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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第一章 ボツキャラクターの日常
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ある夏の群青 3/9

 ラフ&ピース部の部室には、“朱音の展示スペース”なる空間が存在する。朱音が一月ごとにテーマを決めて、なにかしらの作品を発表するという場だ。

 

 先月のテーマは【ウミガメVSバーテンダー】だった。


 そして今月のテーマは――



【具材のないチャーハン】



 具材のないチャーハンのようななにかが、部室の隅にひっそりと佇んでいる。


 そしてその物体は、今回のエピソードには一切関係ない。



 ※



「それじゃあまず、動画のほうを見てみよっか」


「そうだな」

 

 依頼者である上木内志保が帰っていったところで、春心たちはさっそく行動を開始した。

 

 まずは問題の動画の確認だ。

 

 春心は自身のスマホに『クレイジー小僧ちゃんねる』を表示させた。


「どの動画から見てみる?」


「なんでもいいんじゃね? 適当に上から見ていこうぜ」

 

 ということで、一番上に表示されていた『唐辛子を壁に投げてみた!』の動画を再生してみる。

 

 動画が始まるとすぐに、あどけない顔の少年が映った。


『オイラはクレイジー小僧! オイラは誰の言うことも聞かないぜー!』

 

 この少年が上木内志保の弟、上木内かみきうち 順哉じゅんや。小学五年生だ。

 

 動画はどこかの路地で撮影しているらしい。彼のすぐ後ろには立派な石塀が映っていて、その上からは木々の枝葉が顔を覗かせている。自宅の前なのだろうか。

 

 画質は荒っぽい。いかにも素人が撮っています、という雰囲気。撮影してる機材はわからないが、いちおう三脚かなにかで固定してはいるようだ。ただし画面が少し傾いている。


『いまから唐辛子を壁に投げるぜー!』 

 

 見れば、順哉の両手いっぱいに唐辛子が握られていた。


『どーん! はいどーん!』

 

 やたらでかい声を出しながら、順哉は唐辛子を石塀に投げつける。


 こすっ、こすっ。


 情けない音と共に唐辛子が石塀に当たり、そのまま何事もなく地面に落下していく。


『はいどーん! こんなの誰にもまねできないぜー! どーん! はいどーん!』

 

 最後まで唐辛子を投げ終えると、順哉はこう叫んだ。


『アイアムクレイジー! オイラはすごいぜー!』

 

 そこで動画が終わった。

 

 春心が隣をちらと見ると、朱音が頭を抱えていた。


「これは……姉貴が心配するわけだな」


「まあね……」

 

 なんというか、コメントするのが難しい。

 

 強いて言うなら、見ているほうがちょっと恥ずかしくなってくるような動画だった。


「でも、思ってたより悪いことをしてる感じじゃないね」


「やってることがしょぼいだけに、即炎上するって雰囲気ではねえな」

 

 唐辛子を石塀に投げつけたところで、石塀が汚れるわけでもなく、唐辛子が潰れるわけでもなく。炎上するような悪事というには少し弱い。


「でも食べ物で遊んでるからねぇ」


「そうなんだよな。この方向性のままエスカレートしていったら、いつか本当に炎上しちまうかもな」


「どこで変な弾みがつくかわかんないもんね」

 

 いまが大丈夫そうだからと言って、このまま放っておくのも心配だ。

 

 順哉はまだ小学五年生だ。ここから徐々に分別がつくようになっていくことも考えられるし、逆に信じられないほどに道を外してしまう可能性だってある。先のことはわからない。


「もう少しほかの動画も見てみようぜ」


「そだね」

 

 春心と朱音は、アップロードされているほかの動画にも目を通してみた。

 

 その結果わかったことは、どの動画もやってることはだいたい同じ、ということだ。順哉がでかい声を出しながらしょぼいことをやり、自分が狂っていることをアピールして、それで終わり。


 幸いなことに炎上間違いなしという雰囲気の動画はなかった。あくまで春心の所感ではあるが。


 見る人によっては、そしてなにかきっかけがあれば、炎上することもあるのかもしれない。


「ねえ、朱音ちゃん、ちょっと気になったんだけど」


「どうした?」


「再生回数が微妙にあるんだよね、これ」


「ああ、たしかにな」

 

