物語なんていらない 5/?
「紅雷撃」
沙杏の杖の先から、紅い電撃が放たれる。
しかし瀬名はそれを、身体をわずかに反らすだけという、最小限の動きでかわした。
沙杏は目を疑った。避けられたこと自体にではない。瀬名が動き出したのが、呪文を唱えたあとだったことに、だ。
見間違いでなければ、瀬名は電撃を後出しでかわした。言わば雷を目視してからかわしたようなもので、明らかに人間業ではない。
――いや、最初から人間ではないのだ。瀬名伊織は、ヴァンパイアなのだから。
「人間は、特別な力を持つと、自分自身も特別になったと勘違いする癖があるよね」
おもむろに、瀬名が口を開いた。
沙杏は耳を貸さない。続けて呪文を唱え、電撃を放つ。だが、
「うん、確かに魔法や超能力そのものは万能かもしれない。でもそれを扱う人間が万能じゃないことを忘れちゃだめだよ」
瀬名は世間話でもするかのような気楽さで喋りながら、いとも簡単に避けてしまう。
「どんなに強力な能力を持っていたとしても、人間の脳が反応できない速度で、つまり魔法や超能力を発動する間もなく殺しちゃえば、その人は能力を持っていないのと一緒でしょ」
刹那、瀬名の姿が消えた――かと思った直後には、彼はすでに沙杏の目の前に立っていた。
「こんなふうにね」
瀬名の拳が、みぞおちへ迫る。
避けられない。また、防御をする暇もない。
魔法で対処することも不可能だ。魔法を使うには、杖を相手に向け、状況に適した呪文を選び、それを唱える必要がある。そんな時間があるわけもない。
あまりにも暴力的な速度を前に、なにもさせてもらえない。
特別チームの面々も、こうしてやられていったのだろうか。
……しかし結論から言えば、瀬名のその攻撃が沙杏に届くことはなかった。
「なるほど、この速度は人間には反応できん」
いつの間にか、二人のあいだに武道服を着た男が割り込み、瀬名の拳を右手で受け止めている。
角端だ。
「だがあいにく、我も人間ではないのでな」
その動作をちゃんと目で追っていたのに、なにが起こったのか、沙杏にはまったく理解できなかった。角端が足を半歩踏み出し、ただ二、三回手を軽く払ったようにしか見えなかった。
それなのに、瀬名の体勢が崩れている。
「フッ!」
角端の突き出した掌底が、瀬名の体幹を正確に捉えた。
弾き出されたビー玉のように、瀬名の身体が吹き飛んでいく。だが彼は氷上を舞う妖精のごとく、まるでそういうプログラムが最初から予定されていたのではないかというほどの優雅な回転と共に、両足で地面に着地した。
「ずっと、妙な気配はしていたんだ。まさか沙杏ちゃんの影の中に潜んでいたなんて。優秀なボディガードだね。きみ、名前はなんていうの?」
瀬名は友好的な態度で以て、角端に語りかけた。
角端はそれを無視した。
「あれ、あんまり喋らないタイプ? それとも戦闘中に雑談はしない派かな。実践的だし、現実的だね」
「…………」
「いいよ。拳で語ろうっていうのもまた、ひとつのキャラクターのありかただと思う。……それが許されるだけの実力があれば、だけどね」
気づけば、角端と瀬名はすでに格闘戦の最中にあった。いつ戦いが始まったのか、沙杏には認識することもできなかった。
角端は砕くように、瀬名は流れるように、素手で技を打ち合う。
しかしそんな光景を確認できたのも数秒だけのことで、やがて沙杏は二人の姿を捉えることすらできなくなった。
左から、右から、背後から、上から、静かな――けれど確かに殺気のこもった風を切る音だけが聞こえてくる。
沙杏のすぐ側で戦っているはずなのに、状況をまるで把握できない。残像を追うことすら叶わない。
ようやく彼らの姿を視認できたと思ったときには、一ラウンド目の決着が着いていた。
角端のハイキックが、瀬名の顔を撃ち抜いていたのだ。
瀬名は蹴られた衝撃に逆らわず、後ろに飛び退き、角端から十メートルほど距離を置く。
「……かなり強いね。接近戦では敵わないかも」
瀬名の口元から、血が流れている。だがその表情から余裕は失われていない。
「でも弱点もある。きみ、自由に移動できないでしょ? たぶん、沙杏ちゃんの影の長さぶん――具体的に言うなら、沙杏ちゃんを中心とした半径一メートルから、長くてせいぜい二メートルの範囲でしか動けない。どう? 当たってる?」
「さてな」
角端は構えを解かずに、素っ気なく返事をする。
「またまた。だってきみのほうから仕掛けてこないじゃん。沙杏ちゃんの側に立って、ただ俺の攻撃を迎え撃つだけ」
「…………」
「それにさ、最初に俺を殴ったときと、さっき俺の顔を蹴ったとき、なんで追撃してこなかったの? 相手に体勢を整える時間をくれるほど、きみは親切な人には見えないけどな」
「…………」
「追撃しなかったんじゃないよね。できなかったんだよね。沙杏ちゃんから離れられないから」
角端はなにも答えない。が、瀬名の言っていることは理に適っているように思える。
(ねえ、それってマジ?)
