同居人は魔法使い 2/2
空の上に突如現れた不気味な木造船。
ルシアははじめ、警戒するように視線を走らせたが、それも一瞬のことで、すぐに表情を緩ませた。
春心を安心させるように、彼女は言う。
「大丈夫よ。あれ、知り合いの船だから」
「知り合い?」
「そう、私たちの“先輩”にあたる人」
言って、ルシアは船に向かって大きく手を振った。
彼女の視線の先を辿ると、船の先端も先端、船首から伸びるバウスプリットの上に、ちょこんと人間が座っているのに気づいた。その人物もまた、こちらに向かって手を振っていた。
「行ってみよう」
ルシアは箒を動かし、船へと向かって飛んだ。
「こんばんは、要麻さん」
「やあ。子供がこんな時間に出歩いているなんて、健全だねえ」
ルシアの挨拶に答えたのは、痩せぎすの男だった。年齢は三十過ぎくらいだろうか。
よれよれの甚平を着ていて、丸眼鏡に無精髭という出で立ち。少し前の時代の、不健康で貧乏な作家、もしくは学者のような雰囲気だ。
彼は柵や手すりもない船の先端部分で、なんてことなさそうに胡坐をかいていた。
「立ち話もなんだ、ちょっと甲板に上がっていきなさい」
ルシアは頷くと、船の甲板まで移動し、そのまま箒を着陸させた。
春心は自室からそのまま出てきたため、靴下すら履いていない。足を怪我するのが怖いので、慎重に箒から降りてみるが、船のボロボロの外観に反し、甲板の床の手入れは行き届いているようで、ささくれ一つ見当たらなかった。
大型の船にもかかわらず、船内に人の気配はない。頭上から注がれる月明りと、ところどころに配置されたランプの光が怪しげに船内を照らしている。
「それでは改めて、私の船へようこそ」
船首から先ほどの痩せた男が降りてきて、親しげにルシアに話しかけた。
「こんなところで会うなんて奇遇だね」
「散歩をしていたんです」
「そうかい。ところで、その後ろの子はお友達かい? 魔法使いではないようだが……」
男の視線が春心へと向けられる。
出先で人と会うと思っていなかった春心は、思いっきり寝間着のままここまで来てしまっていた。知らない男性にパジャマ姿を見られるのはなんだか恥ずかしい。
「この子は春心ちゃん。私と一緒にこの世界に来た女の子です」
「ああ、なるほど……。その子が」
男はなにかに納得したように頷くと、春心に向けて自己紹介を始めた。
「どうも、私は要麻 布施伍だ。魔法使いをやっている」
「あっ、えっと、舞込春心です! よろしくお願いします!」
大人と知り合いになることがあまりないので、つい肩に力が入ってしまう。
「初対面みたいになってるけど、二人ともたぶん、どこかですれ違ってると思いますよ。去年のフリーマーケットとか」
と、ルシア。
そう言われてみれば、春心はどこかで要麻の顔を見たことがあるような気がした。ほとんどいまが初対面であることに違いはないが。
「要麻さんと奥さんの千暁さんには、魔法使いの先輩として、たびたびお世話になってるの」
「そうだったんだ」
春心は、ルシアがお世話になっていることよりも、要麻が結婚しているらしいことに意識を持っていかれた。彼が結婚していることが意外だったからだ(失礼な話だ)。
言い訳ではないけれど、この怪しげな船に乗っている要麻という謎の魔法使いに、家庭があるというイメージがなかなか湧かないのだ(本当に失礼な話だ)。
ちなみに妻の『千暁さん』は、もう就寝しているとのこと。夜に弱いらしい。
「要麻さんは、これからどちらへ?」
と、ルシアが船の行き先を尋ねる。
「ブタペストだよ。それで帰りにはカトマンズ。帰国するのは一月半後かな」
「……遠いですね」
「そうでもない。この船は速いからね、移動に時間はかからない」
話についていけてない様子の春心に気を遣ってか、ルシアはこっそり、ブタペストがハンガリーの首都で、カトマンズがネパールの首都だということを教えてくれた。
それでも春心にはハンガリーとネパールが具体的に世界地図のどの辺にあるのかがわからなかったけれども。
「観光ですか」
「いや、商売だよ。最近、日本で作られた魔道具が海外の好事家のあいだでちょっとした人気でね。魔力に独特の湿度があると評判なんだ」
やはり話についていけてない春心に、ルシアが補足をしてくれる。
「要麻さん夫妻はね、魔道具を取り扱ってる雑貨屋さんなの」
「へぇ……」
自分の知らない世界を覗いているみたい、と春心は思った。
ちなみに魔道具とは魔力のこもった特殊な道具のことで、ルシアの所持する空飛ぶ箒も広義の魔道具に入る。
「そうだ、せっかくだから君たちにお土産を買ってきてあげよう」
要麻は思いついたようにそう言ったものの、その直後になぜか困り顔になって、
「いや、でも、一か月半もしたら買い忘れてしまうかもしれないなぁ……。そうだ、お土産はいまあげよう。そうしよう。少し待っていなさい」
結局一人で納得してしまったようで、要麻は足早に船室へと消えていった。
旅の前にお土産を渡されたら、それはお土産ではないのでは……? と思わないでもなかったが、春心はなんとかツッコミを自制した。
ギャグのキャラクターである春心は、ツッコミを我慢するのに実は結構な忍耐がいる。
「待たせたね。君たちにはこれをあげよう」
戻ってきた要麻が差し出してきたのは、どこか異国の空気を感じさせる織物だった。
お礼を言って、春心とルシアはそれを一つずつ受け取る。手触りが優しく、とても軽い。
「それはアレクサンドリアで仕入れた、熱を奪うストールだ」
ルシアが目を丸くした。
「いいんですか? これ、安くはないんじゃ……」
「高いものでもないよ。それにそれは売れ残りさ。在庫処分だよ」
春心たちに気を遣ってそう言ったのか、本当に売れ残りを押しつけただけなのか、不思議とどちらとも取れるような口調だった。
ところで、アレクサンドリアはエジプト第二の都市らしい。エジプトなら春心にもわかる。
スフィンクスの国でしょ?