 順哉の動画は、どれも26再生とか31再生とかで、まったく見られてないわけではないのだ。

 

 動画のクオリティを考えれば、それでも多いように春心は感じる。


「チャンネル登録者数だって、四人もいるでしょ?」


「そうだな。かと言って流行ってるって感じもしねえ。友達が見てるんじゃねえか?」


「あー、そっか! 言われてみればそんな感じだね! 身内が見てるって感じだ!」

 

 朱音の一言で納得がいった。

 

 同級生辺りがちらちらと見ているのであれば、こんな再生回数になるんだろうな、という感じがする。


「……で、これからどうしよっか」

 

 ひとまず、動画の確認はしてみた。しかし極端な話、どれだけ動画を見ていても解決にはならないのだ。

 

 問題はここから。どうやって順哉を説得するのか、だ。


 朱音が言った。


「そりゃ、直接説得しにいくことになるんじゃねえの? どっちにしろ、私は弟のほうの話も聞いてみてえしな」


「そうだね。いつかは会いにいかなきゃだよね」


「つっても、まあ――」

 

 朱音が部室の時計を見る。時刻は午後五時半になろうとしていた。


「いまから動くにはちょっと遅い時間だよな」


「じゃ、今日はもう帰っちゃう? ここにいてもしょうがないし」


「そうするか」





「ただいまー」

 

 春心と朱音が帰宅すると、彼女らの親代わりである高崎たかさき 環南かんながキッチンから顔を覗かせた。


「おかえり。今日は早かったね」


 高崎はいつも眼鏡をかけているのだが、先ほど会った志保とは違い、見る者に内気そうな印象はまったく抱かせない。パリッとした雰囲気の仕事のできる女性、という感じ。


「変に時間が空いちまってな。残っててもしょうがねえから帰ってきた」


「高崎さんは夕飯の準備?」


「うん。あ、そうそう、二人ともちょっとこっちおいで」

 

 と、高崎が手招きする。

 

 呼ばれるままにキッチンに入ると、高崎がお菓子の空き缶のような容器から鮮やかな緑色の葉っぱを取り出して、春心たちの前でひらひらと揺らした。


「これ見てみ、バジルの葉っぱ」


「バジル? それ、どうしたの?」


「たったいまね、逢戸澗おうとまちゃんが来て置いてったの。家の前ですれ違わなかった?」


「ううん、全然会わなかった」

 

 ね、会わなかったよね、と春心は朱音の顔を見る。


「まあ、オートマさんは会えないときは本当に会えないもんな」

 

 この逢戸澗さんというのは、高崎家から歩いて十分ほどの寺に住んでいる女性のことだ。

 

 フルネームは逢戸澗おうとま 夜縁よみち

 

 時々、高崎家に家事の手伝いにやってきたり、春心たちの遊び相手になってくれたりするような、近所のお姉さんといった存在だ。

 

 今日はもう帰ってしまったようだが。


「しかしなんでオートマさんがバジル持ってくんだ? 農家じゃないだろ?」


「家庭菜園で作ってるんだって」


「へぇ、そんなことしてたんだな」


「ほら、匂い嗅いでみな。いい匂いだよ」

 

 高崎はバジルの葉をさらに数枚手に取ると、春心と朱音に手渡した。

 

 春心はさっそく、受け取ったそれを鼻の前に持ってきて、匂いを確かめてみる。


「あ! 朱音ちゃん、これすごいね! 甘い匂いするね!」


「クサクセッ!」


「なにそれ? 何語?」


「草くせっ!」


「ああ、そういうこと。……って、しょうもない感想!」

 

 バジルではしゃいでいる二人に、高崎が言う。


「今日はこれで、ジェノベーゼソースを作ります」


「ジェジェジェ、ジェノベーゼ!?」


「高崎さんってそんな洒落たもん作れたのか?」

 

 高崎がわざとらしく、むっとした顔を作る。


「失礼な子たちだね。ネットの力があれば私だってそれくらい作れるわよ。意外と簡単なのよ?」

 

