鞘と剣
ほっほっほ。
幸せそうな二人じゃの。困難も二人なら何とかなるというわけじゃな。
そうじゃ。
一人では見えんことも、二人なら見えるかもしれん。
けれどな、それは支えあった時の話じゃよ。信じあった先にあるものじゃて。
今のあの二人は、どうなのかの・・
ほほ、水を差したようで申し訳ない。お詫びと言ってはなんじゃが、真実の愛の物語を聞かせよう。
ほれ、泣く用意はできたかの・・・・。わしはもう・・。
いかん、考えただけで・・・これは最後まで話せんかもしれんの・・・
「デルバーよ。なんとかならんのか・・・。」
マルスは魔導通信でデルバーにそう告げていた。その顔は困った感じではあったが、必死さはなかった。
「おぬしのその様子では、いまいちピンと来んのだがの・・・。」
デルバーはそう言うと大あくびをしていた。
「なっおまえ、人が真剣に頼んでるのにそんな態度とるのか?このところ俺は気の休まる時がない。寝てるときも体を鎖で拘束しているほどだ。」
マルスは相変わらず、切羽詰まって無いような表情で、とんでもないことを言っていた。
「それでは、お主。アデリシア王女を愛しておるのじゃな?」
デルバーは目を細めてそう告げていた。
「いや、それはない。」
マルスは即答していた。
「では、この話はないの。危険はないゆえわしも忙しいんじゃ。」
デルバーはそう言って明後日の方を見ていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
マルスは苦虫をかみつぶしたような顔でデルバーをみていた。
「すまん。認める。」
マルスは観念したようにそうつぶやいていた。
「やっと認めおって・・・。そこから入らんとわしも手助けできんわ。」
デルバーはそう言ってあるものを見せいていた。
「なんだそれは?」
マルスは興味深そうに眺めていた。
「一つ言っておく。おぬしから魔剣フェアファルとのやり取りは聞いた。その上で、おぬしに確認しておく。おぬし、アデリシア姫を愛しておるな?しっかりと言葉に出して答えてみよ。」
デルバーは真剣にそう告げていた。
「愛している。」
マルスはその言葉を真剣に告げていた。
「よし、ならば再度確認しておく。おぬしはその愛を永劫の苦痛にさいなまれるとわかっていてなおアデリシア姫を愛せるのか?」
デルバーはそう言って、マルスの目を見ていた。
「ああ、いかなる困難、いかなる苦痛、いかなる絶望にあろうとも、アデリシアを愛するよ。」
マルスもまた真剣にデルバーに答えていた。
「・・・・・ならば、一つだけ今のわしが出せる答えは、これしかないんじゃ。すまん・・・。」
デルバーはそう言って、マルスに詫びていた。
「デルバーよ、お前がいてくれてよかった。」
マルスはただ、それだけを告げていた。
「許せ、マルス。わしにもっと力があれば、おぬしをこんな方法で苦しめることはせんでよいのかもしれん。しかし、今のわしにはこんな姑息なことしか出せんのじゃ・・・許してくれ・・・・。」
そう言ってデルバーは、泣きながらその鞘を見せいていた。
「さっきから見せてるその鞘は、もしかして魔剣のか?」
マルスは自分の考えをデルバーに伝えていた。
「おぬしと魔剣のやり取りを聞いて魔剣がある一定の法則で所有者との契約を遂行することが分かったんじゃ。そしてこの鞘はそこに干渉する。」
デルバーは真剣に話していた。
「この鞘は、おぬしの深層心理に働きかけて、アデリシア様は死んだと認識させるんじゃ。それは魔剣との対話がそこで行われているようじゃ。そしてお主はアデリシア様を知覚するとアデリシア様は生きておることを認識するんじゃ。その瞬間魔剣はおぬしに殺すように働きかけるじゃろう。」
そこでいったんデルバーは話を切った。
