うがいの天才、そして鈴木は宙を舞う 4/4
予想外の人物が登場したことで、ルシアの思考が停止してしまう。理解が追いつかない。
(どうして鈴木くんが……? 朱音ちゃんたちと知り合いなの……?)
前髪で目元が隠れている、線の細い小柄な男子生徒、『鈴木くん』。
彼のことは、ここに来る直前に志保から聞いたばかりだ。一昨日の夕方、駅前で『しょーりゅーけぇーん!』と叫びながら宙を舞っていたという、ルシアのクラスメイト。
噂をすれば影――とは言うけれど、まさかこんなに早く出会うことになるとは。しかもラフ&ピース部と面識があるらしい。いったいどんな繋がりが?
「ぼそぼそ」
鈴木くんが口を開いた。しかし小声すぎて、内容がまったく聞き取れない。
「なにぃ……?『ラフ&ピース部のお二人に謝罪したいことがあって来ました』だってぇ!?」
と、朱音が驚きの声を上げた。
距離的にはルシアよりも朱音のほうが鈴木くんより遠いのに、なぜか彼の声がはっきりと聞き取れているらしい。
「ぼそぼそ」
「なにぃ……?『護身のためにあなたたちから教わった【しょーりゅーけん】を、私は、盾ではなく、矛として使ってしまったのです』だってぇ!?」
「ごめんなさい、ちょっと待ってもらえるかな?」
ルシアは会話に割って入った。マナー的にはよくないのだろうが、さすがに気になることが多すぎる。
「まず、ラフ&ピース部と鈴木くんってどういう関係なの? あ、鈴木くんと私は同じクラスなんだけど――鈴木くん、私のこと知ってるわよね?」
ルシアが問いかけると、鈴木くんはこくりと無言で頷いた。喋ってはくれない。
「その鈴木くんと朱音ちゃんたちが知り合いなの、結構びっくりって言うか……」
それについては春心が説明してくれた。
「ちょっと前に鈴木くんから相談があって、それで知り合ったの。どんな相談かっていうのは……まあ企業秘密ってやつ?」
「ぼそぼそ」
「なにぃ……?『別に詳しく喋ってもいいですよ。男に秘密は必要ないですから』だってぇ!? おい春心、聞いたか!?」
「いや、聞こえないよ。なんで朱音ちゃんにだけは鈴木くんの話が聞こえてんの? 本当に鈴木くんってそんなこと言ってる? ちょっとまだ疑ってるからね、私」
その言いかたからすると、春心にも鈴木くんの話の内容は聞こえていないらしい。
朱音が春心から話を引き継いで、説明を続けてくれた。
「何か月か前からよ、鈴木が通ってるゲームセンターに迷惑なことをするやつらが出てくるようになったらしくてさ」
(ゲームセンター? 迷惑なことをするやつら?)
あれ、とルシアは思う。メーベルから聞いた『駅前のゲームセンターに迷惑集団が出没していたという噂』と内容がそっくりじゃないか。
「でもその迷惑なやつらはずいぶん陰湿らしくて、決定的な証拠は残さねえ。店の人間も警察も、そいつらを罰するに罰せない状況だった。もう、自分の身は自分で守るしかない――そんな状況になった鈴木は、私たちラフ&ピース部に相談をしてきた。護身術を教えてほしいってな。そうだよな、鈴木?」
「ぼそぼそ」
「なにぃ……?『そうです』だってぇ!?」
春心が冷めた目をしながら「いまの通訳いる?」とぼやく。
なるほど。鈴木くんは護身術を学びたくて、ラフ&ピース部に相談したのかと、ルシアは納得――できなかった。それなら、空手部や柔道部に相談すればよかったのでは?
