天気雪
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
やーれやれ、ようやく天気が良くなったか。
予報じゃ明け方から晴れるでしょうって話だったが、実際の午前中はぐずつきっぱなし。ここんところ天気予報もハズレまくりで、あてにできない日ばかりだな。衛星を使って、宇宙から地球を見張っていても、正確なことをつかめない。まだまだ自然を相手にするに、人間は力不足ってことなんだろう。
……って、そういっているうちに、なんかポツンと来てないか?
うへえ、天気雨かよ! つぶらや、ひとまず退避退避。もう家がすぐそこだからさ。
――ふう、どうにかなったな。
見ろよ、窓にまだ後から後から水滴がくっついてくる。ここに来て、午前中に降りきれなかったうっぷんを、晴らそうって感じじゃね?
――やけに天気雨にビビってなかったか?
ああ、確かにあのうろたえぶりじゃ言い訳できんわな。
俺は天気雨が怖い。いや、厳密には天気雨そのものじゃないんだが、ある可能性が高くってな。用心するようにしているんだよ。
その理由? 聞きたいか?
じゃあ話そうか。俺の地元に昔から伝わる話なんだけどよ。
むかしむかし。
俺の地元は内陸にあって、気温の差が激しいところだった。砂漠ほどじゃないだろうが、昼間には半袖で過ごせるものの、日が暮れる頃には何枚も厚着を強要されるほど、極端なものだった。
その気候が関係しているのか、天気雨もそれなりの頻度で起こったという。古くから「狐の嫁入り」として知られる、奇妙な現象。当時住まっていた人たちも、初めのうちは気味悪がり、雨宿りできる場所を探して避難をしていた。
しかし奇妙も回数を重ねると慣れてきてしまうのが人間。そのうち晴れながらに頬や頭へしずくが落ちる感覚を受けると、「またか」とうんざり顔で空を見上げるだけで、各々の仕事の手を止めることはなくなったらしいんだ。
やがて戦国の世を迎えた、冬の時季のこと。
畑仕事がひと段落した彼らの下へ、またも晴れた空の中を、降り落ちてくるものがあった。
雨じゃなかった。しずくにしては落ち方が柔らかすぎる。かといって、綿毛ほどふらつくわけでもなく、風に吹かれない限りは真っすぐに向かってくる。
雪だ。手のひらにくっついた粒は、どんどん形を崩し、肌を水で濡らしていく。ほどなく形もすっかり失い、雨と大差ない姿へ変わるんだ。
確かに気温はそれなりに下がっている。だが、雲一つない空から降り落ちてくることは、これまで一度もなかったことだ。
人々は最初用心しながらも、結局は肌が濡れるに過ぎないと判断するや、またいつも通りの仕事へ取り掛かっていったんだ。この「天気雪」は、断続的にこの土地へ降ってきたらしい。
それからしばらくして。村の若い者たちが戦へ駆り出されることになった。
今回の戦は乱戦で、両軍に多数の死者が出るほどだったが、村から出ていった者は、いずれもかすり傷を負わずに帰ってきたらしい。
だが話を聞いてみると、明らかにケガをするところで、相手の矢や刃が滑るようにそれていったのだという。
向かってくる矢がこめかみにかすめた感触があるのに、そこからは血が出た気配がなかった。相手の繰り出す槍にしても、直垂のすき間からうまいこと潜り込んできたものさえ、服を破くことがせいぜい。そのまま真っすぐ突き通せば、臓器すら串刺しにできただろうに、肌に触れるか触れないかのところで、穂先はくいっと向きを変えてしまった。
結果、自分の肌には傷ひとつつくことなく、修羅場を逃げ切ることができたのだとか。
もっとも、こう語る人々も最初は出血したと思ったらしい。
その場を離れる間際に、自分がいたところのすぐそばに、大きな水たまりができていたからだ。とっさに矢や刃のかすったところに触れると、確かにたっぷりとぬめっている。
しかしそれは、彼ら自身が傷から出した血じゃなかった。
