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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第一章 ボツキャラクターの日常
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羞恥心とミステリー(解決編)1/2

 一年七組の教室。


 メーベルは鳴瀬と木田の座っていた辺りに立ち、春心は自身の席に腰を下ろしていた。先ほど教室にいた三人の位置関係を再現した形だ。春心の席は窓際から二列目、教室の一番後ろの机で、鳴瀬はその正面四つ前の席に座っていた。そして木田は春心から見てその右の席に座っていた。


「これは形式的な確認ですので、あまり気を悪くしないでくださいね」


 そう前置きをしてから、メーベルは春心に尋ねる。


「まず、春心がおならをしていないというのは本当ですか? 恥ずかしいから嘘をついている、なんてことはないですよね?」


「うん、それはほんと」


 その質問で気分が悪くなるようなことはなかった。


 前置きがあったというのもあるが、春心にとって、メーベルは最も仲のいいクラスメイトの一人でもある。一言で言えば、信頼感があった。


「では次の質問です。鳴瀬くんと木田くんのどちらかがおならをして、春心のせいにした。これはありえると思いますか?」


「うーん、さすがにそれはないんじゃないかな?」


 鳴瀬と木田と仲がいいわけじゃないと言っても、入学してからもう二か月も同じクラスで過ごしてきてはいるのだ。まったくの初対面ではない。


 少なくともおならを他人のせい――それもあまり交流のない女子のせいにするような、くだらないことをする男子でないことくらいは春心にもわかる。


 それに、先ほどは“からかわれた”というよりも“気遣われた”という感じだった。


「うん、そうでしょうね。私もないと思います」


 メーベルも最初からその説を信じてはいないようだった。形式的な確認というのは本当らしい。


「それでは実際におならによく似た音がどこかで鳴ったと仮定し、考察を進めていきましょう」


 ここからが本題。妙な誤解を生んだあのガスの抜けるような音の正体はなんだったのか?


 メーベルは教室の天井に埋め込まれているエアコンに目を向けた。


「いま、この教室には冷房がついていますよね? これは例の音が鳴ったときも、同じように冷房がついていたと考えていいのでしょうか」


「うん。私が教室に来たときにはもうついてたよ」


「と言うことは、窓や扉は……」


「閉まってたね」


 ふん、とメーベルが小さく頷く。


「そうなると、教室の外で鳴る音は、教室の中にいる春心たちには聞こえづらい……その一方、例の音はぼんやりと聞こえてきたのではなく、はっきりと聞こえてきた……ですよね?」


「そうだよ」


 あの音が鳴ったときのことを思い返す。


「あのガスの抜けるような音ね、ほんとにこの教室で鳴ったって感じだったの。遠くから聞こえてきたって感じじゃなかった」


「それなら、たまたま廊下を通りかかった第三者が音を出したという可能性はないと思っていいのでしょうか」


「いいんじゃないかな。外から聞こえてきた音ならさすがにわかると思う」


 あの瞬間、春心は鳴瀬と木田がおならをしたとしか思えなかった。それくらいはっきりと聞こえてきたし、音の方向や距離感にも違和感はなかった。扉を間に挟んだような、くぐもった音では決してなかったのだ。


「そうですか。なら、音源はこの教室のどこかにあると考えていいのかもしれませんね」


 メーベルが教室全体に視線を巡らせた。


 それにつられ、春心もなんとなく教室を眺める。


「でも、そんな音がするものなんて教室にあるかな? いたずらに使うような音が鳴るクッションを誰かが持ってきてるとか? いや、それだと誰かが踏まないと音はしないか……」