 そう言って、高崎はダイニングテーブルの上にあった自身のスマホを持ってくると、春心たちにとある動画を見せた。

 

 プロの料理人らしき人が、ジェノベーゼソースの作り方を紹介している動画だった。


「ね、簡単でしょ」


「ほんとだね」


「たしかにこれだったらできそうだな」

 

 どうやら、材料をミキサーに入れて混ぜるだけのようだ。

 

 ジェノベーゼといえば手の込んだ緑のオシャレなやつ、というイメージが春心の中にはあったので、単純な手順で作れるというのは意外だった。


「ねえ高崎さん、私も一緒に作っていい?」


「私もやってみてーな」


「はいはい。じゃあまず二人とも手洗いなさい」

 

 春心と朱音が手を洗っている横で、高崎が材料の準備を始める。


 必要な材料は、バジル、ニンニク、オリーブオイル、松の実、パルミジャーノ。


 高崎がキッチンの奥から、高そうな小瓶を引っ張り出してきた。


「これを使うときが来たわ」


「なんだそれ」


「オリーブオイルよ。この前ね、結構ガチなやつを貰ったの。調べてみたんだけど、すごく高いのよこれ」


「うち、貰いもんばっかだな」


「みんなに生かされてんのよ」

 

 と、高崎は冗談めかして言う。


「そんで、パルミジャーノと松の実はないのよね。だから今回は普通の粉チーズとクルミで代用します。それでもいいらしいから」


「クルミはあるんだ」


 材料が揃ったところで、いざ調理。


 まずはフライパンでクルミを軽く炒って、そのあとは材料をミキサーに入れて、なめらかになるまで混ぜる。完成。早い。


「やってみるとあっけねえな~」


「でも朱音ちゃん、見てよ、綺麗な緑色になったよ」


「ほんとだな」

 

 ただミキサーを回しただけとは言え、自分たちで一から作ったジェノベーゼソースは、やけに美味しそうに見えた。見た目はよし。


「ほい二人とも、ちょっと味見してみよっか」

 

 高崎が小さなスプーンを持ってきた。それを使って、みんなでちょっとだけソースを舐めてみる。


「ん! すごくいい香り!」


「結構チーズがいい仕事してんのな」


「あ、ガチのオリーブオイル使ったの正解だわ。悪くないね」

 

 味のほうも成功と言ってよさそうだ。


「じゃ、これは一旦冷蔵庫にしまっちゃうね。バジルってすぐに悪くなるっぽいから」

 

 高崎は作ったソースを容器に移して、オリーブオイルで表面に膜を張ってから(そうしたほうがソースが空気に触れずに済んでいいらしい)冷蔵庫に入れた。


「高崎さんって、すげーよな」


 唐突に、朱音がそう呟いた。


 本当に唐突だったので、高崎も驚いたようだ。冷蔵庫の取っ手に手をかけたまま、目をぱちぱちと瞬かせている。


「なになに、急にどした?」


「いや、高崎さんはよ、私たちみたいなのを引き取ってよ、ちゃんと親の代わりしてくれてるだろ? 飯を作って、洗濯して、で、私らとちゃんと会話もしてくれる。なんつーかよ、それって普通のことじゃねえんだなって」


「…………」


(なにかあったの?)と、高崎が春心に目線で問いかけてくる。

 

 ――朱音ちゃんはたぶん、志保ちゃんとの会話でなにか思うところがあったんじゃないかな。


 春心はそう考えたのだが、あまり依頼人の事情をベラベラ話すのも違うと思ったので、高崎にはぼかして答えた。


「ちょっと学校でね、色々あったの」


「ふうん、そっか」

 

 高崎はそれ以上なにも聞かなかった。


「たしかに、私のやってることは普通じゃないのかもね」

 

 朱音の言った『普通のことじゃない』という言葉の意味をどう受け取ったのか、高崎の顔に浮かんだのは、自虐めいた苦笑いだった。

 

 しかしそれも一瞬のことで、彼女はすぐに、真剣な表情で朱音と向き合う。


「でもね、私はみんなから元気を貰ってるから。助けられてるのは私のほうなんだよ。みんなが思っているより、ずっとね」

 

