物を盗んで、こんなところで育てて、なにがしたいの?」


「あの子がね、大きくなったらね、転移魔法で東京のど真ん中に送り込んであげるの」


「え……? ちょ、ちょっと待って」

 

 ルシアの思考が固まった。育てた魔法生物を東京に放つ……? そうしたら、どうなる?

 

 いや、わかる。どうなるかなんて、簡単に想像がつく。だからこそ、信じられないのだ。

 

 だって、そんなことをしたら――


「そんなをことしたら、怪我人が出るじゃない!」


「だから言ったじゃん。こんな世界、ぶっ壊そうって」

 

 沙杏はようやく怪物のいるドームから視線を外し、ルシアの方を振り向いた。死んだ目をしていた。


「世の中さ、無責任に新しい命を生むやつが多すぎるんだよ。

 

 あたしたちの存在ってなに? ボツキャラクターって、なにそれ? 存在を否定するんならさ、なんで生むの? 捨てるくらいなら最初から生まないでよ。ねえ、そうでしょ、ねえ? “作者”ってなんなの? あいつら、神様でも気取ってんの? 人の命を、人生を、なんだと思ってんの? ねえ! 

 

 ……まあ、こんなの、あたしたちに限ったことじゃないけどね。どう考えたって苦しむために生まれてきたとしか思えないような命って、世界中にあるじゃん。日本でさえさ、たまーにこんなニュースが流れてくるよね。どこどこの誰々が実の子供を虐待して殺しましたってね。

 

 おかしいよ。ねえ、おかしいよ。あんなのどうかしてる。どうかしてる。どうかしてるどうかしてるどうかしてるどうかしてるどうかしてるどうかしてるどうかしてるどうかしてるどうかしてる!

 

 おかしいじゃん、ねえ。あんなニュース、たった一回でも流れてくる時点でさ、狂ってるんだって! 車には免許がいるのに、子供を生むのにはなんで免許がいらないの? なんで!? ねえ! おかしいって、こんな世の中、おかしい、おかしい、おかしい! まともじゃないんだよ! 子供を幸せにできないやつが、軽々しく命を生もうとするなよ!」

 

 ふうと、沙杏が一度だけ大きく息を吐く。


「でも、どれだけ訴えても、どうせ誰も気にしないよ。人間ってどうせバカだし。なにかを生むってのは、人間の本能で、好きなことだから、どうせやめない。生まれてくる側の事情も知らずに、なんとなくで命を生むやつはいなくならない。だったらもう、全員殺すしかないじゃん。みんな死ねば、誰も生まれないんだから。そうでしょ? ルシアっち」

 

 突然に、本当に突然に、沙杏の表情が穏やかなものに変わった。ほんの数秒前まで狂気的な感情の昂ぶりを見せていたというのに、彼女はいま、とても優しい顔をしている。


「あたしたちで全部終わらせようよ、ね?」


「沙杏……」

 

 ルシアは力なく首を横に振った。


「だめよ……そんなこと……」


「本当にそう思ってる?」


「当たり前じゃない!」


「そう? ルシアっち、言ってたじゃん。こんな世の中、まともじゃないかもって。本当はさ、ルシアっちもわかってるんじゃないの? おかしいのは、世界のほうだって」


「違う」


「違わないと思うけど」

 

 少し前まで、沙杏はルシアの方を見ようともしなかった。なのに、いまの彼女はルシアの心の奥底まで見通しているかのようだ。

 

 そう、ルシアは、心の中では沙杏の考えを完全に否定しきれずにいた。ほんのひとかけらでも、彼女の思想を理解しかけてしまったのだ。

 

 人を殺していいはずがない。そんなことはわかっている。

 

 でも、沙杏の背中の傷がどうしても頭をよぎってしまう。

 

 どうして沙杏はあんな目に遭わなければいけなかったのか。“作者”に存在を否定され、ようやく出会えた初めての親代わりの人物に、どうして暴力を振るわれなければならなかったのか。

 

 世の中が狂ってるからじゃないのか?


「……いえ、でも、だめよ。ほかにやりかたがあるはずよ!」

 

 共感してはいけない考えに一瞬傾いてしまったルシアは、しかしなんとかその危険思想を振り払う。

 

 そうだ、ほかにやりかたがあるはずだ。きっと。


「それ、本気で言ってる?」

 

 沙杏はなおもルシアを仲間に引き入れようとしてくる。


「言ったよね。ルシアっちはもう良い子にしてなくていいんだよ? 倫理とか道徳とか、周囲の目とか、そういうの全部すっ飛ばして考えてみなよ。ルシアっちはさ、どうしたいの?」


「……私は」

 

 自分はどうしたいのかと一瞬考えかけて、ルシアはハッとなる。まずい、沙杏の言葉に飲まれかけている。このまま会話を続けていれば、自分はいずれ沙杏に説得されてしまうのではないかと怖くなってくる。

 

 ルシアは沙杏の言葉に抵抗するために、意識して強い口調で言い返した。


「ねえ沙杏、考え直して! 世の中がおかしいのはわかる! でも、人殺しだけは絶対に違う!」


「それがルシアっちの本心なの?」


「もちろんよ!」


「ほんとに?」


「ほんとだって!」


「…………」


「ねえ、やめようよ、こんなこと!」


「そっか」

 

 沙杏の声から、感情が消えた。


「そっか」

 

