レッツ☆ダイナマイ 10/10
謎部の部室には、さまざまな“謎”にまつわる小説や雑誌が乱雑に置かれている。いちおう本棚もあるのだが、そこにはまったく収まりきらず、棚やテーブルの上にも本が積まれているありさまだ。
「部長、なんだか久しぶりですね」
「はは、そうかい? ついこのあいだ、顔を出したばかりじゃないか」
青柳部長が、すらりとした長い足を組んで、パイプ椅子に座っている。本に囲まれるのが様になる、その理知的な顔つきは非常に整っており、それでいて言動がどこか芝居がかっているので、まるでフィクションの登場人物かのような印象を受ける。
ここでメーベルはふと、この檸文高校の先輩たちを思い浮かべた。
朱音と仲がいいことで知られ、この学校でもっとも狂っていると噂される、正座部部長・栃ノ木結善。
普段どんな活動をしているかわからない、超高校級の大巨漢、輪ゴム部部長・八犬伝ドルマークス。
キャラがよくぶれるとの定評がある、司会者部・森林。
変革を企むピンク髪の生徒会長・上田恵梨香。
裏情報部を自称をする、完全に異質な男、小松。
破壊活動に情熱を燃やす、普通に大悪党の、元ブレイクマシン部・久保田。
レッツ☆ダイナマイ☆アゲインこと、白鷺光流と久浪里紗。
そして目の前の謎部部長・青柳植人。
(なんでこの学校って、キャラが強烈な先輩たちばっかりなんでしょうね。私よりも“キャラクターしてる”人たちが多いのは気のせいですか?)
ボツになったとは言え、メーベルはキャラクターとして作り出された存在だ。その一方で、この学校の先輩たちは、いわゆる“普通の人”だ。
それなのに、この学校にはどうしてこんなにもキャラクターみたいな先輩が多いのだろう。『普通の高校生がそんなことする?』みたいな言動をする人物ばかりだ。
ついでに校長もなんか変だし。
「ところで、なにを悩んでいたんだい? 昨日の事件のことかな」
青柳に尋ねられ、メーベルの思考が現実に戻ってくる。
「ええ、まあ、そんなところです」
「事件の顛末については、光流くんから報告を受けたよ」
光流くんと言われて、一瞬誰のことを言っているのかわからなかったが、すぐに白鷺の下の名前だということに思い至った。
たしか、青柳部長と白鷺は昔から近所付き合いがあるようで、昨日の事件だって、本来は青柳が引き受けるはずだったのだ。
昨日あったことについて、メーベルが勝手にべらべらと喋るのであれば問題だが、白鷺のほうから青柳に説明してくれたのなら話は早い。
「昨日はいろいろとカオスだったようだね」
「そうなんですよ。もうめちゃくちゃで……現実はやっぱり、推理小説のようにはいきませんね」
「解決の仕方が美しくなかったと?」
「いえ、そうではありません。犯行の手口がどうとか、動機はなんだとか、解決の道筋が美しいか美しくないかとか、そういうものはフィクションの中で楽しむから許されるのであって、現実の事件でそれを娯楽にするのは、不謹慎です」
言いながら、メーベルは自身に問いかける。
自分は本当に、不謹慎だと思っているのか。今回のダイナマイ部の事件を、どこか推理小説を楽しむような目線で見てはいなかったか、と。
わからない。そういう自分もいたのかもしれない。ミステリー出身のキャラクターであるメーベルは、本能的に、世の中を推理小説と同じような目線で見てしまうときがある。
だが、それを言い訳にしてはいけないのだ。自制の意味も込めて、現実の事件を娯楽にするのは不謹慎だと、何度でも言い続けたい。そこに迷いはない。
「じゃあいったい、ベルナールくんはなにに悩んでいるのかな?」
先ほどから、青柳部長の問いかけが続く。しかしこれはメーベルを追い詰めたいわけではないのだろう。
片方が質問に徹し、もう片方が質問に答えることで、リズムを作りながら考えを整理していく――これは実は、謎部でよくやるやり取りなのだ。以前ここで推論ゲームをしたときも、まったく同じことをした。
「私は……」
メーベルは自身の考えを確かめるように、ゆっくりと会話を進める。
「私はただ……論理というものの力を、信じたかったのかもしれません」
「論理の力、か」