後悔するかのような目で下を向くと、もう一度決心したようにマルスを見ていた。
「その瞬間に鞘はおぬしにアデリシア様が死んだと働きかける。そうすれば、魔剣は対象をうしなって、効果を発動できなくなる。」
デルバーは大きく息を吐いて、その言葉をゆっくりと吐き出した。
「これが永遠に繰り返される。」
言い終わったデルバーはその言葉が持つ意味と、それにさいなまれるマルスを考えたのか、下を向いて黙り込んでいた。
「ひとついいか?」
マルスの声は明るかった。
「それって、永遠にアデリシアに新しい愛を抱き続けられるってことだよな。ロマンじゃないか!」
マルスはそう言って喜んでいた。
「なっ。おぬし本気で言っておるのか?失うことと愛することが絶えず起こるのじゃぞ?しかも、永遠に。」
デルバーは思わず身を乗り出していた。
「ああ、わかってるとも。」
マルスは静かにそう言っていた。
「実際に永遠に愛し続けるなんて不可能なんだよ。人間は。どれほど愛情があったって、いつかは冷める。そして、時にそれを失うんだ。人は変化するように定めされている種族だと俺は思っている。だからエルフみたいに永遠に愛することなんてできないんだ。」
マルスは種族として不可能だと言っていた。
「しかし、その鞘であれば、アデリシアは死んで、俺の意識でよみがえり、そして俺はアデリシアを愛するんだ。俺は、常に新しいアデリシアとの愛を育むことができる。」
マルスは笑顔だった。
「しかし、おぬし失うことがわかっていて、アデリシア様を愛せるのか?それが怖くないのか?それがつらくないのか?」
デルバーは信じられないようにマルスを見ていた。
「愛せるさ。」
マルスは短く宣言していた。
「デルバーよ。失うことを悲しいと思う。失うことを怖いと思う。失うことをつらいと思う。それは人間として当然のことだよ。俺もそうだ。」
マルスはデルバーの心配を受け入れたようだった。
「それでも、俺はアデリシアを愛したいんだ。それに理由なんてない。」
デルバーはそこに今まで見た事の無いような顔で微笑むマルスを見た。
「悲しみも、苦しみも、痛みもすべて含めて愛するか・・・・それが真理としてもその道は険しいぞ。」
デルバーはもういうことはないという顔でマルスを見ていた。
「いかなる困難が待ち受けていても、そこに至る可能性とそれを示唆するものがあれば、俺はやっていける。それにな、デルバーよ。アデリシアがそこにいる。ただ、それだけで俺は何度だって立ち上がれるさ。」
自信満々に言うマルスをデルバーは笑顔で答えていた。
「物質転送」
デルバーは魔法を発動した。
「ありがとうデルバーお前がいて本当によかった。俺も、精霊女王も出せなかった答えをお前は出してくれた。感謝する。」
そう言ってマルスはデルバーに頭を下げていた。
「やめてくれ、わしはおぬしに無限の苦しみを与えてしまうのじゃから・・・・」
デルバーはそう言ってマルスに詫びていた。
「いいや、デルバーたとえそれが苦痛だとしても、おまえのこれは可能性なんだ。さっきも言ったが、おれは可能性さえあれば、アデリシアのため、俺のため何度だって立ち上がる。それが俺のロマンだろ。」
マルスはそう言うと、魔剣クランフェアファルを魔法の袋から取出し、鞘に納めていた。
「ぐうぅ」
マルスは小さく苦痛のうめきを発していた。
その顔は言い知れない感覚に耐えていることが見て取れた。
「見てられん。」
そう言ってもデルバーはその様子を見続けていた。それはそうすることが自分の贖罪とでも言いたげだった。
「ふふふ。デルバーよ。感謝する。実際にアデリシアを失った時俺は壊れると思う。それが分かったよ。ありがとう。」
そう言ってマルスはデルバーに深く感謝の意を表していた。