皮膚を濡らす、大量の水。汗にしては味も臭いもほとんどないそれの正体を、彼らははかりかねたそうだ。
その後も村人が戦へ行くことは何度かあった。それによって判明したのが、あの「天気雪」をふんだんに浴びた者に限り、件の水たまりを作るのと引き換えに、矢や刃を受けない身体を得ているらしいとのことだったんだ。
戦にいく恐れのある若者は、天気雪が降るたびに率先してその身へ浴びて、お守りの代わりとする。そしてこの効果が普段の生活でも得られると分かると、他の女子供なども天気雪を待ち望むようになるほどだったとか。
それからしばらく経った、ある晩のこと。
ふと一軒の家の戸を揺らす者がいて、中にいた夫婦とひとり息子は目を覚ました。
いまだ戸はガタガタと揺れ、それでいて声をかけてくる気配はまったく見られない。「獣のたぐいか?」と夫が起きて、壁際にかけた槍を取りに行きかけたところで。
閉じたままの戸をすり抜けて、中へ入ってきた者がいる。明かりの灯らない夜の室内で、輪郭がかろうじて分かる程度だが、それでもおかしなことはすぐに分かる。
胴体こそ人と変わらないが、頭にあたるだろう部分は、刃を入れられた柱頭のごとくふたつに分かれ、足に至っては腰から下が三又になっていたのだから。
何者か? と三人が声を発するより早く、その影の胸元がチカチカっと光る。ほぼ同時に、寝ていた子供は自分の胸に、焼けつくような痛みを感じた。
思わず胸を手で触ろうとして……できなかった。
自分の手は本来のあるべき皮膚に触れないまま、背中側へ通り抜けてしまったんだ。思わず上下へ揺さぶり、首近くでようやく手ごたえを感じて、一気に頬を冷たい汗が垂れ落ちる。
自分の胸には、向こうが見えてしまうほどの大穴が開いていたんだ。しかも、痛みも出血もないままに。
自分の悲鳴が、母親のあげるそれと重なる。恐らくは彼女も、自分と同じような目に遭っているんだ。
しかし、父親は違った。あの光の直後、もんどりうって倒れる音はしたが、すぐに立ち上がると、槍を握り直してその影へ突きかかっていったんだ。
その槍が、影に触れないうちから曲がっていく。飴細工のようにぐにゃりとうねるようじゃない。水面に落とした一滴が立てて、広がっていく波紋のように、槍を中心とした景色がぼんやりと波打ち、その形を崩していくんだ。
それは父親も同じこと。広がる波紋は彼の身にも及び、その姿は宙を広がる波に重なって、にじむようにしか、その姿を見やることができない。それでも彼は影へ突き進んでいき……ついには影と重なったきり、動きを見せなくなってしまったらしい。
がらりと、槍が床を転がる音が響く。直後、三又足の胸元が、また何度か光った。
とたん、胸の大穴に突っ込んでいた自分の腕がびくんと跳ねたかと思うと、勝手に外へ飛び出した。そしてまた、胸には先ほどと同じ熱を伴う痛みがあふれてくる。
光がおさまった。改めて手をやると、今度は自分の胸板がしっかり出迎えてくれる。穴はおろか、肌の腫れのひとつさえも、そこにはなかったんだ。
三又影は、いつの間にか消えていたらしい。母と子が手探りでどうにかたいまつに火をつけると、家のどこにも父親の姿はなかった。床に残っていたのは、先ほど転がり落ちた槍と、父親が最初に倒れたあたりに広がる、大きな水たまりばかりだったんだ。
その晩、他の家でも同じように家族がさらわれていた。やはり三又足の影が現れ、こちらの胸をうがち、そして復元する光を浴びせてきたとか。
さらわれたのは、その光を浴びて胸に穴が開かなかった者たちのみ。いずれも「天気雪」を大量に浴び、頑健な身体を手に入れようとした者ばかりだったらしいのさ。
本来、降るべきでないときに降る、雨や雪。
俺が思うに、それらの中には俺たちの身体を作り替える、何かも混じっているんじゃないかと思うんだ。そうやって作り替えられた人間は、その三又影にとっては有用なものとなるんだろう。
ひょっとしたら最初から、「天気雪」は三又影に仕組まれていたものじゃなかろうか。