ある夏の群青 1/9
「ぁああ~、やっぱエアコンって最高だよなぁあ~」
「そうだねぇ」
「エアコンを作ったヤツは天才だよなぁ~」
「そうだねぇ」
「なあ春心ぉ~」
「なあに、朱音ちゃん?」
「ぶっちゃけ織田信長なんかより、エアコンを作ったヤツを教科書に載せたほうがいいよなぁ~? 織田信長なんて、どぉお~でもいい」
「……いや、それにはちょっと同意できないんだけど」
「嘘つくなよなぁ~? お前だって、本当は織田信長のこと、なんとも思ってないんだろぉ~? 信長がお前になにをしてくれたぁ~?」
「ねえ、ほんとやめようよ。あんまり信長のことディスってると、どっかから怒られるよ? ファンとか子孫とかいるんだから。あとそのキャラなに?」
「うるせぇ~んだよ~。そんな良い子ぶった発言なんて聞きたかねぇ~んだよぉ~。お前だって本心では、信長よりエアコンのほうが便利だと思ってんだろぉ~? 日本の夏に必要なのは信長よりエアコンだろぉ~? なぁ~?」
「それはまあ、そうなんだけどさ」
「ほらみぃ~」
「だからなんなのそのキャラ!」
夏休みを二週間後に控えた、とある七月の放課後。春心と朱音は、冷房の効いたラフ&ピース部の部室でダラダラと過ごしていた。
この日の最高気温は三十五度を超え、午後四時を過ぎた現在もその酷暑ぶりはまったく衰える気配を見せない。春心は夏という季節が嫌いではないが、最高気温が三十二度を超えだしたら、それはもう夏ではない別のなにかだろう、という気がしている。
春、夏、獄、秋、冬――そう、いまは夏ではない、獄だ。
そしてそんな地獄のような暑さだけに、放課後も割と太っ腹に冷房を使わせてもらえるこの檸文高校の方針はありがたい。設定温度はあまり低くできないが、強い冷房が苦手な春心にとっては、むしろちょうどいいくらいだった。
朱音がだらしなく長机につっぷしながら言う。
「つーか、依頼人が来るっつってたのって、何時だっけ?」
「急に素に戻ったね」
「あ、なんだよ。さっきのほうがいいのか? いいぜぇ~? 今日はずっとこれでいくぜぇ~?」
「いやいや、戻んなくていいから!」
うっとおしい。というか暑苦しい。ただでさえ暑い季節だというのに。
しかもそんなに面白いキャラでもないし。
「それより、ほら、依頼人が来る時間でしょ? 四時半って言ってたよ」
春心がちょっと強引に話を戻すと、朱音が部室の壁掛け時計をちらりと見た。
「あと十五分あんな」
「もうちょっとゆっくり部室に来てもよかったかもね」
「だな」
春心たちはいま、部室で“依頼人”を待っていた。
彼女らの所属するラフ&ピース部の活動内容は、大きく分けて二つ。
一つは自発的に奉仕活動を行うという、ボランティアサークルのような活動。
もう一つはほかの生徒から依頼を受け、問題の解決に向けて動くという、なんでも屋のような活動。
そして今回の彼女たちの活動は、後者のほうだった。
これからこの部室に、ある生徒が相談に来ることになっている。約束の時間まではあと十五分。なにかをして待つには少し中途半端な時間だ。
退屈そうに、雑な口調で朱音が言った。
「春心、なんか力強いこと言って」
「力強いこと!」
無茶ぶりがすぎる。
面白いこと言って、ならともかく。力強いことって。
「なんかパワーのありそうなワードを言ってくれよ。ほら、さん、にい、いち……」
「え、えぇっ!? ……ゴッ、ゴリラ牧場?」
「はっ」
朱音は息を吹き出して、口元を緩ませた。
「まあ、言葉の響きは強いな! 23点!」
「辛い! っていうかいまのはひどいって! そんなに急に出てこないから普通! 朱音ちゃんもやってみなよ。はい、弱そうなこと言ってみて。さん、に、いち!」
「マ、マシュマロ泥棒ッ」
「ぷっ。ほらぁ、朱音ちゃんだって全然できてないじゃん。なにマシュマロ泥棒って」
春心は笑いながら、朱音の発言内容を突っつく。
「だって、マシュマロを泥棒するようなやつって絶対弱いだろ! 筋肉ムキムキのやつがマシュマロ盗むか?」
「ふふ、まあ、まあね、言いたいことはわかるかも」
「絶対、筋肉ムキムキのやつはマシュマロ盗まないだろ!」
「ふっ、でも、それ偏見でしょ」
「腹筋バッキバキのやつが、不正にマシュマロ手に入れようとするか?」
「あはは、わかったわかった、しつこいって! ふふっ」
マシュマロ泥棒自体はそんなに面白くないのに、会話の雰囲気でなんだかおかしくなってきて、春心と朱音はこの中身のない話題でひとしきり笑った。
笑いが収まってから時計を見ると、四時二十五分を過ぎていた。
