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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第一章 ボツキャラクターの日常
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ある夏の群青 2/9

「ごめんね、変なところ見せちゃって」


「いやー、びっくりさせちまったな」


 鼻の穴に入れるだの入れないだのという、人類史上最も気色悪いつばいを演じていた春心と朱音だったが、『さすがにこんな光景、部外者に長々と見せるようなものじゃないんじゃないか?』ということで、どちらからともなくやめた。

 

 春心も朱音も、ふざける場はわきまえているつもりなのだ。

 

 これでわきまえられていると思っている辺り、二人はもう手遅れなのかもしれないが。

 

 そして初っ端からそんな奇行を見せつけられた依頼人の上木内かみきうち 志保しほは、しかしただ控えめに首を横に振るだけだった。


「いえ、そんな。気にしてないですから」


 相手が同じ一年生だとわかって春心は敬語をやめたのだが、志保のほうは変わらず敬語のままだ。


 だからということでもないのだが、彼女にはどことなく壁を感じさせる雰囲気がある。


「どうしようね。じゃあ、座って話そうか」

 

 春心は部室の真ん中にある、長机とパイプ椅子を指で示した。


「失礼します」と、志保は椅子に腰を下ろす。そして長机を挟んだ彼女の向かい側に、春心と朱音は横並びで座った。


「初めまして、だよな?」

 

 朱音が尋ねると、志保は小さく頷いた。


「そうだと思います」


 今回のこの相談の場は、朱音と志保の共通の知人がセッティングしてくれたもので、春心も朱音も、志保と話すのはこれが初めてだった。


「でも、私はお二人のこと、前々から知っていましたよ。有名人ですから」


「ははっ、聞いたか春心。私たち、有名人だってよ」


「たぶん、あんまりいい意味じゃないと思うよ」

 

 たしかに春心も朱音も一年生のあいだではそれなりに知名度はある。でもそれは皆に親しまれているということではなく、単に悪目立ちしているだけだ。少なくとも春心はそう思っている。


「確認と言いますか、ひとつ聞いてもいいですか?」

 

 志保が春心の顔色を観察するような視線を向けてきた。ただシャイなのか、春心が見つめ返してもなかなか目を合わせてくれない。


「うん、どうぞ」


「ここの部活は、ちょっと変わった頼みごとでも聞いてくれる、と伺ったのですが」

 

 それには朱音が答えた。


「そーだな、そんな感じで合ってるよ。ウチはなんでも屋みたいなもんだかんなぁ。つっても、犯罪や嫌がらせはナシだぜ?」


「はい、それはなんとなくわかります」


「そっか。ま、それ以外ならだいたいなんでもやるよ。もし私たちにできないことだとしても、できるやつを一緒に探してやるくらいのことはできる。まずは気軽にどんなことでも相談してくれ」

 

 そこに春心が付け加える。


「そうそう、遠慮しないでいいよ。どんな内容でも笑ったりしないから」


「ありがとうございます。では、早速ですが……」


 志保は一度、緊張した様子で目を伏せったが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。


「お二人には、私の弟を止めてほしいんです」


「「弟をとめる?」」

 

 春心と朱音の声が、綺麗に揃った。


 意味がよくわからない。そもそも『弟を止める』なのか、『弟を泊める』なのかすら、春心にはわからなかった。


 だから、いまはとにかく志保の話を聞くことに集中する。


「先月ころからでしょうか、私の弟が動画投稿を始めたんです」


「動画投稿? ユーチューバー、みたいなこと?」


「はい。動画を自作して、ネットにアップしているんです。これを見てください」

 

 と、志保はスマホを春心と朱音の前に差し出した。その画面には、ある動画チャンネルのホームページが表示されていた。





クレイジー小僧ちゃんねる

 ・チャンネル登録者数 4人


アップロード動画

『唐辛子を壁に投げてみた!』

『餅を焼かずに食べてみた!』

『夜中にでかい音出してみた!』

『スーパーのベンチに居座ってみた!』





「これ、弟のアカウントです」

 

 志保がそう言うと、朱音の顔つきが険しくなった。


「これは……」


「遠慮しないで、正直に言っていいですよ」


「なら言うけどな、見た感じ、あんまり面白くはなさそうだな」

 

 正直なところ、面白くなさそうと感じたのは春心も同じだ。

 

 しかしそれ以上に気がかりなのは、


「って言うかさ、ちょっとこれって、あんまりよくない動画だよね?」

 

 よくないというのは、社会的に、倫理的に、という意味で。

 

 まだ動画の内容を見ていない以上なんとも言えないところではあるけれど、動画のタイトルから、食べ物で遊んだり、迷惑行為をおこなったりしているような印象を受ける。


 そしてネット上に“よくない”動画をあげることには、ある危険が伴う。


「はい、そうなんです。よくないんです。いつ炎上しても、おかしくないんです」

 

 そう、炎上だ。


「面白くないだけならまだかわいいものです。でも、なにかのきっかけで弟が炎上なんてしてしまったら、もう、取り返しがつかなくなります」

 

 炎上した側の人生が大きく狂うことは、普段ネットに入り浸っているわけではない春心にも容易に想像できる。


 芸能人や政治家が謝罪に追い込まれ、そのままお茶の間から姿を消してしまうなんて光景は、それほど珍しいものではないからだ。


「なるほどな」

 