「ところでデルバーお前の作った学士院な、面白そうだから、将来俺の子たちもそこに通わせるからしっかりと整備しておけよ。」
マルスは気が早かった。
「おぬしな・・・まだ工事中じゃ。それに、おぬしまだ婚約もしとらんではないか。」
デルバーはあきれていた。
「はっはっは。そうだった。では、国王に直訴時に行くか。すまんが迎えに来てくれないか?メルクーアはまだ俺を連れては飛べないらしい。」
マルスはそう言ってデルバーに手招きしていた。
「ちょっと待っておれ。あと2日したら迎えに行く。それに、まずアデリシア姫にも言わなければならんじゃろ。品物とかいろいろあるじゃろ。その間に用意しておくがよい。」
デルバーはそういってため息をついた。
「そうだったな。では、2日後によろしく頼む。」
マルスはそれだけ言って魔導通信を切っていた。
「まったく、人使いが荒いの・・・まずはアデリシア姫にあうかの・・・・。」
そういうデルバーの顔は楽しそうだった。
「というわけで、アデリシア姫。魔剣の方は姑息な手段ですが、めどはつきました。」
デルバーはそう言ってアデリシア姫に報告していた。
そして先ほどの魔導通信をこっそり記録していた部分をアデリシアに見せていた。
「ああ、いかなる困難、いかなる苦痛、いかなる絶望にあろうとも、アデリシアを愛するよ。」
「アデリシア様。これでわしの課題は終わりということでよろしいかな?」
デルバーは真っ赤になって固まっているアデリシア姫に向かってそう確認していた。
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・あっなにかいいましたか、デルバー。」
アデリシアは落ち着かないように、髪をいろいろと触りながらデルバーに聞いていた。
「アデリシア様から頂いていた、マルスの気持ちを確認するという課題はこれで完了でよろしいでしょうか」
いつになく棒読みでデルバーはそう告げていた。
「えっ。ああ、そうでしたね。はい。まあまあですね。」
アデリシアは再び真っ赤な顔で服をいろいろと触りながら、そう答えていた。
「では、わしはこれから国王にマルスの言葉を伝えに行くので、失礼します。」
デルバーはそう言ってアデリシアを見てほほ笑んだ。
「ええ、デルバー。えっと。その記録魔道具。少し確認したいことがあるので、ここにおいていくように。それと、新しいのを用意させるので、取りに来なくていいです。」
アデリシアはうろうろとしながら、そうデルバーに告げていた。
「もとよりそれはわしの課題の確認のためですので、アデリシア様にお渡ししたものです。新しいものは結構です。」
もはやデルバーは棒読みで答えるのが精いっぱいだった。
「そう、ではお父様によろしくね。」
そう言ってアデリシア姫は記録魔道具を持って隣の寝室に飛び込んでいった。
「・・・・・・」
デルバーは侍女と目が合うと、肩をすくめて退出していた。
「よかったんじゃな・・・。そうか。マルス。なんとなくわかったの」
デルバーは謁見の間に向かいながら、そうつぶやいていた。
実際にマルスとアデリシア姫の婚姻はそれから2年の月日を費やしていた。
王はやはりマルスとの婚姻に反対していた。マルスというよりも、アデリシア姫をまだ手元の置きたかった気持ちが大きかったようだ。
そして他の貴族からの横やりもあった。
しかし、それらをすべてマルスは説得し、払いのけていた。
王国歴187年 12月24日
英雄マルス=フォン=モーント辺境伯34歳と王女アデリシア=ナーレスツァイト=ウル=アウグスト19歳の婚姻は盛大に執り行われた。
英雄と聖女
その婚姻は民衆によって大いに盛り上げられていった。
そして10年の月日が流れていた。
長男クロノス=フォン=モーント
長女プラネート=フォン=モーント