と、沙杏は小声で角端に尋ねた。というのも、彼が沙杏の影の長さ分しか移動できないということは、沙杏にも知らされていないことだったのだ。
角端は瀬名から視線を外さずに、ぼそりと答えた。
(……我の任務は貴様の護衛と監視だ。特にデメリットにはならん)
(マジか)
言外に認めた。
(なんでそんな大事なこと、教えてくれなかったの)
(貴様は……監視対象だからな)
(説明になってないって)
(あれだ。敵を欺くにはまず味方から、とな)
(それはなんか……なんか違うわよ。変なとこで欺かないでよ。本当は忘れてただけでしょ?)
(…………)
角端は完全に押し黙り、ファイティングポーズをとったまま、なにも言わなくなった。
「まあ、きみの土俵で戦うのがフェアなんだろうけど、これ、スポーツじゃないしね。ちょっと汚い手を使わせてもらうよ」
とん、と。瀬名が軽くジャンプした。かと思いきや、その軽い雰囲気のまま、幽霊マンションの屋上まで飛び上がってしまった。
そこには、もう使われていない錆びれた貯水タンクが設置されている。瀬名は自身の何倍もある大きさのそれを、片手で軽々と持ち上げ、勢いよく角端に向けて投げつけた。
「角端!」
「構わん、そこから動くな」
飛んできたその巨大な物体を、角端は拳だけで弾く。
瀬名は立て続けに、テレビアンテナや、屋上の出入口の扉を投げつけてくるが、それらすべてを角端は身ひとつで防ぎ続けた。
「…………ッ!」
自分が不甲斐なくて、沙杏は唇を噛んだ。
角端が狙われているということは、その側にいる沙杏が狙われているということでもある。しかし現状、守りは角端が一手に引き受けており、沙杏はなんの役にも立てていない。
(こういうときこそ、あたしの出番なのに……!)
沙杏の得意魔法に、反射魔法というものがある。魔力が通っているものなら、問答無用で跳ね返すという強力な魔法だ。
ところが、いま瀬名がおこなっているような、単純に腕力で物体を投げつけるという攻撃に対しては、まったく意味をなさない。
間違いなく、瀬名は意図的にこの戦法を選んでいる。沙杏のことをよく知っているからこそ、沙杏が力を発揮できない展開に持ち込んでいるのだ。
瀬名が足を引き、勢いよく振り抜いた。まるで砂の山を蹴り飛ばしたかのように、マンション屋上の一部が容易に砕け散り、瓦礫の雨となって、角端の元へ降り注ぐ。
「角端!」
「落ち着け」
猛スピードで迫る無数の瓦礫を、角端は動じずにひとつひとつ対処していく。それはどう考えたって神業なのに、なぜか難しいことをやっているようには見えない。特段速く動いているようでもないし、特別力強く拳を振り回しているようでもない。一見、ただ自然に両手足を動かしているだけ。それだけで、瓦礫の雨は彼の間合いに入った順に、勝手に左右に逸れていく。最終的に、沙杏も角端も怪我を負うことはなかった。
「すご……」
「荒月沙杏よ、冷静さを保て。正確な判断ができなくなるぞ」
戦いの中にあっても、常に平然としていられる精神力と、それに見合った実力とに、沙杏はすっかり感心してしまいそうになったけれど、
「いや、でもさ、やっぱりこの状況ヤバいんじゃないの?」
改めて考えてみると、状況はなにひとつ変わっていない。沙杏はいまのところ役に立てていないし、角端は遠距離攻撃に対しては防戦一方になってしまう。どんなに彼が強いからと言って、反撃できないのであれば勝ち目はないのだ。
「なにを不安になっている。我は遠距離攻撃ができないとは言ってない」
「え?」
沙杏の肌を、冷気が撫でた。
……冷気?
