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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第二章 ファンタジーの住人たち
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喫茶店にて 1/2

 キャラクターに命が宿るのは、そのキャラクターが物語に登場した瞬間だ。物語に登場して初めて、彼ら彼女らには命が与えられる。


 ゆえに、設定段階のキャラクターには自我がない。生きていないのだから当然だ。物語に登場していないキャラクターは、たとえどんなに作り込まれていようとも、しょせん情報の集合体に過ぎない。


 だから、作者がキャラクターをボツにしたところで、悲劇は生まれないはずなのだ。


 命を捨てているのではなく、情報を捨てているだけなのだから。


 ところが、ごく稀に、設定段階のキャラクターに命が宿る場合がある。


 どういう理屈かはわからない。この世のバグのようなものなのかもしれない。


 ひとつだけわかっていることは、これまで設定段階の時点で命が宿ったキャラクターは、すべて十四歳のキャラクターだった、ということだ。なぜか十四歳の少年少女のキャラクターに限って、この不可解な現象が起こっている。


 そしてその少年少女たちがボツになってしまうことで、悲劇は生まれる。


 自我のあるボツキャラクターという存在が生まれる。



 ※



 ボツキャラクターが“この世界”にやってくるようになったのは、およそ900年前のことだ。


 その長い歴史を考えれば、ボツキャラクターという呼称はかなり最近のものだと言える。


 これまでにも、彼らは様々な呼び名で呼ばれてきた。『異界の者』『隣人』『できそこない』『神の落子おとしご』『化物』『記号ツリーツェ』あるいは単に『彼ら』と。


 彼らはボツになったキャラクターと言えども、人間の想像力が生み出した存在には違いない。彼らの中には、生身の人間には扱えない異能の力を持った者も少なくはなかった。それも、世界の秩序を容易に破綻させてしまうほどの強大な力を。


 能力が劣っているからボツになるとは限らない。


 逆のパターンだってある。


 あまりにも優秀すぎるから、あまりにも強力すぎるから、そいつが登場したら、物語が成り立たなくなってしまうから。だから、ボツにする。


 そういうパターンもあるのだ。


 彼らはその強力な異能の力を自発的に使い、あるいは利用され、この1000年近い歴史の中、ボツキャラクターたちが政治や戦争の第一線に限りなく近づいた時代もあった。


 しかし、彼らは気づいてしまった。特別な力を行使することで得られるものよりも、失うもののほうが大きいことに。


 彼らはある時期から、歴史の表舞台から距離を置くようになった。

 

 ボツキャラクターはしょせん、余所者なのだ。余所者が余計な力を使って、世界を混乱に陥れてはならない。


 やがて彼らは、人間社会に紛れてひっそりと生きるようになる。


 いまとなっては、ボツキャラクターの存在を知っているのは、各国の一部の政治家と、ごく一部の“協力者”だけ。


 ほとんどの人間は、“この世界”にボツキャラクターが来ていることを知らない。


 ほんの身近なところで、彼らの日常が繰り広げられていることなど、知る由もない。



 ※



 檸文高校の夏休みが始まる一週間前のこと。ルシア・リフレインは、“大人”から呼び出しを喰らった。用件は直接会って話すとのことだが、どうも「また後日お願いします」と言えるような雰囲気ではなかった。


 そういうわけで、その日の放課後、ルシアは生徒会の仕事を手早く片付けると、先輩方に断りを入れ、いつもより早く学校を出た。


 現在、午後五時前。まだまだ太陽の位置は高い。


 うだるような炎暑の中、ルシアは駅の北口方面へと向かう。先方に指定された待ち合わせ場所は、とある喫茶店だ。


 その喫茶店は年季の入ったビルの二階にある。建物の外から直接階段で上がっていくのだが、その階段は狭く、目立たないところにあるので、初見では少しわかりづらいかもしれない。


 ルシアはもう何度も、その店に通っている。


 店名は“ウィル”。


 魔法使いの集まる喫茶店だ。


「こんにちはー」


 ルシアは仲のいい友達の家に上がるみたいに、気軽に“ウィル”の扉をくぐる。実際この店にいるのは、たいていルシアの知人や友人だ。


 扉の外と中では、まるで別世界。


 外観は古びたビルなのに、内観は綺麗な喫茶店――というより、もはやちょっとした西洋のお屋敷だ。


 椅子とテーブルはもちろん、棚、柱時計、カーテン、ランプ、風景画が収まっている額縁に至るまで、素朴ながら気品のある調度品で統一されている。


 窓が少ないのと、立地の関係で、“ウィル”の店内は昼間から薄暗い。ランプの柔らかな光が辺りを照らし、控えめな音量のBGMが、店内の空気を遠くから優しく包む。


 ルシアにとって、“ウィル”はお気に入りの場所だ。静謐せいひつな時間が流れるこの喫茶店に来ると、自分も少しだけ大人になった気がするから。


「いらっしゃい、ルシアちゃん」

 

 カウンターの向こう側で、白髪交じりの初老の男性がにかっと笑う。ここのマスターだ。

 

 マスターは人に警戒心を与えない空気をまとっている人で、誰とでも仲良くなれてしまう不思議な人だ。ルシアの中でも、“気のいい親戚のおじちゃん”みたいな立ち位置になりつつある。