を続けて出産したのち、
次男ウラヌス=フォン=モーント
次女ヴィーヌス=フォン=モーント
を出産したアデリシアはその美貌にますます磨きがかかっているようだった。
幸せな時間、幸せな場所。それがアデリシアに潤いをもたらしているかのようだった。
特に、次女のヴィーヌスは幼いころのアデリシアによく似ていた。そしてその才能をもっともしっかりと受けついているようだった。
クロノスとウラヌスは剣士として実力を認められつつあったし、プラネートはすでに一人前の司祭として領地で活動していた。
アデリシアにとって、子供たちは自慢のようだった。
「アデリシア様、お呼びでしょうか。」
マルス辺境伯軍の正装に身を包んだメルクーアがアデリシアのもとを訪れていた。
「メルクーア。あなたには何度も言っていますが、私にとってあなたは妹みたいなものです。二人きりの時くらい、そういう挨拶は無しでと何度も言ってますよ。」
アデリシアはそう言って頬をふくらましていた。
「いえ、わたしはマルス様の副官です。軍人として、公私の混同は慎まなければありませんので。」
メルクーアはそう言って敬礼していた。
「もうその辺でいいでしょ。だれもいないから・・・」
アデリシアはあきらめて、紅茶をいれていた。
「はい・・・。でも本当に、ここだけですからね。」
メルクーアはそう言って態度を崩していた。
「ふふふ、でも相変わらずきれいな銀色の髪ね。うらやましいわ。流れるような髪。まるで天にかかる星々の川のようだわ」
アデリシアはそう言ってうっとりとした表情を浮かべていた。
「アデリシア様こそ、その金色の髪。とてもきれいです。太陽のように輝いて。私にとってまぶしいくらいです。」
メルクーアはそう言ってほほ笑んでいた。
「お互い詩人よね・・・ふふ」
二人はそう言って笑いあっていた。
「メルクーア。うわさを聞いたのだけど、本当なの?」
アデリシアはメルクーアに今回の用件を告げていた。。
「はい。まだ公表されていませんが、おそらく間違いないかと思われる目撃情報がありました。ただ、・・・・」
メルクーアは包み隠さずに話しているようだったが、自身では気になることがあるようだった。
「ただ・・・なに?」
アデリシアはその先を促した。
「ええ、これはあくまで私の感想ですが、少し考えすぎなように思えます。何というか、感みたいのものです。」
メルクーアは忘れてくださいと付け足していた。
「そう・・・・・。」
何かを考えていたような表情で黙ったアデリシアは、決心したようにメルクーアの手を握って告げていた。
「メルクーア。聞いてちょうだい。今後なにがあっても、子供たちのことをお願いしますね。あなたしか頼れる人はいないの。当然マルスのことはお願いしますが、子供たちのことをおねがいね。」
アデリシアはメルクーアに2度子供たちのことを頼んでいた。その顔は真剣そのものだった。
「わかりました。この身はすでにモーント辺境伯軍副官です。マルス辺境伯の身はこの身に変えましてもお守りします。そして、お子様たちもお守りします。」
メルクーアは固く、そう誓っていた。
「ありがとう」
アデリシアは笑顔で感謝を告げていた。
「お任せください。」
メルクーアはそう返していた。
しばらく見つめあった二人は、どちらともなく笑っていた。
その姿は仲のいい姉妹のようだった。
「(そろそろあきらめたらどうだ・・・・)」
「(だまれ)」
「(おまえはよくやった。)」
「(だまれ)」
「(この10年で俺を生み出し、それを抑えていたのには正直おそれいったよ。)」
「(だまれ、だまれ、だまれ)」
「(でも、もう限界だろう。そろそろ楽になった方がいい。おれもおまえも)」
「(だまれ、だまれ、おれはお前を認めない。)」
