今宵あなたとSINGINGトゥナイ…… 1/4
ある日曜日の午後。しづくは夏目フミノから、呼び出しを受けた。
やってきたのは、“だがしのなつめ屋”の地下にある、夏目の研究施設だ。
ノスタルジックな雰囲気の駄菓子屋の地下に根を張るように存在する、広大な研究施設。その入口近くの、無機質な白い壁が延々と続く通路で、しづくは夏目に出迎えられた。
「なんだか、その……呼び出しちまってごめんねえ、しづちゃん。この前あんな感じで別れたってのに……」
夏目は酷く気まずそうに、少しもじもじしながら、しづくを出迎えた。
なぜそんなに気まずそうにしているのかと言うと、前回しづくと別れ際にした会話が原因だろう。
夏目はいま、ある人物を追っている。しかしその人物を追うのには危険が伴うため、しづくを巻き込まないよう、『必要がない場合はここに来るな』といったような話を、以前にしたばかりなのだ。(※第三章『地表の下』参照)
そんなシリアスな雰囲気の会話をしておいて、今回しづくを呼び出してしまったことに、夏目は気まずさを覚えているのだろう。
だけど、しづくは気にしていなかった。むしろまた夏目と話せたことが嬉しかった。
なお、そんな気まずさを押してまでしづくを呼び出したということは、それだけ厄介なことが起こっているということだが、しづくはそのことに全然気づいていない。
「それで、なつめ先生……今日はどうしたの……?」
「それがねぇ、ペンタトニックが出ていっちまったんだ」
「ええ……」
ペンタトニックというのは、しづくの知り合いの原始人で、五万年前の時代の人間だ。
いろいろあって、現代にタイムスリップしてきてしまい、夏目の研究所に居着いていたのだが……その彼が、出ていってしまった?
「あたしだって、ペンタトニックを監禁したいわけじゃないからね。せめて研究所の中はある程度自由に出歩けるようにしていたんだよ。そうしたら、ちょっと目を離した隙に外に出ていっちまったみたいでね」
「あの人、元気だもんね……」
「繰り返すけどね、あたしだってあの男を閉じ込めておきたいわけじゃないんだ。外に出ていきたい気持ちもわかる。だけど、大昔の人間が無闇に外を出歩くのは危険すぎるんだよ。病気の問題だってあるし、歴史が変わっちまう恐れもある。だいたい、現代社会のルールも知らないだろう? 悪気が無くても店の物を盗っちまうかもしれないし、信号の見方だってわかっちゃいないんだ」
「自動車も知らないだろうしね……」
「それに、なんてったってあいつは半裸だからね。警察に捕まっちまうよ。この時代に存在するはずのない人間が捕まったら、間違いなくややこしい話になる」
「半裸だもんね……」
「だけど、あたしはいま手が離せないところなんだ。それにこのババァには、炎天下の中を歩き回れるだけの体力はもうないんだよ。だから、しづちゃんにお願いしたいんだ。ペンタトニックを探して、連れて帰ってきてくれないかい?」
「おっけーおっけー……」
「ありがとう。ほかの人に頼もうと思っても、あいつとまともに会話できるのはしづちゃんくらいしかいなくてね……」
「私もちゃんと話せてるかどうかビミョーだよ……?」
しづくには翻訳機能が搭載されているのだが、その翻訳機能はなぜか原始人相手にも有効で、本来なら言葉が通じないはずのペンタトニックとも言葉を交わすことができる。
しかし、表面的に会話のやり取りができるからと言って、コミュニケーションが成立するとは限らない。なぜなら、ペンタトニックは奇人だから。
あんなに変な人、そうそういない。
「そうそう、ペンタトニックに会ったら、こいつを渡してくれないかい?」
夏目が、少し大きめのショルダーバッグを差し出してくる。しづくはそれを受け取りながら、バッグの中に入っているものについて説明を受けた。
「それじゃあ、しづちゃん。頼んだよ」
「おまかせあれ……」
こうして夏目はペンタトニック捜索の件をしづくに託すと、すぐ近くにあった扉を開け、部屋の中へと入っていった。
扉が開いた隙間から、一瞬だけ室内の様子が見える。
そこは会議室のようになっていて、何人もの“大人”が座っていた。しづくの知る限り、夏目はいままで、この研究施設に客を招くことはほとんどなかった。だから、こうして部外者が集結しているという光景は、かなり珍しいことだと思う。
