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私に普通の恋愛を  作者: 月並 一葉
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~第87章 -三ヶ月後~桐谷side

一之瀬さんが去って、三ヶ月が経った八月。


僕は親友の春樹と、大学から電車で20分の所に位置するデパートに来ていた。午前中はいつものように学内の図書館に居たが、気分転換に、と春樹が連れて来てくれたのだ。


夏休みだからか、昼間のデパートは家族連れや、若いカップルたちの姿も多く見られる。そんな中、僕たちは当たり前のように、7階にある書店へと向かった。そして、お昼時を過ぎた頃、昼食をとる為、書店近くのカフェへと立ち寄った。


まだ少し人の多い店内。

ここでは大抵、窓際の席に座るが、今日は空いていなかった。僕たちは、窓際の手前で一部その外の景色を遮っている煉瓦造りの壁のある席に腰かけると、早速注文をした。



「桐谷は、今日も何も食べないのか?」


「うん・・・食欲がなくてね・・・。夏バテかな」



ランチを注文した春樹に対し、僕がミルクティーのみを頼むと、彼は心配そうな顔で僕に尋ねた。



「夏バテ、って感じでもなさそうだけどな。顔色も悪いし、今にも倒れてしまいそうだ」



「・・・大丈夫だよ。食欲なんてすぐ戻る・・・」



単なる夏バテではないことくらい、僕にもわかっていた。


あれから夏緒里さんの表情は、ずっと硬いまま。涙を流しては、僕に謝り、無理に笑おうとする。きちんと出勤し、身の回りのこともしているようだが、その表情は、まるで別人のように明るさを失っていた。



「そう言って、もう1ヶ月。どんどん酷くなってるだろ?国試も近づいてきてるし、いくら頭のいいお前だって、食べないと頭も働かないぞ」



春樹は、溜め息混じりに僕の心配をしてくれる。



「1ヶ月・・・そんなに経つかな?・・・ごめんね春樹・・・心配かけて」



僕は、何か言いたげな春樹を、力なく見つめたまま謝った。すると、彼もまた僕を見つめたままわずかに沈黙すると、彼はついに聞きたかったであろう、僕が隠しきれなかった食欲の無い理由に迫った。



「夏緒里さん・・・だろ?お前をここまで追い込んでるのは。彼女、まだ塞ぎこんでるのか?」



夏緒里さん。

僕以外の人間から、その名前を聞くのは随分と久し振りな気がした。一之瀬さんが居る時は、彼の口からよくその名を耳にしていたのに。



「・・・うん。僕・・・まだ夏緒里さんのこと、笑顔にできないんだ。情けないでしょう?・・・春樹にはやっぱり、何でもお見通しだね。凄いな」



僕は、愛する彼女の力になれない自分の情けなさに、涙が出るどころか、可笑しくなって笑いがこぼれる。



「情けない?むしろその逆だろう。自分以外の男のことで頭が一杯な彼女を支えるなんて、なかなか出来るもんじゃないぞ」



彼は、真面目な顔でそう言うと、テーブルの上に置かれたお冷やを一気に飲み干した。そして、先程よりも一層真剣で少し難しい顔をすると、言いにくそうに僕にこう切り出した。



「・・・なあ、桐谷・・・。こんなこと、俺が言うべきことじゃないのはわかってるけど・・・お前、まだ若いんだしさ。頭も良くて見た目も良くて優しくて努力家で・・・、相手には困らないと思うんだ。実際、どこに行っても女の子にはモテるしさ。だからさ・・・その・・・、夏緒里さんだけじゃなくて、他の女性(ひと)も考えてみたらどうだ?」



春樹は、話終えてもまだ緊張しているようで、その肩には誰が見てもわかる位、力が入っていた。いつも、僕の為に一生懸命その思いを伝えてくれる彼に、僕はやはり敵わない。



「うん・・・ありがとう、春樹。春樹は、優しいね。僕もね・・・それは、考えたよ。夏緒里さんから身を引くべきなのではないか、とね。彼女は、僕ではなく彼に会いたいと願い、涙している。それなのに、彼女のそばに居るのは僕。彼女に必要とされていない、この僕なんだ。そんな僕が、いくら彼女のそばに居たところで、意味なんか無いのではないか、ってね」



「だったら、なぜ・・・」



僕の考えが意外だったのか、春樹はすぐさま理由を尋ねる。



「誓ったから、かな」


「誓った?」



「うん。一之瀬さんの思いも、彼女が彼を思う気持ちも、全て僕が引き受ける。ってね」



「お前・・・そんなこと・・・」



あの夜の一之瀬さんの涙、彼と一緒に居たことを説明しようと動揺する夏緒里さんの姿。それだけで、ふたりが惹かれ合っていることはわかりきっている。それなのに、僕は、何故こんな誓いをたてたのか。今の僕ですら疑問に思うのだから、春樹には尚更だろう。



「彼女は、一之瀬さんではなく、僕を選んでくれた。僕のことが好きだと言ってくれた。でも、それは最初から間違いだったんだ。彼女の中の彼の存在は、彼女でも気付かない程大きい。一之瀬さんは、そのことに気づいていたと思う。それでも、彼女を幸せにできるのは僕だと言った。それはきっと、自分が僕と彼女の仲を壊してしまったことに責任を感じ、修復したかったからだと思う。そして、彼女の言葉を信じようとしたからなんじゃないかな。一之瀬さんよりも僕のことが好きだという、夏緒里さんの言葉を」



「そんな・・・じゃあ、お前・・・全部わかってて彼女のそばに・・・」



春樹の肩の力は一向に抜けなかった。それどころか次第に強まり、今ではテーブルの上に組んだ両手までもが小刻みに震えていた。それは緊張からくるものではなく、僕の気持ちに共感できない、とかいったものだろうか。そんな春樹とは反対に、僕の心は穏やかだった。夏緒里さんの気持ち、一之瀬さんの気持ち、全てわかった上での自分の行動。何も迷うことなんかなかった。



「僕はね、春樹。一之瀬さんの代わりでもいいんだ。それで彼女の心の隙間が、少しでも埋まるのならね」



春樹は、僕のその言葉を聞くと、大きな溜め息を漏らした。それは、彼自身の気持ちを落ち着けようとする、深呼吸のようにも見えた。



「桐谷・・・お前、本当に夏緒里さんのこと、大切なんだな。お前がそこまで何かに執着するのって、初めて見る。代わりでもいい、なんてよっぽどだろ?」



「うん・・・。僕は、生まれて初めて人を愛するということを知った。夏緒里さんは、それを教えてくれた唯一の存在。彼女の心が救われたら、と僕は彼女のそばに居る。でも本当は・・・誰の代わりでもいいから、僕がただ、夏緒里さんのそばに居たいだけなのかもしれないね・・・。出会った頃のように、僕だけを愛してくれる日がくるかもしれない・・・そう、期待しているだけなのかもしれないね」



僕は、このデパートで、偶然夏緒里さんに会った冬のことを思い出していた。


ここの書店で、チョコレートケーキの本を見ていた彼女を見つけた時は、とても嬉しかった。僕がいたずらに囁く度に、顔を赤くする彼女が愛おしくてたまらなかった。そして、そんな彼女を連れて来たこのカフェ。あんなに元気だった彼女の笑顔。もう僕には見せてくれないのだろうか。僕にはもう、どうすることもできないのだろうか。今まで見てきた彼女の笑顔が、こんなにも僕の胸を苦しめるものになるなんて、あの頃は想像すらしていなかった。



夏緒里さん・・・、あなたにとって僕はもう、要らない存在なのですか?




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