ある夏の群青 5/9
賽銭箱に向かって排便をする。
生配信の動画で、順哉がそんな無茶苦茶な宣言をした。
だめだ。そんなことをすれば、ほぼ間違いなく炎上する。壁に唐辛子を投げつけるなんて悪戯とは明らかに程度が違う。
どうして突然こんなことに。まったくの予想外だ――とも言い切れない。
思えば、今日春心と朱音の身体を触ってきた時点で、すでに越えてはいけないラインを越えていたのだ。兆候はあった。
通話が繋がったままの春心のスマホから、志保の慌てた声が聞こえてくる。
『ど、どうしましょう舞込さん! あ、ええと、舞込さんは、この動画の場所、知っていますか!?』
「ごめん、私もわからない! ここ、どこなんだろう?」
むしろ、それは春心から志保に聞こうと思っていたことだ。
順哉の動向に詳しいはずの志保ですらわからないのなら、はっきり言ってお手上げだ。
『わっ、わかりました! すいません! 私、弟を探してきます!』
ぷつりと、電話が切れた。
志保は相当動揺しているのだろう。まるで会話にならなかった。
「おい春心、上木内姉はなんて言ってんだ」
「順哉くんを探すって! 電話も切れちゃった!」
「探す? この動画の場所がどこかわかってるのか?」
「いや、わからないみたい!」
「マジかよ、どうすりゃいいんだ」
焦らず根気よく解決の道を探す、なんてことを言っている状況ではなくなった。いますぐ順哉を止めなければ、大変なことになってしまう。
「これは……やってしまいましたね」
いつからだろう。気がつけば、メーベルが朱音のスマホに映っている順哉の生配信動画をじっと見つめていた。
「自業自得です。これはもう炎上どころか、普通に警察沙汰ですよ。通報して終わりです。まあ、こういう子は一度痛い目を見たほうがいいんじゃないですか?」
冷たくも、現実的な発言だった。
犯罪行為を見つけたら警察に通報する。それは正しいのだろう。
痛い目を見ないとわからない人もいる。それも正しいのだろう。
メーベルの言っていることはきっと正しい。だけど――
「でも、二人はそう思ってはいないんですよね?」
と、メーベルが付け加えた。春心と朱音の目を交互に見ながら。
「当たり前でしょ!」
「当たり前だ!」
即座に、そして同時に、春心と朱音は叫んだ。
「私はな、正直な、まだこのガキんちょを助ける気にはなれねえよ。身体触ってきやがったしな、クソガキだよ! ……でもな、こいつが警察に捕まっちまったら、姉貴が悲しむ」
「笑いと平和を守るのが、私たちラフ&ピース部だから。これ以上、志保ちゃんに悲しい思いはさせない、させたくない!」
二人の言葉を聞き届けたメーベルの表情が、どことなく柔らかくなった。
「そうですか。やはり、二人はそういう人ですよね」
「くそ、だけど、どうすればいいんだ!? コメントで止めるか? でもあいつの場合、やめろって言ったら余計やりそうだしな……」
「落ち着いてください。まだ猶予はあるようです」
メーベルが、朱音のスマホを目で示した。
見れば、動画の中の順哉が不満げな顔をしている。
『おかしいなぁ。全然見られてないや。もうちょっと人が来るまで待とうかな……』
この配信サイトの動画には、常に視聴者人数がリアルタイムで表示されている。
現在、順哉の生放送を見ている人はたったの二人。朱音と、おそらくもう一人は志保だろう。世間の注目はまだ集まっていない。
「この子、いますぐ行動に移す気はないようですよ」
「つっても、たかが知れてんだろ! こいつがどこにいるかもわからねえんだぞ!? 時間がねえ!」
「それなら、こうしましょう」
メーベルは朱音のスマホを掴み上げると、しづくに目の前に持っていった。
「しづく、この動画の場所がどこか、解析できますか?」
「おっけー、やってみる……」
しづくはあっさりと了承し、動画に視線を落とした。その両目は青白く輝いている。リミッターを解除し、ロボットとしての能力をフルに解放している状態だ。
「わかった……」
しづくが結論を出すまで、十秒もかからなかった。
「ここ、街外れにある南榎神社ってとこだよ……。うちから南東に歩いて五十分くらいかな……」
「スゲーな、しづく! よくわかったな!」
「ここ、一年くらい前に行ったことがあって……。記憶データの中の賽銭箱と、この動画の賽銭箱が完全に一致したから……割とすぐわかった……」
本気を出したときのしづくの記憶力、計算力、データ分析の正確さは、春心たち五人の中でも群を抜いている。
場所は南榎神社で間違いないだろう。信じていい。
ただし、場所が判明したところで、まだ大きな問題が残っている。
「でも朱音ちゃん、歩いて五十分はちょっと……」
「ああ、遠すぎる! チャリで全力でいけば……いや、どうだ、間に合うのか?」
いくら順哉がすぐに行動を起こさない様子だとは言え、さすがに五十分も待ってくれる保証はない。仮に半分の二十五分で到着したとしても、間に合うかどうか怪しい。
