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ヨルク公の居室にて

 さくり。

 草を脚が踏みしめた。

 ぎゃあ、ぎゃあ。

 鳥が鳴き叫び、手入れのされていない樹木にはつる草や蔦が絡まっていた。



 男の眼の前には、荒れ果てた館がその姿を現していた。






 ◇□◇◇□◇◇□◇◇□◇






「……『ホルンやかた』、ですか?」

 男は、あるじに訊き返した。

「そう。ホルスト・フォン・ミュラー男爵の、元館」

「……?」

 部下の訝し気な表情に、彼の主たるヨルク公は頷いた。


 アーネスト・ロウ大佐は、主が何を言い出すのか待っていた。


「ああ。彼は科学者としても有名だったらしい」

 実験を繰り返して引き籠っていた領主を、村人は”単なる変人”と捉えていたが、ある惨劇をきっかけにそれが変わった。

「惨劇とは」

「彼には、エリカという一人娘が居てね」


 金髪の愛らしい娘で、偏屈な父親に代わって領地を取り仕切っていた。慈悲深い彼女は村人たちにも好かれていたという。おぞましいことに、男爵はその娘に人体実験を施したらしい。


「……なんと」

 部下は秀麗な顔を歪めた。

「目撃者の村人によると、なんでも娘は父親に薬を飲まされた後、突然苦しみだした……そして、魔物に変貌してしまったと」

 恐ろし気なフリをして囁いた主の言葉を、不遜にも大佐は笑い飛ばした。

「ハ!」

(この現代に、そんな魔術や錬金術が存在してたまるものか)



 公は頑固に言い張った。


「だが、事実なんだ。男爵は村人から領地を追われて、今も失踪中。娘は村人に驚いて逃げ出した後、これも行方不明になっていた。が、数か月後に谷底で死んでいたのが発見されたそうだ」

 既に白骨化していたが、娘が身に着けていた衣服を身に着けていたという。

「それが、なんと!牛ほどもある巨体に、大蛇程の長い尾を持つ動物だったそうだ」


 公は眼をきらきらさせて、大袈裟な身振りで話を盛り上げたのだが。


「くだらない」

 部下の言葉はにべもなかった。

「主筋の親子を弾劾した村人たちが自分達の行いを正当化する為に、牛の死骸にでも無理矢理ドレスを被せたのでしょう」


 主は、乗ってこない部下にちょっとむくれた様子で文句を言った。


「つまらない奴だなー」

 ぶつぶつ呟いた後、気を取り直したように続けた。

「……まあ。だからこそ、君が適任と思った訳だけだ。たかだか想像の産物の魔物なんぞで、怖がられては話にならない」

 ニッ、と笑う。


 闇は濃い。

 黒魔術は禁じられても近くに在り、人の心にこそ闇は存在している。


「本当に怖いのは人間ですよ」

 部下は静かに呟いた。

 主も賛成だ、とばかりに大きく頷いて、言葉を続けた。

「娘はきっと”悪魔憑き”とでも断じられて、村人たちに嬲り殺されたのではないかな」

 と主は言った。

 大方、父親の与えた薬とやらに、トリカブトだのヒ素だのが混じっていて。その時の苦悶の叫びが”悪魔憑き”とでも断じられたのだろう、と。


 大佐も頷いて同意した。

「そんな処でしょう」

 どんな理由であれ領主を追いだし、その娘を殺すなど。大義名分がなければ、赦されたことではない。

 領地から追い出された、男爵の行く末も気になったが。

(憐れな魂よ。天上にて神に愛されるがいい)


「魂よ、安かれ」

 大佐は呟いて、運命の生贄となった娘の為に、冥福を祈る所作をした。

「魂よ、安かれ」

 唱和すると、主も部下の所作を真似た。




「それで閣下。戦地からイキナリ呼びつけた挙句、私に、その『元男爵の領地、フェルハースト村を統治せよ』というのは、どういうことでしょうか」

 大佐は改めて主に問い質した。

 公も、部下を意味ありげに見つめる。

「どう、とは」

 質問返しを気にする事なく、大佐は続けた。

「何も”娘が本当に魔物になったのか、確かめてこい”と、探りに行かせる為ではないでしょう」

「鋭いね」


 パチン、と主は指を鳴らした。


 一人の近侍が地図を持ってくる。

 テーブルに広げて四隅をもう一人の近侍と二人で抑え、公と大佐が地図を見やすいように、更にもう一人が蝋燭を何本も灯した燭台を、二人の近くへ捧げ持っていた。


「男爵の元領地のフェルハースト村はここ」

 とん、と主が一点を指す。

 そこは大佐が友軍と共に敵軍と戦った、あの地にほど近かった。

 大佐の眼が鋭く細められた。


 その村から、馬で一日もかからない距離には、敵国の友好国が在った。


 大敗を喫しさせ、百年の長きに亘る両国間の戦争を終結させた。とはいえ、敵国のシンパを根絶やしに出来た訳ではない。

 事実、敵国の皇帝と縁戚関係にあったこの公国は、虎視眈々と幽閉されている皇帝の奪還と巻き返しを狙っている、と。

 連合軍首脳達にヨルク公、大佐自身も睨んでいた。



「……なるほど。領主不在で荒れ果てた村の整備を隠れ蓑に、公国の動きを監視しろ、という訳ですね」

 大佐の呟きに、主はにっこりと笑った。

「そういうこと。暇だったら、男爵父娘の行方も探ってもいいけどね」


 大佐は居ずまいを糺すと、ざっと主に敬礼をした。


「アーネスト・ロウ大佐。フェルハースト村を目指して明朝には出立し、到着次第、着任いたします」

「そうしてくれたまえ」

 近侍が羊皮紙とガチョウペンを公に渡すと、サラサラと何事かを書きなぐった。そして蜜蝋を溶かし、くるくると巻いた上から印章を押して封をしたものを、大佐に渡した。

「かの地で、君は私から全権を任された。好きに動いてくれ」

「は!」



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