「ぼそぼそ」
「なにぃ……?『なぜラフ&ピース部に相談したのか。それは、この学校でもっともルールに縛られていないように見えたからです。かの迷惑集団は法の隙間を縫ってきます。ならば目には目を、歯には歯を……不法者には不法者を。それゆえ私は、ラフ&ピース部を頼ったのです』だってぇ!?」
春心が眉をひそめながら「いま私たちのこと不法者って言ったよね?」と呟く。
「ぼそぼそ……」
鈴木くんが心なしか、先ほどよりもわずかに暗いトーンでなにかを呟いた。すぐに朱音が“通訳”を開始する。
「『しかし私は、護身用のために朱音さんから教わった【しょーりゅーけん】を、攻撃のために使用したのです』」
「ぼそぼそ」
「『わかっていました。自分から手を出すことは御法度だと。ですが、あのゲームセンターは、私にとってかけがえのない大切な場所でした。警察も店の人も守ってくれないのなら、私がやるしかなかったのです。結局最後は自分なのです。大切なものを守りたければ、自分で戦うしかない。どこかの誰かが守ってくれるだろうという考えは、平和ボケという名の幻想です』」
「鈴木くん、見た目に反して思想が強いって」
「『私は迷惑行為をしている集団を路地裏に誘い出し、【しょーりゅーけん】で壊滅させました。……え? 暴力はいけません? いいですねぇ、綺麗事。でもその綺麗事って、僕の大切な場所を守ってくれるんですか?』」
「思想が強いって!」
鈴木くんが語り、朱音が通訳し、春心がツッコむ。そのやり取りを聞いているうちに、ルシアの頭に電撃が走ったような感覚があった。
――繋がった。
メーベルの話が、しづくの話が、志保の話が、フラッシュバックする。
『その集団が、最近になって突然壊滅したらしいんですよ』
『一昨日の夕方、駅前でガラの悪そうな男たちが何人も吹っ飛んできたのを見たって言っててさ……』
『その鈴木くんがね、一昨日の夕方、駅の近くの路地裏で舞ってたの』
今日、ここに至るまでに聞いてきた三つの噂が、いま、一つになった。
なぜ迷惑集団が壊滅したのか? それは、鈴木くんが壊滅させたから。
なぜガラの悪そうな男たちが何人も吹っ飛んできたのか? それは、鈴木くんが吹っ飛ばしたから。
なぜ鈴木くんが路地裏で舞っていたのか? それは、【しょーりゅーけん】を放っていたから。
これが噂の真相だった。すべてが……すべてが繋がった!
(繋がったから、なに……?)
ルシアはふいに、得体の知れない虚無感に襲われた。
「ぼそぼそ」
なおも鈴木くんは語る。でもやっぱりなにを言っているのか聞こえないので、結局朱音が代わりに喋ることになる。
「なにぃ……?『ですが、暴力で物事を解決したことの重みは理解しているつもりです。すべてのおこないには責任が伴うものです。私はいまから、暴力を振るった責任を取ってきます』だってぇ!? どういうつもりだ、鈴木!」
「ぼそぼそ」
「なにぃ……?『職員室に行って、すべてを正直に話してきます。そして罰を受けることにします』だってぇ!? 鈴木、お前本気か!?」
「ぼそぼそ」
「『いいんですよ。私はただ、どんな罪を背負ってでも、大切な場所を守りたかったのです。悔いはありません。ラフ&ピース部のお二方、お世話になりました。そしてなんの巡り合わせか、私の話を聞いてくれた、級友にして学友のルシアさんにも多大なる感謝を。みなさんの未来に、幸あれ』」
鈴木くんは、まるで公演後に観客へ挨拶をする舞台俳優のように深くお辞儀をしてから、こう言った。
「ぼそぼそ」
「『それでは、アディオス』」
そして鈴木くんは踵を返し、堂々とした足取りで歩きだした。
春心が、釈然としない様子で朱音に尋ねた。
「再確認なんだけどさ、鈴木くんってほんとにそう言ってる? 普通『アディオス』とか言う?」
「言ってたぞ」
「本当に? 同級生との会話で『幸あれ』とか言う?」
「まじで言ってたんだって!」
ルシアは、去っていく鈴木くんの後ろ姿を見て、自分はクラスメイトのことをなにも知らなかったんだなと痛感した。
クラスメイトの予想外の一面を知ってしまった。
いや、予想外なんてものではなくて。変な色をした見たこともない形状の武器で、考えたこともない角度からぶん殴られたような衝撃だった。
「鈴木くん、大丈夫かしら。退学になったりして……」
「いやぁ、どうだろうな。なくはないかもしんねえけど、しばらくは様子見するしかねえだろ。……そんで、ルシアは結局なんの用事だったんだ?」
朱音に話を振られて、ルシアは少し考える。自分はここに、『なにか面白いこと』を訊きに来たはずだったが――
「いや、もういいかな。お腹いっぱいになっちゃった」
「腹減ってたのか?」
「そういうことじゃないんだけどね」
あっ、わかった! と、春心が突然大きな声を出した。ルシアと朱音は揃って振り向く。
「なんだよ春心。急にでけえ声出して」
「さっき朱音ちゃん、鈴木くんの通訳しながら会話してたから、ちょっとテンポ悪かったじゃん」
「テンポ悪いとか言うな」
「あの会話にラグがある感じ、どこかで見た感じな~って思ってたんだけどさ。やっとわかった!」
春心は晴れやかな表情で言った。
「大谷翔平が海外メディアから取材受けてるときのテンポだ」
「…………」
なんだそのたとえ――と、朱音が珍しくツッコミを入れた。
ルシアが生徒会室に戻ると、机で書類作業をしている上田会長が顔を上げた。
「どうだった?」
「面白い話、聞けましたよ」
自信を持ってそう答えることができた。
笑って楽しい気分になるという意味での『面白い』とは少し違うが、物珍しいという意味で、今日聞いた鈴木くんの話以上のものはないだろう。
「いいね、聞かせてもらおうか」
ルシアはさっそく会長に報告しようとして、ふと冷静になった。
(あれ、鈴木くんの話って、していいのかしら? ……だめよね?)
