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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第二章 ファンタジーの住人たち
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同じ記号を背負った少女 3/3

 “この世界”にやってきたボツキャラクターたちは、必ず“協会”という組織に所属しなければいけないことになっている。


 協会とは、一言で言えば、ボツキャラクターの互助団体だ。


 別の世界からやってきたはぐれもの同士、助け合って生きていこう――という思想が根元にあり、日本では少なくとも室町時代には協会の原型ができあがっていたことが確認されている。


 ボツキャラクターたちにとって協会の存在は非常に大きい。


 たとえばルシアや春心たちの養育費は協会が支援しているし、彼女らの戸籍を用意しているのも協会だ。ルシアたち個人に代わって政府と交渉し、戸籍の存在しない彼女たちに日本人として生きる権利を保障している。


 本来、いないはずの人間である彼女たちが普通に高校生として生きていられるのも、協会のお陰というわけだ。


 もちろんその代わり、彼女たちが大人になったときは、未来の後輩たちのために働かなければならなくなる。上の世代から受けた恩は下の世代に返す。それもまた、協会の思想だ。


 協会の拠点は、東京の関東本部と、京都の関西支部の二か所。


 本当なら全国に支部があるほうがいいのだろうが、いかんせんボツキャラクターの数が少ないため、いまのところ拠点はその二か所のみとなっている。


 現在、日本に存在するボツキャラクターはおよそ百人。“人”という単位ではあるものの、人外の獣や霊魂のみの存在、数百年生きている神のような者までいるため、必ずしも全員が人間というわけではない。


 このうちの約六十人が関東本部に所属している。ルシア、春心、朱音、メーベル、しづくも関東所属だ。そして残りの四十人ほどが関西支部に所属している。


 なお、関東本部か関西支部、どちらか近いほうに籍を置けばいいだけで、住まいは特に限定されない。関西支部に籍を置きながら沖縄に住んでいる者もいるし、関東本部に籍を置くルシアは、千葉の高崎家で暮らしている。


 この総勢百名のボツキャラクターたちに加え、一般人の“協力者”たちのサポートによって成り立つ組織、それが協会だ。



 ※



 あたし、先週まで兵庫に住んでたんだよね――と、沙杏は言った。


「兵庫から? それはまた……結構遠いわね」


 ルシアの食事の手が止まる。


 びっくり仰天というほどのことではないけれど、千葉と兵庫じゃそれなりに距離がある。ましてやルシアのような高校生の感覚からすれば、関西なんてそうそう気軽に行ける場所ではない。


「あれ、でも沙杏さんって、関西弁じゃないわよね?」


 先ほどから喋っていても、沙杏の喋りかたに特徴的な訛りがあるようには感じられない。そのことについて、彼女はおどけるように答えた。


「そりゃそうよ、あたしはどこにも馴染まない女だからね」


「ふふ、なによそれ」


「さあね、あはは!」


 沙杏は快活に笑うと、幸せそうに冷麺をすすった。


「でも、沙杏さんが遠くから来たって知って、ちょっとだけ納得したかも。あなたみたいな同年代で同じ境遇の子が近くにいたら、気づかないわけないから」


「あたしらみたいなのってそう何人もいるわけじゃないかんね~」


「兵庫に住んでたってことは、協会は関西の所属だったの?」


「そだよ。でもでも、いまはもう関東に籍を移したけどねん」


 沙杏はジンジャーエールを飲み干すと、「飲み物取ってくるわ」とドリンクバーコーナーに向かった。 


 ルシアは切り分けたハンバーグを口に運び、それと一緒にライスを食べる。ハンバーグの味が濃いけれど、その分ライスとしっかり合うので悪くない。ちゃんと食事をとっているんだという満足感がある。


「あたしさ、ルシアっちに会うためにこっちに来たんだよね」


 ドリンクバーコーナーから戻ってきた沙杏が前置きもなく言った。手にはアイスコーヒーの注がれたコップとティースプーン、ガムシロップが握られていた。


「それ、本当だったの?」


 たしか公園でも、沙杏はルシアに会いたかったという旨のことを話していた。


 でも、やっぱり実感が湧かない。ルシアには自分が、遥々遠方から会いに来る価値があるほどの人間とはとても思えないのだ。


 そんなルシアの困惑する顔を見るのが楽しいとでも言うかのように、沙杏は愉快そうに笑う。


「あははっ! もちろん半分は冗談! さすがにそのためだけに引っ越しては来ないわ! ……でも、まあ、半分は本当かな」


「どうして、私に?」


 不審がったわけではない。純粋な疑問だ。


「ルシアっちはさ、この世界には、五人で来たんでしょ?」


 その質問にどういう意味があるのだろうと思いつつ、ルシアは答える。


「ええ、そうよ」


 沙杏の言う通り、ルシアはこの世界に来るとき、春心、朱音、しづく、メーベルと一緒だった。そしてそのメンバーとは、いまも一緒に暮らしている。


「あたしはね、一人だったんだよ。この世界に来るときも、来たあとも」


 そう言って、沙杏は笑った。


 笑っているはずなのに、彼女の表情に初めて陰りのようなものが見えた。


「ボツキャラクターってさ、だいたい二~三人でこの世界に飛ばされてくるのが普通らしいよね。あんたたちみたいに五人いっぺんに来るケースなんて滅多にない。関西の先輩が言ってたよ、五人同時っていうのは、あんたたちで百年ぶりだって」


