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妖音

 大佐は懐中時計を確認した。

 少年の父親が経営している居酒屋から「事件現場」の洞窟までは三十分ほどかかっている。

 普段、行き来があるのだろう。

 此処に至る迄の道は、決して歩きにくくはなかった。

 だが、緩やかな登坂になっていて、三十分走り続けるのは男でも辛そうだ。

(『男爵の使い』が、娘を真っ直ぐにこの洞窟へ連れてきたとして)

 その凄惨な出来事を目のあたりにした人間が村人たちの元に戻ってくるのに、下りにかかった時間を考えても少なくとも一時間を要することになる。


(その間、男爵親娘はどうしていたんだ)

 それだけの時間があれば、二人が村人の眼に触れずに行方をくらますことは可能であった筈だ。

 従者が逃げ出した時点で、村人たちを呼んで戻ってくると思わない程に気が動転していたのか。



 大佐は少年――トネルというらしい――に訊ねた。


「その日は村人たち総出だと言ったな? この洞窟近くで何かをしていたのか? 例えば、狼や熊を狩っていたとか。ブドウやキノコ、薪などを採りに山に入っていたとか」

 大佐が確認すると。

「ああ、センヌ婆さんちの豚が逃げ出して、みんなで追いかけてたんだ」

 と少年は事もなげに言った。


「そうだったのか」

 大佐は納得した。

(そうでなければ、村人たちが『手に手に武器を持ってたり』、捕獲道具を持っていることの説明がつかないな)


 普段、大捕り物でもない限り村人たちはそんなものを手にしていない筈だ。第一、得物を家に取りに行く時点で更に時間がかかっている筈なのだ。第一報が入ってからの初動が早すぎた点も、大佐は気になっていた。

(この時点ではまだ、村人たちにミュラーへの叛心はないようだな)


「お前達はこの洞窟に駈けつけたのか?」

「ううん、『アイツ』が逃げてる処。ここで男爵がお嬢様に毒を呑ませたって、後でわかったんだ」

『アイツ』とは、村人たちの言う怪物の事だろう。

(ここに居たら、そもそも村人たちの眼には止まらなかった筈だ)

 ――その『従者』が。『男爵』と『娘』を見守っていなければ。

 男爵が人体実験をしようとするなら、従者を遠ざけたことだろう。しかし、従者は隠れて男爵の行いを観ていたのだ。

 そして、新たな疑問が浮かび上がってくる。


 男爵は何故、のか?



(『科学者』と知れ渡っているぐらいの人物だ。自分の館に実験室くらい備えていただろう。それに仮にも科学者であるならば、望みうる結果と正反対の結果が出ることも、想像しえた筈だ。だとしたら)


 何故。起こった出来事一切を、



「その怪物はどちらに逃げたんだ?」

「あっち」

 大佐は、少年が指差したほうに馬首を変えた。途中、路が悪くなり大佐自ら馬の轡を握りながら、少年の後をついていった。

「着いたよ」

 恐々と少年が指を指した辺りで、愛馬の歩みを止めさせる。愛馬の手綱を適当な枝に止めると、大佐は谷底を覗き込もうとしてみた。

(かなり深そうだ)

 望遠鏡を取り出そうと愛馬の元に戻ってきた。大佐が再び離れていっても、少年は怖がって近寄ろうとはしない。


 ざわざわと谷底から吹き寄せる生暖かい風に、愛馬がぶるっと震える。

「軍人さん、あそこ! 谷底の右下のほうに怪獣は死んでる」

 大佐は荷物から望遠鏡を取り出すと、少し離れた処からトネルが指さした処を目指して、谷底を覗こうと試みた。

(ここからでは木が茂っているし、下草も相当生えていてよく見えないな)


 トネルが望遠鏡を覗きたそうなのは無視して、荷物にしまい込んだ。改めて少年に訊ねた。

「谷底に降りて死体を回収して、葬らなかったのか? お前達が追いまわしていたのは、仮にも”領主の娘”だったんだろう?」

 少年は、大人に質問されたのが不服そうで、口を尖らせた。

「魔物だから。触ると祟りが起こるって」

  (自分達で追い込んでおきながら、後始末もしないとは)


