同じ記号を背負った少女 1/3
翌日、ルシアが目を覚ましたのは、午前十時半を過ぎてからだった。
昨晩マンティコアと戦い、見知らぬ少女が登場した直後に、大人の魔法使いたちが公園に駆けつけてきた。大人の魔法使いたちの中には、喫茶店“ウィル”でウェイトレスをしている据野瑠璃の姿もあった。据野はまだ二十歳になっていないので、厳密には大人ではないのだが、ルシアにとっては頼れる先輩の一人だ。彼女は深夜にも関わらず、ウェイトレス姿のままだった。
ルシアは据野に事情をすべて話した。
すると、事件の後処理はすべて大人のほうで引き受けてもらえることになり、ルシアは午前四時前には帰宅することができた。
それから死んだように眠り続け、気づけば朝の十時半だ。いや、もう昼と言ったほうがいいのか。
ルシアは掛け布団を払いながら上半身を起こしてみるが、身体がまだ少し重かった。昨夜あれほど身体を動かしたのだ、仕方がない。
(…………)
ふいに、昨晩のことを思い出してしまった。昨晩の、自分の姿を。
ルシアの身体は、二年前とほぼ同じように動いた。敵を傷つけ、自分の身を守るためだけの動きを、意識することなく実行に移すことができた。
そしてそんな自分自身に、ルシアはいま、大きな違和感を覚えていた。
いくら怪物相手とは言え、生きものに容赦なく剣を振るえるだなんて、まともな感覚じゃないんじゃないのか、と。他者を迷いなく斬りつけることができるだなんて、普通じゃないんじゃないのか、と。
二年前のルシアは、その辺りを気にしたことはなかった。自分はそういうキャラクターだから――戦えるキャラクターだからと、自分の行動に疑問を持ってはいなかった。
それがいまになって、戦うという行為に対してなにかを思えるようになったということは、この高崎家で過ごした二年間が、ルシアの内面を変えたということなのかもしれない。きっと、いい意味で。
とは言え、躊躇なく戦えたからこそ、昨晩は自分と人の命を救えたわけなのだから、ルシアとしてはなかなかに複雑な心境だった。
なんだかこれ以上考えるとドツボにはまってしまいそうな気がしたので、ルシアは意識的に思考を打ち切って、ベッドから出ることにした。
自室をあとにして一階に下りると、リビングで高崎がテレビを見ていた。
「高崎さん、おはよう」
「ん、おはよ。ぐっすり寝てたね」
と、高崎がテレビから視線を離して、ルシアに言った。
「こんな時間までごめんなさい」
「いいのいいの。私も一回起こしに行ったんだけど、なんだか疲れてたみたいだから、そのまま引き返してきちゃった。ルシアちゃん今日予定ないって言ってたし、いいかなって。やっぱり起こしたほうがよかった?」
「ううん、それでよかったよ。ありがとう」
「どういたしまして。で、朝ご飯、どうする?」
「どうしよう。まとめてお昼に食べようかな。もうこんな時間だし」
「りょーかい。それでもいいよ」
そう言って、高崎はテレビに視線を戻した。かと思えば、再びルシアの方を見て、
「もしかして、なにかあった?」
「…………」
あったと言えばもちろんあったが、それを高崎に話すかどうか、ルシアは迷った。
部外者に魔法関連の話をすることは原則禁止だが、家族はその例外に入る。だから、高崎に昨晩の事情を話すことはできる。
しかし、怪物と戦って死にかけた――なんて話をしても高崎を心配させるだけだろう。わざわざ言う必要はない。もう、終わったことなのだから。
ルシアは微笑んで言った。
「ううん、なんでもないよ。平気」
すると、高崎も微笑んだ。ちょっとだけ寂しそうに。
「そっか。じゃあ、気が変わったら言ってね。溜め込んじゃだめよ」
「……ありがと」
どうやら高崎は、ルシアが隠しごとをしていることに気づいているようだ。
さすがに昨晩の出来事が具体的にばれたわけではないだろうが、“なにかがあった”ことはばれた。それでいて無理に聞き出そうとしてこないところが、高崎の信用できるところだとルシアは思っている。
そしてなにより、異変にすぐに気づいてもらえたことが嬉しかった。自分から隠しといて、気づいてもらえて嬉しいだなんて、我ながら面倒臭い性格だなと呆れそうになるが。
