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黄昏の変貌

 翌日。

アーネスト・ロウ大佐は温室で1日を過ごすことに決めた。

酒が無くなった空の瓶には煮沸した水を入れて、そしてパンを持参してきていた。

(デザートに、ここらへんの果物を貰うとするか)

 見たこともない果樹たちであったが、あのトカゲが食していたのだから、人間が食べられないということはないだろう。

(ここら辺りの植生果樹ではないようだな)

 転戦につぐ転戦であちこちを渡り歩いていたことから、それなりに食べられる動植物、有害な鉱物など詳しくなったし、そういった判断もつくようになった。加えて書物から得た知識を総合すると、南国産の果樹ではないかと考えていたのだ。

”もしかすると、その果樹を運搬する荷物に混じって、トカゲが入り込んでしまったのかもしれない”。

 そう考えると、有り得ないトカゲの存在に、腑に落ちるものがある。


(流石にあそこまで大きくて男爵やその家族・使用人にばれない訳はないだろうから)

 とっくに男爵家にはその存在を発見されていたけれども、黙認されていたのかもしれなかった。


(人間、下手すると家畜も飲み込める大きさだったが)

 見た限り、骨や死骸も散乱していないし、裏池に鱒がたんまりと泳いでいたが、魚をメインディッシュにしていた様子もない。昨日の様子だけを見れば果物だけで生き延びているようだ。……死骸や骨を一か所にまとめておく習性でなければ、という意味であるが。


 人の口には戸口は立てられない。人肉もしくは牛馬を食らうような正真正銘の怪物であれば、箝口令だけでは恐怖を押さえつけることは出来ず、どうやっても漏れてしまう。そういったことを考えれば、人畜無害であると見極めをつけられて、ここで生き延びることを容認されていた可能性がある。ここにかつて住んでいた人々はもしかしたら、あのトカゲを男爵家のペットとして遇していたのかもしれない。

(不幸にもトカゲが逃げ出した日と、令嬢の不遇が重なってしまったのかもしれないな)

概ね、事実というものは単純なものだ。


 考えているうちに、日光が行き渡り温室が暖かくなってきた。それまで静止していた中央の噴水口から、噴水が始まったそのタイミングで、大佐が再会を楽しみにしていたトカゲが温室に入り込んできた。

(きた)

 念のため、大佐は物陰に潜む。

男爵の家族や使用人には慣れていたのかもしれないが、見知らぬ人間には攻撃性が高いのかもしれない。

(”番人”とは、そうでないと務まらない)

 しかし、トカゲの茫洋とした表情を見ていると、このトカゲは”番人”には適さないのではないか、と思えてくる。

(我が愛馬の方が、血気盛んでよほど”番人”に適しているな)

 大佐の愛馬、アリランは勇気があり且つ賢い馬だ。おまけに大佐に対する忠誠心は、平気で味方を裏切る卑怯者達に見習わせたかったほどだ。

 そして、熊でも狼でも人間でも、大佐を害するものが近づいた時の警戒心は素晴らしかった。

(我が愛馬こそは、その重さの純金と引き換えにすると言われても、諾うことは出来ないな)


 トカゲの様子を見ているうちに、午後アリランを一走りさせてやろうと思った。


(蝋燭や石鹸。食糧も、トネルの父親から仕込んでおきたいし)

 ホルン館を領地から分断している川を堰き止められないのであれば、村との行き来する算段もつけねばならないし、村のことについて話し合っておきたい。


 のそのそ。

トカゲは日当たりのいいところを探すと、気持ち良さそうにぺたりと石畳に身を伏せて、すうすうと寝入った。

(なんともまあ、警戒心のないことだ)

 人の気配を探ろうともしない。嗅覚や視覚が思いのほか鈍いのかもしれないが、おそらく男爵の家族に大事にされてきたから神経質になる必要がなかったからだろう。



(今の内に、トカゲ君の訪問経路を調べてみるか)

 丁度噴水は止まっている。そっと、大佐は目立たぬように噴水に近寄った。

 匂いに鈍感な生き物だとしても、獣脂が燃える匂いは苦手かもしれない。大佐はトカゲに気取られぬよう、用心しいしい蝋燭を灯して噴水のナカをみた。


 底は思ったより浅い。


 井戸の淵から、大佐の身長あたりの深さに底が見えた。ただし蓋状のもので塞いでいたからだ。しかも。

(バネ仕掛けの蓋だと?)

