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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第二章 ファンタジーの住人たち
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暗がりの奥から 1/3

ここから第二章終わりまで、シリアス編が続きます。

 ルシア・リフレインは、春心と朱音の奇行を目の当たりにしていた。


「よんじゅうにッ!」と春心が叫べば、


「さんまんごひゃくッッッ!」と朱音が叫ぶ。


「ご お く」と春心が悶えるように身をよじらせれば、


「ハッピャク」と朱音が機敏に左右にステップを踏む。


 ある夏休みの夜のこと。高崎家のリビングで、春心と朱音による『どちらが数字をより面白く言えるのか大会』という狂気の催しがおこなわれていた。大会と言っても参加者は春心と朱音の二人だけで、それ以外の高崎家の面々はみな、ただの観客だ。


「はっちょうよ~ん……」


「じゅう(↑)い(↑)ち(↓)」


「きゅうぶんのに゛!」


「…………に゛ッ!」

 

 春心と朱音が、ただひたすら交互に数字を言い合うだけ。


 最初は笑いどころがわからず、どうリアクションをとったらいいのか誰もがわかりかねていたのだが、変なツボに入ったのか、高崎が突然腹を抱えて笑い始めると、それが伝染したかのようにしづくが笑いだし、続いてルシア、メーベルの順で笑いが止まらなくなった。


 こうなるともはやなにを言っても面白い空気になってしまい、春心と朱音が数字を言うだけでリビングに爆笑が巻き起こるという、客観的に見れば少し危険な図が生まれていた。


 この良くも悪くもくだらなく、意味のない団欒だんらんというのは、実は高崎家では珍しいことではない。意味なんてなくても楽しくなれる。その大事さや尊さを、高崎家の面々はみな、感覚で理解しているところがあった。


 そしてルシアは、このくだらなくも大切な日常が永遠に続くわけではないことを心のどこかで気づいていて、ときどき悲しくなる。



 ※



 夜中に目が覚めた。


 ルシアは枕元のスマホの画面を確認する――深夜二時。


『どちらが数字をより面白く言えるのか大会』は夜の十時に終わり(一時間半もやっていた)、その後ルシアが二階の自室に戻って眠りについたのは十一時過ぎ。


 つまり、三時間も寝ていない。

 

 どうも最近、眠りが浅い。夜中に何度も目を覚ましてしまう。体調や精神面に不調を感じているわけではないのだが……。

 

 ルシアはもう一度眠ろうとしたが、妙に目が冴えてしまい、目を閉じようとしても、勝手にまぶたが上がってくる。こうなったら無理に眠る必要もないかと開き直って――明日は予定もないし――ベッドから抜け出した。

 

 かと言って、わざわざ余計に目が冴えるようなことをするつもりもない。のんびり夜景でも眺めてみようかと、ルシアは部屋の電気もつけず、カーテンを開けた。

 

 夜中の住宅街は、すっかり静まり返っていた。

 

 家の前の通りに人気はなく、向かい側に並ぶ家々のどこにも明かりが灯っていない。誰もが眠っていることを実感する。


 どうして自分は眠れないのだろう。現実でも夢でもない場所に一人取り残されたような気がして、焦りにも似た感情が湧いてくる。夜に眠るという当たり前のことができない自分は、もしかしてどうしようもなく駄目な人間なんじゃないか――と考えたところで、ルシアは苦笑した。


 考えすぎだ。


 眠りたくても眠れない夜は、どうして変にナーバスになってしまうのか。理由もなく不幸を背負い込んでしまいたくなるのだから不思議だ。


 窓際でしばらくぼんやりとしていると、二人の若い男女が歩いてくるのが見えた。


 酔っぱらっているのか、人目がないからなのか、なかなかに激しいボディタッチをしながら歩いている。見ていて恥ずかしくなってきて、ルシアは目線を逸らした。


(……男女で付き合うって、どういうことなのかな)

 

 ふと、そう思った。

 

 ルシアだって、恋愛に興味がないわけではない。高校に上がってから男子に告白されたことだって何度かある。しかしそれらはすべて断った。


 男性と付き合うのが――人と深く関わるのが怖かった。


 ルシアは自分の容姿が優れていることをそれなりに自覚している。そしてその容姿の良さにかまけず、高校生にできる範囲で見た目に気を遣ってもいる。相手に不快な思いをさせないよう、所作や発言にも気をつけているし、学業だって真面目にこなしている。


 そうして、完璧な自分を取り繕っている。


 だけど、誰かと深く付き合うことで、至近距離から見られることで、必死になって塗りたくったメッキの粗に気がつかれてしまうのではないかと、完璧じゃない自分を見られてしまうのではないかと、不安になってしまう。


 じゃあどうして完璧であることにこだわるのかというと……ルシア自身、わからなかった。


 ルシアが心から気を許せるのは、共に暮らす高崎家の家族だけだ。


 ――いや、本当にそうだろうか。高崎家のみんなにも、壁を作ってはいないか。本当に気を許しているのだろうか?


(だめね。また暗いことを考えちゃってる)


 眠れない夜は、やっぱり人をおかしくする。数時間前、みんなでリビングで笑っていたときは、こんなことを考えもしなかったのに。


「……ん?」

 

 違和感を覚えた。

 

 窓から見える風景が、先ほどと違う。しかしなにが違うのかと言われるとわからない。間違い探しをするみたいに、ルシアは注意深く外を観察する。

 

 違いはすぐにわかった。街灯の明かりがひとつ消えているのだ。

 

 なんだ、そんなことかと思った途端、その隣の街灯も消えた。続けて周囲の街灯もぽつり、ぽつりと消えていき、やがて目の前の路地は真っ暗になった。


「停電かしら……」

 

 と、呟いたところで――気づいた。

 

 暗闇の中に、怪物がいるのを。


 強靭な獅子の身体に、巨大な蝙蝠こうもりの翼。さそりの尾を持ち、凶悪な知性のある目をした、四足歩行の怪物。


「マンティコア……!」


 ありえない、とルシアは息を飲んだ。どうして、あんなものが街の中に!?


 いや、違う、おかしくはない。


 以前、県の魔法使いの代表、狩欺かりのぎ まことが言っていた。「魔法生物が逃げ出した」と。


 逃げ出した生物のリストを、ルシアは狩欺から渡されている。そのメモには確かにマンティコアの文字があった。いま目の前を歩いている怪物は、逃げ出した魔法生物のうちの一体だ。


 怪物に存在を悟られないよう、ルシアはすぐに窓枠の外に身を隠し、こっそりと外の様子を窺った。


 怪物は路地をまっすぐに歩いていく。その向かう先は――


「待って、そっちはっ!」

 

 先ほどの男女の二人組が歩いていった方だ。

 

 まずいと思った。マンティコアは残忍で、人肉を好む。放っておけば彼らが危ない。

 

 いますぐ大人の魔法使いに連絡を取るべきだろうか。しかしそんなことをしているあいだに、先ほどの二人が襲われてしまったら……。


(私が行くしかない!)


 ルシアは急いで深緑色のローブを身にまとうと、壁にかかっているキーホルダーケースから、箒の形をしたキーホルダーを取り出した。ルシアが手に取った途端に、それは本物の箒へと変化する。

 

 そうしてルシアは窓を開け、箒にまたがり、家を飛び出した。

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[一言] 紛う事無き狂犬…
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