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“協会幹部” 2/?

 校長が発した「こんにちは」という、不可解な五文字。玉ノ緒が、戸惑い気味に尋ねた。


「それは、どういう意味だ……?」


「間違えちゃった……へへ……」


 校長が頭をかきながら、悪戯っぽく舌をペロリと出す。成人男性の『てへぺろ』を、メーベルは初めて見た気がした。


 校長はシリアスな空気を取り戻そうとしたのか、一度咳払いをしてから、表情を引き締めた。まるで咳払いさえすれば、すべての空気をリセットできると固く信じているかのように。しかし実際のところ、咳払いにそんな便利な機能はない。


「玉ノ緒よ、私は本来、こう返事をしたかったのだ。『私は最初からそのつもりだ。あの教団は、私が止めねばならないのだ』……とな」


 校長は真顔でそう言うが、メーベルも玉ノ緒も、困惑した空気をまだ引きずったままだ。勝手に変な言い間違いをしておいて、勝手にシリアスな空気に戻られても困る。


「数か月前、私は教団の者たちに襲われた。繰田朱音くんの手助けもあり、返り討ちにしたのだが……そのとき私は、個人的な感傷で天児を見逃したのだ。あのとき天児を逃がさなければ、こんな事態にはなっていなかったのかもしれない。それに、最近の檸文高校での出来事――生徒たちのあいだで、土竜モグラさまに関する噂が広がっていることに、私がもう少し早く気づけていれば、やはりこんな事態にはなっていなかったのかもしれない。悔やむことばかりだ。こうなった以上、私は自らの手で責任を取るつもりだ。それに、あの教団には、個人的に思うところがある」


 校長の決意のほどがうかがえる。しかし一分前にやっていた『てへぺろ』との落差がありすぎて、メーベルはなんだか平衡感覚を失ったような、そんな気分になった。


「校長先生。潜入するって、本気なんですか? かなり危険だと思うんですけど……」


「心配してくれるのかね? ありがとう。だが私はこう見えても、挨拶拳という拳法を使えてね、そこそこ強いのだよ。自分の身は自分で守れる」


「挨拶拳……? ああ、そう言えば朱音がなんか言ってましたね。挨拶をしながら人を殴るとかなんとか」


「その言いかただと安っぽくなるからやめてくれないかね? いや、おおむねそれが実態だが」


 校長は苦笑しつつ、話を続けた。


「まあ、私がやるのはあくまでも潜入だ。なにも正面から喧嘩を売りに行くわけではないのだよ。よっぽど目立つようなミスをしない限りは手荒なことにはなるまい。心配には及ばん」


 玉ノ緒が、メーベルと校長の会話に入ってくる。


「堂島さん。あなたが今回の潜入任務に立候補してきたことは、すでにテーコクを通して聞いている。私が今日ここに来たのは、あなたの意志が揺るがないものであるのかどうか、テーコクに代わって最終確認をするためだ。教団への潜入には危険が伴う。あなたの身に万が一のことが起こった場合、協会の救出が間に合うとは限らない。それでもやるのか?」


 玉ノ緒に問われ、校長は真剣な顔つきを保ったまま、ゆっくりと頷く。


 メーベルは、これでいいのだろうかと、大人たちのやり取りに違和感を覚えた。いち高校の校長先生が、危険な宗教団体に潜入する――そんな方向で話がまとまりかけているのが、とても奇妙なことに思えたのだ。


「玉ノ緒さん。私が口を出すのもどうかと思いますが……私からすれば、校長先生は校長先生です。ただの学校の先生に潜入をさせるなんて、いいんですか? もっとプロの人に頼むべきと言いますか……もっと適任の人がいるんじゃないですか?」


 玉ノ緒が、苦いものを口に含んだような顔をした。


「わかってる。私たち協会だって、これは不本意なんだ。だが、協会っていう組織っていうのは、基本的に人手不足なんだよ」


「人手不足……ですか」


「協会は、関東本部と関西支部を合わせても、せいぜい百人程度しかいない。そこに堂島さんのような外部の“協力者”を足したって、大した数にはならないよ。しかもその中で、戦闘や諜報活動ができる人材となったらかなり限られてくる。メーベルよ、きみが思っているほど、協会というのは強大な組織ではないんだ。私みたいな若造が幹部の席に座っているのも、単に人がいないからだよ。にんにん」


