檸文高校のネオ七不思議 4/?
翌日の放課後。謎部の部室の前に、青柳部長が立っていた。楓が部室の鍵を取ってくるのを待っているらしい。
メーベルは部長に挨拶しながら、昨日見たことについて話すかどうか迷った。青柳に尋ねたところで、どうしようもないのかもしれない。
けれど、一人で抱え込める気がしなかったので、逡巡の末にメーベルは切り出した。
「昨日、駅前で楓先輩を見たんですけど……」
「それがどうしたんだい?」
「なんだか怪しいビルに入っていったんです。部長はなにか知ってますか?」
青柳がほんのわずかに、表情を険しくするのがわかった。
「見間違いってことはないかな」
「ないです」
「怪しいビルって、具体的にどこかわかるかい?」
何気ない口調で質問してくる。でも、なにかを試されている気がするのは気のせいだろうか。
メーベルは辺りを見回す。すぐ近くには誰もいない。また、文化部棟の中は適度に騒がしいため、会話の中身が周囲に漏れることはないだろう。
しかしそうとはわかっていても、念のために、メーベルは声を潜めて言った。
「ガールズバーです」
青柳が目を閉じながらうつむき、後頭部に手を当てる。少しのあいだ、葛藤するような仕草を見せたあと、彼は口を開いた。
「そこ、平間くんのバイト先だよ」
「部長、知ってたんですか!? いや、それよりも、バイトって……」
楓が客としてではなく、従業員としてガールズバーに行った可能性には、いちおう気づいてはいた。
だが、可能性を考えるのと、事実として確定するのとではまるで意味が違う。楓がガールズバーで働いているイメージがまったく湧かず、メーベルはただただ信じられない思いでいた。
「高校生って、そういうバイト、していいんでしたっけ?」
「業態と時間帯によるよ。平間くんが行ってる店に関しては、たぶん違法ではないと思う」
「“たぶん”って。含みのある言いかたですね」
「もちろん、明らかに法律や条例に触れることはしていないはずだ。現実でそんなことをしたら、普通にバレて摘発される。だけど、違法じゃなくとも、グレーな部分はあるのかもしれない」
「グレーじゃ駄目じゃないですか! なんで楓先輩はそんなバイトを……部長は知ってて、止めなかったんですか!?」
青柳は力なく笑った。
「ベルナールくん。平間くんのバイトのことは、見なかったことにしてくれないか」
「どうしてですか」
「平間くんにも事情があるんだ」
「事情って、どんな?」
「家の事情だよ。……これ以上は、僕の口からは言えない」
そう言われてしまったら、もう追及はできない。本当に家の事情が関係しているのだとしたら、当事者ではない青柳が、勝手に話せるわけがない。どうしても知りたいのなら、楓本人に訊くしかないのだ。
「私、知りませんでいした。楓先輩の家のことも、バイトのことも……」
「自分から言いふらすようなことではないからね。きっと、ベルナールくんには言えなかったんだと思う」
それは、そうなのかもしれない。家庭の事情で言えば、メーベルだってかなり特殊だ。ボツキャラクターという出自ゆえに、血の繋がった家族は存在しない。
だからと言って、「私、親がいないんですよー」なんて、わざわざ言って回ったりはしない。
それと同じだ。楓だって、理由もなければ家庭の事情なんて話さないだろう。
親しければ、なんでもかんでも教えてもらえると思うのは傲慢だ。楓がメーベルに黙っていたことがあるからと言って、それを非難するのは筋違いにも程がある。ただ――
(青柳部長は知っていたんですね)
自分には教えてもらえなかったという、寂しさのような、嫉妬のような、どれだけかき混ぜようとしても消えてくれない澱のような感情が、メーベルの胸の底に漂っていた。
「お待たせ。いま、開けるわね」
噂の主である楓が、部室の鍵を持ってやってきた。彼女の陰口を言っていたわけではないのに、なんだか悪いことをしていた気がして、思わず背筋が伸びる。
「メーベル、昨日の件だけど」
「昨日の件?」
まさか、さっきまでの会話を聞かれていたのだろうか。少しギョッとしたけれど、楓が話したいのは、どうやらそれとはまた別の話らしかった。
「地学準備室のことよ。先生に訊いたんだけど、やっぱり、生徒は開けられないようになってるみたい。鍵を貸すこともないって」
「ああ、そんなこともありましたね……」
楓のバイトの件が衝撃的すぎて、ネオベートーヴェンのことを忘れかけていた。
そう、ドリアンの歌が聞こえてきた部屋から、人影が消えたという出来事があったのだ。
あのとき本当に地学実験室に人がいたのだとしたら、脱出経路は、地学準備室の扉か窓しかなかったはずなのだが、その準備室の扉の鍵は、生徒には開けられないらしい。
だとしたら、消去法的に、地学教師が犯人ということはありえるだろうか?