「ね、ルシアちゃん。お茶飲まない?」
「うん、飲む」
「おっけー。いま運んでくるわ。染みるわよ~」
と言って、高崎はキッチンのほうへ歩いていった。彼女の「染みるわよ~」という言いかたが絶妙におかしくて、ルシアは少し笑った。
高崎が運んできたのは、冷やした緑茶だった。
聞けば、いい茶葉を貰ったとのこと。そのままお湯で淹れても美味しいのだろうが、夏ということで、昨晩からじっくり水出しで冷茶を作っておいたらしい。
「うち、貰い物が多いわね」とルシアが言うと、高崎が「それ、前に朱音ちゃんも言ってたわ」と笑った。
冷茶はグラスに注がれていて、大きな氷が涼しげに浮かんでいる。お茶の透き通るような緑色が見た目にも爽やかだ。
ルシアはさっそく一口飲んでみる。
優しい苦みと品のある香りが口の中を吹き抜け、ひんやりとした水分が寝起きの身体に染み込んでいく。たったそれだけのことで、昨晩の疲れがどこかへ行ってしまう。美味しいって偉大だ。
「これ、ずっと飲んでられる」
「それはよかった。でも、お腹壊さないようにすんのよ」
「はーい」
ルシアは少しずつ冷茶を口に含みながら、高崎に尋ねる。
「みんなはもう出かけたの?」
「うん。部活に行ったよ」
ルシアが寝ているうちに、春心たちは部活に行ってしまったようだ。この家って、みんながいないだけでこんなに静かなんだと、ちょっとだけ不思議な気持ちになる。
「ルシアちゃんは今日はどうしてるの?」
「今日は家にいようかと――」
言いかけたところで、ルシアのスマホに着信が入った。狩欺からだ。なんとなく話の内容は察しがつく。昨日のことだろう。
『おう、昨日はご苦労だったな』
電話に出ると、狩欺の気怠そうな声が聞こえてきた。
「いえ、すいません。勝手なことをしてしまって……」
『緊急事態だからな、しょうがねえ。むしろよくやった。ところで急で悪いが、三十分後に昨日の公園に来れるか?』
公園は高崎家から歩いて十分もかからない場所にある。しかしそれを差し引いても、二十分じゃ支度が間に合うかどうかわからない。もちろん、遊びに行くわけではないのだけれど……もう少しだけ時間が欲しい。
「四十分後じゃいけませんか?」
ということで、せめて十分だけ追加してもらうように頼んだ。
『構わねえ。じゃあ四十分後な。頼むぜ』
用件が済むと、狩欺はあっさりと通話を切った。
「高崎さん、ちょっと出かける用事ができちゃった」
「お昼は戻ってくるの?」
「ええと、ごめんなさい。いつ終わるかわからなくて。帰る時間がわかったらまた連絡するね」
「わかった。外、暑いから気をつけるのよ」
「うん」ルシアは冷茶を飲み干す。「お茶、ごちそうさまでした」
※
四十分後。ルシアは時間通りに公園に到着した。
公園に入ってすぐ、昨日の争いで壊れたはずの遊具やベンチがすっかり修復されていることに気づく。大人の魔法使いたちの“後処理”のお陰なのだろう。
「おう、来たな」
狩欺は公園の端の方にある木陰の中にいた。木陰の中の、スプリングのついているパンダの遊具に乗って、ゆっさゆっさと前後に揺れていた。
「…………」
スーツを着た大の大人が、真顔でパンダの上で揺れている。その光景に対するコメントが思いつかなかったので、ルシアはそこにはなにも触れなかった。
「こんにちは、狩欺さん」
「改めて、昨日はお疲れさん」
狩欺は相変わらず、パンダの上で揺れるのをやめない。
そしてルシアはそこに触れない。
「ところで、その、昨日巻き込まれた方の怪我は……」
「ああ、大したことなかったぜ。入院の必要もねえよ。マンティコアが残酷で助かったな」
「残酷で助かるって……どういうことですか?」
「ああ、やつには人をいたぶってじっくり殺す趣味があるからな。逆に言えば一発で人を殺すことはあまりねえ。その残酷さがかえって幸運だったってことだ」
確かに、怪我が軽く済んだこと自体は幸運だったのかもしれない。
しかしあのとき、ルシアがもっと早くあの男女に警告をしていれば、そもそも怪我を負うこともなかったんじゃないかと考えると、素直には喜べない。
