地図のない世界で 2/2
反射的に、メーベルはルシアと男子生徒の前に飛び出していた。
「ルシア! なに押されてるんですか! ここはちゃんと断らなきゃだめでしょう!」
「で、でも」
「だいたい、この人とはどんな関係なんですか!」
「今日初めて喋ったけど……」
「じゃあもっとだめですよ! いいですか、初対面であの距離の詰めかたをしてくる人は絶対まともじゃないです!」
「そんな……」
「あと『本当の愛』ってワードを使う人は100%頭がおかしい人です!」
「それは言い過ぎじゃない?」
男子生徒が不服そうに訴えた。
「ちょっと! これは僕とルシアさんの話だ! どうして君が口を出してくるんだ!」
「それはあなたがっ……!」
メーベルは反論しようとして――口をつぐんだ。
「……いや、それもそうですね」
どう少なく見積もってもこの男子はイカれてはいるが、その言い分に関しては正論だと思った。
人の告白現場を覗きにきておいて、その結果にまで干渉しようとするなんて、おかしなことをやっているのは自分のほうじゃないか。
メーベルは一歩引いて、ルシアに謝罪した。
「すいません。出過ぎた真似をしてしまって……」
「ううん、気にしないで。おかげで落ち着いたわ」
ルシアは小さく頷くと、再び男子生徒に向き合った。もう動揺はしていないようだ。
やがて彼女は一度だけ深呼吸をして、
「ごめんなさい! お付き合いも、結婚もできません!」
「バカな……!」
男子生徒は膝から崩れ落ちた。
バカはお前だ、とメーベルは思う。
いつの間にか体育館の裏から出てきていたしづくが、地面に手をついている男子生徒の前に進み出て、勝ち誇った顔で言った。
「君の負け……だね……」
「なんだお前……」
困惑する男子生徒を見下しながら、しづくは肩をすくめ、意味ありげに微笑んだ。
「やめなさい、しづく! なに煽ってるんですか!」
メーベルは慌ててしづくを男子生徒から引きはがした。
と言うか、嫌な予感がした。
この男子生徒としづく、絡みだしたらどうなってしまうのだろう……?
下手したら核兵器に匹敵するなにかを完成させてしまうのでは……?
しづくが再び男子生徒に声を浴びせる。
「君の敗因は……情熱だけで戦おうとしたこと……」
「なんだと!?」
「ごり押しだけで突破できるほど、法は甘くないんだよ……」
「まさか……俺に足りなかったのは……IS……恋愛作戦立案能力!?」
あ、だめだ。核が完成してしまう。
疑念が確信に変わった。
メーベルはしづくの腕をひっ掴んで、無理矢理走りだした。一刻も早く、ここから退散せねば。この二人の邂逅が人類史の汚点になってしまう前に。
「それじゃルシア! 私たちはこれで!」
「あ、えっと、二人ともありがとう!」
去り際に、ルシアからお礼を言われた。
メーベルは苦笑する。もともとは興味本位で人の告白現場を覗きにきたのだ。どういたしましてと言える筋なんて、あるはずもない。
※
校舎の陰にある小さな裏庭まで走ってきたところで、メーベルは足を止めた。ここまで来れば大丈夫だろう。
「ちょっとメーベル……こんなところまで来て……急にどうしたの……?」
「あなただって私のことを屋上まで引っ張っていったじゃないですか。そのお返しです」
「ええ……」
「だいたい、どうしてあの男子につっかかっていったんです? 一瞬で狂気が倍になったんですけど」
「面白そうだったから……」
「勘弁してくださいよ。私は春心じゃないんですから、対処できるボケには限度があるんです」
メーベルは息を切らせながら、裏庭に設置されているベンチに腰を下ろした。
「対処しなくていいのに……」
続けて、しづくがメーベルの隣に座る。
テスト期間中だからか、裏庭は風の音が聞こえるほどに静かだった。いつもの放課後の喧騒が嘘のようだ。