「(まあ、そうやって否定しても、お前は俺を作ったんだ。お前は鞘に知らずに反発する自分。アデリシアは生きている。という自分を作ってしまったんだ。そして、剣はそれを認めた。もう分が悪い。いい加減かわろう。お前も限界だろう。そろそろ楽になったらどうだ?アデリシアは生きているんだから。)」
「(だまれ、だまれ、だまれ。)」
「(いいさ、そうやって俺を否定するがいい。しかし、お前はもう耐えれないよ。ヴィーヌスをみたか?お前の最愛の娘はアデリシアによく似ているな。剣はもうすぐヴィーヌスを選ぶだろう。そうなったとき、お前はどうするんだろうな・・・・。)」
「ちくしょう・・・・」
マルスは自分の執務室で小さく自分の感情を吐き出していた。
「認めたくはないが、ヴィーヌスのことは何とかせねば・・・・。」
散々迷ったマルスは、引き出しの中から指輪を取り出した。
「ヴィーヌス。すまない。でも、俺は・・・、これ以上は抱えきれん。お前を愛さなければお前は生きていける。」
マルスは古代王国期の魔法の指輪を眺めていた。
「すまない・・・・」
マルスはまた、謝罪していた。
「お父様!」
マルスの部屋にはいるなり、4歳のヴィーヌスはそう言って走り出した。
「お父様、あのね。あのね・・・」
必死に自分の見たこと、感じたことをマルスに報告するヴィーヌスはあふれんばかりの笑顔だった。
愛らしいその顔は、マルスに会えたことで、より一層笑顔になっていた。
これまでため込んでいた思いが次々と泉のように湧き出しているように、その話はつづいていた。
いとおしい。
マルスはそう思ってしまった。
ゾワリとどす黒いものが鎌首をもたげてくるのが分かった。
「(すまない・・・ヴィーヌス。お前には生きていてほしいんだ。)」
マルスは決心した顔でヴィーヌスを見ていた。
「どうしたのお父様、怖い顔・・・・」
ヴィーヌスはそう言って普段の顔と違う顔をその小さな手でさすっていた。
「お父様、どこか痛むの?ヴィーヌスが治せる?」
小さなその手は心配そうな顔で、マルスの体をさすっていた。
「お父様?」
いきなり抱きしめられたヴィーヌスは訳が分からなかったが、その温かさに包まれて、心地よい気持ちも地になっているようだった。
「すまない。ヴィーヌス。すまない・・・・」
マルスはヴィーヌスの小さな体を抱きしめて、その頭をなでていた。
「お父様・・・少し・・痛い・・・・」
ヴィーヌスは小さくそうつぶやいた。
「すまない・・。」
マルスはそう言うとヴィーヌスを解放し、その右手をとった。
「ヴィーヌス。これからお前は私の前では今のお前ではいられなくなる。お前が最も大切に思う私の前ではお前はお前でいられない。」
そして何かをつぶやくと、震える手でその指輪をヴィーヌスの手にはめていた。
「おとうさま・・・・・」
そうヴィーヌスはつぶやいて、一瞬体を固くしたのち、その瞳を閉じていった。
マルスはその体を支えると、声を押し殺して泣いていた。
「すまない・・・すまない・・・・」
呪詛のように繰り返されたその言葉で、この子の精神を殺したことを自分自身に植え付けていた。
アデリシアは妙な胸騒ぎがしていた。
先日のメルクーアとの話もそうだが、ここ最近あまりいい話は聞かない。
そして、マルスはほぼ一日中執務室から出てこなくなった。
ずっと何かを考えているようで、その瞳の先にアデリシアはいなかった。
「ヴィーヌスだけが、マルスに呼ばれた?」
メイド長からその話を聞いたアデリシアは、言い知れない不安に襲われていた。
「はいりますよ。」
アデリシアは執務室のドアをそっと開けて、中の様子を確認した。
「マルス?・・・・ヴィーヌス!?」