 大佐は辺りを見渡し、おそらく使用人が置き忘れにしておいたのだろう、掃除をする為の清掃道具を見つけた。それを使って押してみると簡単に押し開いた。しかし、その奥は闇。冷たい風が吹き上げてくる。匂いを嗅ぐと水の匂いだ。

(地下水脈に連なっているのか?それとも、川まで繋がっているのだとしたら、相当の深さがあるな)

 このホルン館は村より高い位置に建っているのだ。大佐はかなり深く掘り下げていると睨んだ。

(もしかすると、この館の主人達の緊急避難口なのかもしれないな)

 そう思い、丹念に噴水口の周りを丹念に調べたが梯子はおろか、縄ばしごも発見することは出来なかった。

 バネ仕掛けの蓋の近辺の内壁にも側道はないから、トカゲは己の手足と爪を使って、上り下りしているのだろうか。

(……いや、そういえば昨日も噴水と共に姿を現した)

 大佐は”ひょっとしたら潮の干満を使った仕組みなのかもしれない”と当たりをつける。

(この噴水が間歇泉のような仕掛けになっていて、そのタイミングでこのトカゲは出入りしているのかもしれないな)

 何にせよ、男爵が意図して作ったものであることは間違いない。

噴水口の中の蓋は、せっかくの温室に冷気を取り込まない為の工夫兼目くらましなのだろう。


(そういえば、アルコーブのところで突然、あの美女が消えた)

 大佐は昨晩見かけた美女を思い返した。大佐は己が見たものを幻影とも怪奇現象とも捉えてはいなかった。

 不法滞在者がたまたま屋敷の仕掛けを知って利用しているのだと考えていた。

(噴水にもそんな仕掛けがあるのだとしたら、この家にはそんな仕掛けが沢山設けられているのだろうか?)

大佐は尚も考える。

(だとしたら、何のために?)


 導き出された答えは、男爵が何処かの間諜スパイを勤めていたのではないか、ということだ。

(ヨルク公からは、男爵が間諜だったとは聞いていない)

 例えば自国の間諜であったならば。いくら存在を闇に伏せておく間諜であっても、公自身が腹心と言って憚らない自分だけには、その存在を明らかにするのではないだろうか。

(……)


 知らず知らず大佐の目が細められた。


男爵が間諜で、しかも他国に益する為に暗躍しているのだとしたら。

(男爵の行方も探さないとな)

 もしかすると、怪物騒ぎ自体が村人の目を欺く為の大芝居で、行方知らずに見せかけて囚われた敵国の将軍の為に今も画策しているのかもしれないのだ。


 ぴくり、とトカゲが身じろぎした。

大佐は慌てて姿を隠した。日時計を観れば正午を指しており、トカゲがもそもそとホルンを掴むと、また物見の塔へ消えた。

 村人たちを震撼させているのも知らずに、ぶぼっ、ぶほぉーという不格好な音色を呑気に響かせると、トカゲはまた温室の温かい石畳に寝そべった。

(今のうちにアリランを運動させてやるか)

思いついて、行動を起こすことにした。

(そうだ。ホルンの事も、怪現象ではないと言っておいてやろう)

そう思いかけて、ふと。

(……いや。暫く様子を見るか)

 まだ、トカゲの処遇についての判断は付きかねている。害がないとすれば、村人たちの警戒心は解けるだろうが、気安く領主館へ出入りされるようになっても今の段階では困る。

(私がトカゲを見過ごしていると知られれば、大事おおごとになるだろうからな)