「そろそろ時間だね」
「そうだな。……今回はどんな依頼なんだろな」
春心も朱音も、まだ依頼内容をほんの僅かも聞かされていない。
「私たちにできることだといいんだけどね」
「ま、なんにしても、やれることをやるだけだ。それが私たちラフ&ピース部の……ふっ、ふはっ! あーひゃっひゃっひゃっひゃっ!」
「!?」
朱音が突然、腹を抱えて笑い始めた。目に涙まで浮かべている。情緒の振れ幅。
「え、なになに、怖っ! いまなにで笑ったの?」
春心が若干怯えながら尋ねると、朱音は息も絶え絶えになりながら答えた。
「いやぁ、ラフ&ピース部って名前、だっせえなって思って!」
「な ん で い ま !?」
このラフ&ピース部が創部されたのはもう二か月以上前のこと。それなのに、なぜいまになって部名をいじってくるのか。
「いや、最初からだせぇと思ってたんだよ、私は! でもな、まあ、慣れるかなって思ってたんだ。でもな、全ッッッ然慣れねえ! 二か月経ってもだっせぇ! すげぇよこの部名! あーっひゃっひゃっひゃっ!」
はじめ、春心は異様な勢いで笑う朱音に圧倒されていたが、少し冷静になって考えてみると、これほど心外な話はなかった。この部名を考えたのは春心だからだ。
「ねえ、ださいって言うのやめてよ、一生懸命考えたのに! ラフ&ピースのラフはlaugh――笑いって意味、そしてピースは平和。笑いと平和って意味だよ? いい名前じゃん! しかもラブ&ピースとかかってるんだよ!? おしゃれでしょ!」
「いやいや、だせえだろ! なに食ったらそんなだせえ名前思いつくんだよ!」
「ひどい! 私、寝ないで考えたんだよ!」
「寝ないで考えたからそんな名前になってんだろ! 寝ろよ! 判断力鈍ってんぞ!」
「もう、そんなに言うなら、部名変えるから! 朱音ちゃんがセンスいい名前つけてよ! それでいいんでしょ!?」
「あはは! 悪いとは言ってねえだろ!」
「でも、ださいんでしょ?」
「クソだせえ」
「ほらー! もう、知らないっ!」
「だから、そのだささがいいんだよ。いや悪かったって! 怒んなよ。謝るから、な?」
言いながら(でもまだちょっと笑ってる)、朱音は椅子から立ち上がり、春心の目をまっすぐに見て、
「許してくれ、この通りだ!」
両手で春心の両耳を塞いだ。
「聴覚を奪わないで!」
春心は速攻で振り解いた。
「そんでいまの許しの乞いかたなに!? なんで耳を塞ぐの!? 謝るならちゃんと謝って!」
「悪かった。すまん、この通りだ!」
そう言って、朱音は両手で春心の両目を覆った。
「視覚を奪わないで! なにこのくだり!」
「すまん、今度こそ本気で謝る。この通りだ!」
そう言って、朱音は右手でピースサインを作り、二本の指を春心の鼻の穴に突っ込もうとしてきた。
「ふぁあっ!?」
反射的に、春心は朱音の右手を掴む。
「待って待って待って! それはクレイジーだって、さすがに! 鼻に突っ込むのはだめ! 汚いって!」
「大丈夫、怖いことは一つもないさ」
「あるわ! 全部が怖いわ! さっきからこのくだりの意味が全然わかんないの! わかんない恐怖! 耳を押さえ目を押さえ、なに、次は鼻!? どういうこと!? どういう表現なのこれ!? 意図はなに!? わかんない! 怖い! 泣いていい!?」
春心が朱音の奇行に狼狽しているまさにその時、コンコンと、ノックの音が部室内に響いた。
続けて、部室の扉がゆっくりと開く。
時刻は午後四時三十分ちょうど。依頼人がやってきたのだ。
「すいません。あの、依頼をお願いしていました、一年一組の――」
言いかけて、依頼人は固まってしまった。
人間が人間の鼻の穴に指を突っ込もうとしている光景に衝撃を受けたのだろう。顔を赤らめて言う。
「すっ、すいませんっ。お取り込み中でしたか」
「全然違います! 取り込んでますけど、あなたの思っているような取り込みではないですっ!」
それよりも、どうぞ中へっ!
春心がそう促すと、依頼人は困ったような表情を浮かべた。
「本当にいいんでしょうか?」
朱音が答える。
「私たちのことは……気にすんなっ……!」
「え、えっと、それでは……」
戸惑いを見せながらも、依頼人は部室の中へと足を踏み入れる。
それから鼻の穴に指を突っ込もうとしている女(朱音)と、それを阻止しようとしている女(春心)を交互に見て、ぺこりと頭を下げた。
「依頼をお願いしていました。一年一組の、上木内 志保です。どうぞよろしくお願いいたします」
眼鏡をかけた、気弱そうな女子だった。




