羞恥心とミステリー(解決編)2/2
メーベルが辿り着いた結論を聞いて、春心は真っ先に疑問を抱いた。
「待って。だからそれだと、鳴瀬くんと木田くんの言動の説明がつかないんじゃないの?」
「それは春心の勘違いだったんです。おならのことで話しかけられたと思い込んでいただけなんです。つまり、春心が話しかけられたのは、おならとは全く関係のない、完全に別件だったんです」
「え……?」
おならとは全く関係ない?
じゃあ、つまり、どういうことなの?
春心が小首を傾げていると、メーベルは「順を追って説明しましょう」と言った。
「まず、成瀬くんか木田くんのどちらかが――この場合、どちらがしたかは重要じゃありません――おならをしたんです。そして二人はそれをネタに大笑いをした。春心は実際に二人の笑い声を聞いているんですよね?」
「うん。結構大きな声で笑ってたから覚えてるよ。それがどうしたの?」
「いえ、そこまではいいんです。問題はそこから先ですから」
そこで一呼吸置いて、いよいよメーベルは謎の核心に触れた。
「二人は笑っている途中で、あることに気づいてしまったんです」
「気づいた……? なにに?」
「春心の頭に、この卑猥な写真がくっついていることに、です」
「えええっ!?」
メーベルは、教室に落ちていた成人誌の切れ端を春心の前に掲げ上げた。
「春心は今日、学校の外で、これと同じような雑誌の切れ端を何枚も拾ったんですよね?」
「そうだけど……まさか、そのときに私の頭にくっついちゃったの!?」
「ええ、おそらく。この雑誌の切れ端は、日中降っていた雨のせいで湿っていた。だから、いつもよりも張り付きやすくなっていたんです」
春心はゴミを拾っていたときのことを思い返す。
たしかに、湿った紙切れは周囲に張り付きやすくなっていた。実際に地面や枝葉にくっついていたし、これなら風で飛ばないなと思った記憶もある。
「そっか、そっかぁ……ありえるかも……」
それがなにかの拍子で頭についてしまったのだろうが――一番怪しいのは、茂みに上半身を突っ込んだときだ。
しかもその直後に学級日誌を書き忘れたことに意識が向いてしまったため、身だしなみについて考えている余裕もなかった。
「で、でも、待って。そんないいタイミングで気づく? 鳴瀬くんも木田くんもおならの話で笑っていたのに、なんでそこで私の頭に乗っている紙切れに気づくの?」
春心が教室に入ったとき、鳴瀬も木田も特に春心を気にしている様子はなかった。
それなのに、どうしておならで笑っている最中に限って春心の頭に注目がいくのか、全然わからなかった。
その疑問に、メーベルはあっさり答える。
「だからこそ、じゃないですか?」
まあ、これはただの予想ですけど、と彼女は付け加える。
「異性におならを聞かれて恥ずかしいという感覚は、男子だって同じなんじゃないでしょうか。だから男子側としては、同じ教室にいた春心がおならに気づいたのかどうか気になってしまった。それでつい、ちらっと見てしまったんでしょう。そして春心は春心で、顔も上げずに黙々と日誌を書いていた。頭が彼らに丸見えだったわけです」
「あー」
その気持ちはよくわかった。
もしも春心が人前でおならをしてしまったり、お腹が鳴ってしまったりしたら、状況にもよるけれど、周囲をキョロキョロと見回してしまうだろう。聞こえちゃったかな? ばれちゃったかな? と人目が気になって仕方がないだろう。
同じように、おならをした男子も、春心の方を見てしまった。
そして、春心の頭の上に卑猥な写真が乗っていることに気づいてしまった。
「で、男子二人はそれを春心に教えようとした。でも、言えなかった」
「やっぱり言いにくかったのかな」
「そうでしょうね」
メーベルは頷く。
「なにか頭についてるよと教えるのは簡単です。でも想像してみてください。卑猥な写真を頭に乗せていたことに気づく春心。それを教えた男子。三人しかいない教室。さて、どんな空気になるでしょうね」
「……考えたくないぐらい気まずい」
春心はうめいた。
そんな空気の教室、端的に言って地獄だ。
「春心が男子二人のおならを冗談にできなかったのと同じで、男子二人も、春心の頭に乗った写真を冗談にできなかったんです。触れられなかったんです。だから、二人は遠回しに伝えるしかなかった」
春心にもだんだんわかってきた。
つまり、頭に乗った卑猥な写真のことを遠回しに伝えようとした結果が、『俺らさ、気づかなかったことにしとくからさ、だから、誰も来ないうちに早くトイレに行ってきたほういいぜ』という発言だったのだろう。
しかし、それが思いきり裏目に出てしまった。