「実は学校の教師が七不思議を広めていた……というのは面白い仮説だね」
と、青柳は言う。彼とはすでに、昨日地学実験室で体験したことについて、メッセージアプリで共有している。
「まあ、可能性は低いと思いますけどね」
「いちおう頭には留めておこう」
話しながら、部室へ入る。そして三人はテーブルを囲むようにパイプ椅子に座った。
「七不思議の件についてだけど、まず、僕から報告。ネオベートーヴェンの歌声を聞いたという生徒二人に話を聞いてきたけど、平間くんとベルナールくんが体験した内容とおおむね一緒だったよ。完全下校時刻間際に、『ドドドドリアン』という歌が聞こえてきた。二人のうち一人は怖がって近づかなかったけれど、もう一人は歌声のするほうへ行ったらしいんだ。すると、音符が描かれた、オレンジの匂いがする紙が落ちていたらしい」
確かに、メーベルが体験した内容と一致する。改めて他人の口から聞かされると、珍事すぎるという印象が拭えないけれど。
「ただし、内容に違いもあった。生徒のうち一人は、一階の端にある階段でドリアンの歌を聞き、もう一人は三階の美術室の近くで聞いている」
「私たちが聞いたのは五階の地学実験室ですから……だいぶ場所がばらけてますね」
それが意味するところは、ネオベートーヴェンが出現するのは、別に地学実験室じゃなくてもいいということだ。
「やっぱり、怪奇現象というよりは、誰かのいたずらっぽいわよね。本当にベートーヴェンの幽霊がいるんだったら、固定で音楽室に出そうなものじゃない。どうして地学実験室や美術室に出るのよ」
というより、ベートーヴェンの幽霊が日本に出る時点でおかしいわよね――と、楓が身も蓋もないことを言う。
「この学校の音楽関係の部屋は、いつも合唱部とオーケストラ部が使っているからね。どちらの部も遅くまで活動しているし、部員数も多い。つまり音楽室に常に一定数の人がいるせいで、ネオベートーヴェンは出たくても出れないんだろう」
「音楽室が人でいっぱいだから、ほかに人気がなさそうな部屋を選んでいるってこと? ますます、幽霊とは思えないわね」
青柳と楓の話を聞いていると、ネオベートーヴェンの人間臭さが際立ってくる。
幽霊と言えば、出現条件や場所にこだわりがありそうなイメージがあるけれど、ネオベートーヴェンにはそれがない。人がいなければどこでもいいという柔軟性がある。その柔軟性がなんだか幽霊っぽくないのだ。
やはりこの七不思議は、ただのいたずらなのだろうか?
メーベルは先輩二人に尋ねる。
「それで、今日はどうします? いっそこのままネオベートーヴェンに絞って調査してみますか? 七不思議を全部同時に調べるのも効率が悪い気がしますが」
「いや、別のものを調べよう。今日はネオベートーヴェンは出ないかもしれない」
青柳のその発言を、メーベルは疑問に思う。
「どうしてわかるんですか?」
「説明するよ。まずは宗像くんがまとめた、七不思議の一覧を見てくれ」
オカルト研究部の部長、宗像が独自にまとめていたネオ七不思議に関するデータは、すでに謎部の全員のスマホに入っている。メーベルは目次のページを開いた。
【檸文高校のネオ七不思議】
・怪奇! ネオベートーヴェン!