 沙杏はガムシロップをアイスコーヒーに入れると、それをティースプーンでかき混ぜ始めた。からからと、氷のぶつかる音。  


「で、それが関係してるのかどうか知らないけどさ、私はね、逆に一人だけだったんだよ。私の隣には、誰もいなかった」


 コーヒーを混ぜる手が止まる。


「そんでこっちの世界にやってきてからも、なかなか友達ができなくてさ。ほら、関西支部って関東より人が少ないからさ、あたしと同年代の子がいないんだよ。ぶっちゃけ、ちょっと寂しいなって思ってた。そんなときに、あんたらの噂を聞いたんだ。関東には同年代の子が五人もいるってね。しかもそのうち一人はあたしと同じ、ファンタジーのボツキャラクターだって言うじゃんか。だから、会いたかったんだよ」


「そう、だったの……」


 ルシアは想像してしまう。もしも自分が沙杏と同じ立場だったら――と。 


 ルシアがボツキャラクターという天涯孤独の身でも絶望しなかったのは、たくさんの出会いがあったからだ。春心たちと出会い、高崎と出会い、いつしかルシアは孤独ではなくなっていた。


 でも、その出会いがなかったら?


 もしも、春心も朱音もしづくもメーベルも高崎もいなかったら?


 ……考えたくもない。


 そしてその考えたくもない世界に、沙杏は――


「あ~、ごめんごめん! 変な空気にするつもりはないんだよ! そんな暗い顔しないで!」


 沙杏が弾けるような明るい声で言った。もう彼女の表情から陰は消えていた。


「そうじゃないんだよ、そうじゃなくってね! あたしが言いたいのは、ルシアっちに会えてよかったって話なんだわ! 喋ってみたら全然いい感じだし、悪い人じゃないし、あたしとも気が合いそうだなーって思うのよ! ね、気が合うよね、あたしたち! ね? ほら、だからさ、その……」


 途中まで威勢よく喋っていたのに、急に歯切れが悪くなっていく。


 どうしたのかとルシアが沙杏のほうを見ると、彼女はぷいと視線を逸らした。


「だから、その、つまり……」


 やがて消え入りそうな声で、彼女は言う。


「……友達になろうよ、あたしたち」


 沙杏はぎこちなく目を伏せり、頬をほんのり染めている。


 そのしおらしい表情から、沙杏の切実ななにかを垣間見てしまった気がして、ルシアにはもう、彼女を放っておくことはできなかった。


「うん、もちろん、もちろんよ! 私でよければ!」


 ルシアが返事をすると、沙杏の表情がぱあっと輝いた。


「まじ!? やった! よろしくね!」


 そしてルシアと沙杏の視線が合う。二人同時に、ちょっと恥ずかしそうに笑う。


「なんか照れるね、こういうの」


「はは、そだね。……ってかごめんね、ハンバーグ冷めちゃうでしょ? はよ食べな」


「ううん、いいの。でもありがと。じゃあ食べちゃうね!」


「そうそう、食べちゃえ食べちゃえ」


 こうして少しだけ距離の縮まった二人は、先ほどよりも笑顔の割合を増やしながら食事を続けた。時間が経つのはあっという間だった。



 ※



「今度さ、一緒にどっか行こ?」


 食事を終えてファミレスを出たところで、沙杏が言った。


「うん。ちょうど夏休みだし、前もって言ってくれれば、だいたい大丈夫だから」


「おっけ、じゃあまた連絡するね」


 ルシアと沙杏は、ファミレスで互いの連絡先を交換していた。これでいつでも会う約束ができる。


「そんじゃ、今日はこれでね」


 またねい! と沙杏は大きく手を振ると、高崎家があるのとは反対方向へと歩きだした。


 その後姿を見送っている途中、ふと沙杏が振り返り、再びルシアに手を振った。そしてその拍子に沙杏は前を歩く通行人とぶつかりそうになり、慌てて身をかわす。それがちょっと危なっかしくて、微笑ましかった。