「推理小説の世界って、論理が持つ力がすごいじゃないですか。論理的な思考を続けさえすれば、どんな闇だって晴らすことができますよね? それって、こういう言いかたをすると安っぽくなりますけど、やっぱり、私にとっては希望なんですよ」
「うん。それは僕もわかる」
「でも、現実はそうでもないじゃないですか。今回のダイナマイ部の事件だって、小松の情報の力で解決した……推理なんて必要なかったんです」
「そうか」
「それに、私は久浪先輩の説得に失敗しました」
「説得ね……実はその辺のことは、久浪くんの個人的なことに関わることだからって、具体的には聞いてないんだ」
「かいつまんで言えば、理屈で説得しようとしたら、『人の心は理屈じゃない』って言われたんですよ」
「それは手厳しいな」
と、青柳は苦笑する。
「ところで、椅子に座ったらどうだい? 立ち話で済ますようなライトな話題ではないだろう?」
青柳に促され、メーベルは空いている椅子に腰を下ろす。
そうして間を作ってから、部長はおもむろに切り出した。
「ベルナールくんの言う通り、現実においては、論理はそれほど万能なものではないと思う。いや、厳密には、人間がおこなう論理的思考は万能ではない……と言ったほうが正しいかもしれない」
「やっぱり、そうですか……」
「もちろん、完全無欠の神が論理的な思考を重ねたら、正しい結論が出るのだろう。だけど、人間が論理的な思考を重ねようとしたところで、正しい結論に至るとは限らない。人間は完璧ではないから」
青柳は人差し指をぴんと立てる。
「第一に、人間の脳のスペックは完全無欠とは言いがたい。処理能力には限界があるし、単純な見落としだってする」
続けて、指をもう一本立てる。
「第二に、脳は無意識のうちに情報の取捨選択をしてしまう。自分にとって都合の良い情報は拾い上げるのに、都合の悪い情報は頭から抜け落ちていく。またはその逆に、ネガティブな情報ばかりが目についてしまい、気持ちが沈んでしまうことだってあるだろうね。偏った情報だけを見て論理的に物事を考えようとしたって、正しい結論に辿り着くはずがない」
メーベルは以前に読んだ推理小説を連想した。
その小説の語り手は、とある出来事がきっかけで、Aという登場人物が犯人だと、強く疑うようになる。
語り手が調査に乗りだすと、ものの見事にAが犯人だとしか思えないような状況や情報が揃っていく。
やがて語り手は、自身の推理をAに突き付け、「お前が犯人だ!」と指摘する。ところがこれが大間違いで、語り手が恥をかくという物語だ。結局犯人はAとは関係ないXという人物だった。
どうしてそんなことになってしまったかと言えば、『Aが犯人に違いない』という結論ありきで事件の調査を始めてしまったからだ。
自分の結論が当たっていると信じたいがために、自分にとって都合の良い情報だけに着目し、理屈で繋ぎ合わせた結果、誤った推理を構築してしまった。
論理的に考えているつもりが、実は自分が信じたいものだけを信じているだけ……ということは、誰にだって起こりえることなのだろう。
青柳部長は、三本目の指を立てる。
「そして第三に、仮に完璧な論理を構築できたとして、それの使いどころや解釈を間違えたら、なんの意味もない。数学の問題で、どんなに素晴らしい公式や定理を用いたところで、使いどころを誤れば正解に辿り着けないのと一緒だ」
部長の話を聞けば聞くほど、人間がおこなう論理的思考の不完全さが浮き彫りになっていく気がして、メーベルの落胆がより深いものへと変わる。
「論理的思考というのは特殊技能なんだよ。誰にでもできることではない。僕だって、できているどうかか怪しいものだ。論理を正しく扱うには訓練と適性と、感覚がいる。感覚は、よく論理と対比して語られることが多いけれど、本当は論理を扱うのにも感覚がいるんだ。恐ろしい話だろう。そして仮に論理を正しく扱えたところで、人間の脳に辿り着ける範囲には限界がある」
「じゃあ、やっぱり……私が信じていたほど、論理に力はないんですね……」
「その頑なさはベルナールくんらしいと言えばらしいし、らしくないと言えばらしくないな」
青柳部長は笑いながら困っているような、複雑な表情を浮かべた。