「それにしても、凄いもの見ちゃったね……!」
しづくが興奮気味に言った。
たしかに、先ほどは凄いものを見てしまった。色々な意味で。
「私は、ルシアがいつか変な男に引っ掛かるんじゃないかって不安になってきましたよ」
「それはあるかも……。噂だとね、ルシアって高校に入ってからもう五回も告白されてるらしいよ……」
「そんなにですか」
「ルシアは優しくて綺麗だからねえ……」
「押せばいけそうって思われてるんじゃないですか?」
「あー……でも、誰からも好かれないよりはいいんじゃない……?」
「そうですか? 言い寄られるのも面倒だと思いますよ、ええ。モテないほうが気楽ってもんです」
「しっと……?」
「違います!」
「そっかぁ……私はちょっと羨ましいけどね……」
「なんです、しづくは彼氏がほしいんですか」
「うーん、どうだろ、私はロボットだからなあ……」
何気ない会話の中でしづくが言ったことを、しかしメーベルは何気なく聞き流すことはできなかった。
そうだ。しづくはロボットなのだ。
しづくがあまりにも人間らしいせいで、その事実を時々忘れてしまうし、現にいま、メーベルは忘れていた。
しかし、いかに人間に近い存在だろうと――きつい言いかたをすれば――しづくは人間ではない。
――うーん、どうだろ、私はロボットだからなあ……。
その発言に、どんな意図があったのだろうか。
こちらから尋ねれば、しづくは嫌な顔ひとつせずに、その背後にある感情をあっさりと教えてくれるだろう。
だが、メーベルはいま、そこに踏み込む勇気がなかった。
かと言って「大丈夫ですよ。きっとしづくにもいい出会いがあります」だなんて、無責任なことを言いたくはない。そんな、見せかけだけの優しさなんて。
結局、メーベルはお茶を濁してしまった。
「まあ、恋愛なんて、他人の話を聞いているほうが楽しいですよ」
※
しづくと別れたあと、メーベルは図書室の自習スペースにいた。
机の上に広がっているのは化学基礎の教科書とノート、問題集。しかしその内容は、全く頭に入ってこない。
考えごとをしていた。
先ほど、しづくに対して思ったことは傲慢だったのではないか。どこか他人事だったのではないか。思い違いだったのではないか。
つまり、人間じゃないのは、自分だって同じなのではないか――と。
メーベルはよほど意識しない限り、「ですます口調」で話してしまう。
敬語が好きだからではない。
そういうキャラクターとして作られたからだ。
そういう記号を与えられたからだ。
敬語を話す。鮮やかな金髪。年齢の割に小柄。推理が得意――全て、記号だ。
メーベル・ベルナール・レオンハルトとは、記号の集合体に過ぎない。
人間ではなく。
記号が服を着て歩いているだけ。
その意味で、メーベルとしづくのあいだに違いはない。しづくに割り振られた記号が、たまたま“ロボット”だったというだけの話で。
――私ってなんなんだろう。私たちって、なんなんだろう。
現役のキャラクターならまだ救いはある。その記号には意味があるのだから。
しかし、自分たちはボツキャラクターだ。役割を失った記号たちは、どこを目指して生きていけばいいのだろう。
「……いや、やめましょう。これ以上は」
生きかたや、生まれた意味を考えることは、著しく精神を疲弊させる。
哲学という学問が、誰かが仕掛けた一種のトラップなのではないかと勘繰ってしまうほどに。
考えすぎだ。
わかっている。
ほかの四人と比べて、自分は考えすぎるところがある。自覚はある。考えすぎて話が飛躍してしまっていることも。
それよりも、いまやるべきなのはテスト勉強のはずだ。
思考を無理矢理切り替えるように、メーベルはペンを取り、問題集に視線を落とした。
答えのある問いなら怖くない。
期末テスト開始まで、あと五日。




