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雨の中の昨日(過去編)12/12

 それから二年が経った。


 最終的に高崎環南は、春心と朱音だけではなく、しづくとメーベルとルシアも引き取ることになった。彼女たちが五人でいることを希望し、高崎もまたそれを了承したからだ。


 新生活を始めるにあたって、高崎はそれまで住んでいたマンションを出て、“協会”が用意した一軒家に住まいを移した。五人分の子供部屋がついた、広々とした新築の二階建てだ。


 現在では通称『高崎家』と呼ばれている。


 と言っても、本当に高崎の持ち家になったというわけではない。あくまで所有権は協会にある。


 いずれ春心たちが大人になって一人立ちをしたあとも、将来この世界にやってくるであろう次の世代の記号ツリーツェたちが育つ寮として、高崎家は今後も長く使っていこうという意図がテーコクにはあるらしい。


 そういう意味では、高崎の立ち位置は協会に雇われた寮母だと言えるのかもしれない。


 実際、高崎は給料をもらっているし、子供たちの養育費ももちろん協会が負担している。かつての交通事故をきっかけに無職になっていた高崎の再就職を助けるという面でも、高崎は協会に救われた形だ。


 こうして少女たちの親代わりとなった高崎は、一年目こそテーコクや逢戸澗夜縁の手厚いサポートを必要としたものの、二年目にはほぼ一人で育児やその他の業務をこなせるようになっていた。


 血の繋がりのない見ず知らずの子供たちを受け入れ――それも五人も同時に――当たり前のように、親としての役目を果たせるようになっていた。


 強いて欠点を上げるとするなら、高崎は時々、子供たちとほんの少しだけ距離を置いてしまうことがあるという点だろうか。


 大切に思っているがゆえに。


 二年前、夫と子供を失ったトラウマから、「大切な人をまた失ってしまったらどうしよう」という恐怖が、どうしても拭えないでいる。それが時折、子供たちから距離を置いてしまうという行動に繋がってしまうのだった。


 しかしそれは他人から見ればまったくわからない程度の距離の置きかただし、育児においては、ベタベタと過保護に接するのもそれはそれで問題がある。適切な距離感というのも重要だ。


 だから結果的には、高崎は親としてほとんど完璧に近い働きを見せていると言ってもいいだろう。


 それは彼女が有能であるという見方もできる一方で、どこか常軌を逸しているという見方もできる。


 結局のところ、大切な人を失ったあの日から、高崎環南は壊れてしまったままなのかもしれない。


 五人の少女たちを、誰かの代わりとして見ることで、表面上の正気を保っているだけなのかもしれない。


 いなくなった大切な人たちの墓参りには、まだ行けていない。



 ※



『高崎家』のリビングで目を覚ます。


 窓の外が薄暗くなりつつあるのに気づいて、高崎はあっと声を上げた。


(うわ、やっちゃった……)


 ちょっと昼寝をするつもりでソファに寝そべったつもりが、そのまま夕方まで眠ってしまっていたらしい。


 やろうと思っていた家事はほったらかしで、夕飯の準備なんてもちろんしていない。

 

 高崎が慌てて上体を起こすと、身体にかかっていたタオルケットがずれて床に落ちてしまった。


 ――あれ、タオルケットなんてかけてたっけ?


「おはよ、高崎さん」


 優しく語りかけられる。声の主は春心だった。


「どう、疲れは取れた?」


 怒っている様子はまったくないけれど、高崎はつい反射的に謝ってしまう。


「ごめん、寝過ごしちゃった! ご飯いまから作るから!」


「いいの、わざと起こさなかったんだから。今日は私たちで作ってるから、ご飯の心配はしないで」


 言われてみれば、いまの春心はエプロン姿だ。


 キッチンを見ると、やはりエプロン姿のルシアがゆっくりと鍋の中身を回している。


 なにを作っているんだろうと思ってすぐに、漂ってきた特徴的な香りで、それがなんの料理なのかが一発でわかった。


「カレー……作ってくれてるんだ」


「うん。高崎さんみたいにちゃんとしたのは作れないけど、普通のカレーくらいならね」


 野菜が煮込まれる匂いと、カレー粉のスパイシーな匂いとが混ざった、馴染み深い家庭的な香り。


 今日はなぜだか、それがいつもにも増して懐かしいもののように感じる。


「いや、手間かけさせちゃってほんとごめん」


「ううん、たまにはこれくらい手伝うよ。料理するのも楽しいし」


 と、春心は笑った。


「高崎さん、ぐっすり寝てたよね。なんか面白い夢でも見た?」


「夢かぁ。うーん、なんだっけ。覚えてないな……」


 なんだか、昔の夢を見ていた気がするけれど。


 高崎はソファから落ちたタオルケットを拾い上げる。


「これ、かけてくれたんでしょ? ありがとう」


「あ、それかけたのルシアちゃんだよ。お礼ならルシアちゃんに言って!」


 そうだったんだ――と思いながら、高崎はキッチンに向かって声を張る。


「ルシアちゃん、これ、ありがとうね!」


「どういたしましてー!」


 そう言って、ルシアは小さく手を振ってくれた。



 ――ルシア・リフレイン。


 ファンタジー出身の女の子。


 細かな気配りのできる優しい子で、みんなから特に信頼されている、高崎家の長女的な存在。その真面目な性格ゆえに、思い悩んでいた時期もあったようだけれど、最近は吹っ切れたようだ。