いつの間にか、吐く息が白くなっている。だがいまは八月だ。いくら夜中だからと言って、ここまで気温が下がるはずがない。
冷たい風の中心に、角端がいる。
きらりと、なにかが光った。よく見ると、彼の周囲に透明な物体がいくつも浮いている。それが月の光を反射したのだろう。ガラス片だろうか。
「違う。これは、氷……?」
角端の周囲に浮いていのは、無数の氷柱だった。いや、氷の柱というよりも氷の槍と言うべきかもしれない。それらは触るだけで皮膚が裂けてしまいそうな鋭さと、敵意と、美しさを備えている。
角端は大仰な台詞や呪文などは言わなかった。ただ一言、
「行け」
氷の槍がいっせいに、瀬名の元へ飛んでいく。
「その距離から撃って、当たると思う?」
瀬名は横に跳び、たやすく氷の槍の軌道上から外れた――はずだった。
「……!」
瀬名の動きに合わせて、氷が勝手に軌道を修正した。
「ふうん、追尾する感じか」
瀬名は助走をつけて、隣の棟へ――マンションの屋上から屋上へ、ダイナミックに跳躍した。
だが氷の槍は正確にルートを切り替えながら月夜を飛翔し、瀬名を追い詰めていく。
「……逃げ切れないか」
瀬名は屋上にいるのを諦めたようで、地上へと飛び降りた。そしてマンションの壁際に立ち、なにを考えたか、ぴたりと足を止めた。
時間差で、氷の槍が瀬名の元へ殺到する。
両者の距離が十五メートルを切った。しかし瀬名は動かない。
十メートルを切った。それでもまだ動かない。
五メートルを切った――そのギリギリのタイミングで、瀬名は壁に沿って再び走りだした。
すかさず氷の槍があとを追う。
だが、カーブするための角度が足りない。
高速で飛行する氷の槍は、急激な方向転換には対応できず、次々と壁に突き刺さり、停止した。瀬名が壁沿いでギリギリまで引き付けた理由はここにあったのだ。
「紅雷撃!」
沙杏は、壁沿いを走る瀬名の進路を先回りするように、雷を放った。
普通に攻撃しても瀬名には当たらない。しかし角端の攻撃に気を取られているいまなら当たると、沙杏は踏んだのだった。
ところが、瀬名はノールックで、もはや不可解とも言うべき挙動で垂直に跳び上がり、沙杏の攻撃を避けてしまった。
「なんで!? いまのでも当たらないの!?」
「いや、それでいい。充分だ」
と、角端は相変わらず淡々とした口調で言った。
「どういうこと?」
「この戦い、我らが単独で勝利する必要はない。特別チームが崩壊したことは、すでに上に報告してある。ゆえに、我らは援軍が駆けつけてくるまでヤツに時間を使わせるだけでよいのだ」
「そう……なんだ」
時間稼ぎというやりかたに、沙杏なりに思うところはある。本当なら、瀬名とはこの手で決着をつけたい。そのためにここまで来たのに。
だが格好つけたようなことを言っておきながら、沙杏は実際にはなにもできずに、ただ角端と瀬名の戦いを眺めているだけ。
不甲斐なさすぎて、文句を言う権利なんてあるはずもない。
「きみたちさ、もしかして、時間稼ぎしてる?」
瀬名が問いかけてきた。
会話を聞かれていたのか。それとも彼ほどの実力があれば、少し戦っただけで相手の真意を測れるようになるものなのか。
「貴重なものだから使いたくなかったけど、しょうがないな。時間もなさそうだし」
瀬名の姿が見えなくなる。
直後、間近で花火が打ち上げられたのかと思うほどの爆発音が轟いた。
角端が、胴体を押さえながら崩れ落ちる。
(……なに? なにが起こってるの!?)
