46.忘れられないあの敗北感
城からの退去通告が出されたその2日後。
ロシェルはクリーニングして貰った白い軍服を着込んで、大公から渡された少しばかりの旅の路銀とおまけで付けてくれた食料を袋に詰めてくれたパックと、首から下げる為のヒモをつけて用意された通行証を首からぶら下げて出発の準備を終える。
「準備は良いか?」
「はい、爆発事件の疑いを晴らす事が出来なかったのは残念ですけど……それ以外にはもう思い残す事はありません」
「なら出発だ」
用意された馬車に乗り込み、クリスピンと一緒にまずはペルドロッグよりも大きな南の町であるレフォールへと向かう。今のロシェルが心の中に抱えている、疑いを晴らせなかった事に対してのモヤモヤを示すかの様な雲で薄暗い空の下での出発だ。
結局あの爆発事件の疑いを晴らす事は出来なかったが、もうこうなってしまった以上は仕方が無いと諦めたロシェルは、レフォールで地球へと帰る為のヒントを見つけられれば良いな……と漠然と考えながら馬車に揺られてペルドロッグを出る。
「レフォールって町までどれ位かかるんでしたっけ? 前にコラードさんから聞いたんですけど忘れちゃったんですよ」
「ああ、南に向かって1ヶ月程歩いたら着くぞ。今は馬車だからもう少し早めに着くと思うが」
「それでも結構長いな……」
かと言って、今の自分はそのレフォールの町に行って情報収集する以外にはまっすぐにエスヴァリーク帝国へと向かうしか選択肢が無いのだと再認識する。
せめて何か、途中に別の町があればずっと馬車に揺られ続けるだけの退屈な旅路になる事は無いだろうと期待を込めつつ、クリスピンにその旨をロシェルは聞いてみる。
「えーと、そのレフォールの町に着くまでに幾つか町を経由したりするんですか?」
「勿論だ。3つの町があるから、そこで宿を取りつつ情報収集も何か出来ると思うがな」
「そうですか……」
なら少しは退屈せずに済むかなと安心したロシェルは、今の自分が居る場所を再認識するべく以前手に入れた地図を広げて場所を確認し始めるのであった。
その様子を見たクリスピンも手持ち無沙汰になった為に、自分の武器であるロングソードを失ってしまった時の為に持ち歩いている短剣の手入れを簡単にではあるがし始め、馬車はゆっくりと最初の中継地点へと向かって進んで行く。
やがて地図の確認を終えたロシェルだったが、彼にはまだ心の中に抱えているモヤモヤがあった。
思い返す事少し前。コラードと中庭の噴水前で手合わせをさせて貰った時の、あの手痛い敗北である。
(この世界で生き残る為には、ムエタイだけじゃ駄目なんだ。確かにムエタイは立ち技最狂の格闘技だし俺だってそれを自負しているけど……)
手合わせをしている時だったか、それとも敗北した後に同じ様な事を思っていた記憶があるのだが、ロシェルは改めて心の中で決意を固める。
(でも、スポーツとしてのムエタイじゃあ俺はあのコラードさんに勝てなかった。もっと……もっとエグイ技が沢山ある……古式ムエタイの戦士のスピリットが必要だ。古式ムエタイの戦士達はボクシンググローブなんて無い時代から殴ったり蹴ったりをしていたんだからよ!)
今でこそスポーツ格闘技としてムエタイはタイのみならずアジアやアメリカ、そしてロシェルの住んでいるヨーロッパ等の世界中で知られている格闘技。
しかし、元々はタイの古代の軍隊格闘術。当然相手を徹底的に叩きのめす為なら、その叩きのめすなりのテクニックがある。
肘を容赦無く顔面に突っ込み、脳天目掛けて思いっ切り肘を振り下ろす……と言うよりも突き立て、ダウンしている相手の顔目掛けて今度は膝を叩き込む。
KOと言うよりもオーバーキルと言う言葉がふさわしい位のそのテクニックと、今の時代のムエタイで使用される普通のボクシンググローブでは無く、殆ど素手の状態であると言っても過言では無い紐状のバンテージを手首から腕にかけて巻き付けるスタイルで古代のムエタイ戦士達は活躍して来たのだ。
(まだ俺もこの世界の全てを見て回った訳じゃ無いから分からないけど、少なくとも今の段階で言えばボクシンググローブをこの世界で見た事が無い。本音を言ってしまえば城の武器庫で整理していた時に見かけたガントレットを手に着ける事が出来れば良いんだけど……)
あの音と光とそして痛みのトリプルコンボの変な現象が自分に襲い掛かって来るので、残念ながらそのガントレットを装備すると言う案は却下だな、と溜め息をロシェルは吐いた。
(着けられないんだよなぁ、これが。でも……やりようによっては拳を鍛える事は幾らでも出来るし、実際に今まで拳を鍛えるトレーニングだって俺はやって来てるから、またやるしか無いだろ)
自分の体重を使って拳を鍛えるトレーニング方法だってあるのだから、この世界でだってやれない訳が無い。
だったら今から少しでもそのトレーニングをする事で、この先の戦いで少しでも有利にバトルを自分のペースで運ぶ事が出来る様になるかも知れない。
(よっしゃ、だったら今日の夜からクリスピン団長に頼んでトレーニングに付き合って貰うとするか!)
窓の外を見つめて黙ったままのクリスピンを横目で見て、ロシェルは拳をぐっと握り締めて決意を固めた。