そして夏服。青春。 1/2
キャラクターとして死んでからが、人生の始まりだった。
※
衣替えをしたばかりの、六月始めのこと。
「朱音ちゃん、遅いなぁ……なにやってんだろ」
黒髪の少女が高校の屋上で一人、不安げに呟いた。夏用のセーラー服がよく似合う彼女の名前は、舞込 春心。高校一年生。
彼女がなぜ不安げなのかといえば、部活仲間が帰ってこないからだ。
つい先ほどまで、春心はもう一人の部員――繰田 朱音と共に屋上で部活動をおこなっていた。
ところがその朱音が突然、春心を一人残して屋上から下りていってしまったのだ。すぐに戻るから待っているように言われたのだが、十五分経ったいまも、朱音は戻ってこない。
高く昇っていた太陽が、ようやく沈み始めようとしていた。完全下校時刻の十分前を知らせる放送が、高校の敷地内に響き渡る。
――私、ここで本当に待っていていいのかな? なにか聞き間違えたのかな? それとも、朱音ちゃんになにかあったのかな……?
春心は待ちきれなくなって、制服のポケットからスマホを取り出し、朱音に連絡を入れようとした。
そのときだった。
「待たせてわりぃ!」
と、声がした。頭上から。
頭上?
ここは学校の屋上で、つまり、ここより高いところなどないはずなのだが……。
不思議に思いながら、春心は夕空を見上げた。
「って、ええええええええぇーっ!? なんでぇ!?」
とんでもなく驚いた。先ほど屋上から下りていったはずの朱音が、なぜか空から降ってきているのだ。
風を切り、一直線に落下してくる彼女の様は、まさに人間ミサイル。
ミサイル女子高生――と、春心の脳裏になんの意味もない単語がよぎる。
そしてあっという間に、朱音は高校の屋上に頭から着弾した。衝撃と共に、舞う土埃。
「えぇ……」
当然、春心はドン引きした。
部活仲間が下りていったと思ったら、空から降ってきた。どんなロジック?
「え、どうしてこうなったの? なんで朱音ちゃん、空から降ってきたの……?」
爆心地に刻まれた朱音の姿は、それはもう無残なものだった。上半身は床面に突き刺さり、下半身だけが勢いよく地上に飛び出している。
春心は恐る恐る、床に突き刺さっている部活仲間に近づいた。
「えっと、朱音ちゃん、大丈夫? 怪我は?」
「見ての通り、無事さ」
「無事ってなんだろう」
どう見ても無事には見えないのだが……。
いや、でも、朱音ちゃんは空から落ちたくらいで怪我をするような人じゃないかと、春心は納得する。
「って言うか朱音ちゃん、突き刺さりかたがおかしくない?」
「え? 私の突き刺さりかた、なにかおかしかったか?」
「いや、それを言い出したら全部が全部おかしいんだけどさ……」
そもそも床に人間が突き刺さってること自体がおかしいのだから、細かい部分にツッコミを入れてもキリがないのだろうが、しかし、朱音の突き刺さりかたにはやはり違和感があった。
それがなんなのかと言えば――
「なんでそんなに足がピンってなってるの?」
床面から飛び出している朱音の両足が、異様にまっすぐなのだ。足のラインが一切の妥協のない美しい直線となって、天に向かって伸びている。ほとんど気をつけの姿勢のまま床に埋まっているようなものだ。
どうしてそんな体勢でいるのか、朱音はこう説明する。
「ああ、ほら。ここ、学校だろ? しかも屋上だからな、ちゃんとしとこうっていうかさ、フォーマルな場だし? 春心だって全校集会の時は姿勢を正すだろ? それと同じだよ」
「え? ん? え? なに……言ってんの……? 難しい単語を使わないでなんでそんなに意味わかんないこと言えるの……?」
春心には朱音の言っていることが何一つ理解できなかった。というか理解したらなにか危険なことが起こりそうな気がした。
人生にはわからないほうがいいこともあると言うが、もしかしたらこれのことなのかもしれないと春心は思う。
「まあ、もういいよ、足のことは。じゃあさ、そのスカートはなに? どうなってんの?」
足のことについての追及は打ち切って、春心は次の話題に移ることにした。と言うのも、朱音の両足以上に、スカートのほうがおかしなことになっているからだ。
本来、床に頭から埋まっていれば、スカートが重力に負け、見えてはならない女子の大切なものが露わになってしまうはずなのだが、朱音の場合はそうはなっていない。
なぜかわからないが、スカートがバグったゲームのオブジェクトみたいな、わけのわからない折れ曲がりかたをしていて、パンツが見えるのを完全に防いでいるのだ。
下品な絵面にならずに済んでいるのはいいのだが、自然界には存在しない動きを見ているみたいで少し気持ちが悪い。
「朱音ちゃんさ、スカートに針金でも入れてるの?」
「いいや、針金は入ってねえよ。ンナフなら入ってるけどな」
「ン ナ フ」
まったく聞いたことのない単語が不意に飛んできて、春心はちょっとだけ不安になった。
「ま、それにしても、驚かせて悪かったな。こんなことになっちまって……」
相変わらず上半身を床面に埋めたまま、朱音が言った。
「それは、まぁ、怪我がなかったのはよかったけど……どうしてこうなっちゃったの? なんで空から?」
「聞いてくれるか、春心。実はこれにはワケがあってよ」
そりゃワケがないわけがないでしょ。ワケもなく上半身が埋まるんだとしたら嫌な世の中だよ。と春心は思ったが、ツッコミばかり入れていてこれ以上話が進まないのもしょうがないので、ここでは口に出さなかった。
朱音が話を続ける。
「私さ、お前を置いて先に屋上から下りていっただろ?」
「うん。待っててって言われたから、私はここに残ってたんだけど」
「そうか。私はな、そのまま帰るつもりだったんだ」
「なんで!?」
人を待たせておいてなんで帰っちゃうの!?
