司祭との会食
翌日。
アーネスト・ロウ大佐は司祭館に赴いた。
「これはよく来てくださいました! 貴方が、今度のご領主となられる方なのですね」
観た処、司祭は善良な人物のようで、大佐の着任を心から喜んでいるように見えた。がし、と強く握られた握手に、大佐も心が和む。
「ああ。よろしく頼む」
「ありがとうございます、神に感謝を」
司祭は神に感謝のしるしを切った。
「そこまで喜ばれるとは意外だったな」
昨日の村人の様子から、司祭もてっきり排他的な男であると思っていたので予想外だった。
「やはり、私がいくら努力しても。施政者がおらぬ土地は荒れますので」
司祭手ずから茶を淹れてもてなしてくれた。
大佐は早速話を切り出した。
「トネルから聞いたのだが。ホルン館の鍵を、司祭が預かっているのだとか」
司祭に警戒心を起こさせぬよう、大佐はわざと村の唯一の宿の息子である少年の名前を口にした。
「ええ。預かっております。……少々お待ちください」
しかし、大佐の事を警戒していない様子の司祭は、立ちあがると暖炉の上に置いてあった、礼拝のしるしが安置してある台座の引き出しから、一つの錠をとりだした。大佐の手にその鍵を預けてから、もう一度男の前に座り直した。
「確かにこの村にはあの館しか、貴殿に相応しい住まいはないのですが……。本当によろしいのですか」
司祭が気がかりそうに訊ねた。
「ああ。司祭が気にしておられるのは、怪物の噂か?」
大佐の言葉に、司祭があからさまにびくり、とした。
「……はい。しかし、実際に怪物は存在しております、私もこの眼で見たのです!」
強い調子で司祭は言った。
丁度、収穫祭をするとあって、司祭も村人達と山の幸を収穫しに行く途中で事件に遭遇したのだと。
「詳しく聞かせてくれないか」
司祭が何度も舌で唇を湿しながら語ったものは。トネルやその父親の話と、あまり変わりはなかった。
「令嬢を迎えに来たのは、確かに男爵の家の者だったのだな」
「はい。確かに、ディーターでした」
(ディーター……それが、『従者』の名前か)
この惨劇の鍵を握っていると思われる人物。
「ディーターとは」
「ディーター・ベネケ。家令のコンラートの甥です。コンラートが病に倒れてから家令見習いとして、ホルン館で働くようになっていた男です」
「その男は、今もこの村に住んでいるのか?」
鍵となりそうな男の所在を訊くと、司祭は首を振った。
家令であるコンラートも数年前に亡くなっており、主は行方不明。領主の娘も『頓死』している。家を引き継ぐ親戚もおらぬことから、ディーターは事件の翌日には、館から居なくなってしまったらしい。
「躰が弱くて野良仕事に向かないようで。今は、町に働きに出ているようです」
ここから南へ馬で一日ほどの距離にある、宿場町で働いていると司祭は応えた。
「そうか」
(……まあ。その男に色々聞くのは、まだ先だな)
まずはホルン館を住めるようにして。ここの整備に着手しなければならないだろう。
――館の少なくとも清掃が終わる位までは、トネルの父親の宿に下宿したほうがいいのに。何故か、大佐には”早くあの館に住むべきだ”と思えて仕方なかったのだ。
「司祭は、ずっとこの村を担当しておられるのか?」
「いいえ。教区の司祭長から命を受けて、私は来たばかりでして」
三年前に赴任したとのことだった。
(それなら)
「しかし、令嬢とは顔見知りであったんだな?」
「はい……エリカ嬢は、よく司祭館の催しを手伝ってくださいましたし。日曜の礼拝には父上を引きずるように連れてこられて。毎回、参加してくださってましたから」
頬を染めた処を見ると、司祭は令嬢に仄かな気持ちを抱いていたらしい。
「男爵は無神論者か?」
(だから、神が嘆くような所業を仕出かしたのだろうか)
大佐の質問に、司祭は首を振った。
「そういう訳ではありません。しかし男爵は科学者でいらしたので、いったん実験に入ってしまうと寝食も疎かになってしまう方のようでしたから」
よく、エリカ嬢が”お父様は放っておくと何日も実験室に籠ってらっしゃるの。だから、私がお外に連れ出して差し上げなければならないのよ”と語っていた、とうっとりとした眼で呟いた。
「……それでも、この村の土壌改良や、ワインの改良など。村人の暮らしをよくする実験をしてくださいましたし。井戸堀や、氾濫に備えた土塁など、そんな土木工事も手掛けてくれる、善き領主であったのです」
事件が起こるまでは、村人たちも男爵を慕っている様子だったという。
それは娘への慕情からの依怙贔屓でも、なんでもなく。ただ、この男が見たまま、訊いたままの男爵象を語ってくれている、と大佐は踏んだ。
そして、大佐は、質問を切り替えた。
「怪物は」
びくり!と目に見えて司祭の躰が跳ねて、青ざめた。
「本当に令嬢だったのか」
「わ、わかりません。しかしっ、あの日、エリカ嬢が着ていらしたドレスを、怪物は確かに着ていたのです!」
恐ろしさにわななくような声だった。
「……」
大佐は仔細に、彼の書斎の本棚に納められている書物を観察した。
数学、歴史、ラテン語の本。
(実質的な人物のようだな)
話していても理知的の人物に思え、彼が空想の魔物を観たのではないことは信じられた。
(だから余計に、恐ろしいのだろう)
恋した娘の代わりはてた姿にしか思えなかった怪物の姿が。
「ホルン館に錠を差したのは、どういう判断だったのだ?」
びく!
司祭は再度躰を震わせた。
膝の上に拳を置いたまま躰の震えを止めようとはせず、呟いた。
「……仮にも、領主の館です。無作法な侵入を許してはならない、と思いました」
「そうか」
大佐は、この男から聞けることは全て訊けた、と思った。
そこに。
ぶぼおおおおー、ぶほっ、ぶごおおおおおー
と。
不器用で下手くそな吹き手が鳴らした時のような、ホルンの音が響いてきたのだった。
途端に司祭の顔は青ざめ、歯をカチカチと鳴らしたのだった。
大佐は礼を言って司祭館を出ると、ホルン館を目指した。