 しかも、いまは状況がよくない――と、玉ノ緒は続ける。


「【意味されるもの(シニフィエ)】という組織が、いま日本での活動を活発化させている。危険度で言えば、赤雲の土竜の会よりも、【意味されるもの(シニフィエ)】のほうが遥かに上だ。私たち協会は、主にそちらを警戒しなければならない。教団のほうに割ける人員はほとんどいないんだよ」


「…………」


 人がいないと言われたら、シンプルな理由だけに納得せざるをえない。


 そしてそれと同時に、メーベルは不安を感じた。このまま協会を頼りにしていて、本当に楓は助かるのだろうか――と。


 楓が失踪してから、もう四日が経とうとしている。もしもなんらかの理由で教団に捕まってしまっているのなら、一分一秒でも早く助けに行きたい。


 災害時、日本ではよく『72時間の壁』という表現が使用される。災害が発生してから72時間が経過すると、被災者の生存率が著しく低下してしまうという、人命救助における考えかたのひとつだ。


 災害と宗教団体とではまったく話は違うのだろうが、謎の教団に連れ去られた人間が、そう何日も正気で耐えられるとは思えない。いや、耐えるどころか、楓はもう――最悪な想像をしそうになっている自分を、メーベルは必死に抑える。


 一刻を争う事態だ。だからこそ大急ぎで協会までやってきたというのに、協会は人手不足で、専門家ではない校長が調査を担当するという現状。


 これで本当に、楓を助けることができるのだろうか。


 そんなに人がいないと言うのなら、自分にもなにかできることはないか――そう考えた途端、メーベルは閃いた。


 いま、協会は人手不足。


 そして、赤雲の土竜の会には、特殊能力を持っている者は潜入できない。


(じゃあ、私も、行けるんじゃないですか……?)


“この世界”に一緒にやってきた五人の中で、メーベルだけが特殊な能力を持っていない。春心と朱音はギャグの力を有し、ルシアは魔法を扱え、しづくは機械の身体を持っている。


 メーベルだけが、普通なのだ。


 それをコンプレックスに思ったこともある。数日前もそうだった。朱音が天児や東岡バズーカ左衛門に襲われた際、メーベルは朱音の危機を察知していながら、自身はなにもできず、結局ルシアに頼るしかなかった。