「いやー、素直に待ち続けているお前を尻目にこっそり帰るのって、めっちゃウケるなって思って」
「いやいやいやいや、全然ウケないよ! めっちゃタチが悪いよ! ええ!? 普通に悪質だって! 友達なくすよ!?」
「そうなんだよな……その通りなんだよな……」
と、朱音の声から元気がなくなる。
「私な、昇降口で靴を履き替えている辺りで気づいたんだよ。『このイタズラ、全然ウケねえな』って。冗談じゃ済まねえし、割とマジでお前とのあいだに禍根が残るなって思ったんだ」
「そうだよ! 残るよ!」
「だからな、そこに気づいてから、私は急いで春心の元に戻ろうと思ったんだ。玄関ホールを走り抜け、全力で階段を駆け上った。でも、その途中で見つかっちまったんだ……」
「見つかった? 誰に?」
「生徒指導の田口にだ」
「ああ……」
生徒指導の田口は厳しいことで有名な教師だ。
完全に余談だが、生徒を叱りつける際に、「テストの順位、何位だぁ?」と聞いてきて、学年二位以下だと「教師に叱られるような人間だから、お前は一位になれねんだぁ」と、非常にネチネチとした嫌味を言ってくる。一位の場合はただ不満げに頷く。
「そんで、校舎内を走るなっつって、田口の野郎が説教を始めやがってよ」
「そうだったんだ」
「で、あとはお前の知ってる通り。私は天から墜落して、地面に突き刺さる羽目になりましたと……ま、そういうワケ」
「待って待って待って待って待って!?」
春心は慌てて朱音の話を止める。
「え? 嘘でしょ!? シーンが飛んでない!? 私の頭の中だと、朱音ちゃんが怒られてるところから、急に空から降ってきたことになっちゃってるんだけど!? えっ? 飛んでるよね、シーン!」
「いや、飛んでないだろ」
「いやいやいや、飛んでるよ!」
「たしかに空は飛んだけどな。ハハ」
「ハハ!?」
結局なにも!
肝心なところだけが!
わからない!
春心は朱音の言動に振り回され、戸惑うばかり――というのは表面上の話であって、実は内心ノリノリでツッコミを入れていたりする。
「あーはっはっはっはっ!」
突然、朱音が大声で楽しそうに笑い始めた。
それから彼女は、上半身が埋まっている状態から自力で脱出し、何事もなかったかのように春心の前に立ち上がった。
黒のショートボブに、赤いメッシュが入ったパンキッシュな外見。切れ長の目に、相手を威圧するような三白眼。春心よりも頭一つぶん高い、すらっとした体つき。
いつも通りの、繰田朱音だった。
とんでもない勢いで空から降ってきたというのに、彼女の体には傷一つ、痣一つない。
「いやー、楽しいな!」
朱音が、屈託の無い笑顔で言った。
「……えーっと、なにが?」
「私がボケて、お前がツッコむっていう、この流れがだよ。やっぱなぁ、一人でボケても物足んねえんだよ。お前がいてくれるとな、楽しいんだ」
朱音の言動はいつも突拍子がないとわかっていたつもりだったが、そんなまっすぐな言葉を急に投げかけられると、流石に動揺してしまう。照れるような、嬉しいような。
だけどその感情をそのまま表に出してしまうのがなんだか恥ずかしくて、春心はあえて呆れた口調で言ってみた。
「なにそれ、急にどうしたの?」
すると朱音は、唐突にこんな質問で返してきた。
「なあ春心。お前は自分がボツにされたこと、どう思ってる?」