ラフ&ピース部誕生秘話 1/2
その日は、檸文高校の入学式だった。
ようやく学校生活が始まるんだ――春心はこの日を、ずっと心待ちにしていた。
“この世界”にやってくるボツキャラクターは、なぜかすべて十四歳のキャラクターに限られている。例に漏れず、春心も十四歳で“この世界”にやってきたのだが、様々な事情から中学校に通うことはできなかった。
だから春心にとってはこの高校生活こそが初めての学校生活というわけで、入学式の何か月も前からそれはもう楽しみで、期待と不安がないまぜになって、でもやっぱり期待のほうがずっとずっと大きくて――とにかく、早く高校に行きたいと思っていた。
そして待ちわびた、入学式当日。
本来ならめでたい日なのだが、残念なことがひとつだけあった。
入学式の数日前に、朱音が季節外れのインフルエンザで倒れてしまったのだ。当然ながら、入学式も欠席だ。朱音は「ちくしょう、バカは風邪を引かねえんじゃなかったのかよ……」と自分で言っていたが、しょうがない。病気になるときはなる。実際のギャグ漫画にだって、登場人物が風邪を引くような回があるのだから。
ほかの人に移してはいけないからということで、ここ数日、春心は扉越しでしか朱音と会話をしていない。それは同じ家で暮らしているしづくとメーベルとルシアも同じで、保護者を務める高崎だけが、慎重に朱音の看病をするという状況だった。
入学式当日の朝、春心は朱音の部屋の前に行き、扉越しに声をかけた。
「朱音ちゃん、起きてる?」
「おう。起きてるぜぇ……」
朱音の声にはまだまだ覇気がない。回復するまでもう少し時間がかかりそうだ。
「わりぃなぁ。こんな間の悪いことしちまって……」
「なに言ってるの。気にしないでいいんだよ」
「いや、ごめんな、ほんと。ところで春心よぉ……」
「どうしたの?」
「辛い麻婆豆腐を食うとよぉ、かれーんだわ……ははっ」
「無理しないで朱音ちゃん。ボケになってないよ?」
体調を崩してから、朱音はずっとこの調子だ。ボケにまったくと言っていいほどキレがない。本当に具合が悪いんだなと、春心は余計に心配になってくる。
「じゃあ私、そろそろ行くね。ゆっくり休んでるんだよ」
「おーう……」
朱音への挨拶を済ませると、春心は玄関へと向かった。
玄関先では、身支度を整えたしづく、メーベル、ルシアの三人が待っていた。あとは春心が靴を履けば、いつでも出発できる。
そんな春心たちのことを、高崎が申し訳なさそうに見送りに来た。
「ごめんね、本当は私も行けたらよかったんだけど……」
高崎は朱音の看病のために、家に残ることになった。誰も悪くないんだから、気に病まなくてもいいのにと春心は思う。
「高崎さんまで謝ることないよ。お祝いはさ、朱音ちゃんが元気になったら、またみんなですればいいんだよ。でしょ?」
「……うん、ありがとう。そうだね」
ちょっとだけ暗かった高崎の表情に、柔らかい光が差したように見えた。
春心はローファーを履くと、玄関の壁にかけられた鏡の前に立った。髪や服装におかしなところはないか、出かける前の最後のチェックだ。
おろしたてのセーラー服に身を包んだ自分はなんとも新鮮で、いままで縁のなかった様々な人や物に、この姿でいれば、見つけてもらえるんじゃないのかという気がしてくる。
朱音ちゃんが元気になったら、みんなで一緒に写真を撮りたいな――そう思いながら、春心は高崎の方に向き直った。