「まあ、それに関しては直接見て回ったほうが早いでしょう」


 メーベルの提案を受けて、春心は彼女と共に教室内を見て回る。


 机と椅子の上、教卓、棚――教室の中に物を置ける場所は意外と少ない。なにも見つからないまま、すぐに調べる場所がなくなってしまった。


「特に怪しいものは見当たりませんね。……机の中は勝手に覗けないですし」


「そればっかりはね」


 当たり前の話だが、クラスメイトの机の中だけは調べていない。


 机の中……と、メーベルがぼそりと呟く。


「春心。机の中に誰かがマナーモードの携帯を置きっぱなしにしていて、そのバイブ音が鳴ったというのはどうでしょう」


「ううん、それも違うと思う。バイブ音とは全然違う音だったから」


 即答した。


 バイブ音なら一定の間隔で小刻みに鳴るはずだ。しかし春心が聞いた音は「ぷぅ~」と、たった一度鳴っただけ。音の質だって、バイブ音ほど機械的なものではなかった。 


「じゃあ、少しベタですけど。椅子や机が鳴った音というのは?」


 そう言って、メーベルは椅子を床にこすらせ、ブィッという音を出す。


 それはたしかにおならっぽい音と言えなくもなかったが……


「うーん、それも違うかなぁ。私が聞いたのは、もっと本物っぽい音だったから」


「本物っぽい音」


 可能性を一つ一つ潰していくかのように、メーベルは案を出し続ける。


「なら、誰かがウケ狙いで着信音をおならの音にしていて、それがたまたま鳴ったというのは?」


「そんなことする人なんている!?」


「朱音がいるじゃないですか」


「……ああ」


 うっかり納得しかけてしまった。


 たしかに朱音ならやりかねない――いやいや、本当にそうだろうか?


「いやぁ、朱音ちゃんだって女の子だし、そういうボケはしないんじゃないかな……。それに朱音ちゃんは私たちとは違うクラスでしょ? わざわざ違うクラスの机の中に、変な音の鳴る携帯を放置しておくなんて意味がわからなすぎるよ」


「でも朱音って、ときどきほんとに意味のわからないことするじゃないですか」


「そんなこと――」


 春心の脳裏に、先日のたこわさ騒動の記憶がよぎった。


「あー……」


 信じられなくてごめんと思いながら、結局春心は自身の携帯から朱音に電話をかけてみた。実際に鳴らして確かめるしかないと思った。


「…………」


 着信音はならなかった。少なくとも、この教室の中では。


「うん、朱音ちゃんじゃないみたい」


「そうですか」


「やっぱり、いくら朱音ちゃんでもそんな変なことしないって!」


「ですよね。私もちょっと、失礼なことを言ってしまいましたね……」



 ※



 一方そのころ。


 正座部の部室のロッカーの中に、おならのような着信音が響き渡った。



 ※



「しかし春心の話を聞いていると、なんだか引っかかるんですよね」


 メーベルの表情が険しくなる。


「なんというか、ちょっと聞き間違えたってレベルじゃないじゃないですか。廊下から聞こえてきた音ではない。携帯のバイブ音でもない。椅子が鳴った音ではない。そこははっきりと断言できるのに、肝心の音の正体がわからない……そんなことあります?」


