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太陽が魅せた怪物

 翌朝。

ぐっすりと眠ったアーネスト・ロウ大佐は、テーブルの上で行儀悪く伸びをした。


 厩に繋いだ愛馬が具合良く収まっているのを確認して、厩にあったブラシを使って手入れをしてやる。ブルル、と愛馬が甘えてきたので、鼻面を掻いてやった。

蹄や脚に故障がないのを確認すると厩にあった杭と曳き綱を取り出して、愛馬を草が茂り放題の裏庭に繋いでやった。


伸びきった草に、侵入者が出入りしている形跡はない。


(アリオンのおかげで、裏庭はそのうち綺麗になるだろう)

桶を見つけてやったので、厨房で水を汲んできて愛馬に与えた。


 盥に水を張り、鏡がわりにして髭をあたる。

(暫く公の前に伺候しないから、伸ばしっぱなしにしておくか)

 元々、母国にいた時は貴族階級に馴染む為に身綺麗にしていた程度。野戦生活にすっかりと馴染んでいた。



 髭を当たっていた間に、煮沸しておいた井戸水とパンで簡単な朝食を取った。


(さあ、探検開始だ)

ふと。

温室に果樹があったのを思い出した。

(まずはそこからか)

 角笛の吹き手を見極めることにした。日時計の動きは緩慢だ。そして音が鳴って知らせたりするものではない。吹き手も当たりをつけて早めに訪れて、日時計で正午を確認してから吹くのだろう。

(だったら。私は、その前に潜んでいた方がよいな)


 大佐は短銃とその替えの弾。サーベルと投げナイフを持つと、葡萄酒の壜を持って温室へと向かった。




 明るい中で見てみると、様々な果樹が植わっている。食べごろの物もあれば、花が咲いているのもある。それに、花が終わって青い実がつき始めているのもある。

(ここの温室で、一年中果物にありつけるな)

 大佐はのんびりと思った。

風が遮られた太陽のみが遊ぶ空間で、むせ返るような緑の匂いと果樹の香しい薫り。一つ二つもいで、葡萄酒と代わる代わるに食せば、今までの戦いの疲れを忘れられる気がする。



『客』は思ったより早くに到着した。


 怪物がが水が吹き上げてくる噴水口からのそのそと這いあがってくると、するんと機敏な動作で温室へと入り込んできたのだ。

(!)

 村人たちが噂していた生き物だと大佐は瞬時に直感した。ぎゅ、と短銃を握りしめる手に、力が籠る。

(……)

それは確かに大佐よりも大きい、尻尾の長い生き物だった。

(確かに、トカゲだ……牛ほどは大きくはないが)

大きな人間が横になったら、同じ位なものであろう。

(恐怖は、相手を大きく見せるからな)

 平和な暮らしに慣れた村人たちが見たら、恐怖のどん底に突き落とされたはずだ。


 そしてトカゲは怪物として、一人歩きをしてしまった。


 しかし大佐は、村人たちのように流石にこの怪物が、父親に毒を飲まされたエリカ嬢と思っている訳ではない。

(人がトカゲになるなど。どうあっても、そんな事は現代には。いや、古今東西において有り得ない)


 大佐は改めてしげしげとトカゲを観察した。


 トゲの間に生えている銀の背びれに、全身を覆っている紫色の鱗。

虹彩は金に見える。

(このトカゲは肉食だろうか)

東の島に棲息しているトカゲの腹を裂いた処、半分消化された人間が出てきた、という記録を読んだこともある。

(この図体で襲われたら、一たまりもないな)

分厚い鱗で覆われた躰に、銃弾や刃が通るのか、どうか。


 大佐の懸念を嘲笑うかのように、トカゲは一本の果樹に近寄ると、ひょい、と後足で立った。そして首を伸ばすと、枝になっていた果物をしゃむしゃむと美味そうに咀嚼して、呑み込んだ。

 暫く、その動作を繰り返す。やがて、腹がくちくなったのか、日光が当たって温まっている石畳で気持ちよさそうに丸まってしまった。



(……)

 禍々しい生き物の筈なのに。いくら大人しそうに見えても、この大きさだけで人々を恐慌に陥れることをよくわかっている筈なのに。

 大佐は、闇雲にこの怪物を退治しようと思っていた訳ではない。むしろ少年の日に、家庭教師が語ってくれた『ドラゴン』にも思えて、大佐は胸を高まらせていた。

(羽が生えて空を飛べれば、本当に東の国々に伝わる『神龍(ドラゴン』のようだな。我々の宗教が忌まわしむ、『悪竜』には思えない)

 しかし、大佐が住まうこの国々で、こんな大きなトカゲが生息しているなど、今まで誰からも何処からも、聞いたことはない。


 家庭教師が語っていた、遥か東の国には居るのだろうか。

(行ってみたいな)

子供の頃にとっくに封印した冒険心が膨らんでいくのを感じていた。





(それとも)

ミュラー男爵が、何処かからか、連れて帰ってきたのだろうか。

(村人達が怖がるから内緒で飼っていて)

 それがたまたま、折悪しく令嬢が毒を飲まされた日に逃げ出して、誤解を生んでしまったのだろうか。

(となると。令嬢は単なる人間で)

持病の発作でもあった所に、父親たる男爵が薬を飲ませただけなのかもしれない。




 大佐が大トカゲに尚も見入っていると、何時の間にか太陽はゆるりと動いて、日時計が正午を指した。

 すると、トカゲは閉じていた目を開けて、のそのそと角笛に近づいていくではないか。

(まさか!)

その、まさかだった。

 トカゲは角笛を咥えると、明らかに目的を持って動き始めた。大佐も潜んでいた物陰からゆっくりと身を起こして、後を追う。距離を詰めずに追っていくと、トカゲは大儀そうに物見の塔を登り始めた。

(もしや)

 大佐が期待を込めて見て居ると、最上階の物見の窓から尻尾がちょろりと見えて。ぶぼー、ぶぼーっと角笛の音が響き渡った。

(やっぱりあのトカゲが吹いているのか!)

 まるで、正午を村人たちに知らせてやっているような、人間くさい動作に大佐は笑いだしたくなった。

(頭の良い奴で。飼い主の男爵がしていたことを、見様見真似しているのかもしれないな)

 主が行方不明なのも知らずにけなげなことだ……と。


 大佐が柄にもなく、しんみりとしていると。


 やがてトカゲは満足したのか、のしのしと降りてくると、また温室にむかって歩いて行き、角笛を元どおりにひっかけると、横になったのだった。


 大佐はくしゅー、すぴぃいと寝息を立てるトカゲを飽かずに眺めていた。

それは太陽が西へと傾き。

温室の中の温度が落ちていって、トカゲが眼を醒まして、噴水口の中に戻るまで、続いたのだった。


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