怪しい薬を飲もう!
高崎家のとある夜。
自室で学校の課題を済ませた春心は、なにか飲み物でも飲もうとキッチンへ向かうと、ルシアがコンロの前で鍋をかき混ぜているのが見えた。
「こんな時間になに作ってるの?」
ルシアは振り向いて答えた。
「ちょっと、魔法薬を調合しててね」
「まほうやく?」
魔法使い(と言うより魔女と言えば)、薄暗い森の奥で、怪しげな色の薬を大きな鍋でグツグツ煮込んでいる――というイメージがある。しかし春心は、魔法使いであるルシアが実際に薬を作っているところを、今日初めて見た。
聞けば、ルシアは最近になって魔法薬の調合にチャレンジしてみるようになったらしい。魔法使いの先輩たちから教わりながら、初歩的なものから始めているとのこと。
ルシアは鍋の中身をおたまですくうと、一杯の紙コップに注いだ。
春心としては、魔法薬と言えばおどろおどろしい色の液体を思い浮かべるけれど、ルシアの作った薬に危険な雰囲気はまったくなく、ほとんどほうじ茶と同じような色味をしていた。香りはほのかにオレンジのような匂いがするだけで、嫌な感じはしない。
「これ、どういう薬なの?」
「飲むと、声が高くなる薬よ」
「ヘリウムガスでよくない?」
わざわざ魔法の力を借りるほどかと春心は思う。
ルシアが微笑みながら言った。
「家で危ない薬を作るわけにもいかないじゃない? それに私、初心者だから、最初は簡単なのから始めないと」
「あー、それはそうだよね」
言われてみれば納得でしかない。完全にルシアの言う通りだ。家で危ない薬を作られるほうが困る。「一滴で人類の三分の一が死ぬ薬よ」とか、「他人の記憶を改竄する薬よ」とか言われるほうがめちゃめちゃ怖い。声が高くなる程度の薬でよかった。
「でも、うまくできてるかどうか不安なのよね……」
「私が試しに飲んでみよっか?」
「ううん、春心ちゃんに飲ませるわけには……なにかあったら怖いし……」
「え、なにか怖いことが起こることあるの?」
春心とルシアが話しているところに、朱音がやってきた。
「楽しそうな話してんな。私が試しに飲んでやるよ。面白そうだしな」
朱音はひょいと紙コップを掴み、薬を一口飲んでしまった。あまりにも躊躇しないものだから、春心もルシアも止める間がなかった。
「いやー、なんか変わった感じはしねえな」
見る限り、朱音に変わった様子はない。体調が悪くなったという感じではないし、声にも特に変化はない。『声が高くなる薬』を飲んだのではなかったのか。ルシアが不思議そうに首を傾げた。
春心は朱音に訊いてみる。
「朱音ちゃん、大丈夫? なんか変わったこととかある?」
「なんも? セミっていいよな」
「え? ……な、なに? セミ?」
「セミっていいよな」
「なに? 急になんでセミを褒めだしたの?」
「褒めてねえよセミっていいよな……」
「一息で矛盾しないで」
ルシアが青ざめた表情で「まさか、失敗した……?」と、不穏なことを呟く。春心はそれを聞き逃さなかった。
「ルシアちゃん。朱音ちゃんが不自然にセミを褒めだしたのって、もしかして副作用?」
「副作用と言うか、薬が失敗して、全然違う効果になっちゃったんだと思う……」
ルシアが鍋の中身を不安そうに見つめる。春心もつられて鍋を見つめるが、それでなにがわかるわけでもない。
『声が高くなる薬』が失敗して、『セミを褒めたくなる薬』になってしまった。そんなことある?
「おお、メーベル。ルシアがヤベーお茶淹れたんだよ。一回飲んでみ? いままで飲んだことない味がすっから!」
「は、はあ。そうですか」
嫌な予感がして春心が振り返ると、朱音がメーベルに魔法薬を勧めているところだった。
慌てて止めようとしたが、そのときにはもう、メーベルが紙コップに口をつけていた。
「いやメーベルちゃん、なんで飲んじゃうの!? こういうときに慎重になるタイプじゃないの!?」
「だって、いままで飲んだことない味のお茶とか言われたら気になるじゃないですか……」
「それお茶じゃなくて薬なんだよ! セミを褒めたくなっちゃう薬!」
「え、薬……? セミを褒め……ええ? ……いや、なんてものを飲ませてくれるんですか」
メーベルは中身の残った紙コップをテーブルに置き、抗議の目線を朱音に送るが、朱音はまるで悪気のない表情で、「セミっていいよな」と呟いている。
ルシアが申し訳なさそうにしながら、メーベルに言った。
「ごめん、私がこんなものを作ったせいで……。大丈夫? セミを褒めたくならない?」
「なんですかその現象。セミを褒めるって。全然そんな気分にならないですよ」
「よかった」
「ところで、ウナギって英語でなんて言うか知ってます?」
「え? ウナギ?」
「ウナギって、英語でなんて言うか知ってます? eelって言うんですよ」
「えっと、どうしたの?」
「eelって言うんですよ」
「メーベルちゃん?」
「ウナギって、英語でなんて言うか知ってます? eelって言うんですよ」
ルシアと春心は顔を見合わせた。またおかしなことが起こりだしたぞ、と。
「ルシアちゃん、どういうこと? メーベルちゃんが急にウナギを英訳し始めたんだけど」
「まさか、これも薬が失敗したせいなのかも……」
「そんなことある?」
『セミを褒めたくなる』か『ウナギを英訳したくなる』効果が出る薬ってなに? 魔法がどう脳に作用したらその二択になるの?