「あの、熱を奪うストールってどういう意味ですか?」
好奇心に駆られて春心が質問をすれば、要麻は「実際に羽織ってみるといい」と言う。
早速、春心は自身の肩にストールをかけてみる。
すると、“効果”はすぐに現れた。
「えっ! なんで!? 涼しい!」
布を一枚羽織ったはずなのに、なぜかむしろ身体全体がひんやりとしてきたのだ。
かと言って冷風に当てられているような、嫌な涼しさではない。秋の晴れ間のような自然な爽やかさがある。
「それを身に着けているあいだ、周囲の温度がわずかに下がる。もちろん、人体に害が出るほどの威力は出ないけどね。とは言えこれからの季節、気休めくらいにはなるだろう」
「うわ~、ありがとうございます!」
冷房にあまり強くない春心にとってはありがたい貰い物だった。
魔道具と言うからにはあまり人前で堂々とは使えないのだろうが、こっそり使う分には問題ないだろう。
そしてなにより、ストールを身に着けると涼しくなるという現象の意味がわからなすぎてテンションがあがる。
「え~、不思議! なんで!?」
春心は肩にストールを乗せては外し、乗せては外し――その度に体感温度が変わる不思議な感覚を無邪気に楽しむ。
「本当にありがとうございます。大事に使わせていただきます」
春心に続いて、ルシアが丁寧にお礼を述べた。
「いや、喜んでもらえてよかったよ。――ところで、もうこんな時間か」
時計ではなく星空をちらりと見て、要麻が呟いた。
「私から呼び止めておいてなんだが、君たちはそろそろ帰りなさい。夜遊びは健全であるが、しかし家の人が心配するだろう」
言われてみれば、少し遠出をしすぎたかもしれない。本来はちょっとした気分転換のつもりだったのに。
それに要麻の予定もあるだろう、ここに長居をしては迷惑をかけてしまう。
「じゃあ帰ろうか、春心ちゃん」
「そうだね」
ルシアと春心は、ここまで乗ってきた箒に再びまたがった。
ルシアは箒をわずかに浮かせて、船のふちへと移動させる。あとは夜空に向かって飛び立つだけだ。
「あの、要麻さん」
出発する前に、春心は一つ質問をした。
「要麻さんのお店って、魔法が使える人じゃないと行っちゃいけないんですか?」
「いいや、そんなことはない」
「じゃあ今度、ルシアちゃんに連れていってもらいますね!」
先ほど貰ったストールには感動した。そしてそんな不思議な道具を取り扱っているという要麻の雑貨屋に、一度行ってみたくなったのだ。
要麻は微笑んで言った。
「そうか、そのときは夫婦で歓迎させてもらうよ」
最後に、ルシアが別れの挨拶をする。
「それでは要麻さん、道中お気をつけて。千暁さんによろしくお伝えください」
「うん、君たちも気をつけてね」
「はい。またお会いしましょう」
そうして要麻に見送られながら、ルシアは箒を発進させた。二人を乗せた箒は船の外へ、夜空のど真ん中へと、勢いよく飛び出していく。
風の流れと夜の暗がりに包まれながら、春心がふと後ろを振り返れば、巨大な木造船は既に跡形もなく消え失せていた。
要麻と別れてから、春心とルシアはまっすぐに自宅へと帰った。
行きは部屋の窓から直接出てきたが、なにもあんな狭いところから出入りをする必要はなかったんじゃないか、ということで、二人は普通に玄関前に降り立った。
住宅街の中に立つ、少し大きめの二階建ての家。
近年建てられたばかりのその家は、春心の帰るべき場所であり、ルシアの帰るべき場所でもある。
玄関の扉を開けて、家の中へと入る。
足裏に目立った汚れは見当たらなかったけれど、裸足のまま出かけていたので、玄関先の足ふきマットで埃を落とす。
とんとんとマットの上で足踏みをしていると、リビングの方から笑い声が聞こえてきた。まだ誰か起きているのだろうか。
「春心ちゃん、私、箒を片付けてくるね」
箒を持ったルシアが二階の自室へと戻っていく。
春心は自室に戻らず、リビングに向かった。
「なんだよその展開! 予想できねえよ!」
リビングの扉を開けると、ジャージ姿の朱音がソファにもたれかかり、テレビ画面を見て爆笑していた。
そしてその隣にはパジャマ姿のしづくがいて、やはりテレビ画面を見ながら笑みを浮かべている。