 だから朱音ちゃん。自分のことを、“私たちみたいなの”なんて言わないで。

 

 と、高崎は言う。


「どこかの誰かは朱音ちゃんのことを悪く言ったんだろうけどさ、私は好きだよ。朱音ちゃんのこと」


「…………好き、か。そうか」

 

 高崎の言葉を噛みしめるように、朱音は何度も小さく頷いた。

 

 そして――


「それ、なんか恥ずかしいな!」

 

 ぷっと、吹き出した。


 なにその反応! と高崎が声をあげる。


「え、そういう話じゃなかったの!?」


「そういう話だったけどよ、うん、恥ずかしいな。そういう話をされると。かゆいっつーか、もゆい?」


「もゆいってどういう意味よ。私いま結構まじめに喋ったんだけどな!」

 

 高崎が、助けを求めるような目で春心を見た。


「春心ちゃん、いまの私、もゆかった?」

 

 春心は高崎と朱音のどちらにつくか迷ったが、なんとなくノリで朱音のほうにつくことにした。


「うーん、ちょっともゆかったかな」


「春心ちゃんまで! どうすんのこれ、私が恥ずかしいことを言ったみたいな空気になってんじゃん!」

 

 朱音の笑い声がいっそう大きくなる。


「そんなことないぜ! 高崎さん、私も好きだぜ!」

 

 春心も続く。


「私も好きー!」


「いや、私のこと絶対ネタにしてるでしょ。嫌な子たちだわー。十代めんどくさいわー」 


 そう言いながら、高崎は大げさに顔をしかめてみせた。





 ジェノベーゼソースを作ったあと、春心はそのまま夕飯の支度の手伝いに、朱音は風呂場の掃除に移った。


 この家では普段、高崎が一人で全ての家事をおこなっている。だから、たまに早く帰ってきた日くらいはなにか手伝おう、ということだった。


「ただいま」

 

 午後七時を過ぎたころ、ルシアが帰ってきた。春心はキッチンから廊下に出て、ルシアを出迎える。


「おかえり、ルシアちゃん」


「あら、もう帰ってたのね」


「ちょっと今日は早くてね」

 

 と、ルシアを見て春心はひとつ思い出したことがあった。


「ねえ、志保ちゃんって知ってる?」


「志保ちゃん? 上木内?」


「そう、同じクラスでしょ?」

 

 志保は一年一組だと言っていた。そしてそれは、ルシアのクラスでもあるのだ。


「うん。まあまあ話すほうよ」


「そうなんだ」


「用があるの? なら、私があいだに入るけど」


「ううん、大丈夫! ちょっと気になることがあっただけだから」

 

 そうしてルシアと話しているうちに、玄関のドアががちゃりと開く。


「ただいま帰りました」 


 メーベルが帰ってきた。


 そしてそのすぐ後ろから、しづくが続く。 


「ただいま帰ったぜ、メーン……」


「二人ともおかえり。……メーン?」

 

 なんだろう、その語尾。


 春心は気になって、どういう意味かしづくに尋ねてみた。


「まあ、なんていうか、古代のソウルってやつ……?」


「全然わかんないんだけど」

 

 なにか経緯を知っているのかと期待して、メーベルに視線を送る。


「いえ、私も知りませんよ。今日のしづく、今朝から結構ずっとこんな調子ですよ?」


「そうだったっけ?」


「なんでも、原始時代に行ってきたんですって」


「へー、そうなんだ」

 

 原始時代に行ってきたんだ。なるほど。


「……いや、やっぱ全然わかんないんだけど。なんでそれがエセラッパーみたいな口調に繋がるわけ?」


「ふふ……なんでだろうね……」

 

 しづくは悪戯っぽく微笑んだ。


「みんなおかえりー! 全員揃った?」 

 

 と、高崎が廊下に顔を出す。


「なら、ご飯にするよ。手洗ってない子は洗ってきなさい。春心ちゃんは朱音ちゃんを呼んできて」

 

 はーい。と、四つ分の返事。

 

 これから始まるのは全員揃っての夕飯。家族の時間だ。

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