「じゃあ、論理的思考を放棄して、なにも考えずに動けば全部上手くいくと思うかい? 勢いだけですべてが解決するのかい? そんな訳はないだろう?」
「…………」
「ベルナールくん。きみはダイナマイ部の事件で、推理が必要なかったと言ったね。だけど、もし小松くんがいなかったらどうするつもりだったんだい? やはり、推理の力が必要になっていたんじゃないのか? 今回はたまたま小松くんが活躍しただけのことだ。そうは思わないかい?」
「そうかもしれませんが」
「それに、きみは久浪くんの説得に本当に失敗したのか?」
「それって、どういう……」
「確かに、人の心は理屈じゃない。だけど、100%本能や感性だけで動いているわけでもないだろう。必ず理性の部分は存在する。ベルナールくんは久浪くんの心のすべてを動かすことはできなかったかもしれない。でも、きみの論理による説得は、久浪くんの理性に響いたかもしれないじゃないか」
青柳の口調の節々に、熱がこもっていく。
「白黒をつけることだけが正解じゃない。きみの説得は、部分的に久浪くんの心に届いたのかもしれない。あるいは、昨日の時点では響かなかったとしても、五年後、十年後、きみがかけた言葉が、時間を超えて久浪くんの道を照らす光になるかもしれない。きみが懸命に考えた説得が無駄だったと考えるのは、まだ早すぎるだろう!」
部長は高まった熱を冷ますように、ゆっくりと息を吐く。そして、穏やかに語った。
「人間の思考力は無限だ――という考えかたは、僕は傲慢だと思う。だけど、傲慢だとわかっていながら、限界があると知っていながら、不完全を自覚しながら、それでも思考を重ね続けること――それこそが人間の誇りなんだと、僕は信じたい。論理的思考は万能ではないが、けっして無駄ではないんだ。……ベルナールくん。世の中には、僕たちのちっぽけな脳でどれだけ考えたって、解決できないことが山ほどある。だからこそ――」
――精一杯、あがいてみようじゃないか。
青柳の言葉が、鼓膜ではない、もっと深いところで響いたような、そんな感覚がした。
自分の中から、張り詰めた空気が抜けていくのがわかる。気づけば、メーベルは笑っていた。
「……ふっ、そうですね。そうです。部長の言う通りですよ。私がちょっと極端でした」
考え込みすぎて極端な結論に至ってしまうという悪癖を、メーベルは自覚してはいたが、さすがに今回は変な深みにハマりすぎた。
青柳が物珍しそうに目を見開く。
「おや、きみが笑っているところ、久しぶりに見たな」
「そうですか? そんなことないですよ」
そう言いながら、メーベルは考える。最後に笑ったのはいつだったか。
……あれ? 全然思い出せない。下手したら、ダイナマイ部の事件が起こってから、一度も笑っていない可能性すらある。
「私、もっと笑ったほうがいいんですかね?」
「そのほうが健康寿命が伸びるかもしれないね」
「健康寿命の話をしてるんじゃないんですけど……」
メーベルは試しに、にこーっと、満面の笑みを作ってみた。それを見た青柳が吹き出したので、すぐに真顔に戻す。失礼な。
「まあ、でも、ありがとうございました。面倒臭い相談をしてしまいましたね」
「いやいや。その面倒臭い会話が好きな集まりだろう、この部活は」
メーベルはかつて、春心にこんな話をしたことがある。
――まぁ、私の場合はボツになってよかったんですけどね。
――推理小説の探偵役になったら、毎回殺人事件に出くわすじゃないですか。私、死体に囲まれる人生なんて嫌ですよ。
メーベルは、ボツキャラクターになってむしろよかったと、前々から言っている。
しかし『白黒をつけることだけが正解じゃない』という青柳の言葉を借りるなら、メーベルの心の裏側には、物語の登場人物になりたかったという無念があるのかもしれない。
論理の世界に生きる名探偵に憧れ、嫉妬しているのかもしれない。
この世界は推理小説の世界ではない。だから、メーベルはきっと、本当の意味での名探偵にはなれない。
それでも、あがいてみようと思う。
いつかまた、論理の力に失望してしまったとき、今日部長と交わした会話が、時間を超えてメーベルの道を照らす光になってくれる。
そんな確信がある。




