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フェルハースト村

 大本営の中の、ヨルク公の館から朝日の昇る前に出立して、馬で半日ばかりの距離を走って、昼過ぎ。

 アーネスト・ロウ大佐は、フェルハースト村に到着した。

(ここか)

 村の端の小高い丘の頂上で、大佐は馬から降りた。すると、馬が静かに草を食みだしだ。その傍らで、荷物から取り出した望遠鏡で村の様子を観察してみた。


 見渡す限り、牧草地帯と畑地その間を流れる川。そして森林。

 地味は豊かに見える。

(しかし)

 柵や橋が壊れかけている処や、所々廃屋めいた建物が見えることから、人心が穏やかであるとは言い難い。

(領主の眼が行き届かない地域というものは、荒むからな)

 まずは、この村を立て直すことが急務だった。

(夜盗や敵国の根城になってはたまらないからな)


 大佐は馬を労うと鐙に長靴(ブーツを乗せ、再び馬上の人になった。





「ホルン館じゃと?」

 少し遅めの昼食取りながら、ホルン館やその元住人などについて口にのせた途端。大佐の言葉に耳をそばだてていたらしい老婆の不気味な声に反応して、宿屋の広間に居た人間の会話が、ぴたりとやんだ。

「ああ。あそこは今、空き家だと聞いたんでね。これから住もうと思っているんだ」

 大佐はわざと呑気そうに言ってみせた。

「……軍人さん、あんた何者だね」

 中年の男が、あからさまに警戒した面持ちで大佐に訊ねた。

「私はアーネスト・ロウ大佐。先の大戦の恩賞で、ヨルク公からこの土地を賜ってね。わたしがこれからここの領主だ」

 よろしく、と愛嬌を振りまいても、村人たちは一様に眼を逸らした。


(歓迎されてないのはわかってるさ)

 いかなる理由からか知らないが、領主を追いだしてその納税の義務を怠ってきたのだ。

 自分のことを取り立て屋としか思っていないのだろう、と大佐は思った。


「……軍人さんは、何も知らぬようじゃが。悪い事は言わん、帰りなされ」

 老婆がますます低い声で言った。

「この村は呪われておるのじゃ」

「へえ? 観た処、明るくていい村じゃないか。何か、飢饉や疫病の予定でもあるのかな?」

 大佐はきょろきょろとして周りを見ながら、さりげなく皮肉を織り交ぜてみた。

 誰も何も言おうとはしない。

「忠告はしたぞ」

 老婆は杖をかたこと言わせながら、宿屋から姿を消した。

 三々五々村人たちも散っていく。



 あたふたと忙し気な店主を捕まえて大佐は訊ねた。

「あの婆さんも、みんなも。何を怯えてるのかな」

 なんだったら、ヨルク公の軍隊を呼び寄せるよ、と大佐が水を向けると店主は首を振った。

「人間の軍隊じゃ太刀打ちは出来ねえよ。……相手は、魔物だからな」

「魔物?」

 大佐が興味深々という風情で問い返すと、店主は喋り過ぎた、とばかりにそそくさと厨房の中へと消えてしまった。


「おーい」

 大佐は、奥に隠れているであろう店主に声をかけたが、肝心な店主は”それ以上話す事は無い”とばかりに奥に引っ込んでしまったままだった。

(まだ聞きたいことがあったのだが)

 大佐は思った。

(今日はここまでか)

 異様な程の警戒を、一朝一夕に解す事は難しい。

(今日は館に潜り込んで。……なに、野営は得意中の得意さ)


 明日、明るくなったら館を探検して人を雇い入れることにしよう。


 大佐はそう楽観的に考えると、テーブルに飲食代を置いて食堂の外に出た。それから大佐は厩から愛馬を引き出し、鞍上に躰を落ち着かせた。馬首をホルン館の方へ向けるとそこには少年が居り、大佐を見上げて人懐っこく話しかけてきた。

「軍人さん、訊きたいことがあるんだろう? オイラが教えてあげるよ。そのかわり…」

 にっこりと笑って掌を差し出してきたので、大佐は隠しに手を突っ込むと、取り出した小銭を少年に握らせた。

 少年は小銭の枚数をしっかりと数えてから、素早くポケットにしまった。そして、おもむろに語り始めた。


「ここはミュラー男爵の領地だった。男爵のお嬢様が魔物になったんだよ」

(知ってるさ)

