41.クラヴマガ
自分が失礼な事と、その戦い方の話に全く関連性が見られないガレディの口ぶりにウォルシャンは途轍も無い違和感を覚えたが、要は自分が体得している戦い方を見せて欲しいと言うだけの事だと頭の中で整理する。
「……メシ終わってからで良いか?」
「ああ、俺もメシ食ってるからな」
何だかその返答にムカつきを覚えたウォルシャンだが、ここは我慢してまずは目の前の食事を平らげる事に専念する。
そんなウォルシャンを横目で見ながら、自分もガレディがテーブルの上に並べた食事を済ませてしまおうと目の前の干し肉を手に取ってかぶりつくエイヴィリン。
(そう言えば俺のカンフーと、こいつの太極拳で手合わせって何回もしているけど……勝ち負けで言えば実は俺の方が少し負けてるんだよな)
実際の所、ウォルシャンはやはり軍人なだけあって太極拳以外にもクラヴマガを習得している。
それも民間向けに殺人術を取り除いたものでは無く、軍隊で使う為の実戦そのものにすぐ利用出来るクラヴマガを習っているからただの護身術と言う訳では無い。
軍隊格闘術は戦場で敵から身を守るだけで無く、時には攻める為の武術……つまりは殺人術としても使われる。
元々クラヴマガはイスラエルで考え出された近接格闘術だ。
戦火の絶えなかったイスラエルにおいて編み出されたその格闘術は、戦場と言うフィールドで戦う為に一切の無駄な動きや要素を省いた「シンプルイズベスト」を体現した様なものとして知られている。
シンプルで合理的な事から、軍隊や警察関係者向けに使われている殺人術は省く事を条件にして民間人の護身術としてもレッスンが行われている。
ヘブライ語で「マガ」が接近を意味して「クラヴ」が戦闘を意味する事からも分かる通りの近接戦闘術であるクラヴマガは、イスラエルで学んだトレーナーによってイスラエルのみならず世界中でレッスンが開催されている。
本場イスラエルではイスラエル国防軍や警察、イスラエル諜報特務庁で採用されている。国外に置いてはアメリカの有名なCIAやFBIを始め、SWATやスカイマーシャルと言った特殊部隊でも採用される。
クラヴマガを最初に考案したのはレスリングやボクシング、体操等で数々のヨーロッパチャンピオンを経験したユダヤ人、イミ・リヒテンフェルド。
彼の父親は警察官であり、他の警官に戦闘や護身術の指導をしていた。
イミはそんな父親から実戦的なストリートファイトを学んだ経験とチャンピオンの経験を活かし、当時紛争状態の東ヨーロッパで仲間の命を何回も救った英雄である。
これはイスラエルが建国される前の話であり、パレスチナに移り住んだイミはユダヤ人民兵組織にその戦闘術を教え始めた。
これがクラヴマガの始まりとなったのである。
建国後のイスラエルでは「クラヴマガ」がイスラエル警察やイスラエル軍に教えられている近接戦闘術を意味している。
そして教官として勤めていた軍から退職した後に、イミが一般市民への指導を開始した事が切っ掛けで護身術としてのクラヴマガの歴史の始まりでもあった。
1980年まではイスラエル国内だけの武術だったが、そのテクニックに興味を持ったアメリカ人と交流がスタートした事によって、1981年にアメリカに6人のインストラクターが渡米。
FBIのニューヨーク支局やトレーニングセンターでのデモンストレーションを行った後、インストラクターの訓練コースに参加するべく今度はアメリカから22人がイスラエルに渡りクラヴマガを習得。その22人がアメリカに帰国した後に地元でクラヴマガのトレーニングセンターを立ち上げた。
こうしてアメリカとイスラエルの交流が始まった事でクラヴマガが普及する様になり、1985年からはとうとうアメリカの警察関係者向けに実践的なクラヴマガのトレーニングが開始されるに至った。
ウォルシャンもそのクラヴマガを習得している1人であるが、普通の格闘技と違うのは「大会としての試合が無い」事。
空手やボクシングの様なスポーツでは無く、実際の戦場や不意に路上で襲われた時の対処法をシミュレーションされて作り上げられているものなので「普段の生活の中で起こりえる状況で、いかに効率的に素早く適切に動けるかどうか」と言う事に重点を置いているのがこのクラヴマガだ。
相手の攻撃をまず予測する。次の相手の攻撃を防ぐ。そして相手を制圧する。
人間の身体は緊張している状況下だと上手く動かす事がなかなか難しくなってしまうので、そうした緊迫した状況の中で攻撃を仕掛けて来る相手から「自分に主導権を持って来る」事を素早く行えるかどうかがクラヴマガの基本理念であり重要視される1番の考えだ。
人間の本能である「条件反射」を動きに取り入れ、いざと言う時に身体が自然に護身の動きで反応してくれる様にトレーニングする。
合理的な考えに基づくのでトレーニング期間も短く出来、性別も年齢も体格も体力も問わずにレベルの高い護身術を身に着ける事が可能なのだ。