ルシアが再び鍋の中身を不安そうに見つめたから、春心も鍋を見つめてみたけれど、そんなことをしたって、やっぱりなにもわからない。
「高崎さん。ルシアがヤベーお茶淹れたってよ。飲んでみ?」
「ヤベーお茶? へ~、楽しみ」
嫌な予感がして振り返ると、春心たちの保護者である高崎が、いつの間にかキッチンにやってきていた。そしてその高崎に、朱音が懲りもなく魔法薬を勧めているのだった。
春心とルシアは慌てて声をあげたが、またしても間に合わず、高崎は紙コップに口をつけてしまった。
春心は恐る恐る訊いてみる。
「高崎さん、なんか、体調とか悪くなったりしてない?」
「なにその怖い質問……。なんもないけど」
「よかったぁ」
「それよりそこで米研ぎたいから、ちょっとどいてくれる?」
「あ、うん」
高崎に変わった様子は見られなくて、春心はほっとした。
キッチンの通路では、春心とルシアが並んで立っているため、道を塞ぐような形になっている。春心は端に寄って、高崎が通れるようにスペースを空けた。
しかし高崎は棒立ちのまま、一歩も動こうとしない。米を研ぎたいのではなかったのか。やがて高崎はどこか遠くを見るような目つきになりながら、春心に言った。
「米研いでいい?」
「うん。いいよ?」
「米研いでいいかな?」
「いいと思うけど……どうしたの?」
「米研いでいい?」
「ねえって」
「米研いでいい?」
春心は思わずルシアの顔を見た。
「ルシアちゃん! やっぱり高崎さんもおかしくなってる! 永久に米を研ぐ許可を求めるだけの人になっちゃった!」
「そんな……やっぱり私のせいだ……。こんな薬、家で作ったから……!」
「まあ、それもそうだけどね! ルシアちゃんも悪いかもしれないけどね! でもね、無断で人に飲ませまくってる朱音ちゃんが90%は悪いから!」
そしてなんの前触れもなく、しづくが魔法薬を飲んでいた。
「なんで前触れがないの!? どっから来たの!? なんで飲んじゃうの!?」
しづくは「味、うすぅ……」と顔をしかめて、紙コップをテーブルに置いた。紙コップに注がれた魔法薬は、これでようやく空になったようだ。
きっとしづくもおかしなことを言いだすのだろうなと春心は思ったが、他の三人と違って、しづくは本当になんの変化も起こらない。
それについて、しづくはこんな意見を述べるのだった。
「私、人と身体の作りが違うから……そういうの、あんまり効かないんじゃない……?」
「あー、まあ、なるほど……」
魔法がどんな仕組みで人体に作用するのか、春心にはよくわからない。しかし生身の身体と機械の身体とでは、物質からして違うし、身体が動く仕組みもたぶん違う。
だから、生身の人間に効く魔法が、ロボットにも効くとは限らないというのは、確かにありそうな話だ。
「……っていうか、地味だよ!!!!」
ここで春心は、唐突にツッコミを入れた。
これはいったいなんに対するツッコミなのか。どこかどう地味なのか。少し解説が必要だろう。
漫画やアニメでは、『変な飲み物を飲んでしまって、キャラクターの性格が変わってしまう回』というものが一定数存在する。
たとえば間違ってお酒を飲んでしまったり、甘酒でなぜか酔ってしまったり、変な薬を飲んでしまったり――さまざまなパターンがあるが、共通しているのは、その飲み物のせいでキャラクターの性格が変わってしまうという点だ。
特にラブコメでは、ヒロインが謎に甘酒で酔っぱらってしまい、普段は活発なヒロインがおしとやかに、いつも奥手なヒロインが大胆になり、『あらドキドキ』みたいな回がしばしばやってくる。
しかしその視点で見た場合、今回、高崎家で起こった出来事はどうだろうか。
そう、地味なのである。魔法薬を飲んだ全員の性格の変化が、地味なのである。
春心がツッコミを入れたいのはそこだった。
「こういう変な飲み物を飲んじゃう回って、だいたいみんないつもと正反対の性格になっちゃって、ドタバタ騒ぎになるのが定番じゃん! なんで全員地味なの! 一人はセミを褒めて! 一人はウナギを英訳し始めて! 一人は米を研ぐ許可を求めてきて! 一人は効かない! なにそれ!」
朱音が、込み上げてくる称賛の思いを声に滲ませながら言った。
「セミっていいよな……」
「そんないいもんじゃないでしょ! 愛好家の人には悪いけど!」