「これは一流のクソ映画だね……」
さらに同じ部屋には少し大きめのスウェットを着たメーベルが座っていて、半分呆れ、半分関心したようにテレビ画面を覗いていた。
「この監督は逆に天才ですよ」
朱音に、しづくに、メーベル。三人揃って、なにかの映画を見ているらしかった。
「三人とも、なに見てるの?」
春心がリビングにやってきたのに最初に気づいたのは朱音だった。
「おう春心! 勉強は終わったのか?」
「まあ、そうだね」
「じゃあ一緒に見ようぜ!」
その脇から、しづくが言う。
「いまね……クソ映画鑑賞会やってたの……」
「えぇ~、だったら誘ってよ~」
「だってよ、お前とルシアは部屋で勉強してるっぽかったからよ、誘わねえほうがいいんじゃねえかって」
「なんだ、気を遣ってくれたんだ」
さりげない優しさがちょっと嬉しい。春心はソファの空いているところに腰を下ろした。
テレビ画面にはタンクトップに迷彩柄のズボンを穿いた筋骨隆々の男が映っている。緊迫したシーンなのか、男は決意に満ちた表情でこう叫んでいた。
『何人だろうと構わねえ! 絶対に殴りに行ってやる……時を何度越えてでもな!』
アクション映画だろうか。
「ねえ朱音ちゃん、これ、なんて映画?」
「ケツアゴ・ファイブスターズ」
「ケツアゴファイブスターズ!?」
すごいタイトルなんだけど。クソ映画鑑賞会とは聞いていたものの……。
「どんな話なの?」
「ケツアゴの呼び名をめぐる物語だな」
「まるで想像がつかない」
「“ケツアゴ”って言いかたがあるだろ? でもあれって、本当は“割れアゴ”でいいじゃねえか。それなのに、どこかの誰かがケツアゴなんて言い出したせいで、バカにしたようなニュアンスが定着しちまって、それで割れてるアゴをコンプレックスに思うやつが増えちまったんだ。つーわけでな、主人公のケインはタイムマシンに乗って最初にケツアゴって言い出したやつをぶん殴りにいくんだよ。『お前が安易にケツアゴなんて言ったせいで!』ってな。まあつまりこれは、時を越えて拳を振るう男のSFアクションだな!」
「すさまじいんだけど」
それ以上の感想が出ない春心だった。
映画は一人では作れない。
言い換えれば、ケツアゴ・ファイブスターズを作るためにたくさんの大人が集結したということだ。
その事実を救いと呼ぶべきなのか、悪夢と呼ぶべきなのか、春心にはわからない。
ところで、その映画を手放しで賞賛する者がいた。
「素敵なお話じゃない! 私も見ていい?」
ルシアだった。
箒を片付けた彼女が、リビングに下りてきたのだ。
「コンプレックスに悩む人たちを救うために戦うなんて……そのケインって主人公、本当に優しいのね」
皮肉で言っているようにはとても見えない。彼女の表情からは、ケインへの本心からのリスペクトが滲み出ている。
朱音が「お前、わかってんなぁ~」とにやけながら、ルシアに向けて謎のハンドサインを出した。
「あ、でも途中から見てもわからないかな?」
ルシアが不安そうに呟くと、メーベルとしづくが立て続けに反応した。
「大丈夫ですよ。こんなもん、最初から見てもわかんないんですから」
「ねえメーベル……どっちにしろわからないなら……もういっそまた最初から見てもいいんじゃない……? せっかくみんな揃ったんだし……」
「そうですね、私はそれでも構いませんけど――」
メーベルがちらりと朱音の顔を窺うと、朱音は楽しげに頷いた。
「よっしゃ、じゃあ全員で最初っから見ようぜ!」
こうしてこの日の夜は、五人で映画を見ることになった。
ちょっと夜更かしにはなってしまうけれど、たまにはいいかなと春心は思う。
この五人で過ごす時間は、ほかのなににも代えがたい、大切な時間なのだから。
舞込 春心――ギャグ出身(ツッコミ)。
繰田 朱音――ギャグ出身(ボケ)。
海羽 しづく――SF出身。
メーベル・ベルナール・レオンハルト――ミステリー出身。
ルシア・リフレイン――ファンタジー出身。
この五人に血の繋がりはない。ジャンルもバラバラ。
しかし彼女たちは、同じ屋根の下で共に暮らす、家族だ。