そこにいる大人たちはしづくの知らない人たちばかりだったが、一人だけ、見覚えのあるやさぐれた雰囲気の男がいた。たしか名前は狩欺真。ルシアとも交流がある、魔法使いの偉い人――と、しづくは認識している。
夏目はいま、とある人物を追うために、魔法使いたちと協力しているらしい。
SFとファンタジー。遠く離れているようで、背中合わせのようで、水と油のようで、しかし時に境界線が曖昧になるような、不思議な関係性。
そんな、独特な距離感のジャンル同士がタッグを組んでいる。
なにが起こっているのか気になるけれど、しづくが尋ねたって、きっと詳しいことは教えてもらえない。
たぶんこれは夏目を始めとした、大人たちの物語なのだろう。
扉が完全に閉まり、部屋の中は見えなくなった。
※
夏目のことが心配だけれど、ひとまず大人たちの仕事は大人たちに任せて、いまは自分にできることをする。
しづくは研究施設から地上の駄菓子屋まで戻ってくると、すぐには外に出ず、どうやってペンタトニックを探し出すか、その方針を練ることにした。
あまり考えて行動するタイプではないが、こんな真夏の炎天下の中、意味もなく歩き回りたくない。暑さが苦手なのはロボットだって同じなのだ。
少し考えて、とりあえずSNSを見てみることにした。ペンタトニックは半裸のマッチョだから、街を歩いていたら絶対に目立つ。なにかしらの目撃情報が上がっているかもしれない。
SNSを開いてすぐに、ミサキの投稿が目についた。ミサキは、しづくと同じテニス部の部員で、ひょうきんさに定評のある女子だ。また、自他共に認めるSNS中毒者で、投稿の頻度が異常なことにも定評がある。
そんなミサキのアカウント『みかえる@もう絶対に自転車の鍵なくさない!』が、こんな呟きをしていた。
【純粋なマッチョがいて草】
純粋なマッチョってなに……? と、しづくは首を傾げたが、なぜかペンタトニックのことを言っている気がいた。
しづくはすぐにミサキのアカウントにDMを送る。すると、さすがSNS中毒者。十五秒で返信が来た。
話を聞くに、学校の近くの公園でグラサンをかけた外国人らしきマッチョを見かけたとのこと。
いくら国際化が進む世の中とは言え、日本の町中で海外のマッチョを見かける機会はやはりまだまだ少ない。ミサキが見たのはペンタトニックの可能性が高いと考え、しづくはその公園へと向かった。
「あわわわわ……」
公園に足を踏み入れた途端、そこに広がっていたあまりにも異様な光景に、しづくは恐怖し、震えた。
三十五度超えの炎天下の中、サングラスらしきものをかけたドレッドヘアーの大男と、長い黒髪の少女が、並んで正座をしているのだ。
さすがに直射日光を避けるためか、木陰にブルーシートを敷いて、そこで正座をしている。
とは言え、この猛暑の中、屋外で正座をしている二人組というのは、なかなかに不審だ。
暑さのせいか、不審者のせいか、公園にはほかに人はいない。
しづくは恐る恐る正座二人組に近づいていく。やはり、サングラスの大男はペンタトニックで間違いなさそうだ。
そしてその隣に座っている黒髪の少女にも見覚えがある。朱音の友人にして、正座部部長、栃ノ木結善だ。
「どうです、海外のかた。これが正座です。これが正しい座りかたです。正座は、この世でもっとも正しい行為なのですよ」
「はぁぁぁぁ~ん♡ なんだかよくわからねえけど、正しい気持ちになってきたぜぇ~っ♡」
「これが正座です。これが正しさです。正座を長時間続けることで足は痺れます。また、血管が圧迫されることで血栓ができやすくなり、心疾患のリスクが高まるのですよ」
「はぁああ~ん♡」
「正しさは毒なのです。ゆえに愛しましょう」
「はぁああ~ん♡ これが正しさ♡ 正しいって、気持ちいいぜぇ~っ♡ どうにかなっちまいそうだぁ……こんな感覚、初めて知っ――」
ブツン、と。ペンタトニックの言っていることがなんか気持ち悪かったので、しづくは翻訳機能を強制的にシャットダウンした。
結善がしづくに気づき、微笑みを向ける。
「あら、あなたはたしか……お母さんのお友達ね」
「あ、どうも……」
――お母さんのお友達……?