マルスの腕のなかでぐったりとして寝ているヴィーヌスと、ヴィーヌスを抱えながら声を押し殺して泣いているマルスを見て、アデリシアは自分の不安が何かしらのことを告げていたのだと悟った。
「マルス。あなたいったいなにを!」
思わずそう叫んで駆け寄ったアデリシアは、力なく顔を上げたマルスから強引にヴィーヌスを奪い取った。
「マルス、その顔・・・・・」
アデリシアはヴィーヌスを奪い取り、改めてマルスの顔を見たときに自身の目を疑った。
「なんという・・・」
アデリシアは言葉にできなかった。そこには憔悴しきったマルスがいた。
「アデリシア、俺は・・・ヴィーヌスをこの手で・・・・」
自分の両手を見て、その掌をそのまま顔に押し付けるマルスはとても小さくおもえた。
か細く震えるその体は、もはや英雄ではなかった。
「私は、あなたをこれほどまでに苦しめていたのね・・・・・」
アデリシアは自分の存在を呪っていた。
ヴィーヌスを抱えたままアデリシアは、マルスに近づき、その頭をなでながらささやいた。
「私はあなたを愛します。これまでも、そしてこれからも。」
アデリシアはそう言うと、ヴィーヌスを抱えて部屋を後にしていた。
「ヒドラだと?」
メルクーアはその報告を聞き、討伐部隊を編成し、自身の判断で討伐しに行った。
緊急時においては、メルクーアはその裁量権を大幅に押し上げられる立場にあった。
そして、たった1匹のヒドラを簡単に退治していた。
「今度はマンティコアか」
メルクーアはその場所に赴き、今度は単独で討伐していた。
「キマイラもか・・・」
メルクーアはうんざりとした表情で、その場所まで飛んでいた。今度も単独で討伐していた。
最初はマルス辺境伯の領地。次にエーデルシュタイン辺境伯。そして今度はシュミット辺境伯の領地で、いずれも単独の魔獣が報告されていた。
メルクーアはその数は大したことなかったが、場所と時期が重なったことに不安を覚えていた。
「デルバー先生に報告しよう。」
メルクーアはそう判断していた。
最初その噂は真実味を帯びていなかった。
魔獣が森からあふれてくる。
ベルンの人たちは10年前の悪夢を思い出したくはなかったので、その噂もそれほど気にはしていなかった。
「英雄マルスのところにヒドラが出たらしい。」
「エーデルシュタイン領にはマンティコアだってよ。」
「シュミット領はキマイラがでた!」
人々は経験した不安の上に、具体的なものが情報として伝わってきたことに恐怖した。それぞれ単独の情報だったが、いつしかそれは統合されて、一つの何かになっていった。
魔獣の森からヒドラ、マンティコア、キマイラが現れたらしい。まだ数は少ないが、押し寄せる気配がある。
英雄マルスは自分の領地で手いっぱいで、ベルンには来れないらしい。
英雄不在
このことはもっともベルンの民を恐怖に陥れていた。
恐怖は狂気を生み、ベルンの民は自分たちを守るように英雄に直訴しに出かけていた。
最初は少ない過激的な集団だった。しかし、その行動は瞬く間に街中に広がり、恐怖と狂気に後押しされた街の人は、英雄に救いを求めて、マルス辺境伯領に殺到した。
「子供たちをわたしの部屋に集めて。あと、忙しいけどメルクーアを至急呼んで頂戴。」
アデリシアはメイド長にそう告げて、自分の支度に取り掛かった。
「悪いわね、メルクーア。すぐすむから。あなたにこの袋を持っていてほしいの。大事なものだから、なくさないでね。中に手紙も入っているから、あとで読んで頂戴。」
アデリシアはそう言ってメルクーアに魔法の袋を渡していた。
「わかりました。暴徒どもが屋敷を囲みつつあるので、私はこれで失礼します。」
メルクーアはそう言って部屋を後にしようとした。
「メルクーア、子供たちのことはお願いね。あなたたちもメルクーアを支えてあげてね。」
アデリシアはメルクーアと周りにいたメイドたちにそう告げていた。