「セミが道路に倒れていてよ、もう死んでるのかな~って思って油断して近くを通ると、急に飛び上がってくるあれ……いいよな……」
「それをいいと思ってる人なんていないんだよ!」
メーベルが『いいこと教えてあげる』とでも言いたげな、にまにまとした笑みを浮かべながら言った。
「ウナギって英語でなんて言うか知ってます?」
「もうわかったって」
「ウナギって英語でなんて言うか知ってます?」
「eelでしょ?」
「eelって言うんですよ」
「言ったじゃん!」
高崎がいつもと変わらない声のトーンで、しかしどこか焦点の合っていない目つきで言った。
「米研いでいい?」
「いいんじゃない? 明日の朝のぶん、いまのうちに研いでセットしておけばちょうどいいと思うよ」
「米研いでいいかな?」
「いいんじゃないかな!」
しづくが冷蔵庫からプリンを取り出して、テーブルについて食べ始めた。マイペースか。
なお、春心がツッコミで騒いでいるあいだに、ルシアは誰かと通話しているようだった。
ややあって、ルシアがほっとした面持ちで、スマホを耳元から下ろした。通話が終わったようだ。
「春心ちゃん、安心して!」
「どこに安心できる要素があるの?」
「いま、魔法薬に詳しい先輩に状況を説明したの。そしたら、間違って薬を飲んじゃっても、十分くらいですぐ元に戻るから心配いらないって!」
「そうなんだ。よかったぁ」
春心は『全員の性格の変化が地味だ』というツッコミを入れたが、じゃあ実際にみんなの性格が180度変わってしまって、しかもそのまま元に戻らなかったとしたら、悲しいどころの騒ぎではない。
家族がヤバい薬を飲んで人格が変わってしまうのを目の当たりにしたら、普通にトラウマになる。放っておいたらすぐに元に戻るという程度のトラブルで済んで本当によかった。
ルシアが鍋に残っている魔法薬を、別の紙コップに注いだ。そしてそれを手に取りながら、春心に言うのだった。
「じゃあ、私も飲んでみるね」
「な ん で ?」
わけがわからない……。
ここに来て、どうしてルシアも飲む必要があるのか。
「そんなに危ないものじゃないってわかったから、私も飲んでみようかなって」
「絶対飲む必要ないよ」
「でも、みんなこの薬を飲んで面白くなったじゃない?」
「面白くなったって言うか、やかましくなっただけだって」
「私も面白くなりたい……」
春心は思い出した。最近のルシアは『面白くなりたい』という思いに駆られているのだ。
そして春心は、ルシアがそういう心境に至った経緯を知っているだけに(※爆笑王決定トーナメントの最終話を参照)、止めるに止められない。
「私が面白くなったら、春心ちゃんがツッコミを入れてね」
「わかったけども……」
ルシアは紙コップに入った魔法薬を、勢いよくあおった。
朱音はセミを褒めたくなった。メーベルはウナギを英訳したくなった。高崎は米を研ぐ許可を求め続けるようになった。では、ルシアはどうなるのだろう?
しばらくすると、ルシアは自分自身に失望したかのような暗い表情で言った。
「あ、これ私には効かないやつだ……」
「効かないのかい」
どうやら魔法使いには、魔法への耐性が普通の人よりあるらしく、今日ルシアがお試しで作った程度の魔法薬では、薄すぎて効果が出ないようだ。
ルシアはがっくりと肩を落とした。
「面白くなりたかった……」
「そんなにがっかりしなくても」
「しかも薬を飲んでも効かないってパターン、しづくちゃんがもうやってるから……いまさら効かないパターンをやっても面白くない……私が一番面白くない……」
「ルシアちゃんはその感じで『面白くなりたい』とか言ってる時点でもう面白いんだから、気にしなくていいって!」
それにしても、なんだこの状況。春心は改めて周囲を見回してみる。
「セミっていいよな」
「ウナギって、英語でなんて言うか知ってます? eelって言うんですよ」
「米研いでいい?」
「面白くなりたかった……」
四人が四人とも、勝手に発言しまくっている。
そしてしづくは、プリンを食べ終えてすることがなくなったのか、すでにキッチンから姿を消していた。
とっ散らかったこの状況を、どうやって収めたらいいのか。少し考えて、春心はこうすることしたのだった。
「じゃあ、私はもう寝るね! おやすみ!」
そう、全部ぶん投げたのだった。
全部ぶん投げて、寝たのだった。
めでたしめでたし。
おしまいでござる。
完