「それじゃあ、いってきます」
「楽しんでくるんだよ」
「うん!」
こうして春心は、しづく、メーベル、ルシアと一緒に、入学式の会場へと向かった。
※
「これより、◯◯年度、私立檸文高等学校の入学式を始めます。一同、礼!」
開式の言葉を合図に、式場にいる全員が揃って頭を下げる。
大きな体育館の中に、ずらりと並んだ新入生。それを後方から見守る保護者たち。初々しさと緊張感のある静寂の中、檸文高校の入学式が始まった。
国歌斉唱、入学許可宣言と、式は滞りなく進んでいき、やがて「校長式辞」というアナウンスが場内に響く。
入学許可宣言から引き続き壇上に上がるのは、檸文高校の校長だ。彼には妙にダンディな色気と風格があり、老年ながら、いまだに一部の異性から人気が出そうな見た目をしている。
校長は新入生に向けて一礼し、式辞を述べた。
「新入生のみなさん、ご入学、おめでとうございます。
この檸文高校は、今年で創立九年になります。まだ歴史の浅いこの学校に、多くの生徒が入学してくれたこと、学校長として大変嬉しく、また、誇りに思います。
これから三年間、みなさんひとりひとりが、この学校の主役です。自ら考え、行動し、輝かしい未来を切り開いていってください。
私から新入生のみなさんに、二十八個の言葉を送ろうと思います。
まず一つ目。デデェン! 『あいさつを大事にしましょう』。
あいさつは大事です。とても大事です。『こんにちは』と言ったら、『こんにちは』と言う。素晴らしいですよね。『こんにちは』とは、魔法の言葉です。あいさつをきちんとする、それだけで、どんな人とも仲良くなることができます。
先週、こんなことがありました。私がボランティアで近所のドブ掃除をしていると、通りかかった男性に『こんにちは!』と、挨拶をされたのです。私は内心、『誰だコイツ……』と思いましたが、ここでひるんではなるまいと、倍の声量で言ってやりました。『こんにちはァッアッ!!!』。すると、男性は人懐っこく笑いながら、ドブ掃除の手伝いを申し出てくれたのです。そこから彼とは意気投合です。二人で『レッツビギン!』と叫び、ドブをさらいまくりました。ドブさらい天国でした。それにしても、この人は誰だろう――ドブ掃除をしている最中、私はそれが気になって気になって仕方がありませんでした。あとでわかったことですが、その男性とは初対面でした。つまりあいさつとドブが、二人を繋いだのです。どうでしょう。あいさつの凄さがわかりましたか?
それでは二つ目にいきましょう。デデェン! 『ありがとうを大事にしましょう』。
感謝の心、みなさんは持っていますか? たった一人で生きていける人はいません。誰もが支え合って生きているのです。と言っても、なかなかピンと来ない人もいることでしょう。そこで、考えてもらいたいのです。普段私たちが食べているものは、自動的に私たちの前に現れるものでしょうか。普段私たちが着ている服は、その辺から湧いてきているものでしょうか。いま私たちがいるこの体育館は、勝手にできあがったものでしょうか。違いますよね。すべて、誰かが作ったものなのです。その人たちのお陰で、私たちは日々を快適に暮らすことができるのです。いつも当たり前に見ているもの、使っているもの、それらには、人々の努力が詰まっています。そう考えると、世の中のすべてに感謝をしようという気になってはきませんか?