 大佐はそうっと温室から出ていくと、裏庭からアリランを連れ出し、村へと向かった。

勿論、門扉に錠をしていくのも忘れない。

それは、今となってみるとトカゲを護る為のようなものだった。





大佐が外出するのを、木陰から眼差しがじっと見つめていた。



 すっかり意気投合したトネルの父親から戦利品を仕込んだ大佐が戻ってきたのは、夕暮れが迫ろうとしている頃合いだった。

 怪奇現象については見当たらないこと、ただ浮浪者などが居着いていて、冗談で吹き鳴らしているのかもしれないと。それを調査し終えたら、館の整備の為に村人を雇い入れるつもりだとも話しておいた。


 大佐が改めて村を回りたいと言うと、トネルの父親は一緒に回りたがっていたようだが宿を放ることが出来ず、代わりに随行を申し出たトネルや牧師とフェルハースト村を見て回った。

 いくつかの溝さらいや杭うちなどを村人達に指示して、村の主だった者達と村に必要なこれからの修繕計画や土木工事の事などを話し合った。それから、トネルの父親が用意してくれていた暖かな食事を腹一杯に詰め込んで、帰ってきたという訳だ。


 鏡に石鹸、蝋燭、上質な毛布。卵や乳製品、日持ちするパンに葡萄酒も何本か、持たせて貰っていた。

(これで暫くヨルク公並の晩餐を味わえるな)

大佐はホクホクしていた。


愛馬の世話をしてやってから、ふと温室の方を見た。

(あの生き物は、まだ居るだろうか)

日光浴をするだけしたら、もう居ないかもしれない。

(それなら、それで構わないさ)

なんとなく大佐はトカゲに親しみを感じており、もう一度その存在を確かめようとしていた。


(居た)

 トカゲは日中に居た場所から微妙に位置を変えてはいたけれども、おそらく暖かな石畳が好きなのだろうと目星をつけていたから、大佐は驚かなかった。

窓がバラ色に染まってきた。室内は、ほんわりと暖かい。

と。

トカゲが身じろぎを始めた。

(帰るのか)

大佐は友人が帰るような寂しさを感じた。

(また、明日)

トカゲが帰るのを見送ってから、自分は居心地のいい厨房に戻ろう。

その考えは、すぐには実行されなかった。



 飽かずにトカゲを見ていたのだが、気づかないうちにゆっくりと何かが始まっていた。

「?」

 トカゲは、大佐が瞬きする間に骨格そのものから華奢になる。尻尾がどんどん縮まる。胴体の外に飛び出していた四肢が肩から下がった腕に、骨盤から連なった脚へとなり。

(……いつ)

それまで四足で歩いていたのに、二足で立ち上がったのか気づかなかった。

 顔はどんどんトカゲらしさを喪っていった。長かった鼻は引っ込み、思わず摘みたくなるような愛らしいものに。

 飛び出ていた額は、秀でた頭脳が収まって居ることを示すような美しいものに。

裂けていた大きな口が、口づけしたくなるようなふっくらとした紅い唇に変わっていくのを。

棘のついた背びれが美しい髪となる様を。

金の虹彩が、金茶色の夢見るような眼差しになっていくのを。


 大佐は魅入られられたまま、じっと見つめていた。


それは昨晩の月光が見せた妖精のような女性だった。

(昨日の女性だ!)

禁忌が行われたことを。目の前の怪奇現象を大佐は忌むべきであったのに、美しい女性となったモノが伸びをして周りを見渡すのを、信じがたい思いで見守っていた。

(ああ……!)

 そしてやや華奢な生まれたままの姿を、隠してあったボロボロのキレを纏って、大佐の目からそして夕暮れから隠してしまった。


 ふう、とため息をつくと女性は温室の中を細かく見て回った。そして枯葉や腐った果実、そして昼間己が食べたカスなどを、温室の端にあった暖炉にくべて、火をつけた。


 焔に照らされた女性の横顔から、大佐は目が離せなかった。

(なんと美しい……!)

昨晩、その淡い金髪は月光を受けてプラチナブロンドにも思えたが、炎を映すその髪は。

(まるでブリギッドのようだ)

神話として伝わる、火の女神である。

 もう一度ため息をつくと、女性は今度はボロ切れを脱いで、あった所に隠した。火の消えた暖炉をきちんと始末すると、今度はトカゲの姿に変貌して今度こそ噴水口の中へと消えた。


「……」

後には茫然とした大佐が残された。


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