一瞬意味がわからなかったが、すぐに思い出した。この栃ノ木結善という人は、朱音のことを『お母さん』と呼んでいるのだ。
「○✕△□~! @$□♯✕△ッ!!!!」
ペンタトニックがしづくに気づき、笑いながら話し始めた。しかし翻訳機能を切っているので、なにを言っているのかはわからない。
しかし、原始人と正座部の部長だなんて、変わった組み合わせだなあとしづくは思う。
と、ここでしづくはようやく気づいた。なんと、ペンタトニックが服を着ている。炎天下ワイルドダブル正座のインパクトが強すぎて、認識するのが遅れたが、ペンタトニックがきちんとフォーマルなスーツを着用しているのだ。半裸ではなかったのか。
そしてそのスーツ姿が、妙に様になっている。
隣に座っている結善が、上品なワインレッドのワンピースを着ているのも相まって、良家のお嬢様とそのSPというふうに見えなくもない。
「その服、どうしたの……?」
「わたくしが差し上げたのです」
ペンタトニックに代わって、結善が答えた。
「そちらの殿方、半裸で街をさまよっていらして。そっとご注意申し上げたのですが、どうにも言葉が通じなく……このままではよろしくないと思いまして、ちょうど目の前にありました紳士服店にお連れしたのです」
「ええ……なんか、ありがとうございます……」
「スーツをお贈りするからにはオーダーメイドにしたかったのですけれど、そんな悠長なことを申し上げていられる状況ではなかったものですから、サイズ感は少々……大雑把です」
言われてみると、ペンタトニックのスーツがややぴっちりしているように見える。しかしそのせいで筋肉が強調されて、なんだか強そうだ。
「○✕△□~っ♡」
ペンタトニックが恍惚とした表情で、正座をしながらなにかヘラヘラ喋っている。
やっぱりさっきのは撤回。全然強そうじゃない。
しづくは結善に向き直り、尋ねる。
「なんでそこまでしてくれたんですか……?」
結善は慈愛に満ちた微笑を浮かべ、答えたのだった。
「困っている人を見かけたら助ける――それが人としての正しさでしょう?」
想像していたよりも、ずっとまともな答えが返ってきた。まともすぎて文句のつけどころがない。
しかしなんだろう。さすが朱音と仲がいいだけあるというか。奇行の最中に突然正論中の正論をかましてくるこの感じ、朱音にそっくりだ。
わけのわからない人が急にまともなことを言い出すと、その落差にちょっと『うっ』となってしまう。
(いや……騙されちゃだめだ……)
一見、結善は聖人のようなおこないをしているようにも見えるけれど、言葉の通じない相手に服を買い与え、警察に相談もせずに公園に連れ込み、正座に関する間違った思想を植え付けようとするのは、人として正しいおこないなのだろうか。
(普通に奇行じゃん……)
まあ、警察にペンタトニックを連れていかなかったおかげで、面倒なことにならずに済んでいるのだけれども。
「ところで、どうしてあなたが感謝するのかしら。あなたはこの殿方と、どういうご関係で?」
結善にそう言われ、しづくはぎくりとした。ペンタトニックについて他人に訊かれたとき、どうやってごまかすのか、まったく考えていなかった。
まさか、正直に全部言うわけにもいかないし。
ホームステイ? 留学? 海外から来た友達ということにする? だとしたら、どこの国から来たという設定にすればいい? 半裸だったことの説明は……?
「…………」
しづくは少し考え、言った。
「この人、ばあちゃんの家にタイムスリップしてきた原始人なんだけど、一人で外に出ていっちゃって、危なっかしいから探しにきたの……」
めんどくさいから、全部正直に話した。
すると結善は、正常に作動しなくなったおもちゃのように、調子の外れたかん高い声で笑った。
「あはは! あはは! あはは! あはは! あなた、面白いこと言うのね! 気に入ったわ! あはは! あはは!」
そして唐突に真顔になり、
「あなたも、私のお母さんになってみない?」
「いや、すいません、いいです……」
この栃ノ木結善という人、時折危ない目をするのだが、その目がまさにいま、しづくに向けられている。
本当の意味でこの危ない先輩の視界に入ってしまったという感覚がして、しづくはぶるりと震えた。
だけど、このままではなんだか負けた気分なので、しづくは結善の足をつんつんとつついてみる。
「ぎゃあ」と叫びながら、結善がブルーシートの上に倒れ込んだ。やっぱり、足が痺れていたようだ。
「○✕△~!!!」
ペンタトニックがなにか言いながら立ち上がりかけ、
「△✕※~ッ!!!」
絶叫しながら崩れ落ちた。こっちも足が痺れていたのだろう。
ブルーシートの上をのたうち回る、良家のお嬢様風の奇人と、そのSP風の奇人。シチュエーションが珍妙すぎる。
でも、街中で大騒ぎになるのと比べたら、公園の片隅で正座をして足を痺れさせることくらい、なんでもない。平和そのものだ。とにかく、ペンタトニックが無事に見つかってよかった。あとは連れて帰るだけだ。
「ひぇ~ッッッほっヘッホッハッホッほっホッほっホッ!!!! 情報情報! 純粋なマッチョがいるという情報は、本当だったようですねェッ!!!!!」
突如、公園内に奇抜な笑い声が響き渡った。
見ると、公園の入口に、タンクトップを着た金髪オールバックの男が立っている。
完全に剃られた眉毛、だらしない笑み、前歯が一本だけ金歯、タンクトップにマッチしない、ひょろひょろの両腕。
裏情報部、小松の登場だ。
しづくは呟く。
「再登場、はやぁ……」




