そして夏服。青春。 2/2
「なあ春心。お前は自分がボツにされたこと、どう思ってる?」
「……それは…………」
春心は、うまく答えられなかった。
質問の意味がわからなかったからではない。むしろ、その意味は誰よりもわかっているつもりだ。春心だって、朱音と同じ“当事者”の一人なのだから。
しかし、だからこそ、答えることができない。心の整理はまだついていない。
対して、朱音のスタンスははっきりとしたものだった。
「私はな、まだ根に持ってんだよ。“作者”に対してな。私のことをボツにしやがって、ふざけんなってな。いまでも恨んでんだよ」
「…………」
作者。
それは春心にとって、複雑な響きを持つ言葉だった。
神であり、親であり、友であり、分身であり──自分を捨てた人。
「理不尽だよな。作者の都合ってだけで、私もお前も、ギャグ漫画の登場人物にはなれなかった」
「うん」
この二人がいま話していることは、妄想や虚言の類ではない。厳然たる事実だ。
厳然たる事実として、この二人は捨てられた人間だ。
ボツになったキャラクターだ。
春心はとあるギャグ漫画のツッコミ役として作られ。
朱音はまた別のとあるギャグ漫画のボケ役として作られ。
そして、ボツにされた。
二人は物語に登場することができなかった。
「物語のキャラクターとして生まれたのによ、物語の中で生きていけないって、なんなんだろうなって思ったよ。私が生まれた意味ってなんなんだろうなって、思ったよ」
「うん……」
ボツにされる。
それは即ち、生みの親に直接、存在を全否定されるということだ。
辛くて、暗くて、寂しいことだ。
朱音のように、“作者”に対して負の感情を抱くという感覚は、春心にだってよくわかる。
「でもな、最近はちょっと違うんだ」
「え?」
「ボツになるのも悪いことばっかりじゃねえなって、思えるようになってきてんだよ。少しずつだけどな」
だから、朱音がそんなことを口にしたのは意外だった。
春心はてっきり、朱音は自分以上に作者のことを恨んでいるものだと思っていた。それがいったい、どんな心境の変化があったのだろう。
春心は尋ねる。
「それって、どういう――」
「お前に会えたからだよ」
と。
朱音は言った。
「ボツになって、こうして地球にやってきたからこそ、あいつらに――そして春心に会えた。私がボケて、お前がツッコんで、そうしてるとな、思うんだよ――」
作者なんかに選ばれなくてもな、私は生きてていいんだなって。
朱音は笑って、そう言うのだった。
「だから言ったんだ。お前といると楽しいって。私がなれなかったギャグ漫画のキャラクターになれたみたいで、嬉しいんだよ」
「朱音ちゃん……」
そのとき、春心の胸の内に、じんわりと暖かいものが流れた気がした。地球のどこかに溜まっていた淀んだ空気が晴れていったような、そんな思いがした。
「ふふ、ほんとにどうしたの? らしくないよ。朱音ちゃんがそんな真面目なこと言うなんて」
「いいじゃねえか、たまには。だって今日は大事な日なんだからよ」
「大事な日?」
あれ、今日ってなにかの記念日だったっけと、春心は首をひねる。
「なんだ、忘れたのか?」
バカだなーと、朱音が微笑んだ。
「今日は“虫歯予防デー”……だろ?」
「絶対関係ないよね」
意味がわからなすぎて、春心は慄いた。
「あははははは!」
そして朱音は再び無邪気に笑った。
「あのー、時間、過ぎてますよ」
気づくと、屋上の出入口付近に若い警備員が立っていた。はっとなってスマホの時間を確認すると、もう完全下校時刻の午後七時を過ぎていた。
「すいませーん! すぐ帰りまーす!」
春心は警備員に返事をすると、その辺に放り出していたカバンを拾い上げた。
「じゃ、朱音ちゃん、行こっか」
「そうだな。夕飯に遅れたら高崎さんに悪いしな」
空の色が、東側から藍色に変わっていく。
屋上から見える街の景色。気づけば、あちらこちらに明かりが灯っている。
――今日はもう、帰らなきゃ。
「ねえ、朱音ちゃん」
「なんだ?」
「ありがとね、なんか」
「なんかってなんだよ……っておい、私にツッコミをさせるなよ! 私はボケたいんだよ!」
「えーっ!? いまのは朱音ちゃんが勝手にやったんじゃん!」
「いやいや、いまお前が仕組んだんだろ!」
「違うって、自爆だよ、自爆!」
賑やかな会話を交わしながら、二人は屋上を去っていく。
その頃には、朱音が開けた床面の穴は、いつの間にか綺麗に塞がっていた。まるで眼鏡が割れても次のコマで直ってしまう、ギャグ漫画のように。
春心と朱音。
ボツになってしまったキャラクター。
彼女たちはいま、現実世界で、人間社会に紛れて生きている。