沙杏は視線を左右に振る。
すると、片手で拳銃を構えている瀬名が見えた。
目では追えなかったけれど、さすがにここまで来れば予想がつく。おそらく瀬名が高速で角端に接近し、発砲したのだ。
「角端! 大丈夫なの!?」
どんな攻撃を受けても声を荒らげることさえしなかった角端が、いま、苦しげにうめいている。
これは只事ではないと、沙杏の本能が警告を告げていた。
「グッ……。魔物殺しの弾丸……だと……?」
「そうだよ、よくわかったね」
瀬名は角端に銃口を向けながらも、柔和な態度を崩さない。
「バカな。銀の弾丸は、ヴァンパイアを殺すための道具だ。それをなぜヴァンパイアの貴様が使っている?」
「おかしなことを言うなぁ。人間だってさ、包丁やロープを日常生活で使ってるのに、その包丁やロープで人を殺したりして――いや、ちょっとこの例えは間違ったかも。あはは。まあいっか。いいよね。要は、道具ってのは使いようってことだよ」
瀬名が、銃の引き金に力を込めた――ように見えた。
再び、角端が撃たれてしまう。
あの銃がなんなのかはわからないが、角端にダメージを与えられるということは、まず普通の銃ではない。もしも魔法道具の類なら、跳ね返せる!
沙杏はとっさに呪文を唱えた。
「鏡面反射」
角端と瀬名のあいだに、魔法円が浮かび上がる。
反射魔法。
沙杏がもっとも得意とする魔法だ。魔力を宿しているものはすべて、その魔法円に触れた瞬間に弾き返される。
だが、それに対して瀬名のとった対策は、笑ってしまうほどに単純だった。
沙杏からすれば、瞬間移動をしているようにしか見えないほどのスピードで、瀬名は魔法円の反対側に回り込み、堂々と銃の引き金を引いたのだった。
「グゥアッ!」
角端の悲痛な叫び声が上がる。
「そんな――」
そんな単純なことで。盾を構えていない方向から攻撃するというような、そんな原始的なやりかたで、反射魔法を攻略されるなんて。
こんなことなら、瀬名が銃を撃ってから呪文を唱えればよかった。
……いや、無理だ。バカバカしい。弾丸が放たれたあとに呪文を唱えたって、絶対に間に合うわけがない。まさか瀬名は、ここまで見越して拳銃という武器を選択したのだろうか。
沙杏は自分の魔法にそれなりの自信を持っていた。
電撃魔法は高威力かつ高速で、使い勝手のよさは抜群だ。
反射魔法は、魔法を扱う相手に対しては理不尽なほどの防御力を誇る。
だが、瀬名にはそのどちらも通用しなかった。一見無敵に思える魔法が、身体能力の高さと、作戦の工夫という、シンプルな対策のみで完封されたのだ。
「沙杏ちゃん、だから言ったじゃん。魔法は万能でも、それを扱う人間は万能じゃないってね」
瀬名は角端に銃口を突き付けながら、顔だけを沙杏に向け、余裕そうに微笑みかけた。
「思い上がりはよくないよ。魔法が使えるのと、戦いが上手いのとはまた別の話。沙杏ちゃんはそこを直さないとね」
「……うるさい! うるさい!」
沙杏は杖を瀬名の顔に向ける。だが、瀬名は初めて絵の具セットを手に取った幼児を見守るような、優しい視線を返してきた。
魔法が、脅しにすらなっていない。なんだこの無力さは。
なにが「あたしがやんなきゃいけないんだよ!」だ。なにが「そこそこ戦えんのよ」だ。現実は、勝負の形すら作らせてもらえていないじゃないか。
自分は、いったいここに、なにをしに来た?
「……契約には反するが、やむを得んな」
地面に伏していた角端が、力なく呟く。
次の瞬間、彼の姿がどろりと溶け始めた。それはあっという間に人の形を失い、真っ黒な水たまりを思わせるような、巨大な影となって、沙杏と瀬名の足元へ広がっていく。
どこかと繋がった――という感覚が、ふいに沙杏の中に芽生えた。
どこかとはどこだ。繋がるとはなんだ。
言葉ではまったく説明ができない。ただ『どこかと繋がった』という感覚と、根拠のない恐怖が、明確に沙杏の心に湧きだした。
「角端! どうなって――」
と、尋ねる間もなく。
角端が作りだした影の中から、巨大な黒い腕が這い出してきた。