「了解です。」
メルクーアは敬礼し、そう告げていた。
「おねがいね・・・・」
アデリシアは再びその背中にそう告げていた。
「ありがとうお母さま。」
クロノスはアデリシアからもらった剣を大事そうに抱えていた。まだまだ身長が足りないが、大きくなったときに使えるような立派な剣だった。
ウラヌスも同じような剣をもらっており、それぞれが微妙に違う剣を見せ合っていた。
「プラネート、ヴィーヌス。あなたたちにはこの箱です。中身はあなたたちがお嫁に行ったときにみるのです。それまでは封印しておきました。封印を解くカギはメルクーアに渡しているので、彼女からもらってね。」
アデリシアは子供たちそれぞれに、贈り物を贈っていた。
そして、一人一人に話を聞かせていた。
「ヴィーヌス。あなたにはいろいろ試練があるのかもしれません。しかし、お父様も私も、あなたを愛していることは忘れないでください。」
最後のヴィーヌスの時、アデリシアの瞳には涙があふれていた。
「お母さま?」
ヴィーヌスは不思議そうにアデリシアの顔を見つめていた。
「大丈夫。」
そう言ってほほ笑むアデリシアの顔は慈愛に満ち溢れていた。
「マルス・・・」
部屋に入ってアデリシアは、窓の外を見るマルスの背中をみていた。
「アデリシア、彼らは何を求めてるんだろうな・・・・。」
マルスはそう言ってその一人一人を見ていた。
彼らには、恐れがあった。
彼らには、不安があった。
彼らには、希望があった。
「人は、恐れや不安から逃れるために救いを求めるんだろうな。そして、自分たちは何もしないまま、それがあるのが当たり前に思っている。」
マルスの声は非難めいていた。
「そして、その望み叶えられないとき、それは怒りに変わる。」
マルスはその声を聞いていた。
それはマルスに対する非難の声だった。
「いったい何しに来たんだか・・・」
マルスは自嘲じみた笑みを浮かべていた。あたかも、自分が救ったものたちは、こんなものだったのかといわんばかりであった。
「マルス、人は弱いものよ。あなたのようには強くない。」
アデリシアはマルスにそう告げていた。
「俺はちっとも強くないよ。今でも君を失うことを恐れている。」
そう言ってマルスはアデリシアを見ていた。
「そうね、マルス。でもあなたは失う怖さを知ってなお、立ち上がる勇気がある。そして彼らにはそれがない。その違いが強さなの。皆こわいのよ。」
アデリシアはマルスにそう告げていた。
「そして、私もそうなの。あなたを失うのが怖い。だから、私のほんの少しのわがままを聞いてほしいの。」
そう言ってアデリシアはその短剣を抜いていた。
「それは、魔剣リヒテンリーベン。わかったよ。アデリシア。君の手にかかるのであれば、本望だよ。」
マルスはそう言って手を広げ、目を閉じた。
マルスはアデリシアに刺されると思っているようだった。
「あなたは英雄につかれたのよね。本当に疲れたのよね。そんな体になるまで。ありがとう。私の英雄。」
アデリシアは、マルスの体が衰えていたことを嘆いているようだった。このままでは、マルスは戦えないような感じだった。
そう言って一歩ずつアデリシアはマルスに近づいて行った。
マルスのほんの少し前まで来たときに、アデリシアは魔剣リヒテンリーベンの刀身を右手で持ち、左手でマルスの右手を引き寄せると、魔剣を握らせていた。
「なにを!?」
マルスがそう言った時には、アデリシアは魔剣リヒテンリーベンに体を押し当てていた。
「アデリシア!」
マルスは最初何が起こったのかわからなかったようだった。アデリシアはマルスを殺すために、近づいていたはずだった。
しかし、直前で、マルスに殺させていた。
「アデリシア、なぜ!?」