・ダッシュババアMK-Ⅱ withジェットブースター
・絶対に花が咲かない花壇
・『ミスターX』が描いた海の絵が、校内のどこかに飾られている
・十個弱の棒人間が描かれた謎の紙
・購買部のおばちゃんが変
・七つすべての不思議を知ると、ヤバくなる
やっぱり、変すぎる。しかも購買部のおばちゃんの七不思議、生き残ってるし……。
この字面を眺めていると、この七不思議は“本物”なんじゃないかと一時でも考えた自分が恥ずかしくなってくる。
「まず、平間くんとベルナールくんがネオベートーヴェンを目撃したのが、昨日――木曜の夕方だ。そしてほかの目撃者二人も、木曜に目撃していたんだよ。まだまだサンプルは少ないけれど、ネオベートーヴェンは木曜に出る可能性がある」
「曜日が決まってるのだとしたら……なんだかバイトのシフトみたいね」
楓からバイトという単語が出てきて、メーベルは少しどきりとする。
でも、なるほど、出現する曜日が固定されているのだとしたら、それは大きな情報だ。
「実は今朝から、僕なりに聞き込みを進めていてね。【ミスターXが描いた海の絵】を目撃した生徒にも話を聞けたんだ。三人いたよ。そして三人とも、その絵を金曜日の放課後に見ていた。だから今日は海の絵を探しに行ったほうがいいと思うんだ」
青柳の説明を受けて、メーベルは納得した。
ネオベートーヴェンは木曜日。海の絵は金曜日。これが本当なら、すべての七不思議に曜日の法則があるのかもしれない。
ともかく、今日調査する七不思議は決まった。
※
学校の昇降口近くに掲示板があり、現在は主に、この夏に活躍した運動部の賞状や写真が掲示されている。
そんな輝かしい青春の結晶たちに混じって、場違いな雰囲気の絵が掲示されていた。
現在、檸文高校で語られているネオ七不思議の一角、【ミスターXが描いた海の絵】だ。
水色の絵具でダイナミックに描かれた海と、でかでかと筆で書かれた『ミスターX』という署名が特徴で、自己主張が激しいその作風とは裏腹に、大きさはB5程度と、絵画としてはかなり控えめなサイズだ。
この誰が描いたかもわからない謎の絵画が学校のどこかに突然現れるというのが、七不思議の内容だ。
そして朱音と春心は、その海の絵を眺めながら会話をしていた。
「昇降口の掲示板なんて、ずいぶん大胆じゃねえか」
「意外と誰も気にしてないんだよ」
海の絵が出現する場所は毎回変わると言われている。だが、さすがに学校の昇降口のような、人通りの多い場所に現れるのは、これが初めてだろう。
「やあ、それが今回の海の絵?」
春心と朱音の背後から、男子生徒が声をかけた。
オカルト研究部の井田慎吾だ。今回ラフ&ピース部に依頼をしてきた人物でもある。中肉中背、特徴のなさが特徴のような、印象に残りづらい雰囲気の男子生徒だ。
海の絵を近くで見たそうにしているので、春心と朱音は左右に避けて場所を譲った。
井田は興味深そうに絵を覗き込み、うんうんと頷いた。
「ミスターXの署名が良い味出してるよなあ。これがなかったら地味な七不思議になってたかもね」
「地味っつーか、これがなかったら普通にこえーからな」
朱音の言う通り、署名がなかったら、けっこう不気味な怪談になっていたかもしれない。ミスターXという絶妙なダサさがミソで、これのせいであまり怖くないのだ。
井田が絵から視線を外し、春心と朱音の方を振り返りながら言った。
「それより念押しだけど、僕がきみたちに依頼していることは、絶対に宗像部長には言わないでくれよ? あの人メンツをめっちゃ気にするから。裏でこっそり外部に頼んでることがバレたら指とか詰められる……たぶん。いや、わからんけど。わからんけど、“しー”ね、“しー”っ!」
井田が人差し指を立てて、口元に当てた。別に可愛くはない。
朱音はちょっと呆れたように返事した。
「そんな言われなくても、わかってるって」
※
一方、謎部の三人は、海の絵を探しに行く前に、【絶対に花が咲かない花壇】を見ていくことにした。
ほかの七不思議と違って、探すまでもなく、その花壇は普通に文化部棟の裏にあるらしい。探す手間がかからないのなら、文化部棟から出るついでに一度寄ってみようということになったのだ。
言わば常設型の七不思議だね――と青柳部長が言った。
「いや、常設型の七不思議なんてワード、初めて聞きましたよ」
メーベルがツッコミを入れると、楓が口元に笑みを浮かべながら言った。
「ピラミッドみたいなものじゃない? ほら、ギザのピラミッドだって動かないけれど、あれだって世界の七不思議のひとつでしょう」
「よくわからない花壇とピラミッドを一緒にするのは失礼な気がしますけど……」
話しているあいだに、花壇に辿り着く。そしてその花壇は、やはりギザの大ピラミッドと比べるのもおこがましいほどの、粗末な代物だった。
文化部棟の壁沿いに、ホームセンターで買えるような煉瓦風のブロックで二メートル四方の囲いが作ってあり、浅く土が敷かれている。その横には、達筆風の文字で『絶対に花が咲かない花壇』という立札が立ててあった。見た目がバカすぎる。
「こんなの、言ったもん勝ちじゃないですか!」
ただ、なにも植えられていないだけの花壇なんじゃないのかという疑念が拭いきれない。
青柳が土を撫でながら言う。
「なにか種を蒔いてみようか?」
楓が苦笑する。
「でも、『本当だ! 花が絶対に咲かない!』って確信できるまで、結構時間がかかるわよ」
「検証に時間がかかりそうなのもちょっと腹立ちますね」
いったいどんなタイプの七不思議なんだ。絶対に花が咲かないからなんなんだ。土に栄養がないだけなんじゃないのか。
メーベルが唖然として花壇を見つめていると、後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。
振り返ると、春心と朱音がやってくるのが見えた。