 朱音が納得したように呟いた。


「だからお前は『弟を止めてほしい』なんて言ったのか。炎上したら人生がめちゃくちゃになっちまう。そりゃ姉ちゃんとしては心配だ」


「そうなんです。まあ、私としては、炎上するしないの前に、あまりマナーのよくない動画を作らないでほしいのですが」


「そうか。……でもよ、なんで私たちに頼むんだ?」

 

 と、朱音が至極真っ当な疑問を口にした。


「うん、それ私も思った。もちろん引き受けることもできるけど……なんでわざわざ私たちに?」

 

 春心もちょっと不思議だった。数ある人の中から、なぜ初対面の春心と朱音を相談相手に選んだのか。


 志保はこのように説明する。


「私の弟は、なぜかクレイジー……つまり狂ってることに執着しているみたいなんです。変な動画ばかりあげているのも、それが原因だと思います」

 

 言われてみれば、動画チャンネルの名前もクレイジー小僧ちゃんねるだった。どうしてそんなことに執着しているのかはわからないが。

 

 志保の話は続く。


「でもあの子は、本当は優しくて真面目な子なんです。世の中には芯から破天荒な人もいるのでしょう。炎上をうまく利用して生きていける人もいるのでしょう。だけど私の弟は、そういったことには向いてないと思うんです。あの子に、なんとか考え直してほしい。そこで私、考えたんです。本当に狂ってる人を目の当たりにすれば、目を覚ましてくれるんじゃないかって」

 

 そう言って志保は、春心と朱音の顔を交互に見た。


「もともとお二人が狂っているという噂は聞いていました。そしてこの部室に入ってきたとき、やはり、と思ったのです。高校生にもなって、真顔で人の鼻の穴に指を突っ込もうとしているのですから。私は確信しました。ああ、この二人は狂ってると」


「ねえ、もしかして志保ちゃんって結構失礼な人?」

 

 春心の声は届かない。


「毒を以て毒を制す……舞込さん、繰田さん、どうか弟に、本当の異常者というものを見せつけてやってくれませんか?」


「ねえ、志保ちゃんって結構失礼な人!?」


「まあ待て、春心、たけるな」

 

 どうどうと、朱音は春心の肩を叩きながら、志保に言った。


「なあ上木内、聞いていいか」


「なんでしょう?」


「お前が“私たちに頼む理由”はよくわかった。でもな、“お前がやらない理由”はなんだ? 私が聞きたかったのは、どっちかっつーとそっちのほうだ」


「…………」


「どう考えたって、これはお前の家族の問題だろ。どうしてお前から弟に言ってやらねえ?」

 

 正論中のど正論で、隣で聞いていた春心までハッとなった。十数分前まで奇行に走っていた人物の発言とはとても思えない。

 

 そう、そうなのだ。どうして志保は弟に直接注意しないのか。

 

 その理由をまだ、聞いていない。


「言いたくないなら言いたくないでいい。なにかあるからウチに来たんだろ。ただな、あまり事情を隠されると、こっちも全力を出せねえ」


「…………」

 

 志保は朱音の言葉を感じ入るように聞いていた。

 

 そして少しして、彼女は微笑んだ。自嘲を含んだ笑みだった。


「そうですよね、すいません。あまりにも情けない話で、言い出せなかったんです。でも、そうですね、隠し事をしながらものを頼むというのは、そう、誠意がないですよね」

 

 一度、大きく息を吐く。


「簡単な話です。私、弟に避けられているんです。最後にまともに会話をしたのは、いつだったでしょうか……」


 それを聞いた瞬間、春心は胸の内になにかざらりとしたものを感じた。でも、その正体がわかない。言語化できない。

 

 隣を見れば、朱音が苦虫を噛み潰したような表情をしていた。


「なら、親はどうした? 相談してみたのか?」


「あの人たちは、私たちに興味なんてありませんよ」 

 

 暗い声で、だけどきっぱりと言い放った。


 弟に避けられていると言ったとき、志保はどこか悲痛そうにしていた。一方で、親のことについて語ったこの瞬間の彼女に、表情はなかった。


「やっぱり、私の家庭って普通じゃないんでしょうか」

 

 ぽつりと、志保が呟く。


「普通の家庭ってのが――」

 

 そう言いかけて、朱音が一瞬だけ考えるような素振りを見せた。“普通の家庭”というものに、彼女自身思うところがあるのだろう。


「普通の家庭ってのが、どういうもんかは私にはわかんねえ。でも、そうだな。仲がいいとは言えねえと思うぜ。お前んとこは」


「そうですか。やっぱり、そうなんですか」

 

 そう言って、志保は俯いた。その顔に安堵の色が浮かんだように見えたのは、春心の気のせいだろうか。

 

 ともあれ、これで志保がやらない理由はわかった。家庭の事情ばかりはどうしようもない。


「春心、どうする?」

 

 朱音が視線を送ってくる。


「そうだね」

 

 と、春心は視線を合わせる。

 

 それだけで意思の疎通は完了した。それ以上、言葉を交わす必要はなかった。


 二人は頷き、志保の方に向き直る。


「よし、わかったぜ」


「その依頼、引き受けるよ」

 

 こうしてラフ&ピース部は、上木内志保からの依頼を正式に受諾した。

 

 断る理由はなかった。


「ありがとうございます」

 

 志保は深く深く、頭を下げた。十秒ほど、その頭は下がったままだったように思う。


「どうか私の弟を、よろしくお願いします」

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