先週、こんなことがありました。ドブさらいを手伝ってくれた男性に、私は『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えたのです。すると男性は、私の三倍の声量でこう言いました。『ありがとうッ!』。その勢いに、私はなんだかむっとなり、コイツに負けてはなるまいと、そのさらに倍の声量で言い返してやりました。『ありがとウッッ!!』。すると男性は、私のさらに倍の声量で感謝を伝えようとしてきたので、私をとっさにヤツの口を手で塞ぎました。先手を打ったのです。ヤツは『ムグッ……!』っとなにかを叫ぼうとしていたようですが……口を塞がれているので言葉になりません。いやはや、あれは無様としか言いようがなかったですね。ほんといい気味でしたよ。
さて、次にいきましょう。三つ目です。デデェン! 『自分で考えて行動しましょう』。
人生とは、皆さんが思っている以上に短いものです。『一生の体感時間は、十七歳が折り返し地点だ』という話を聞いたことがありますか? 生まれてから十七歳までの体感時間と、十七歳から寿命で亡くなるまでの体感時間は、実は同じだということです。もちろん、その説が正しいかどうかはわかりません。しかし私の実感では、概ね当たっているという気もします。時間の流れは、年々速くなっていきます。私たちは光の速さで歳を重ねていきます。他人に流されている時間などないのです。自分はなにをしたいのか。自分はどこを目指しているのか、大人になる前に、この高校生活でじっくりと考え、そして行動する練習をすることが、なによりも大事なことではないでしょうか。
先週、こんなことがありました。私はドブさらいを共にした男性の口を塞いでいるうちに、ふと『私はなにをしたいのだろう……』と考えてしまいました。どうしてでかい声で感謝を伝え合っているのか、もう六十も近いというのに、私はなにをしているのか――考えていくうちに、ばかばかしくなってきました。私は男性の口を塞ぐのをやめようと思いました。そして謝ろうと思いました。ところがですよ、その男性はなぁーに考えてるんだか、その塞がれてる口を尖らせて、私の手の平にキッスをし始めたんですよ。チュッチュチュッチュチュッチュって。バードキッスですよ! バードキッス! 私は驚いたと同時に腹が立ってきて、速攻で二発ぶん殴ってやりましたよ。なぁーにがチュッチュだ。汚いことこの上ない! あ~、思い出したら腹が立ってきた。なんだあの野郎。チュッチュチュッチュ……お前の頭がチュッチュリンパーだ! そもそも人の――」
「長いんだよォッ!」
校長の話を遮るように、叫ぶ者がいた。
それは、一人の女子生徒だった。
舞込春心だった。
「話が、長いんだよォッッッッッ! 二十八の言葉って……二十八て……人間の歯の本数か!」
式場は相変わらず、しいんと静まり返ったままだ。しかしその静寂のニュアンスが、先ほどまでと明らかに違う。
全生徒が、全教師が、全来賓が、全保護者が、春心のことを「コイツまじか……」という目で見ている。あと、「人間の歯の本数なんて、そんなちゃんと数えたことないわ……」という目でも見ている。ともかく、驚きすぎてかえってなにも言えないようだ。
春心はこのとき、正気じゃなかった。
当たり前だ。いくらツッコミが好きな彼女とは言え、入学式をぶち壊すような真似など、するはずがない。
しかしこのときの彼女は、完全に狂っていた。
彼女はまだ、自分の体質を自覚していなかったのだ。ツッコミをしていない時間が長すぎると、暴走状態に入ってしまうという体質を。
ここ数日、朱音がインフルエンザで寝込んでしまっていたせいで、彼女はろくにツッコミをしていなかった。それだけならいい。それだけなら、まだギリギリもっていた。
ところがここに来て、校長のツッコミ所満載の式辞が始まった。容易に声を上げることもできない、入学式の張りつめた空気もよくなかったのかもしれない。
ともかく、無意識のうちに降り積もっていた春心のフラストレーションが、校長式辞をトリガーに、爆発してしまった。
春心は走りだす。もう、彼女を止められるものはいない。
「ちょっと、春心っ!」
比較的近くに座っていたメーベルが最初に声を上げたが、春心は止まらなかった。
春心は整列して座っている同級生たちを踏みつけながら、校長の元へと一直線に進む。それからステージをよじ登ると、壇上にいる校長をじろりと目で捕らえた。
「校長が、そんな式辞をするなんて……」
春心は助走をつけて跳び上がると、その勢いのまま校長の頭に向かって、
「校 長 か ッ !」
とビンタを喰らわせた。
『校長ですけど!?』と言いたげに、校長は目を見開き、頭を押さえる。
続けて春心は校長のネクタイを引っ掴んで、叫ぶ。
「ネクタイかッッッ!」
『ネクタイですけど!?』と言いたげに、校長はさらに目を見開く。
もはや、ツッコミになっていない。
――説明しよう!