「……仕方ないか」

 大佐はため息を押し隠した。

(所詮、迷信深い人間たちのすることだ)

 論理が破綻しているくせに残酷なことをしでかすのは、往々にしてこういう人間達であった。

(いずれ降りるルートを確かめてみねば)

 場合によっては人足も必要だろうが、この村の住民たちが大佐のいうことを素直に聞き入れるだろうか。

(……まあ、その時はその時だな)


「トネルはその怪物を見たんだな?」

「うん、見たよ」

 ドレスを着た怪物を、地面に描いてみせてくれた。

 大佐は目を眇めた。

「……ドラゴン」


 なかなか絵が上手な少年のようで、上手く特徴を捉えている。

(この少年の思い込みか、大人達の思い込みでなければ、な)


 大人の呟きを少年は拾った。

 自分の絵の確かさを大人にわかって貰えなかったことに、少年は不満そうに口をとがらせた。

「違うよう、コイツはトカゲ」

(しかし、どう見ても)

 だが伝説上の怪物が現代に蘇るわけがない。少年の認識のほうが正しいのだ。

(書物の中の絵空事だ)

 そう思っても、大佐は少年に食い下がった。

「トネルはラゴン、て怪物のことは知らないか?」

「知らないやい」

 少年は嘘をついているようには、見えなかった。


(教区の司祭があえて教えてないのだろう)

 大佐は結論付けた。

 民人に知恵をつけるのは得策にならないと、考えている支配者は多いのだ。


 まして、ドラゴンは。

 大佐たちが暮らしている地域では魔物・怪物と恐れられている伝説の悪獣。

(遥か、海を隔てた東の国々では”聖獣”と崇めている処もあるらしいがな)

 住む処が違えば、考え方も違うものだ。


 大佐自身は、幼い頃に博識の家庭教師から見せて貰った、東の国々のものだという書物に描かれたドラゴンに少なからず惹かれていたのだ。出来れば、逢ってみたいと少年の頃は心をときめかしていた。

 ――そんな、子供じみた考えが、たまたま脳裏に浮かびあがってきただけだ。


(私らしくもない)


「軍人さんはトカゲを見たことないの?」

 少年は、コツコツと枝で己れの描いた怪物を叩いた。

(この子のほうが、私よりも現実的だな)

 大佐は、頭の中を切り替えると、少年に確認してみた。


「見た事はあるさ。だが、トカゲという生き物は、これくらいだろう?」

 大佐は親指と人差し指で指し示してみせた。

「違うよ、これくらいはデカかった!」

 少年は大きく手を振り回してみせた。

 大胆な馬だから、それくらいでは飛び上がったりしないが、それでも愛馬が耳をぴくり、と動かした。

 それを見た少年が「ゴメン」といいながら、愛馬の首を軽く叩いて宥めた。


「現在、館はどうなってる」

「今は、誰も住んでないよ。盗賊や浮浪者が悪さをしないように、司祭さまが門を鎖で締めて錠をさした」

(明日、司祭に鍵を貰うとするか) 


  大佐は夕暮れまで、僅かしか時間が残っていない事に気がついた。

(この子の親が心配するな)

 大佐は潮時だと思った。

 知らない土地で闇雲に動き回っても、期待する成果は得られない。暗闇の中、疲れた躰を引きずり回して、考えのまとまらない頭を使おうとしても、空回りするだけだ。

(休める時に、休んでおこう)

