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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第一章 ボツキャラクターの日常
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お尻ザウルス

「あーっひゃっひゃっひゃっひゃっ!」


 入浴を済ませた春心が脱衣所を出たちょうどそのとき、リビングの方から品のない笑い声が聞こえてきた。朱音の声だった。


「なにがそんなにおかしいんだろう?」


 春心がリビングに向かうと、朱音はだらしなくソファに寝そべった状態でテレビを見ていた。Tシャツにパンツ一丁の姿で。


「はいアウトーッ!」


 春心は近くに脱ぎ捨ててあった朱音のものらしきハーフパンツを拾い上げ、彼女の腰回りに覆いかぶさるように思いっきりぶん投げた。


 朱音が怪訝そうな顔をする。


「なんだよ春心、でかい声出して」


「いやなんで下穿いてないの!? だめでしょ!」


「なんでだよ。家でくらい、だらしなくしてたっていいだろ」


「“だらしない”のと“はしたない”のは全然違うの! いい、朱音ちゃん? 普段うちでやってることがいざというときに出ちゃうんだから! あんまり下着姿でうろうろしないの! そういうの、よくないよ!」


「お前は私の母ちゃんかよ……」


 朱音は春心の説教にげんなりしたようにうなだれると、唐突に言った。


「なぁ春心。もしもお前が太陽だとするだろ?」


「たいよ……えっ?」


 全く意味がわからなかった。脈絡がなさすぎて。


 しかし戸惑う春心には構わず、朱音は繰り返し言う。


「だから、お前が太陽だとするだろ?」


「いや、なんで?」


「いいから。お前、太陽な」


「はぁ……」


 太陽ということにさせられた。


「で、太陽の立場から考えて、だ。私が下着姿でテレビを見てることについてどう思う?」


「どうって……」


「なんとも思わねえだろ? ちっぽけな人間ごときがなぁ、ズボンを穿いていようがなかろうが、宇宙規模で見ればおんなじなんだよ。お前は微生物の身なりを気にするか? しねえだろ? そもそも、人間が服を着てることすら太陽は気づいてねえんじゃねえか? うっすい布を数枚まとっただけで大事な部分を隠せてると思ってるなんて、人類ってのはなんつーか、お笑い草だよな。お前、太陽の直径がどれくらい長いか知ってるか? 百三十九万キロメートルだぜ? それと比べたらパンツもハーフパンツも一緒だっつーの(笑)。いいか春心、よく聞け。物事は宇宙規模で考えろ。それがでっかく生きるコツだぜ」


「めっちゃ語るじゃん……」


 思っていた六倍くらいの尺で反論された。


 春心はため息をついて、朱音に言い聞かせるように語りかける。


「あのね、私たちが生きてるのは人間社会なの。人間のスケールで生きてるの。宇宙の話を持ち込んだってしょうがないでしょ」


「はい論破ァ!」


「いやそれ、論破される側が言う言葉じゃないし……」


 結局、朱音は屁理屈をこねるだけこねてハーフパンツを穿こうとしない。


 どうしたものかと春心が呆れていると、テレビのスピーカーからお堅そうなナレーションが流れているのに気づいた。画面を見れば、CGを駆使した宇宙のイメージ映像に、小難しそうなテロップが表示されている。どうやら、宇宙の歴史に関する教育番組らしい。


「朱音ちゃん、こんな番組見てたんだ。……あ、わかった。いま太陽がどうとか言ってたのって、この番組のせいでしょ。まったく、すぐ影響されちゃうんだから」


 急に太陽の話をしだしてどうしたのかと思ったが、なんのことはない、いま朱音が見ているテレビ番組が宇宙の歴史について語っていたから、というだけの理由だ。


 朱音は「バレたか」とはにかんだ。


「ん? でもおかしくない?」


 と、そこで春心は違和感を覚えた。


「さっき朱音ちゃん、すごい笑いかたしてなかった? 『あひゃひゃひゃ』って。でも、この番組、笑うところなんてあるの……?」


 そもそも春心が風呂上りにリビングを訪れたのは、朱音の妙な笑い声を耳にしたからだ。


 それなのに、目の前で流れている教育番組は真面目そのもので、爆笑するような要素は見当たらない。


 春心が不思議に思っていると、朱音はなにかに恐れをなしたかのような怯えた表情になり、乾いた笑いを漏らした。


「ハハ……そりゃお前……宇宙なんて圧倒的な存在を前にしたら……もう……笑うしかないだろ……」


「そういう笑いだったの!?」


 脱衣所の前まで聞こえてきたあの大きな笑い声は、壮大過ぎる宇宙の圧倒的なスケール感に恐怖したゆえの笑いだったらしい。


「春心。人って、本当に怖くなると笑っちまうんだな」


「私は朱音ちゃんの感性が怖くなってきたよ」


 ちなみに、春心は朱音の着ているTシャツに「お尻ザウルス」と達筆で書かれていることに最初から気づいているのだが、それこそ本当に意味がわからなくて怖いので、意図的に触れないようにしている。