 続いて、表情が消える。


「そっか」

 

 そして沙杏は服のポケットをまさぐり、杖を取り出した。


「ごめん。本当に理不尽なことを言ってんのはわかってんだけどさ。この場所を知られた以上は、無事に家に帰すわけにはいかないわ」


「沙杏!」


「なんでだろうね。あたし、自分で自分がなにをやってるのか、ときどきわからなくなるんだ。ほんと、ごめんね」


「ねえ、待って!」


紅雷撃フロスホーン

 

 沙杏の杖の先から、赤い稲妻がほとばしった。それはルシアの顔のすぐ脇を通り抜け、背後の木へと直撃する。木は一部弾け飛び、焦げた臭いが辺りにうっすらと漂い始めた。


「言ってなかったね。あたしも雷の魔法が使えるの。私のは紅い色だけど」


「沙杏! 話を――」


「ほら、早く準備しなよ。次は当てるよ」


「ねえ!」


「ほら、さん、に、いち……」


「ッ! 雷よ、ここへ来てトニート・エ・ラディクテォ!」


 ルシアの足元に魔方陣が浮かび上がる。夜空の彼方からエメラルド色の雷が飛来し、ルシアの全身を覆った。雷は鎧となり、剣となり、ルシアを騎士の姿に変える。

 

 もはや戦いは避けられそうにない。ならばせめて、スレイプニルと戦ったときと同じように、なるべく怪我をさせずに沙杏を無力化する。そうするしかない。

 

 だけどそんなこと、本当にできるだろうか。沙杏に剣を向けることが、自分にできるだろうか。ルシアはそんな迷いを捨てきれない。


紅雷撃フロスホーン

 

 再び、沙杏が赤い稲妻を飛ばしてきた。それが一直線にルシアの顔に飛んできたものだから、ルシアはほぼ反射的にそれをかわしていた。身体が勝手に動いた。勝手に動いてくれてよかった。もう、なにかを考えるのは辛かった。

 

 ルシアは一直線に沙杏のもとへ接近する。そう遠い距離ではない。二秒もしないうちに、沙杏が剣の間合いに入った。

 

 だが、沙杏は避けようともしない。


鏡面反射ティエン・ツー・レフ

 

 それもそのはずだ。沙杏には魔法が効かないのだから。

 

 円形の魔方陣が、ルシアの目の前に出現する。


「だめじゃん。そんな魔力の塊みたいな姿で突っ込んできちゃあ」


(しまった!)

 

 頭に血が上っていた。ルシアは沙杏に鉄壁の防御魔法があることを、完全に忘れていたのだ。

 

 しかし気づいたところでもう遅い。ルシアは魔方陣へと正面から突っ込んでしまう。

 

 魔方陣に触れた刹那、ルシアの身体がぴたりと静止する。

 

 と思った次の瞬間、ルシアの全身を強化している鎧の魔力が逆流を始める。魔方陣が眩く輝き、ルシアは凄まじい速度で森の上空まで弾き飛ばされた。

 

 勢いがすごすぎて、受け身を取る取らないの次元ではない。ルシアはただ衝撃に耐えながら、地面が迫ってくるのを待つことしかできなかった。



 ※



 森の中で目が覚めた。

 

 ルシアは最初、どうしてこんなところで自分が寝ているのかがわからなかった。

 

 が、身体の痛みですぐにすべてを思い出す。


(そうだ……沙杏が……。早く、戻らなきゃ……)

 

 ルシアは痛みに顔をしかめながら、なんとか立ち上がろうとした。幸い、骨折はしていないようだ。

 

 だがその代わりというべきか、ルシアの全身を守っていた鎧は完全に砕けてしまっていた。沙杏の反射魔法に正面から突っ込んでしまった影響だろう。再生する気配はない。

 

 だけど、戻るしかない。このまま沙杏を放っておいては東京が大変なことになる。

 

 ルシアはボロボロの姿のまま歩き始めた。その足取りはおぼつかない。そして案の定、数歩歩いたところで木の根に足を引っ掛け、転んでしまった。


「……痛い」

 

 泣きたくなってきた。実際、涙ぐんでいた。

 

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 

 ちょっと前まで、新しい友達ができたと喜んでいたのに。ファミレスで喋って、ゲームセンターに行って、砂場で遊んで、自分の辛い思いに気づいてくれて……それがどうして、こんなことに。

 

 もう、やめようかなと思った。

 

 今日あったことは全部忘れて、なにも考えずに、このまま眠ってしまおうかなと思った。

 


 そのとき、ルシアの名前を呼ぶ声がした。


 

 ああ、さっき、頭を強く打ってしまったんだな。ルシアはそう考えた。だってその声の主は、ここにいるはずがないのだから。

 

 しかし名前を呼ぶ声は止まらない。やがて足音が近づいてきて、ルシアのすぐ前で止まった。

 

 ルシアは顔を上げる。そこにいたのは――


「え……」

 

 やはり信じられなかった。幻覚だとしか思えなかった。

 

 だけどどれだけ強く瞬きをしても、その人物は消えない。いなくならない。確かにそこにいる。

 

 ルシアは、その人物の名を呼ばずにはいられなかった。


「どうして……春心ちゃん……」

 

 見間違えるはずがない。

 

 そこにいたのは、ルシアの大切な家族の一人。舞込春心だった。

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