「さて、悪いが俺には時間がねえ。仕事を抜け出して来てんだ。さっそく本題に入らせてくれ。つっても、難しいことじゃねえ。単なる事情聴取だ。一度現場で当事者から事情を聞いときたくてな。昨日のこと、改めて聞かせてくれねえか?」
ということで、ルシアは昨晩のことをなるべく詳しく狩欺に話した。そしてひととおり話し終えると、狩欺は訝しげにこう呟いた。
「ふん、なるほど。やっぱり奇妙だな」
奇妙。意味深な感想だ。
ルシアは尋ねる。
「奇妙って、マンティコアが街中に出たことがですか?」
「いや、そっちじゃねえ。マンティコアは知性がある上に飛べるからな。人目を避けて深夜の街に降りてくるくらいのことは、まあ、ありえないことじゃねえ。問題なのは、そのほかの魔法生物だ」
「そのほかの……?」
ルシアにはまだいまいち事情がわからない。次の狩欺の言葉を待つ。
「いいか、逃げ出した魔法生物は全部で十一体だ。そのうち六体はすでに、俺たちのほうで捕まえている。そして昨夜、お前たちがマンティコアを捕まえてくれた。これで計七体だ。逃げ出した魔法生物はこれであと残り四体なんだが……これが奇妙なんだよ」
狩欺は再び“奇妙”という言葉を使った。
ちなみに彼はまだパンダの上で揺れている。見る人によっては、そっちのほうが奇妙かもしれない。
「残りの四体はマンティコアほどの知性がない上に、めちゃくちゃ目立つやつらなんだよ。それが脱走して一週間経つってのに、全然捕まらねえ。というか、噂すら聞かねえ。これは俺たちが察知できないほど遠くに逃げちまったか、それか――」
狩欺はそこで言葉を切ると、小声でこう続けた。
「誰かが匿ってやがるのかもな」
……匿う?
いったい誰が? なんのために?
その行為の意味について、ルシアはより詳しく狩欺に質問をしようとしたが……
「ああーっ! 見つけました! なにやってるんすか、狩欺さん!」
突然、大きな声が響いた。見れば、こちらに向かってスーツ姿の若い男が走ってきている。狩欺が露骨に顔をしかめた。
「やべぇ、あいつは俺の部下だ。警官としてのな」
狩欺の表向きの職業は警察官だ。
「あいつは俺が魔法使いだってことは知らねえ。悪いが今日の話はここまでだ。呼び出しといてすまねえな。それと“コウヅキ”にも言っといてくれ。今日の話はまた今度だってな」
「コウヅキ……? それは――」
誰のことですか? と尋ねようとしたが、狩欺は部下に捕まってしまい、もう質問に答えられる状況になかった。
「狩欺さん、仕事中にマジなにやってるんすか!」
狩欺は面倒臭そうに部下に言った。
「ナンパだ」
「ナンパぁ!?」
「若い女子を見かけたからつい、な」
「な、じゃないですよ! あんた警察でしょう!? なんで警察が仕事中にナンパやってるんすか!? 倫理って知らないんですか!? 狩欺さんってどうしてクビにならないんすかね!」
「はっきり言うじゃねえか」
「そりゃそうっすよ! 狩欺さんいつも仕事してないじゃないですか! とにかくもう、行きましょう! 帰りますよ、ほら!」
そうして狩欺はパンダの上から降ろされ、あっという間に公園の外へと引きずられていってしまった。
そのあまりの慌ただしさに呆気に取られていると、いなくなった狩欺とすれ違うように、一人の少女が公園に入ってくるのが見えた。茶髪の、ギャルっぽい外見の――昨日、ルシアを助けてくれた少女だ。
「よっす~、ルシアっち! 昨日はおっかれ~!」
向こうはルシアを見つけると、親しげに手を振ってきた。
ところが、ルシアのほうは彼女のことをなにも知らない。名前すらも。昨晩はバタバタしていて、結局彼女とはまともに話せなかったのだ。どうやら味方で、同年代の魔法使いらしいことはわかるのだが……。
と、そこでルシアは閃いた。
「もしかして、あなたが“コウヅキ”さん?」
すると少女は一瞬ぽかんとした表情を浮かべると、なにが可笑しかったのか、時間差でぷっと吹き出した。
「ああ、そっかそっか! 言ってなかったね! そうだよね、そりゃそうだ! 一方的に名前を知られていたら、そりゃ、そういう反応にもなるか! あはは! ごめんごめん!」
少女はひとしきり快活に笑うと、ようやく名を名乗った。
「あたしの名前は荒月 沙杏。あんたと同じ、ファンタジーのボツキャラクターだよ」