 春心が聞いた音の明瞭さに反して、音の出処が不自然にぼやけていることが、メーベルには納得できないらしい。


 そんだけはっきり聞いておいて、どうして聞き間違えたんだ? と。


 やがて彼女は、話の根本をひっくり返すような疑問を口にした。


「……本当に聞き間違いだったんでしょうか?」


「え?」


「だから、春心が聞いた音は、本当に鳴瀬くんか木田くんのおならの音だったという可能性はありませんか?」


 なぜあのガスの抜けるような音は、おならの音にそっくりだったのか。それは、本当におならだったから。という説だ。


 そんなバカなと春心は思ったが、同時に、その発想の転換によってなにかが大きく前に進んだ感覚がした。なにかを掴みかけた気がした。


 しかし現実には、その説を通すには大きな問題が一つ残っている。


「でも、それだと、男子二人の言動に説明がつかなくない? なんで私に早くトイレに行ったほうがいいなんて言ったの?」


「そうなんですよねぇ」 


 あの音が本当におならの音だった場合、その後の鳴瀬と木田の行動の意味がわからない。どうして二人は春心に対してフォローするような発言をしたのか。


「やはり春心におならの罪を着せるため? いや、それはさすがに……バカバカしすぎます」


「私もそれはないと思うんだよ。あのときの二人の気まずそうな顔、演技には見えなかった」


「しかしそうなってくると……なにが……」


 それからメーベルは難しそうな顔で一分ほど思考にふけっていたが、やがて諦めたように肩をすくめた。


「だめですね。ピースが足りません。一度この案は下ろしましょう」


 本当におならが鳴った説は、春心としても惜しいところをついた気がしたのだが、メーベルの言う通り、ピースが足りない。


 結局、男子二人の行動に説明がつかなければどうにもならないのだ。いまの段階では、これ以上前には進めない。


「教室の中で音が鳴ったという前提が間違っていたのかもしれませんね。人間の耳は意外と勘違いしますから。本当は教室の外で鳴ったのかもしれません」


「勘違いかぁ……」


「ちょっと廊下の様子を見てきます。なにかわかるかもしれません」


 春心には、メーベルが本気でそう考えているようには見えなかった。どちらかというと気分転換のつもりなのかもしれない。


 いままで閉じこもっていた教室から外に出てみることで、新しい視点を得る。散歩中や入浴中のほうがいいアイデアが浮かぶという類のものだ。行き詰まった状況を打開する、メーベルなりの工夫なのだろう。


 しかしこの何気ない彼女の行動が、決定打に繋がった。


「うわっ! なんですかこれ!?」


 教室の出入口付近から、メーベルの動揺したような声が上がった。


 何事かと思い、春心は彼女のもとへ駆け寄る。


「なにがあったの?」


「こんなものが落ちてるんですけど……」


 メーベルが教室の床を指さす。


 そこにあったのは、裸の女性の上半身が写り込んだ、破れた写真――あの忌まわしい、学校の外に落ちていた、成人誌の残骸の一部だった。


「な、なんでこれがここにあるの!?」


 思わず発した春心の言葉に、メーベルが鋭く反応した。


「それ、どういう意味ですか。この写真がなにか知っているんですか?」


 まるでいけないことを問いただされたみたいで、春心はとんちんかんな返事をしてしまう。


「あっ、えっと! ちち、違うのっ! 私が学校に持ち込んだとかっ! そういうのじゃないからっ!」


「わかってますよ。そこは疑ってないですって」


 メーベルは冷静に理解を示した。


「ただ、初めて見るわけじゃないんでしょう? なにか知ってるんですか?」


 今度こそ落ち着いて答える。


「えっとね、今日ごみ拾いをしてたとき――」


 高校の外のとある茂みの中に、バラバラに破かれた成人誌が捨てられていたこと、そしてそれを拾ったことを、春心はなるべく詳しく説明した。


 すると、メーベルの目の色が変わった。明らかになにかを掴んだ様子だった。


 彼女はしゃがみ込み、成人誌の切れ端を凝視する。


「……春心。鳴瀬くんが帰り際になんて言っていたか、もう一度教えてくれませんか?」


 唐突に話が変わったような気がして、春心はそれを答えるのに数秒かかった。


「ええっと……聞かなかったことにしておくから、早くトイレに行ってこいって」


「本当にそうですか? 一言一句違いありませんか?」


 一言一句。


 そう言われてみると、たぶん違う。


 記憶を巡らせ、集中し、鳴瀬に言われたことを思い出してみる。


「あっ、違う。『俺らさ、気づかなかったことにしとくからさ、だから、誰も来ないうちに早くトイレに行ってきたほういいぜ』って言ってた」


「…………」


 メーベルの動きがぴたりと止まる。呼吸すら忘れたみたいに。


 しかしそれも一瞬のことで、ほどなくして彼女はゆっくりと立ち上がった。


「わかりました」


 彼女は春心の目を見て、そして続ける。


「春心がこの教室で聞いた音は、やはり男子二人のどちらかがおならをした音だったんですよ。最初から聞き間違いではなかったんです」

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