ペヤングの国から〜物書きのみんな自分の文体でカップ焼きそばの作り方書こうよ〜
#物書きのみんな自分の文体でカップ焼きそばの作り方書こうよ
参加作品です。
お湯を沸かすことなど本来難しいことではなかったはずだ。いつからだろうケトルの中で熱される水に私自身を投影してしまうようになったのは。
私は、だから、私が嫌いだ。
時間は有限性の資産。それを知らない子供ではないけれど、私はお湯が沸くまで何もしない。火にかけられるケトルをただ見つめて、そんな私を誰かに見られている想像、妄想。
「アイシテル」
意味もない戯言は沸騰した湯の音にかき消される。
そこでようやく焼きそばを開封する。中に入っている諸々の何かを取り出し、説明の通りに始末する。昔々の大昔、私がまだ無限性の世界にいた頃の話、カップのラーメンと勘違いして粉状のソースを湯切りの前に入れてしまった失敗を思い出し、少し赤面。あの頃の私は、うん、可愛いかったろう。今となってはそんな言葉似合うはずもないのだ。こんな、時計のない部屋で一人、カップ焼きそばを作る女が。
お湯を入れてから5分間は私の時間。お湯を沸かす3分よりも、お湯を入れてからの5分の方が貴重。楽しいな、ああ、楽しい。
テーブルの上に置いたままのケータイはなるはずもなく、一人の夜をひとりぼっちにするのは私自身。
お湯を捨てる。湯切り用の口から、だばだはと愉快な音を立てながら湯を捨てる。入らなくなったお湯。熱。響く。その音が妙に心地よくて、私は、自分が泣いていることにしばらく気がつかなかった。
それがそれだとわかった途端に止まらなくなるのは不思議なもので、涙という名前を与えられたものが涙となるのだと言わんばかりに、私の出口からも涙が、声が、心が、流れ出る。湯切りされたあとの用済みの感情。
カップ焼きそばを作ることなんか、そう、難しいことではない。生きることの難しさに比べたら。あなたのいない明日の朝の寂しさと比べたら。例え何があろうと渇いたものはお湯をかければ潤うのだから。だからこの涙も何かを潤わせる糧になると信じて、渇ききった私の心はその辺に放って、私は麺とソースを混ぜ合わせた。




