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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第二章 ファンタジーの住人たち
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暗がりの奥から 3/3

 ルシアは羽織っていたローブを投げ捨て、呪文を唱えた。


雷よ、ここへ来てトニート・エ・ラディクテォ

 

 ルシアの足元に魔方陣が浮かび上がる。そしてそれに呼応して、夜空の彼方に光が瞬いた。雷だ。


 雲ひとつない、本来なら雷など発生しようのないの星空の隙間から、エメラルド色の稲妻が走り抜ける。その雷は、一直線にルシアのもとへと降り注いだ。


 雷をその身に受けたルシアの身体は、光に包まれ、神々しく輝く。


 やがて彼女の全身を包む雷は、紋章の刻まれた銀色の鎧へと変化した。さらにその右手には、やはり雷から変化した大振りの両刃剣が握られている。


 西洋の鎧と、ロングソード。


 いまのルシアの姿は、ファンタジー作品に出てくる女騎士そのものだった。“女騎士”こそが、ルシア・リフレインというキャラクターに与えられた真の記号だった。

 

 騎士といえば、西洋ファンタジーの代表であり、王道であるものの、悪く言えば、ありきたりな設定とも言える。

 

 そんなありきたりなキャラクター設定だったからこそ、ルシアはボツになってしまったのかもしれない。

 

 しかしいまの彼女には、ありきたりかどうかなんて、どうでもよかった。

 

 人を守るために戦う力がある、それだけでよかった。


 ルシアは剣を構える。


 それを受けて、マンティコアが身をわずかに低くした。


 それから怪物は、よく見なければわからないほどゆっくりとした挙動で、ルシアとの距離を詰め始める。


 じり、じり、と。少しずつ、ほんの少しずつ、二人の距離が狭まっていく。


 そして――


(来る!)


 と、ルシアが思った瞬間には、すでにマンティコアは走りだしていた。

 

 その速度にルシアは焦ったが、同時に彼女は完璧なタイミングで横に跳び、マンティコアの突進を回避した。


(これは……)

 

 驚いた。


 攻撃を回避できたことにルシア自身が一番驚いた。避けられないと思ったのに。

 

 どうして避けられたのだろう……と、考えている間もない。怪物は勢いそのままに方向転換し、再びルシアのもとに向かってきた。

 

 怪物の牙が、爪が、さそりの尾が、猛然とルシアに襲いかかる。

 

 そしてそのほぼすべてを、ルシアはかわし続けた。敵の動きを完全に見切り、最小限の動きで攻撃を回避する。それでも一撃だけ、どうしても物理的に回避できない攻撃が飛んできたが――かわせないなら防御すればいい。

 

 ルシアはその攻撃を剣でいなすと、わずかな隙を縫って怪物に一太刀を浴びせた。

 

 マンティコアはえ、後方に飛び退いていく。

 

 対するルシアは、呼吸ひとつ乱していない。


(……いける。身体が、勝手に動く!)


 ここでようやく、ルシアは確信した。完全に杞憂だった、と。

 

 二年間のブランクなど、関係なかった。

 

 戦いから離れていたって、どれだけ平和な日常の中にいたって、身体に刻まれた“女騎士”という記号が、戦いかたを覚えている!

 

 怪物の目つきが変わった。

 

 ここまでは、マンティコアのほうにもどこか余裕があった。弱い人間をいたぶって遊んでやろうとでもいうような、陰湿な悪意があった。

 

 だがたったいま、マンティコアはルシアを排除すべき脅威と見なしたようだ。

 

 月明りの下で、怪物が咆哮する。


 そしてその直後、怪物は前足を振り上げながら、爆発的な速度でルシアに飛びかかった。先ほどまでのスピードとは比較にならない。その前足は、瞬刻のうちに最短距離でルシアの人体急所へと振り下ろされることだろう。


(速い!)


 この一撃はかわせないと、ルシアは悟った。

 

 しかし防ぐこともできそうにない。まともに受ければ、腕のほうがもたないだろう。

 

 ならば――


 ルシアはためらいなく地面を蹴り、正面に跳んだ。突っ込んでくる怪物に向かって、あえて自ら飛び込んだ。


 その前足が完全に振り下ろされる前に、敵の懐に入り込み、脇を潜り抜ける。それが被害を最小限に抑えることのできる、唯一の方法だと判断した。

 

 ルシアとマンティコアの身体が、衝突するギリギリまで接近する。身を屈めながら走るルシアの左肩を、怪物の爪がかすめていく。あっけなく、肩の鎧が砕け散る。


 だが、それだけだった。ルシアの身体には傷ひとつついていない。

 

 ルシアは怪物の脇を駆け抜けながら、すれ違いざまに銀閃を走らせた。

 

 通常の刃物では、マンティコアの皮膚に傷をつけることは困難だろう。しかしルシアの場合は、剣に魔力のこもった電撃をまとわせることで、敵を焼きながら斬ることができる。いかにマンティコアと言えど、まともに受けたらひとたまりもない。