マルスは傷口から湧き出てくる血を抑えるため、魔剣を引き抜き、だきしめていた。
傷口から飛び散った血が、マルスの顔にかかっていた。
飛び散った血を気にせず、マルスは傷口を抑えていた。
しかし、いくら押さえても、泉からわき出る水のように、アデリシアの体からはどんどん血があふれでていた。
「マルス・・・・。いままでありがと・・・う。あなたは、やはり英雄こそふさわしい・・わ。」
そういうアデリシアは口からも血を吐いていた。
「民を・・・見捨てない・・・で、あの人た・・・ちは弱い・・。あなたは、えい・・・ゆ・・う。」
そう言い残すと、アデリシアは力なく、マルスの手からずり落ちていた。
「なぜだーーーー!」
マルスは絶叫した。それは、今までのマルスではなかった。生気が衰えていたものではなく、全身が生命力に満ち溢れていた。
「(よくやった。お前は最愛のものをその手にかけた。お前との最初の契約は解除しよう。)」
マルスの頭に再びあの声が聞こえていた。
お前はこんなところで終わるのか?」
マルスは沈黙した。
「お前はこんなところであきらめるのか?」
マルスは沈黙した。
「お前は誰も救わないのか?」
マルスは沈黙した。
「お前は誰も愛さないのか?」
マルスは沈黙した。
「お前は誰を救いたいのだ?」
マルスは沈黙した。しかし、その声に聴かれる前にマルスが質問していた。
「愛するものを守れずに、世界を救う意味がどこにある。」
「愛するものがいない世界を救うことに、何の価値がある。」
マルスはそう繰り返していた。
しばらくの沈黙の後、マルスの頭に再び声が聞こえてきた。
「わが使命、果たすべきは世界の破壊」
「汝との契約を完了セリ。」
マルスの前にもう一人のマルスが立っていた。
「おめでとう、もう一人の俺。どうだ?アデリシアのいない世界は。後は俺に任せて、お前は休んでおけ、俺がお前の望みをかなえてやろう。」
マルスは何かを叫んだが、声にならなかった。
「無駄だよ、この体の所有権はすでに俺になっている。お前はそこでおとなしく眺めてな。」
そう言ってもう一人のマルスは、手を真横に振るい、マルスの手足を拘束していた。
「おれたちの望むように世界を変えてやろう。俺たちは世界を救ったが、世界は俺たちを救ってくれなかった。」
「だから、これは復讐なんだよ。俺たちを救えなかった。アデリシアを救えなかったこの世界に復讐するんだ。なに、あとは俺が引き継いでやる。お前はゆっくりと休むかいい。」
もう一人のマルスはそう言ってマルスの意識を奪っていった。
マルスとアデリシアは互いに思いあっていたが、マルスという存在は英雄であった。
人々は英雄絵を求め、アデリシアもまた、マルスに英雄であってほしかったんじゃよ。
しかし、アデリシアを亡くしたマルスはその存在をもう一人のマルスに乗っ取られていた。これはマルスが望んだことなのかもしれんがな。
そしてマルスは世界を混沌に変えていこうとする。
まず精霊石を破壊することから開始していくんじゃよ。英雄としてふるまいながら、世の中を混乱させる。
これがもう一人のマルスじゃった。
この時誤算じゃったのは、メルクーアの存在じゃろうな。
彼女は禁忌の呪法をもちいて、アデリシアの魂を自身に召喚させよったのじゃよ。
そして、マルスと一夜を共にした。
それにどういう意味があったのかはわしにもわからん。
しかし、その時に一つの生命が誕生したのじゃ。
アデリシアの魂を引き込んだメルクーアの子として、モーント辺境伯の三男が誕生するのはそれから約1年後のことじゃ。
名前をヘリオス=フォン=モーント。
銀色の髪を持つその子は、誰からも愛されることなく生まれた子じゃった。
これ、ミヤよ。そんなにふくれることはなかろう?それは事実じゃよ。
じゃあの、今日はこれまでじゃ。ほっほっほ。