鈴木くんは『男に秘密は必要ないですから』と言っていたが(朱音の通訳を信じるならば)、かと言って、個人的な話を勝手に言いふらしていいものだろうか。本人がいないところで、噂を広めるようなこと……。
ルシアは少し考えて、日時や場所、個人名を出さずに、言える範囲で会長に報告することにした。これが鈴木くんの話であると特定できないように。
その結果、こうなった。
「しょーりゅーけんで、悪い人たちを壊滅させました」
「は? え?」
上田会長の目が点になった。
「え、ごめん、もう一回言ってくれるかな? なにがなんだかわからなかった……」
「しょーりゅーけんで、悪い人たちを壊滅させました」
「なにそれ!? なんの話なの!? 情報がなさすぎるというかなんというか……ええ? ごめん、もう一回言って?」
「しょーりゅーけんで、悪い人たちを壊滅させました」
「なにがなんなの? まず主語がないじゃないか、その文章。誰がやったの? 誰が壊滅させたの?」
「言えません……」
「なんで!?」
上田会長とのあいだに、微妙な空気が流れる。おかしい。こんな雰囲気になるはずじゃなかったのに。
それでは別の『面白いこと』を話そうかとルシアは考えたが、鈴木くんの話が濃すぎて、それで満足して聞き取り調査を打ち切ったがために、ほかのネタがないことに気づいた。
どうしよう、なにかなかったかな? なにかほかに面白いことは……。
「あ、そうだ! ミサキちゃんがパリに行ってます!」
「ミサキちゃん!? 誰!? パリに行ってるの!?」
「本当はトイレに行ってます……」
「なんで嘘ついたの……?」
「いや、嘘とかそういうのじゃなくて……」
あれ、あれ? やっぱりおかしい。全然話が盛り上がらない。こんな雰囲気になるはずじゃなかったのに。どこで間違えてしまったのだろう?
いや、諦めるのはまだ早い。ほかになにか面白いことはなかったか。ひねり出せ、自分――と、ルシアは自分に言い聞かせる。
そうだ、あれがあった!
「私、うがいの天才かもしれません!」
「なにを言ってるんだきみは……」
「ですよね」
それはそうだろうなと思う。うがいの才能って、なに?
気まずい沈黙の中、上田会長は腕を組み、部屋の天井を仰ぎ見て、大きく息を吐く。そして重々しく口を開いた。
「今回の件、誰が悪かったかと言えば――100:0で、私が悪いわな」
「会長!」
「ルシアに無茶振りをしてしまったせいで、こんな空気になってしまった。すまない。私が責任をもって、この微妙な空気にオチをつけよう」
上田会長が椅子から立ち上がる。彼女の身長は、ルシアよりも頭一つ分は小さい。体格だけで見れば、小学生と言っても通用しそうなほどだ。
だがルシアには、いまの上田会長が大人に見えた。
彼女はちょっとユニークな性格をしているが、自分の非を素直に認め、責任を取ることができるという、組織の上に立つ者の資質を備えた人物なのだ。
そしていま、会長は、ルシアに一切の責任を負わせることなく、自らの手でこの微妙な空気に決着をつけようとしてる。
ルシアは、なにもできない自分に歯がゆさを覚えた。だからせめて、会長のその雄姿を目に焼き付けようと思った。それが生徒会の後輩として、いまできるたったのひとつのことなのだ。
「いくぞ」
上田会長はまず、両腕を全開まで左右に広げた。そして広げた両腕をゆっくりと上昇させ、頭上で合わせる。身体全体を使って、大きな三角形を作った形だ。
そして彼女は言った。
「“エッフェル塔”」
「わあー、会長すごい!」
盛り上がるように、ルシアは努めて明るい反応を心がけたが、それが空回りしていることは明らかだった。
エッフェル塔のポーズをとったまま、上田会長は真顔で言った。
「私、スベッたよね?」
「会長……」
どうしてこんなことになってしまったのだろう?
会長の力をもってしても、この微妙な空気という魔物を打ち倒すことはできなかった。
オチはつかなかった。
面白いって、難しい。
たぶんルシアもルシアでちょっとずれてる。