「鳴瀬くんが“気づかなかったことにしとくから”なんてあやふやな言いかたをしたから春心が誤解したんです。これが“見なかったことにしとくから”だったら、一発でおならの話ではないとわかったはずなんです。おならは見るものじゃなく、聞くものですからね」
「じゃあ、そのあとに言った『誰も来ないうちにトイレに行ったほうがいい』っていうのは?」
「鏡を見てこいって意味ですよ」
「あぁ~」
ようやく、あのときの二人の行動の全てに納得がいった。
大笑いしていた途中で、不自然に黙ったこと。
春心が顔を上げたとき、気まずそうにこちらを見ていたこと。
そしてすぐに顔を背け、慌てながらも励ますようなことを言ってきたこと。
逃げるように教室から出て行ったこと。
それもこれも、春心の頭に卑猥な写真が乗っていたことに、ふいに気づいてしまったからだ。
おならは直接的には関係なかったのだ。
「遠回しに伝えようとしたとは言え、二人の言い回しがややこしくなってしまったのは、それだけ二人が動揺していたからでしょうね」
「たしかにね。もし私が逆の立場だったら――」
春心がふと、男子の頭に卑猥な写真が乗っていることに気づいてしまったら。
「叫んじゃってたかも……」
冷静でいられたかどうかはわからない。
そう考えると、あの男子二人は相当気を遣ってくれたほうだと思う。
「あれ、でも、どうしてその切れ端が教室の入口の方に落ちてたんだろう? 私の頭の上に乗ってるんじゃなかったの?」
話がまとまりかけたところで、最後の疑問が湧いてきた。
いままで春心の頭に成人誌の切れ端が乗っているという前提で話してきたのに、その切れ端がどうして教室の床に落ちていたのだろう。春心の頭から取れたのなら、それはどのタイミングだったのだろう。
それに関しても、メーベルは簡単そうに答えてしまった。
「春心、私と廊下で会ったとき、髪の毛が乱れてましたよね? 男子二人が帰ってから、私と会うまでのあいだのどこかで、髪の毛を触ったんじゃないんですか?」
「あっ」
触った。
帰ってしまった鳴瀬と木田を追い、廊下に顔を出して「私じゃないっ!」と叫んだ直後に、強めに頭を抱えた。そのときに切れ端に手が当って、床に落ちたのだ。
「そっか……あのときに落ちたのかぁ……」
だから、メーベルと会ったときには既に春心の頭から成人誌の切れ端は消えていた。いっそ張り付いたままでいてくれれば、話はここまで長引くこともなかったのだろうが。
ともあれ、これで話の筋は通った。
「いや、話の筋が通っただけですよ。いま私が話した推理を裏付ける証拠は一つもありませんから。実際のところどうだったのかは、明日それとなく二人に聞いておきますよ」
「ううん、それは私がやるよ。私、勝手に二人のこと疑っちゃったし……それに、きっと気まずい思いもさせちゃったから」
メーベルの申し出はありがたかったが、今回の件は自分から鳴瀬と木田に確認を取らなければと思う。そして場合によっては、ちゃんと謝らなきゃ。
「ありがとうね、メーベルちゃん。一緒に考えてくれなかったら、私、ずっと変に勘違いをしたままだった。やっぱりメーベルちゃんは名探偵だよ」
春心がお礼を言うと、メーベルは謙遜するように首を振った。
「よしてください。私はそんなんじゃありません。私は推理小説の探偵役になり損なった、ただのボツキャラクターなんですから」
メーベル・ベルナール・レオンハルト。
その正体は、ミステリー出身のボツキャラクターだ。
「まぁ、私の場合はボツになってよかったんですけどね」
「メーベルちゃんって、前からそう言ってるよね」
ボツになってよかった。
春心の記憶が正しければ、メーベルは出会ったころからそんな発言をしていたような気がする。
「そりゃそうでしょう。推理小説の探偵役になったら、毎回殺人事件に出くわすじゃないですか。私、死体に囲まれる人生なんて嫌ですよ」
言いながら、メーベルは自分の机へと向かうと、中から数冊の本を取り出した。
「ってことで、私はそろそろ部室に戻ります」
「あ、ごめんね。時間を取らせちゃって」
どうやら本来、メーベルは忘れ物を取りに来ただけだったようだ。
だとしたら、ずいぶん手間を取らせてしまった。
「いえ、楽しかったですよ」
メーベルはにこりと笑って、一年七組の教室を去っていく。その小さいながらも頼もしい後姿を、春心は敬意を込めて見送った。
「それにしても、変なことで振り回されちゃったなぁ……」
おならをしただのしてないだの、オトナだのオトナじゃないだの、恥ずかしいだの恥ずかしくないだの……。
もしかして、これが思春期というやつなのだろうか。
だとしたら――
「って、もうこんな時間!」
そろそろ日直日誌を提出しないと本当にまずい。春心は書きかけだった“今日の感想・反省”という項目に、急いで締めの一文を添えた。
『先生、思春期ってめんどくさいですね』
後日、担任に心配された。