「相変わらず君らは仲いいね。なに話してるの?」



 ここで、リビングに誰かがやってきた。


 それはルシアでも、メーベルでも、しづくでもなく。


 大人の女性だった。


 眼鏡をかけていて、伸ばした黒髪を無造作に束ねている。一見きつめのクールな顔立ちなのに、浮かべる表情はどことなく角が取れているのが特徴的だ。


 彼女の名前は高崎たかさき 環南かんな。三十一歳。


 高崎はボツキャラクターではなく、地球で生まれ、地球で育った、いわゆる“普通の人”だ。


 そして現在、身寄りのない春心たちの面倒を見ている、保護者代わりの存在でもある。


 高崎がやってきたことに気づいた春心は、さっそく彼女に助けを求めた。


「高崎さん! 聞いてよー、朱音ちゃんが全然ズボン穿かないの!」


 朱音が不満げな声をあげる。


「えー、いいじゃねえか」


 高崎は、春心と朱音の顔を交互に見ると、ほとんど悩む様子もなく判決を下した。


「それは……春心ちゃんの言い分が正しいね。朱音ちゃん、下くらいはちゃんと穿いときなさい。どうしても脱ぎたいなら自分の部屋でね。わかった?」


「はーい」


 朱音は素直に返事をすると、あっさりとハーフパンツを穿いてしまった。


 そこへ春心は非難がましい視線を送る。


「うわー、高崎さんが言ったら一発じゃん。私があんなに言ったのはなんだったの?」


「それとこれとは別だろ。しょうもないこと言って高崎さんを困らせるわけにはいかねーかんな」


「そうなんだけどさぁ。だったら私のことも困らせないでよ」


「面倒くせえ女だなぁ。じゃあわかったよ、今度、お前をうどん屋に連れてってやる。んで、お前が頼んだうどんを、代わりに私が食ってやる。これでいいだろ?」


「まあ、それなら――」


 それならいいよ、と反射的に答えそうになったところで、春心は朱音に言われた言葉の意味を一度よく考えてみる。


 ――今度、お前をうどん屋に連れてってやる。んで、お前が頼んだうどんを、代わりに私が食ってやる。これでいいだろ?


「……いや、やっぱ全然よくないよ! なにそれ! 私がうどんをおごってるだけじゃん! なにがいいの!? あっぶな! ややこしいこと言わないでよ!」


「エアトランペットやりま~す。パーパラッパッパッパッパ~」


「なんだこの人!」


 そんな二人の会話を聞いていた高崎が、ぷっと吹き出した。


「ねえ、ほんっと、二人はなんでそんなに仲いいの?」


「そうか?」


「えー、そう?」


「そうだって。もうね、このまま大人になってほしいもんだよ、まったく」


 笑いながら、高崎は春心と朱音の頭を荒々しく撫で始めた。二人とも抵抗はしない。「わー」とか「ぎゃー」とか叫びながら、一緒にふざけあう。


 そのくだりが終わると、高崎は言った。


「ところでさ、夏休みになったら、みんなで旅行にいかない?」


「まじか! めっちゃ行きてー!」


「私も! でも、どうしてまた急に?」


 どうしても気になるというわけではなく、春心はただなんとなくで理由を聞いてみただけなのだが、意外にも高崎からはしっかりとした答えが返ってきた。


「みんながこの世界に来てから、もうそろそろ二年でしょ? その記念に、っていうのかな。無事にここまで過ごせたお祝いに、どこかに泊まって、美味しいものでも食べてこられたらいいなって思ったんだけど、どう?」


「さんせー! 私はいいと思う!」


「私もいいと思うぜ。一年目のときはゆっくり祝ってる感じじゃなかったもんなぁ」


 言われてみれば、いままで旅行らしい旅行をしたことがなかったことに春心は気づいた。朱音が言う通り、こっちに来て一年目はバタバタしていて色々と余裕がなかったし。


 もちろん、ちょっとしたお出かけくらいなら何度もあるのだけれど、がっつりどこかに宿泊して、というのはまだない。


「でも、そっかぁ、あれから二年なんだね……」


 複雑な感じがした。


 春心にはこの二年が長かったのか、短かったのか、全くわからない。


「正確には来月で二年だけどな」


 と、朱音が付け加えた。


「たしか、七月の七日だったよね」


「そうそう、七夕とおんなじだ」


 二年前の“あの日”。


 春心、朱音、しづく、メーベル、ルシアの五人がこの世界にやってきて、そして高崎と出会ったあの日。


 日本列島に大型の台風が直撃し、天候が荒れに荒れていたことを、春心はいまもはっきりと覚えている。


「ほんと、あのときはびっくりしたよ。君ら五人、まとめて空から降ってくるんだから。なんじゃそらってね、いまでも思うよ」


 言いながら、高崎は快活に――でもちょっとだけ感慨深そうに――笑って、


「ま、とにかく! 今度話し合いの場を設けるから、行きたいところを考えといてね」


「はーい!」


「すーん」


「それじゃ私、ほかのみんなとも相談してくるから」


 そう言い残して、高崎はリビングを出ていった。


 階段を上っていく足音が聞こえてくる。ルシアたちのいる二階に向かったのだろう。


「びっくりしたのは、こっちも同じなんだよな」


 ぽつりと、朱音が苦笑しながら言った。


「まさかな、こんなふうに普通に暮らして、普通に学生やれるなんて、あのときは思ってなかったよ。私は」


「……私も」


「あれはな、まじで死ぬしかないと思ったもんな」


「うん。私たち、すごく運がいいんだよ。きっと」


 そう言うと、朱音は黙って頷いた。


「ねえ、朱音ちゃん。旅行、どこに行きたい?」


 そうだな――と、朱音は思案顔になり、


「モロッコがいいな。あのわちゃわちゃした街を歩いて、道に迷ってみてえんだよ。あと砂漠でラクダに乗るのもいいな。でもさすがに海外には行けねえだろうからなぁ……。まあ、モロッコがだめなら、寺だな。寺。寺に行ってみてえ」


 それを聞いて、春心はふっと笑みをこぼした。


 そして二年前からずっとそうしてきているように、朱音のボケにツッコミを入れる。


「なにそれ、第二候補が雑すぎるよ。寺って」


「え~、そうかぁ?」


 とぼけた表情をしながらも、朱音はどこか嬉しそうだった。

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