 大佐は心の中でそっと呟いた。

(お前達は、その人のうえに。あるいは自分達の心の中に。どんな魔物を住まわせたのだろうな)


 人間の持つ闇が、業が。

 人間を魔物にしたと大佐は考えていた。


「だが、それは単なる噂話だろう?」

 大佐は言った。

 しかし。

「本当だよ!」

 少年はムキになっていった。

「お嬢様はその日も、オイラ達の村に見回りに来てくれたんだ。そして、子供達にキャンディをくれたんだ」


(”お嬢様”の評判は良かったらしいな)

 大佐は少年の話を聞きながら、考えていた。

(……とすると。村人たちが嵌めたかった、あるいは恐れていたのは領主である男爵か)


「男爵の使いがやってきて、お嬢様は館へ向かった。”旦那様がお嬢様に毒物を飲ませた! お嬢様が怪物になった!”て喚きながら、その使いが戻ってきたんだ」

 どうだ、とばかりに少年は腕を振り回した。

「ほう?」

 男爵と娘以外に、一部始終を知っている人間が居た、ということになる。

(そいつが誰かを探り出すべきだろうな)

 --大佐はそこまで考えて、くす、と笑った。


 主に言われたことをすっかり忘れて、謎解きに夢中になりかけていたことに気づいたのだ。

(これは”暇つぶし”案件だったな、そういえば)


 大佐の想いをよそに、少年は熱弁を続けていた。

「丁度、みんなで山に向かっていた処だったから。大人達はクワや投網やロープなんかを持って一緒に行くことにしたんだ」

 少年は言った。

「……武器を持って、男爵の館にか?」

 穏やかではない。


 何か、男爵に対して翻意を抱いてたのだろうか。

「違う、山へだよ」

「お前は令嬢は館に向かった、と言ってなかったか?」

「おいら達はそう思ったよ。だけど、使いの人が先導したのが山の中だったんだよ。そこにお嬢様が居るって!」

 少年はふくれっ面になった。


(狼か。おおかた熊でも出たんだろうよ)


 少年は大佐が半信半疑である事を早々に見抜いたらしい。手を大きく振って、必死に主張しだした。

「オイラも見んだよ!牛よりもでっかいトカゲみたいな奴!それをみんなで崖のほうまで追いつめていったんだぜ」

(ここまでは訊いた話と一緒だな)


 だが、群集心理というものがある。

 繰り返し聞かされれば自分の眼で見たと信じ込んでしまっても、不思議はなかった。

(この少年のようにな)


「本当だって!」

 少年は、顔を口だらけにして叫んだ。

「来なよ!」

 そして少年は大佐の馬の轡をとると、ぐい、と引っ張り始めた。誇り高い愛馬が、主人や世話をしてくれる馬丁以外の人間に些末に扱われたことに、ブルルっと抗議の鼻息を出した。大佐は、愛馬の首を叩いて、なだめてやる。

「あっちだよ!」

 そして、少年は愛馬の轡を握ると、ずんずんと山の方に歩き出した。



「誰かが”あれはお嬢様だ”って言ったんだ」

 歩きなれているのか、少年の歩みに迷いは見られないし、息も切らしていなかった。

「確かに。その日お嬢様が着てたドレスを着てたんだよ、そいつ!」


 30分ほど登ったろうか。

 やがて少年がほら、と指示したのは、洞窟だった。

「ここで男爵はお嬢様に毒薬を飲ませたんだ……」

 少年が恐ろしそうに言った。


 大佐は馬から降りて、用心しいしい洞窟の中を探った。火打石と火口を取り出すと、携帯していた蝋燭に火をつけ、中を探った。

 積った枯葉をブーツでどかしてみると。

(成程、確かに。何かを引きずったような跡がある)

 そして、何か液体をぶちまけたような跡も。

(どうやら。らしいな)

 誰が、何をしたかまではわからないが。




 大佐が中を探検している間。

 少年が洞窟の前で馬の轡を持って佇んでいるのを、じっと見守っている視線があった。

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