~第88章 -三ヶ月後~夏緒里side
私は、聞いてしまった。
部長の思い、そして・・・冬真くんの思いの全てを。
一之瀬部長が日本を離れてから三ヶ月が経った8月。
私は、未だに心が晴れないままでいた。仕事に行くのもつらい。何も考えないようにしようと思っても、今の会社ではそれは無理だった。
冬真くんはというと、土日は勿論のこと、平日も時間が合えば私の部屋まで来てくれる。こんな私のこと、嫌いになって当然、呆れられて当然のはずなのに、いつもあの綺麗な微笑みで優しく抱き締めてくれた。私は、その優しさに精一杯笑おうと努力する。でも、前みたいにうまく笑えない。そんな日々。
そんな、ある土曜日のお昼。
私は、さすがにこのままではいけないと思い、昨夜、冬真くんに断りを入れた。そして、気分を変えようと久し振りに隣駅にあるデパートへ来ていた。
夏休みのデパート。
家やオフィスとは違い、明るく賑やかな店内は、心なしか私の沈みきった気分を紛らわせてくれるようだ。しかし、デパートへは来たものの、特に行く場所も目的も決まっていない私は、たまたま目の前で開いたエレベーターに乗り込むことにした。少し込み合うエレベーター内に入ると、三階、七階、十階のボタンに灯りがついていた。私は、どうせなら一番上まで行ってみよう、と十階に停まるのを待った。
慌ててエレベーターから降りると、そこは七階だった。どうしても浮かんでしまう部長のこと。考えている間に、十階に着いたと勘違いして降りてしまったようだ。目の前に広がるのは、書店。それを見た私の頭の中は、一瞬にして冬真くんのことへと塗り替えられた。
「ここは・・・」
彼と出会った冬のバレンタインデー、そして冬真くんの誕生日。チョコレートケーキの本を見ていたら、冬真くんに会ったんだっけ・・・。あの時は、すごくドキドキして、近くのカフェに連れて行ってもらったんだよね。
「ふふ・・・あの時は楽しかったなぁ・・・」
私は、この三ヶ月、悲しみしかなかった心に、温かなものが芽生えていた。
冬真くんと一緒に来たカフェ。
そこに私は来ていた。
お昼時の為か、混雑している店内。満席だと思ったが、念のため煉瓦造りの壁の向こうを覗いてみると、窓際の席がひとつだけ空いていた。私は、そこに座ると、ミルクティーだけを注文した。
ひとつ思い出すと、次々に思い出が溢れてくる。冬真くんとの初めての約束の日、彼は緊張する私にカモミールティーを頼んでくれた。彼と同じようにミルクを選ぶと、好みが同じ、と微笑んでくれた。彼の両親に初めて会った時もカモミールティーだった。ミルクティーは私にとって、彼との思い出がたくさん詰まった飲み物なのだ。
運ばれてきたミルクティーを飲みながら、冬真くんとの今までの色々な出来事を思い出していると、つらかった日々が嘘のように消えていった。このミルクティーのおかげもあるのかな、と、まだ少しだけ紅茶の残っているカップを口に運ぼうとした時、壁の向こうで私と同じようにミルクティーだけを注文する声が聞こえた。
もしかして、と高鳴る私の鼓動。
そして、その予感は当たっていた。
私と同じくミルクティーのみを頼んだ男性は、もう一人の男性に、桐谷、と呼ばれていたのである。
でも、ミルクティーを頼む桐谷さんなんて冬真くんだけじゃなく他にもいるかも、と思いつつも壁の向こうの話し声はしっかりと耳に入ってくる。国試、春樹、そして・・・夏緒里さん。その内容は、間違いなく私についてのもので、桐谷と呼ばれるその人も、間違いなく冬真くんだと確信した。
彼の食欲のない原因は私。
心配する春樹くん。
私が部長を好きだということ、部長はわかっていて身を引いたということ。
冬真くんは全部わかっていて、私のそばに居てくれているということ。
私は、その話に涙が止まらなかった。冬真くんの気持ちを考えると苦しくて仕方がなかった。
「私・・・本当に・・・バカだ・・・」
彼らが壁の向こうから立ち去っても、私はカップに残った最後の一口を飲み干すことはできず、ただ声を殺して泣くばかりだった。




