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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第一章 ボツキャラクターの日常
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地図のない世界で 1/2

 メーベル・ベルナール・レオンハルト。


 彼女の名前にレオンハルトというドイツ語圏の男性名が含まれている理由を、彼女自身、よく知らない。


 彼女は十五歳にしては大変幼い外見をしているものの、その身体はれっきとした女性のものであり、実は男の子だというオチはない。


 それではどうして男性の名前がついているのか。彼女なりに「もしかしたらこういう理由なのではないか」と推察してはいるが、それは所詮推察でしかなくて、結局のところ、本当の理由はわからないままだ。


 もう“作者”に会えないいま、彼女は自分に付けられた名前の意味を、キャラクター性の意味を、記号の意味を、教えてもらうことはできない。


 それらの答え合わせをする機会は、とうに逸している。



 ※



 六月下旬。


 檸文高校はテスト期間へと突入していた。同校で盛んに行われている部活動も、このときばかりは休止となる。当然、メーベルが所属する“謎部”も例外ではない。


 メーベルは放課後になると、部室へと向かう代わりに図書室へと向かった。もちろん、試験勉強のためだ。教室に残るのでも、適当にその辺のカフェに入るのでもよかったのだが、この日は図書室の気分だった。


 勉強道具一式を揃えた鞄を持って図書室へ向かっていると、正面からしづくが血相を変えて駆け寄ってくるのに気づいた。


「たいへん……! たいへんなの……!」


 どうにも、ただならぬ様子だ。


 メーベルは尋ねる。


「どうしたんですか?」


「それがね……たいへんなの……! とにかく来て……!」


 しづくはメーベルの手首をがっと掴むと、そのままメーベルを引っ張るように強引に歩きだした。言葉を挟む暇もない。ほとんど拉致だ。


 そうして彼女が連れてこられたのは、学校の屋上だった。


「こっち……! こっちだよ……!」


 そこでようやくしづくはメーベルの手を離すと、屋上のフェンス際まで走っていって、グラウンドの方を指さした。


「なんだってんですか、いったい」


 渋々あとに続き、メーベルはグラウンドを見下ろす。


 昨日は一日中雨が降っていたため、グラウンドはまだ半乾きの状態だった。


「たいへんなの……! 見て……あの砂の色……! グラデーション……!」


 言われてみれば、グラウンドの砂の色が場所によって違う。より正確に言えば、砂の色の濃さが違う。


 濃い茶色になっているところ。薄い茶色になっているところ。その中間のところ。


 しかし、それがどうしたと言うのだろう。


 これはただ単に、日当たりの関係で、昨日降った雨の乾く速度にばらつきがあるだけだ。あるところは乾きが早く、あるところは乾きが遅い。それだけのことではないのか。


「これのなにが大変なんですか?」


 メーベルが聞けば、しづくは自分だけが見つけた世紀の大発見を世間に初めて披露するかのように、得意そうに言うのだった。


「あの砂の色の感じ……クレープの生地にそっくりでしょ……!」


「ぶっとばしますよ?」


 メーベルはしづくの胸ぐらを容赦なく掴み上げた。


「そんなことを言うためにこんなところまで連れてきたんですか?」


「ああぅ……」


 ここまで怒られると思ってなかったのか、しづくは慌てて言い訳めいた文言を並べ始めた。


「ま、待ってっ……。冷静に考えてみて……? もしもこの大地がクレープの生地なのだとしたら、私たち陸の生命は……クレープの具なのかも――」


「ぶっとばしますよ?」


「ごめんごめん……あっ……!」


 と、突然しづくが大声をあげた。


「ねえメーベル……たいへん……! たいへんなの……!」


「次、クレープって単語を発したらフェンスの向こうにぶち落としますからね?」


「違うの……! これはほんとにたいへんなの……! ルシアが男子と二人で歩いてるの……!」


 しづくの視線を辿ってみれば、確かに、女子生徒と男子生徒が体育館の裏に消えていくのがわかった。


 メーベルには二人の顔までは見えなかったけれど、女子生徒のほうが銀髪だったのは確認できた。そしてそんな髪色がナチュラルに似合う生徒なんて、この学校にはルシアしかいない。


 メーベルはしづくの胸ぐらから手を離して、ぼそりと呟く。


「なにやってるんでしょうね?」


 いまはテスト期間中で、どの部活動もやっていない。そしてそれは生徒会も同じはずだ。


 ならばなぜ体育館の裏に?