「目覚めのお茶です……」


 ふいに、高崎の目の前のテーブルに、グラスに入った緑茶が置かれた。


 持ってきてくれたのは、しづくだった。


「ありがとう。……目覚めのお茶?」


「目覚めのお茶です……」


 しづくは澄ました顔で当たり前のように『目覚めのお茶』というワードを放り込んでくるが、高崎家にそんな風習はない。


 でも、寝起きの渇いた喉にその心遣いはありがたい。グラスの中身は冷茶のようで、この暑い夏にはぴったりだ。


 高崎がグラスを手に取ると、突然しづくが無表情のまま手拍子を叩きだした。


「飲んで飲ーんで飲んで飲んで飲ーんで飲んで……」


 まさかの飲んでコール。傍らに立っている春心が「なにか始まった!」と声を上げた。


「しづくちゃんって、そういうキャラだったっけ?」


 冗談交じりに高崎がそう尋ねると、


「そういうキャラではないよ……」


 しづくはなぜかニヤリとほくそ笑み、たたたた、とルシアのいるキッチンへ小走りで去ってしまった。



 ――海羽みはねしづく。


 SF出身の女の子。


 出会ったばかりのころは無口で、表情の変化も乏しかった。しかしいまではむしろ、表情の豊かさでは誰にも負けていない。不思議で独特な言動も多いけれど、それが彼女にしかない特別な魅力となっている。



 高崎は冷茶を口に含んだ。胃が驚かない程度にちょうどよく冷えていて、爽やかな気分にさせてくれる。


 一息ついたところで、夕飯以外にもやっていない家事がたくさんあることを思い出した。


「あ、やばっ、洗濯物取り込んでなかった!」


「やっておきましたよ」


 という声と共に、メーベルがリビングに入ってきた。


「たたんでしまうところまでやってあるので、心配しないで大丈夫ですから」


「うわー、ありがとう……! すっごい助かる!」


 さすが、細かいところによく気づく。


「いえいえ、お気になさらず」


 メーベルはさらっと言うと、ルシアが作っているカレーの様子を見に行った。



 ――メーベル・ベルナール・レオンハルト。


 ミステリー出身の女の子。


 高崎家の中で最も冷静な判断力を有していて、常に全体の様子がよく見えている。二年前の時点でそのしっかりとした性格は完成されており、話し合いの場では五人の少女たちの代表格として、高崎やテーコクとのやり取りに応じた。そしてその頼もしさはいまも健在だ。



「カレー、どんなもんです?」


「もうほとんど完成だよ」


「お、いい感じですね」


 ルシアとメーベルが二人で鍋の中身を覗き込んでいる(ちなみにメーベルはキッチン周りに対して若干身長が足らないので、小さな踏み台を使っている)。しづくが炊飯器を見ながら「ゴハンタケタヨー」となぜか片言で言った。


 この場に朱音だけがいないことを、高崎はふと疑問に思う。


「そういや、朱音ちゃんは?」


 春心が答えた。


「朱音ちゃんならお風呂掃除してるよ。そろそろ戻ってくるんじゃないかな」


 噂をすればなんとやら。


 ばん! という派手な効果音が鳴るくらいの勢いで、話題の人物がリビングに飛び込んできた。


「風呂掃除、終わったぜ!」


 風呂掃除うんぬんの前に、朱音は妙な格好をしていた。


 頭にはバンダナ、左目に黒い眼帯、横縞よこじまのシャツにボロボロのズボン。両手に剣(本物ではないはず……)を携え、腰のベルトには古風な銃(本物だったら困る)を挟んでいる。


「なんで海賊になってんの!?」


 しかも旧世代の! という、春心のツッコミが入る。


 朱音が照れくさそうに言った。


「へへっ、陸地は窮屈でよ……海になら本当の自由があるんじゃねえかって、そう思ったんだ」


「いやそういう動機を訊いてるんじゃなくて、なんでお風呂掃除したら海賊になってんのって言ってんだけど……」


「え、なるだろ、普通……」


「ならないよ、普通……」


 朱音は唐突に右手の剣を投げ捨てると、腰に下げた銃を天井に向け、引き金を引いた。


『ウーッ』という陽気な男の声が響いた。


 堅実な仕事ぶりで会社に貢献する真面目な中堅サラリーマンが、ありえない凡ミスで自社に大打撃を与えてしまい、日頃のおこないからクビだけは免れたものの、上司に死ぬほど怒られた日の夜、現実逃避のために酒を煽り、ほろ酔いで気持ちよくなってきたときに、世の中のすべてがどぉ~でもよくなり、ふいに発した『ウーッ』と同じニュアンスの『ウーッ』だった。


 春心が戸惑いの表情を浮かべる。


「それ、何式の銃なの……? っていうか銃? え、銃? え、なにそれ? 何式のなに……?」


「軟式のテニスだよ」


「軟式のテニスではないよ」


 春心と朱音の、いつも通りの掛け合い。


 それを隣で聞いている高崎の口元からは、飾り気のない自然な笑みがこぼれていた。



 ――舞込春心と、繰田朱音。


 ギャグ出身の女の子。


 高崎の新しい人生が始まる最も大きなきっかけを作ったとも言える二人。


 高崎さんにとって、楽しい日が増えるようにがんばるよ――そんな二年前の約束を、二人は自然体のままに果たしてくれている。行き先を失っていた高崎の日常を、暖かく照らしてくれている。





 高崎の心は壊れてしまったままだったのかもしれない。


 五人の少女たちを、誰かの代わりとして見てしまっていたのかもしれない。


 それでも、それでも――


 これからは違う。


 彼女たちと過ごす日常は、誰の代わりでもないのだと、自信を持って言い切れる日が、近い将来、必ず訪れる。


 そんな予感が、確かにある。


 一度死んでしまった高崎の心には、いまや春を告げる風が吹き始めている。


「じゃあ、みんな揃ったからご飯にしよーよ!」


 と、春心が言った。


 こんな何気ない日々が、明日も続きますように。


 高崎環南はただ、それだけを願った。

第三章 完

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