 自分に力がないばかりに、肝心なときに役に立てない。


 だが、それゆえに、赤雲の土竜の会に潜入する資格がある。


【能力を持たない】という欠点が、まさかこんなところで活きてくるなんて。


「玉ノ緒さん。私も潜入に協力させてもらえませんか? 私みたいな子供のほうが、相手も油断すると思うんですけど」


 潜入調査なら、腕っぷしの強さはほとんど関係ない。それなら自分に向いているのではないかとメーベルは考えたのだった。


 しかし玉ノ緒と校長は、揃って難色を示した。


 まるで回答を事前に用意していたかのように、一秒も検討するような素振りも見せず、玉ノ緒は言い放った。


「駄目だ。子供を、そんな危険な場所に行かせるわけにはいかないだろう」



 ※



 あとは大人たちに任せてほしいと、玉ノ緒と校長から言われた。


 二人の言い分はよくわかる。メーベルも彼らと同じ立場だったとしたら、子供に潜入任務など絶対にさせないだろう。


 子供は守られる側だ。その代わり、いつかメーベルが大人になったときは、守られた分だけ、社会のために働くことになるのだろう。


 だけど、その“いつか”がいまじゃないことが、とても歯がゆかった。


 協会関東本部の集落の近くにある日本庭園。そこに設置されている四阿あずまやで休憩しながら、メーベルはぼんやりと考えを巡らせていた。


 なにもできず、ただ待つだけの時間はつらい。嫌な想像ばかりしてしまう。


 楓の失踪に土竜さまが関係しているのではないかとメーベルは推測したが、実はそんなものはまったく関係していない可能性がある。


 今日会った、楓の母親。彼女が実際に娘を手にかけていて、すでに楓がこの世にいないという可能性だ。


 楓はスマホや財布も持たずに姿を消している。そして母親は、家出だと言い張って、警察に相談していなかった。母親を疑うには充分すぎるシチュエーションだ。


 しかしメーベルは、なるべくその可能性を考えないようにしてきた。もしもそれが真実だとしたら、あまりにもむごすぎるからだ。


 先輩がもう死んでいるかもしれないなんて、考えたくもない。


 だったら、楓は超常的な力を持つ謎の教団に囚われているのだと信じているほうが救いがある。それならば、まだ助けることができるのだから。


 だが、時間をかければ結局は同じことだ。


 赤雲の土竜の会に連れ去られたとして、何日も無事でいられるとは思えない。確実にタイムリミットは存在する。


 だというのに、メーベルは待つことしかできない。それがもどかしく、悔しかった。


「どうしたんだい。そんな悲しそうな顔をして」


 ふいに、誰かに話しかけられた。


 メーベルは声がしたほうを振り向く。そこには、杖をついた人物が立っていた。


 七十代半ばくらいの、丸眼鏡をかけた、坊主を連想させる禿頭とくとうの男性。上質そうなスーツを身にまとい、年齢を感じさせないほど、背筋がまっすぐ伸びている。浮かべている表情は優しげだ。


 その特徴だけを切り取れば、柔和な老紳士という印象を受けるかもしれない。しかし彼は、柔らかさだけでなく、鋭さも持ち合わせていた。


 顔に残った大きな傷跡。老人にしてはがっちりとした肩幅。周囲にわずかににじむ張り詰めた空気。それらが、かつて戦場に身を置いていたであろう者の風格を感じさせる。


 協会幹部の一人。嶺ヶ原(みねがはら) 康晴やすはる


 戦記物に登場する、軍人キャラの記号ツリーツェ……という噂を、メーベルは聞いたことがある。


 協会の幹部は比較的フレンドリーな人物も多いが、この嶺ヶ原は、見るからに重鎮の中の重鎮という雰囲気であり、子供のメーベルからすれば近寄りがたい人物だった。実際、彼と会話らしい会話をしたことは一度もない。


 だからこうして気軽な感じで声をかけられたことがメーベルには予想外だったし、驚いた。思わず立ち上がろうとしかけたが、


「気を遣わなくていい。隣、失礼するよ」


 嶺ヶ原は優しげな口調でそう言うと、メーベルの隣に腰を下ろした。


「ずいぶんと悲壮感を漂わせていたね。なにかあったのかい?」


 どんなに柔らかい物腰で尋ねられても、相手は典型的な『偉い人』だ。どうしたって緊張してしまう。


 それなのに、なぜか――そう、“なぜか”。メーベルは屋敷であったことをすべて話してしまった。警戒心や緊張感といったものが、まるで自分の中から消失してしまったかのようだった。


 嶺ヶ原はそれを黙って最後まで聞き届けた。それから、ぽつりと呟く。


わしは、教団に潜入するのなら、きみのほうが向いていると思うがの」


 理解が追いつくより先に、メーベルの口から「え?」という声が漏れた。いま、なんと言われたのだろう。なにかの聞き間違いだろうか。


 すると、嶺ヶ原は呟きではなく、今度ははっきりとした口調でこう言うのだった。


「子供だからと言って特別扱いはせん。仮にその決意が本物なのだとしたら、儂は、きみの手助けをしよう」


 穏やかさと優しさの奥に、隠しきれない凄みが宿る目で、嶺ヶ原はメーベルを見た。そして彼は、ふっと笑う。


「まあ、ここでする話ではないの。ついてきなさい」


 嶺ヶ原が立ち上がり、歩き出す。話がまだ完全には見えないが、メーベルは彼のあとを追いかけることにした。もしかしたら、楓の救助活動に関わらせてもらえるのかもしれない。


 嶺ヶ原の足運びは、杖をついているため、けしてスムーズとは言えない。しかし弱々しさとは無縁だった。仮に真後ろから暴漢に殴りかかられても返り討ちにしてしまうのだろうと、なぜか根拠もなく確信できてしまうような、静かな迫力があった。


 彼のあとをついて、木々の隙間にできた小径こみちを歩くこと数分。メーベルは、森の中に佇む、厳かな雰囲気の洋館の前に立っていた。

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