 ルシアはテスト期間中にサボってどこかに遊びにいくような性格ではない。少なくとも、メーベルの知る範囲では。


 ということは、生徒会の臨時の仕事が入ったと考えるのが妥当だろうか……。


 そんな風に思考にふけっていると、しづくが「どうしてそんなに難しく考えるの?」という視線を向けてきた。


「決まってるでしょ……! 男女がこっそり体育館の裏に行くなんて、愛の告白しかないでしょ……!」


 ああ、そういう視点があったか、とメーベルは思った。


「もしかしたらルシアに彼氏ができるかもしれないんだよ……! こうなれば私たちにできることはただ一つ……! 告白の瞬間を見守ること……! さぁ、急がなきゃ……レッツ&ゴーだよっ……!」


 言うが早いか、しづくは屋上の出口へ駆けだした。


 メーベルは呆れながら呼び止める。


「やめなさいって。見守るだなんて言って、本当はしづくが気になってるだけじゃないですか」


 すると、しづくは振り返り、メーベルの瞳をまっすぐに見つめてきた。


「メーベルは気にならないの……?」


「気になるとか、ならないとかって話じゃないんですよ。こういうのは、覗くもんじゃないんです」


「でも、気になるかならないかで言えば……?」


「…………」


 メーベルはしづくから目を逸らし、一拍置いて答えた。


「まあ、興味がないと言ったら嘘になりますけど……」



 ※



「好きです! 付き合ってください!」


 清々しく言い切る男子生徒。


 向かい側には、顔を赤らめたルシア。


 そしてそれを体育館の陰から覗き見している、メーベルとしづく。


「うわぁ……直球だよ、直球……! すごいね……!」


「変に遠回しに言うよりはいいですよね」


 なんだかんだでメーベルもノリノリだった。私って、自分が思っているより他人の色恋に興味があったのかと、彼女自身、意外に感じた。


 そして肝心のルシアの返答は……。


「ごめんなさい!」


 食い下がる余地を与えない、シンプルにして明白な意思表示だった。


「うわぁ……こっちも直球だね! 直球と直球のぶつかりあい……! 魂のデッドヒートだね……!」


「その例えはだいぶ違いません?」


 告白をした男子生徒は、無念そうに表情を曇らせた。


「理由を聞いてもいいかい? 他に好きな人がいる、とか?」


 ルシアは首を横に振った。


「ううん、そうじゃないの」


「それならどうして?」


「私はまだ、どうしても……誰かとお付き合いするとか、考えられなくて……」


 これは本心で言っているな、とメーベルは思った。ごまかしで言っているんじゃない。適当にかわすこともできただろうに、ルシアは律儀に本心を伝えたのだ。それを男子生徒がどう受け止めるかまではわからないが。


「そうか、そうか」


 男子生徒は、二度三度と小さく頷いた。納得したのだろうか。


 それから少しして、彼はこう続けた。


「じゃあ、結婚してください!」


「「「!?」」」


 メーベルは一瞬、なにが起こったのかわからなかった。いや、一瞬を過ぎても全然わからない。なんだ、結婚してくださいって。


 見れば、ルシアもしづくも完全に固まっている。自分の部屋の引き出しを開けてみたら、引き出しいっぱいに石焼ビビンバが詰め込まれていた、みたいな顔をしている。要は意味不明。


 とにかく、状況を理解している人物が誰もいない――目の前の男子生徒を除いては。


「ここに、婚姻届と印鑑があります!」


 男子生徒はポケットから綺麗に折りたたまれた婚姻届と印鑑を取り出し、ルシアの前に突き出す。


「さぁ、結婚しましょう!」


「ま……待って!」


 ルシアがかろうじて声をあげた。


「え、ええと……あの……ちょっと、結婚って、そんな……。そもそも私たちの年齢じゃ結婚なんて――」


絶対可能できるッ!」


「!?」


「本当の愛があれば、法律しょうがいなんて、いくらでも乗り越えられるんです!」


「ほんとうの……あい……?」


「そうです! 私はルシアさんを愛しています! 結婚しましょう! ファイヤーッ!」


「そ、そこまで言うなら……?」


 尋常じゃない勢いに押されて判断力が狂ったのだろうか、なんと、ルシアがなびきかけた。

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