恋はナマモノ 2/2
前回までのあらすじ:朱音がたこわさに恋をした。
「うそぉ……。私、こんな形で朱音ちゃんの乙女な部分見たくなかったんだけど……。たこわさにドキドキて。どうしちゃったの……?」
すぐには現状を飲み込めなかった。飲み込みたくなかった。
無駄だとわかっていながら、春心は話を逸らそうとしてしまう。
「と、とにかくっ! バカなこと言ってないで、早く食べちゃおうよ! それで、早く部活しようよ、ねっ?」
「食べるったって……その、心の準備が……」
朱音が泣きそうな声で言う。
「どうしても、いま食わないとだめか……?」
いじらしい。
でも間違ってる……。
「ほら、もう六月だよ? すぐに食べなきゃ悪くなっちゃうよ。それに、買ってきたものは自分で責任持って食べなきゃ。大丈夫、私も手伝うから、ね?」
「せせっ、責任とか言うなよッ! まだそういうのは私には早いって言うかっ!」
「なにと間違えてるの!?」
春心は怖くなった。
これが一時のキャラ付けならいい。でも、一生この調子だったら? 一生、たこわさが朱音の恋愛対象であり続けたら?
自分が不用意に「それってほんとは好きなんじゃないの?」と言ってしまったがばっかりに……。
突然、朱音がスマホを取り出し、猛烈な勢いで画面をタップし始めた。
「今度はどうしたの!」
近くに駆け寄って、朱音のスマホ画面をちらと見る。
検索サイトだった。
そして検索バーには、こう表示されている。
“ライン 好きな人 頻度”。
「ガチのやつじゃん!」
ほんとに思春期の恋じゃん!
初めて恋をして、でも恋の仕方がわからなくて、周りに知識のある友達もいなくて、ネットに意見を求めちゃうやつじゃん!
そもそもたこわさはスマホ持ってない!
IDなんてない!
春心の危機感は、いよいよ差し迫ったものとなった。このままでは、朱音の性癖が取り返しのつかないことになってしまう。
「目を覚まして! こんなのおかしいって! たこわさは食べ物なんだよ!? 恋はできないんだよ!?」
朱音の肩を揺さぶる。だが、朱音は目を合わせようとしてくれない。
それでも春心は叫ぶ。朱音の心に届くように。
「いい!? 朱音ちゃんは食べる側! たこわさは食べられる側! わかる!? 食 物 連 鎖 ! 食 物 連 鎖 なの! 恋じゃない!」
「で、でも、春心っ! 食物連鎖と恋は本当に関係あるのか!? もしかしたら、この世には固い絆で結ばれているオオカミとヒツジだっているかもしれないだろ? 種族を乗り越えた愛だって、きっとあるはずなんだ!」
「たこわさのタコは死んでるの!」
「やめろよ! 死んだら想いも消えちまうなんて……そんなの悲しすぎるだろっ! もし春心に好きな人ができたとして、そいつが死んじまったら、春心は忘れられるのかよ! できないだろ!?」
「屁理屈のストックがすごい……」
朱音がまったく引かない。びっくりするほど引かない。
そこまで反論されると、春心は本当に自分が正しいことを言っているのかわからなくなってきた。
本当に、自分は人の恋路を邪魔できるような人間なのか?
あなたの抱いた感情は間違っていますよと断言できるほど、立派な人間なのか?
相手のことを思うのなら、どんな形であれ、応援してあげるべきなんじゃないのか?
――想像してみる。
将来、朱音とたこわさが結ばれる図を。
※
数多の障害を乗り越え、朱音とたこわさはついに結婚式を挙げることとなった。
その前夜、大人になった春心は、朱音の住んでいるマンションに呼び出される。
「ありがとな」
照れくさそうに朱音は切り出した。
「お前のおかげだよ。お前が私たちの最初の理解者だった。あの時、お前が背中を押してくれたから、いまの私たちがあるんだ。不思議なもんだよな。お前より先に、私が家庭を持つことになるなんて」
ピンポーン。インターフォンが鳴る。
「お、来たか」
玄関の方を見て、朱音は言う。
「実はあいつもここに来ることになってんだよ。あいつも、改めて春心に礼を言いたいんだと。部屋に入れてもいいよな?」
朱音は扉の向こうへと声を張り上げる。「入っていいぞ」
合鍵でも持っているのだろう。朱音が出迎えるまでもなく、玄関の扉が開く音がした。
そして、ぬちゃぬちゃという足音。
ほどなくして、朱音の夫となるたこわさが、春心の前に姿を現し――
※
「バッッッッッッカじゃないの!?」
春心は脳内に浮かんだイメージを、全力で床に叩きつけた。
朱音ちゃんの夫となるたこわさってなんだよ! ホラーに片足突っ込んでるわ! 百物語の一軍になれるっつーの!
「はぁ、はぁ……」
勝手に盛り上がり、勝手に息を切らす春心。
……止めなきゃ。
朱音ちゃんの暴走を、ここで止めなきゃ! 最悪の未来を、ここで阻止しなきゃ!
春心は覚悟を決めた。
なにが正解かもわからないこの世界で、自分の正義を貫く覚悟を。
つまりは、人の恋路を邪魔する覚悟を。
朱音の想いを否定する覚悟を。
「朱音ちゃん、ごめん! 許して!」
春心はテーブルの上のたこわさを手に取った。
そして――
そのあとの二人になにがあったのか、それを記すことはしない。
書けないほどのなにかがあったのか、書くほど大したことが起きなかったのか。どう受け取っても構わない。
ただ言えることがあるとすれば、最終的に春心は泣き、朱音は正気に返り、たこわさは無事二人の胃袋の中に納まった。それだけだ。
この日以来、二人はたこわさを避けるようになった。
たとえばコンビニの一角、たこわさが置いてある棚の前を通るとき、二人はどこかよそよそしく、足早に通り過ぎてしまうようになった。まるで昔の恋人が住んでいる街を、背中を丸めながら歩くみたいに。
二人にとって、たこわさは大人の味だったのだろう。
しかし春心たちはまだ子供だ。大人の味はわからない。
魚介の旨味は生臭いとしか思えないし、山葵のぴりりとした風味は鼻の奥でむせ返るだけ。
でも、それでいい。
わからなくてもいい。
なりたくなんかなくたって、時間が経てば勝手に大人になってしまうのだから。
それならば、いま、子供でいるこの瞬間を抱きしめよう。
一瞬一瞬のきらめきを集めていこう。
そうしていつかたこわさを美味しく食せるようになったとき、春心と朱音はこの日のことを思い出し、なるほど私たちは青い春の中にいたんだなと実感することになるのだろう。
懐かしさに目を細め、己の未熟さに赤面し、戻ってこない日々に愛おしさを覚え、そして最後に、きっとこう思う。
――なんだこの話、と。
ほんとになんだこの話……。