暴走状態になった春心は、もうボケとか関係なく、目に映るすべてにツッコミを入れる、ツッコミの化物と化してしまうのだ!
春心は体育館の天井を見上げながら叫ぶ。
「体育館の天井かッッッ!」
そして今度はマイクに向かい、
「あー、あー、あー、マイクのテスト中……って、マイクのテスト中か~い!」
そう言って、その場で盛大にずっこけた。
狂気。そして異常者。
完全に異常者のノリツッコミだ。
「だ、誰かあの生徒を止めろ!」
ようやく、教師の一人が叫んだ。
それがきっかけとなって、ほかの教師も口々に叫ぶ。
「そ、そうだっ! あんな暴挙を許すな!」「なに考えてるんだ!」「入学式だぞ!?」
春心は言う。
「入学式かッッッッ!」
「入学式なんだよバカ!」「男の教師は全員来い!」「取り押さえるぞ!」「手加減するな! あれはグリズリーだと思え!」と、男性教師陣がステージの上に押し寄せる。
一方で、新入生たちのあいだではこんなざわめきが広がっていた。
「や、やべえやつと同じ学年になっちまった……」「あんなのがいるなんて聞いてねえよ!」「きょ、狂犬だ……狂犬だあっ!」
※
――やってしまった。
正気に返った春心は、ただただ己の行動を悔いていた。
なんであんなことをしてしまったのだろう。どうしてこんな日に限って……。
もう、終わったと思った。
よくて退学。最悪、逮捕だ。
自分が罰せられるだけならまだいい。でも、ほかのみんなはどうなる? この学校に入れてくれた高崎さんには、なんて言えばいい?
春心は泣きたくなった。もう一度、今朝からやり直したかった。この日が楽しみで仕方がなかったときの自分に戻りたかった。でも、その願いは叶わない。
現在、春心は生徒指導室に隔離されていた。
ものすごく怒られるのかと思いきや、逆に誰にもなにも言われず、ただ黙ってこの部屋に閉じ込められているのが怖かった。
しばらくして、生徒指導室の扉が外から開く。
「校長が呼んでいます」
若い男性教師がそう言った。
校長が呼んでいる――生徒指導の先生でもなく、教頭でもなく、トップからの直接の呼び出し。
「ついてきなさい」
春心を案内するこの男性教師は体格がよかった。体育教師だろうか。春心が暴れることを警戒しての人選なのかもしれないが、春心はもう、先ほどまでの暴走状態じゃない。言われるまま、素直に彼のあとをついていった。
校長室の前まで来ると、男性教師から中に入るよう促される。ここからは一人で行け、ということらしい。
扉をノックする。「入りたまえ」という声。
そこで一度深く息を吸って、吐く。
それから意を決して校長室に入るなり、春心は膝をついて、土下座をした。
「ごめんなさいっ! 本当にごめんなさいっ! 私、私っ……!」
こんなことで許されるとは思っていない。ただ、ひどいことをしてしまったこと、入学式をめちゃくちゃにしてしまったことを、心から謝りたかった。
「顔を上げなさい。きみが謝る必要はない」
ところが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「むしろ見事なツッコミだった。さすがは元・ツッコミのキャラクターなだけはある。私は待っていたのだよ。私の式辞にツッコミを入れてくれる人材をね」
「えっ?」
耳を疑った。
校長があまり怒っていないことに、ではない。
校長がなぜ、“それ”を知っているのか。そこに驚いた。
春心がハッと顔を上げると、校長は立派なデスクに腰かけたまま、笑みを浮かべていた。
「改めて自己紹介をさせてもらおう。檸文高校校長、堂島 花男だ。安心したまえ。私は、“きみたち”のことを知っている」