「だから、落ち着いてください。まだ手はありますよ」
慌てる春心と朱音をよそに、メーベルは冷静な態度を崩さない。
「歩きで間に合わないなら、一直線に、空を飛んでいけばいいんです。――ルシア、二人を神社まで連れていってくれませんか?」
そういう振りが来るのをある程度予想していたのか、ルシアの返事は早かった。
「了解! 三分あれば行ける! 春心ちゃんと朱音ちゃんは、玄関を出たところで待ってて! 私は箒を取ってくるから!」
そう言い残して、ルシアはリビングを出て行った。
「さあ、どうです? これなら間に合うんじゃないですか?」
メーベルが、改めて春心と朱音の顔を見つめる。
「あとは現地に行ってなにをするか、ですが――まあ、そこから先はあなたたちの仕事しょう」
「メーベルちゃん……」
メーベルは具体的な策を練ってくれた。それも、春心と朱音の意思を尊重しつつ。
感謝してもしきれない。
「本当にありがとう! 助かったよ!」
「なに言ってるんです。実際に動いてくれたのはしづくとルシアですよ。私にできることはしょせん、考えることだけです」
「それでも、ありがとう」
それから春心は、しづくに礼を言う。
「しづくちゃんもありがとう!」
しづくは「うぇーい……」と言いながら、親指を立てた。ずいぶんまったりとしたサムズアップだった。
「よっしゃ春心、行くぜ!」
朱音はやる気をみなぎらせ、春心の背中を叩いた。
「そんじゃ二人とも、ありがとな! 私たち、ちょっと行ってくるわ!」
「行ってくるね!」
みんなに示してもらった道を踏みしめながら、春心と朱音はリビングを飛び出した。
「ねえメーベル……ほかに私、やることある……?」
「そうですね、じゃあ、二人の応援でもしといてください」
「がんばーれがんばーれがんばーれがんばーれ……」
春心と朱音が勢いよく廊下に出た瞬間、そこを歩いていた高崎とぶつかりそうになった。
二人は上手く身をかわしつつ、玄関へと走る。
「えっ、なになに、二人してそんな慌ててどしたの?」
「ごめん高崎さん、私たちちょっと出かけてくる!」
「いまから!?」
「わりい、どうしても行かなきゃいけねえんだ!」
「えぇ~……」
最初の数秒こそ、高崎は二人のあまりの慌ただしさに唖然としていた。
しかしすぐに「どうしてもなら、しょうがないわね」と笑いを含んだため息をつくのだった。
「帰る時間がわかったら連絡ちょうだい。あまり遅くならないようにするのよ」
「ああ、そうする!」
靴を履く。玄関の扉に手をかける。そして高崎の方を振り返る。
「それじゃ、高崎さん、いってきます!」
「いってくるぜ!」
高崎は言う。息をするくらい自然に。
「いってらっしゃい」
玄関を出てすぐに、べたついた熱気が肌にまとわりついてくる。
春心は常々思う。夜空には太陽がないのに、どうして夏は夜になってもこんなに暑いのだろう。どれだけ理屈を並べて説明されたとしても、たぶん、納得できない。
けれど、夜風が運んでくる爽やかで切ないこの季節特有の匂いをかぐと、この不快な温度や湿度も笑って許せるような気がしてくる。
「二人とも、おまたせ!」
玄関から、すでに箒に乗った状態のルシアが飛び出してきた。
「それでごめん、三人乗りの箒はないから、二人はこのロープに掴まって!」
見れば、箒から二本のロープが頼りなく垂れ下がっている。
「え、この紐に掴まるの? これで飛ぶの?」
「大丈夫、魔道具の一種だから。力を入れなくても、ロープのほうから掴んでいてくれるわ」
と、言われても。
要はロープ一本にしがみついて空を飛べという話だ。絶叫系のアトラクションとは次元が違う。
「ねえ、その、すっごい怖いんだけど……」
春心が弱音を漏らすと、朱音が励ますように言う。
「ははっ、いいじゃねえか。こんくらい、私たちならギャグで済ますことができんだろ」
「そうなんだけど、そういうことじゃなくて……」
「ほら、時間がねえんだ、行こうぜ?」
朱音が先陣を切って、ロープを握る。
「わかってるって! もう、どうにでもなれっ!」
覚悟を決めて、春心もあとに続く。
すると、ルシアが言っていたように、ロープが勝手に腕に巻きついてきた。しっかりと固定されているのに、きつく感じない。不思議な感覚がする。
「さ、行くよ、二人とも! ちょっと飛ばすけど、我慢してね!」
ルシアが箒を急上昇させた。
それと連動して、ロープで繋がっている春心と朱音の体が、ぐわあっと夜空に舞い上がる。
「ぎゃあああああああああああああっ! 高い高い! やっぱ高いって!」
「あはははっ! これがほんとの高い高いってな!」
「ぜんぜん面白くなーい!」
賑やかな声が、街に響き渡る。
魔法使いとラフ&ピース部。
笑いと平和を守るため、少女たちは夜空を翔ける。
目指す先は、南榎神社。
きっと今夜は、クレイジーな夜になる。