 それが、明日につながる事を、短くはない軍隊生活でアーネスト・ロウ大佐は学んでいた。


 鞍上の人になり、少年を己の前に乗せながら愛馬を少し早足で歩かせた。


「今日はお前の父親の処に泊まりたい。空いているか?」

 ああいう処は一階では食事を供し、二階では宿を供しているものだ。

 トネルは喜んだ。

「うんっ。空いてるよ!」

 大佐は少年を連れて、村へ戻った。




「トネル! お前何処に行ってた!」

 大佐が厩で愛馬を世話していると、レストランの店主が少年に怒鳴っていた。

「まさか、あの軍人を変な処に連れて行ってないだろうな?」

 少年は元気に答える。

「うん! 洞窟と谷に連れて行った!」


「おまえ……っ」

 息子を殴り飛ばそうとした手の形のまま、男は慌てて静止した。

 大佐が再び姿を現したからだ。

「一夜、宿を頼みたい」

 大佐の言葉に、男は苦虫を噛み締めたような声で答えた。

「もう、部屋はいっぱいだ」

「ご子息は空いてるとのことだったが」


 男は少年を物凄い顔で睨みつけたが、少年は何処吹く風だった。





 夕飯の後。

 酒をご馳走してやると、途端に店主の口は軽くなった。

「そうですか! 大佐どのも、あの戦場に居られたのですね!」

「ああ。君達友軍には、まことに力を与えて貰ったよ」

「光栄であります!」

 敬礼されてしまった。


 大佐も内心苦笑しながら、敬礼をし返す。さりげなく空いた店主の盃に並々と酒を注いだ。

「何故、ホルン館というんだ?」

「代々のご領主さまが角笛ホルンの名手で」

「ほう」

「正午になると、必ず吹いてくださったんでさ」


(なるほどな)

 懐中時計はまだまだ贅沢品だ。

 農民は日光の傾き具合で見当をつけるしかない。そして、太陽と共に行動するから、朝や夕刻を告げるより、昼を告げたほうが、ありがたがられたことだろう。

 ふと。

「執事ではなく、領主ご本人がか?」

(領主であれば、国王の住まう宮殿に伺候していたこともあっただろうに。……その間は別の者に吹かせていたのか?)


 大佐は不思議に思った。


「へえ。先々代の時は執事さんや馬丁だのが吹くこともあったみてぇですが、先のご領主さまは殆ど毎日、ご自分で」

「前の領主は引き込もりか」

 大佐はくすり、と笑った。

「引き込もり?」

 店主がキョトンとした顔で尋ねたが、大佐は何でもない、と笑って答えた。


「前のご領主どのは。あまり外出されなかったのかな」

「そうです。以前は刈り入れの時とかは、よく手伝ってくれましたがね」

(ほう)

 まるっきりの変人ではなかったのか。

「そういや。家督をつぐ前はフラフラしなすってて。最後にどっかの島から戻ってきなすった時には、お嬢様と乳母を連れて帰ってきてね」


「奥方は」

「それが」

 店主が暗い顔をした。

「連れて帰ってきなさる筈が、途中で大嵐に遭って、奥方さまは海に投げ出されたそうで」

「酷いことを」

 二人の男は、同時に冥福を祈る所作をした。


「……それから、館に篭りっぱなしになっちまったんでさ」

 しばらく人足が出入りして、工事を行ったのち。連れ帰った乳母以外の人間を全て解雇してしまったのだとという。

(さも、ありなん)

 大佐は男爵に同情した。

(奥方を亡くしては塞ぎ込むのも、無理はない)

 いささか偏屈すぎるが。


「しかし乳飲み子がいれば、尚更人手が必要だろうに」

「でも、お嬢様が大きくなると、引っ張られるように外に出てこられるようになって」

 そこに事件が起きたのだという。

「まさか、自分の子供にあんな恐ろしいことをするなんて」

 店主はぶるぶると震えた。

「……」



「男爵が居なくなり、お嬢様が谷底で亡くなりなさった後」

 恐ろしい事はこれからだというように店主は、呟いた。

「誰もいないのに、正午になるとホルンの音が、館から聞こえてくるんでさ」

「乳母は」

 店主は首を振った。

「奥方さまの乳母をしてたらしいから」

 そもそもが高齢で。

「そのうち、風邪をひいて。あっけなく」

「そうだったのか」



(人が住まっていない館から。しかも追い出した領主が得意だという角笛が聞こえてくる。村人には、亡き領主と娘の亡霊がさぞ恨み事を言っているかのように聞こえていることだろう)


 大佐は村人たちの陰鬱な表情にようやく得心がいったのだった。

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