 沙杏の姿が見えなくなったところで、ルシアも歩きだす。


 時刻はまだ十五時前だけれど、特に用事はないし、今日はもともと家にいる予定だったので、このまま帰宅することにした。





 駅前からの帰り道、ルシアは『だがしのなつめ屋』の前を通りかかった。ここは夏目フミノというSFのボツキャラクターのお婆さんが営んでいる駄菓子屋だ。


 しづくがいつもお世話になっている関係で、ルシアも夏目とは面識がある。ちょうどルシアが店の前を通りかかったとき、夏目は軒先に並んでいる色のあせたガチャガチャを、困り顔でいじくりまわしていた。


「こんにちは、夏目先生」


 しづくにならって、ルシアも夏目のことを“先生”と呼んでいる。


 夏目はルシアに気づくと、優しいシワをくしゃっと伸ばして、柔らかく微笑んだ。


「おや、ルシアちゃん。今日も暑いねえ」


「そうですね。熱中症には気をつけてくださいね」


「なんだい、こんな婆さんの心配をしてくれんのかい?」


 ありがたいことだねぇ、と夏目はゆったりした口調で呟いた。


「それ、どうかしたんですか?」


 ルシアはガチャガチャを視線で示しながら尋ねる。


 先ほど夏目が困っていたようだったので、少し気になったのだ。自分が力になれることではないかもしれないけれど。


「いやね、ちょっと調子が悪くてねえ。どうしたもんかと思って」


 言いながら、夏目はガチャガチャのハンドルを回してみせる。ハンドルはかすれるような音と共に、やけに速く回転した。空回りしているのだろうか。


 夏目はしづくの機械の身体を直せる数少ない人物の一人だ。そしてそんな高度な技術力を持つ彼女が、カプセルトイの販売機の故障で困るというのがルシアには意外に思えた。


 もしかしたら夏目なりに、SFの技術を使うにあたってのルールやこだわりがあるのかもしれない。あるいは、いま見ているこのガチャガチャらしきものは、実は別の使い道のある機械なのかもしれない。どちらにしても、ルシアにはわからないことだ。


「最近、ファンタジーの界隈がごたついてるみたいだねぇ」


 唐突に、夏目が呟いた。 


「え……?」


 一瞬、ルシアは夏目がなんの話を始めたのかさっぱりわからなかった。


 だが、考えれば考えるほど、思い当たることはひとつしかない。


 いまルシアの身の周りで起こっているゴタゴタと言えば。そう、魔法生物が脱走した件だ。それしか考えられない。


 どうして魔法使いではない夏目がその件について知っているのかと思ったが……まあ、おかしなことではないのかもしれない。


 ファンタジーとSFは対極の存在でありながら、お隣さんでもある。どこかのタイミングで情報や噂が流れることもあるのだろう。


 それでもルシアは、いちおう具体的な部分をぼかしながら答える。


「ええ、まあ……そうですね。お騒がせしています」


 夏目は心配そうにルシアを見つめた。


「ルシアちゃんはしづちゃんの家族だからね。今回のこと、本当はあたしも力になってあげたいんだけど……今回はSF側の人間は傍観することになってるからねぇ。SFだけじゃあないよ。ミステリーやホラーの連中もそうさ。今回は部外者は手を出せないんだよ。まあ、身内の問題は身内で解決しろってことさね」


 夏目の言葉が本当なら、今回の魔法生物の件で、ファンタジー以外のジャンルの人間が関与してくることはないらしい。


「でも、忠告するくらいなら、ルール違反にはならないだろうねえ」


 と、夏目は言った。


 ――忠告? 


 ルシアには夏目の発言の意図がまだわからない。


「……どういうことですか?」


「用心しなってことだよ、ルシアちゃん。そろそろなにかが起きてもおかしくないからねえ」


 夏目の思わせぶりなその口調に、ルシアはつい直線的に問いかけてしまう。


「夏目先生は、なにをご存じなんですか?」


「いんや、なにも知らんよ」


 ただね――と、夏目は付け加えた。


「それなりに長く生きてると実感しちまうのさ、平和なだけの人生なんてありゃしないってね。どこかで必ず、覚悟を決めなきゃいけないときがくるもんだよ」


「…………」


「ルシアちゃん。あたしゃね、そのときが迫ってるような気がしてならないのさ」


 それは人生の先輩として、ボツキャラクターの先輩としてのアドバイスだったのだろう。しかしいまのルシアには、不吉な予言のように聞こえた。


「……わかりました。気をつけます」 


 ルシアが返事をすると、夏目は深く、静かに頷いた。


 脱走し、そして未だ捕まらない魔法生物。


 狩欺が言っていたあの言葉。


 ――誰かが匿ってやがるのかもな。


 この街でいったいなにが起こっているのか。


 なにが起ころうとしているのか。


 嫌な予感がする。しかしルシアにはまだ、その不穏な影の輪郭さえも掴めずにいた。

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