 

 そしていま、まさに、ルシアの剣が怪物の脇にまともに入った。

 

 おどろおどろしい、けれど悲痛な雄叫びが公園内に轟く。


 逃げようとしたのか、それとも、空中から攻撃をしかけようとしたのか。マンティコアは翼を広げ、上空に飛び上がった。

 

 が、そこにはすでに、斬撃が置いてある。

 

 ルシアがあらかじめ放っていた一閃が、マンティコアの翼を切り裂いた。怪物は重力に抗う術を失い、空中から引きずり下ろされる。そして受け身も取れずに地面に衝突した。


「……もう、これ以上は無駄よ。お願いだから、そこで大人しくしていて」

 

 と、ルシアは地面に伏している怪物に言った。

 

 この戦いの目的は、マンティコアを殺すことではない。怪我を負った男女を助けることだ。決着がついたのなら、もう戦う意味はない。

 

 ルシアはマンティコアに背を向け、倒れている男女のもとへと向かった。

 

 その隙を、凶暴な怪物が見逃すはずがない。

 

 マンティコアは何事もなかったかのように起き上がると、背後からルシアに襲いかかった。

 

 ルシアは呟く。


「ごめんなさい」

 

 いくら危険な魔法生物とは言え、もうこれ以上、マンティコアを傷つけるつもりはなかった。生きものを斬りたくはなかった。

 

 だが相手が向かってくる以上、反撃せざるを得ない。

 

 ならばせめて、これで最後にしようと思った。

 

 ルシアは振り向きざまに、刺突を放つ。


 それはただの突きではない。剣術と電撃魔法を組み合わせた、必殺の一撃だ。


 電撃をまとった彼女の剣から、エメラルド色の雷が放出される。明らかに人間ひとりの剣術という枠を超えた、近未来のビーム兵器のような刺突だった。

 

 マンティコアは雷撃に飲まれ、貫かれ、ピンボールのように吹き飛んでいく。ジャングルジムを薙ぎ倒し、植木を折りながら公園の敷地外に出ると、歩道の標識を折り、車道を転がり、反対側の歩道の電柱に衝突したところで、ようやく止まった。


 もう、怪物が動く気配はない。


 ルシアは息を深く吐きながら、魔法を解除した。全身を守っていた鎧とロングソードが再び電気へと変質し、空気中に離散していく。

 

 戦いの余韻に浸っている暇はない。ルシアは倒れている男女のもとへ駆け寄った。

 

 意識は失っているものの、出血はもう止まっているようだった。傷も大したことはないように見える。腕や足がおかしな方向に曲がっているわけでもない。


(まだ、充分助かる!)

 

 ルシアは急いで救急に通報することにした。


 魔法絡みのいざこざがあった以上、まずは狩欺かりのぎに連絡をしたほうがいいのかとも考えたのだが、そのぶん救急車が遅れてしまうのを嫌った。いまは時間が惜しい。


「……ッ!?」

 

 ぞくりと、背筋を嫌なものが伝った。

 

 見れば、公園の外の道路に倒れているはずのマンティコアの姿がない。


「まさか……しまっ――」

 

 しまった。と、ルシアが振り返ると、もう目前までマンティコアの牙が迫っていた。

 

 先ほどまで、ルシアはマンティコアを圧倒していた。

 

 だからこそ、悟る。


 ――もう、間に合わない。

 

 あの鎧には、著しく身体能力を向上させる効果があった。


 だが装備を解除している以上、もう先ほどのように回避することはできない。当然、防御も反撃も不可能だ。


 確かに、ルシアの身体は戦いかたを覚えていた。ブランクなどなかった。


 しかしやはり、精神面に、ほんのわずかな緩みがあったのだ。


 幸せな日常を過ごす中で、戦いの勘をほんのわずかに鈍らせていた。


 それが、最後の最後で、油断に繋がった。


 ここから一秒もしないうちに、マンティコアの牙は、ルシアの喉に風穴を開けることだろう。


 あまりにも一瞬のことで、ルシアは悲しいとも、怖いとも思わなかった。


 ただ、“終わった”と。


 それだけを思った。


鏡面反射ティエン・ツー・レフ

 

 突如、ルシアとマンティコアのあいだに、魔法陣の刻まれた光の壁が浮かび上がった。

 

 マンティコアがその壁に顔面からもろに激突し、牙を折りながら後方に跳ね返っていく。


(これは、反射魔法……?)

 

 助かった?


 いや、すんでのところで誰かが、ルシアを助けてくれたのだ。


「だめだよ、油断しちゃあ」

 

 公園の入口に、ルシアの知らない少女が立っていた。


 髪を茶色に染めた、少し化粧っ気のある、いかにもギャルっぽい少女だ。


 彼女は言った。どこかシニカルな笑みをたたえて。


「ほんと危なかったね、ルシアっち」

次のエピソードに続く。

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