 とは言え、誰彼構わず慣れ慣れしく話しかけるような人でもなく、客との距離感を間違えることはない。その辺はやはり接客のプロなのだろう。


「今日は一人かい?」


「いえ、狩欺かりのぎさんに呼ばれたんですけど……。もういらしてますか?」


「や、見てないねぇ。ま、そういうことなら、“向こうの席”使っちゃってよ」


 喫茶店“ウィル”の店内には、魔法使いを始めとした、ファンタジー側の人間にしか使えない隠し部屋が存在する。


 たとえば魔法使いの場合、一般人の前で魔法に関する話をすることはできない。しかしこの“ウィル”の隠し部屋でなら、周囲に気兼ねすることなく、美味しいコーヒーを飲みながら、魔法使いとしての会話ができる。


 だからここは、魔法使いの集まる喫茶店なのだ。


 ちなみにマスターもファンタジー側の人間で、その正体は狼男だ。

 

 隠し部屋への行き方は、特に難しいものではない。

 

 店内の隅、一般の座席から死角となっているところに、魔力を流すとすり抜けられる壁があり、そこを通り抜けた先に隠し部屋がある。


 隠し部屋には四人掛けのテーブル席が四つあるのだが、ルシアが来たときにはまだ誰もいなかった。なので、適当に座りたい席に座る。


「いらっしゃい、毎日暑いね」

 

 ウェイトレスがルシアのもとにやってきて、水とメニューブックをテーブルに置いた。


「そうですね、瑠璃さん」

 

 瑠璃さんというのは、ウェイトレスの名前だ。フルネームは据野すえの 瑠璃るり

 

 ここで働いているということは当然魔法使いであり、そしてルシアにとっては仲のいい先輩のような存在だ。彼女はここでバイトをしながら、この春から都内の大学に通っている。


「大学はどうですか? もう慣れました?」


「うん、もうすっごい楽しんでる。でも気をつけて。年配の人が言うほどね、簡単に単位って取れないのよ」


「あはは、そうなんですか。大学は人生の夏休みだっていう人もいるみたいですけど」 


「うーん、まあ、宿題が多い夏休みって感じかな?」


「夏休みではあるんですね」


「それはそうね。だって楽しいもの」


「ふふ、そうですか」


 ついつい、雑談に花が咲く。


 ルシアがこの店に来るのはコーヒーのためだけでなく、店員に会うために来ているという面もある。


「注文はどうする? もうちょっとあとのほうがいい?」


「そうですね、ちょっと考えさせてください」


「うん。じゃ、決まったら呼んでね」

 

 と、据野は店の奥へと引っ込んでいった。

 

 本当はといえば、ルシアはもうなにを頼むか決めていた。

 

 それでもすぐに注文をしなかったのは、メニューブックを眺めていたかったからだ。

 

“ウィル”のメニューブックは、店の雰囲気を壊さない、古い洋書のようなデザインをしている。ざらっとした手触りのカバーに、味のある焼け方をしている紙の色。ルシアは、この店の中で、このメニューブックを眺めている時間が、コーヒーを飲んでいる時間と同じくらい好きだった。

 

 メニューには『ブレンド』や『カフェ・オ・レ』のような、誰でも知っているようなものから、『オ・レ・グラッセ』、『コン・レチェ』、『カフェ・アイリッシュ』など、馴染みのない人にはピンと来ないかもしれないような文字まで並んでいる。

 

 その中から、ルシアはオ・レ・グラッセを注文した。

 

 オ・レ・グラッセというのは、簡単に言えば、ミルクとコーヒーが綺麗に二断層に分かれている、氷の入っていないアイスカフェオレのようなものだ。

 

 ルシアは夏場でも平気でブラックコーヒーを飲めるのだが、いまは単純にそういう気分ではなかった。

 

 ややあって、オ・レ・グラッセが運ばれてくる。

 

 長い脚のグラスの中で、ミルクとコーヒーが見事にはっきりと分離している。白と黒のコントラストが美しく、見ているだけでも楽しい。


 ルシアが初めてここでオ・レ・グラッセを頼んだとき、マスターに『正しい飲み方をご存じですか?』と尋ねられ、戸惑ったものだ。


 ――正しい飲み方? もしかして、厳格な作法や流儀があるのかしら?


 実際のところは、そんなに難しい話ではなかった。


 グラスをよく傾けて、二層に分かれているミルクとコーヒーの部分を一緒に飲んでください、というだけのことだった。

 

 かつて言われたその言葉を守り、ルシアはグラスを意識して傾け、オ・レ・グラッセを口に含む。

 

 口の中で、コーヒーの苦みと、ガムシロップの甘さと、ミルクのまろやかさが溶け合い、混ざり合う。


「ふふ……」


 勝手に頬が緩んでいた。

 

 そしてもう一度グラスを見てみると、一度口をつけたいまも、ミルクとコーヒーは綺麗に分かれたままになっている。どうなっているんだろう、まるで魔法みたい。とルシアは思う。


「よう、待たせたな、リフレイン」

 

 と、男の声がした。

 

 ルシアの向かいの席に、いつの間にか中年の男が座っていた。

 

 グラスの中身に気を取られていたから気づかなかった、なんてレベルではない。気配も足音もなく、まるで直接その空間に現れたかのようだった。


 その男は細身で、目つきがやけに鋭い。やさぐれた雰囲気で、だらしなくスーツを着崩している。


「悪かったなぁ、こんなとこに呼び出して。なに、すぐに終わる話だ」

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