~第83章 出国の日~
それから三日後の5月15日の土曜日。
私と冬真くんは、空港に居た。
週末の為か、混雑した空港内。
行き先、時刻、航空会社、便名、搭乗手続き、離着陸遅延。それらのアナウンスが休む間もなく館内に流れる。
そんな慌ただしい空気の中、彼は、離陸する予定の飛行機情報が表示されている案内板の前で足を止めた。見上げたその先には、勿論16時発パリ行きもある。
ーーー彼と仲良く送りにきてくれるね?ーーー
私の部屋を出る一之瀬部長は、笑顔でそう言った。あの時は、仲良くだなんて無理だと思っていた。でも、部長が言ったとおり、私の思いは冬真くんに届いた。だけど・・・
「・・・夏・・・緒里さん・・・」
「・・・・・・」
「夏緒里さん・・・」
「・・・・・・」
「夏緒里さん」
「・・・あっ!えっ!?な、何か言った?」
私は、突然彼に名前を呼ばれた気がして、慌てて返事をする。
「夏緒里さん・・・大丈夫、ですか?」
そんな私に、彼は心配そうな瞳をこちらに向けた。
「え?な、何が?」
彼の質問の意味も、心配そうな瞳も何故だかわからない私は、再び問いかける。
「一之瀬さんのことですよ。空港に近づくにつれ、あなたはどんどん無口になっていき、到着した今では無口に加え上の空。僕の腕だって、こんなにも強く握りしめている・・・」
「あっ、ご、ごめん・・・痛かった?」
彼のわかりやすい説明に、やっと状況が呑み込めた私は、彼の言うようにしっかりと握りしめている彼の腕から、慌てて手を離した。
すると、彼は軽く溜め息をつき、離した私の手を握った。
「痛くはないし迷惑でもないですよ。ただ・・・こんなに震えるほど、あなたは彼を行かせたくないと思っているのに、本当にこのまま見送ってしまっていいのかと・・・」
彼の言う通りだった。
気付けば私の体は戦慄いていた。
部長のことが嫌いになったわけではない。
ただ、彼よりも冬真くんのことが好きだとわかっただけだ。それでも、部長が遠くに行ってしまう、と思うと、何故だかひとり取り残されるような気がして怖かった。
「夏緒里さん・・・」
何も答えない私に、彼は先程よりも不安そうな顔で私の名前を呼ぶ。
「夏緒里さん・・・僕が居ます」
そう一言だけ私に告げた彼の手もまた震えていた。
「冬真くん・・・ありがとう」
彼には、私の考えていることが全てわかっているかのようだった。それでも、私のことを心配し、信じてくれている。そんな一途な思いを寄せてくれる彼を不安にさせていることは、私が一番よくわかっていた。
広い空港内を歩き、幾つかのエスカレーターを使う。アーチを描いたガラス張りの高い天井から窓までは一続きになっており、そこからは五月晴れの青々とした空が見渡せた。
出国ゲートの近くまで来ると、次第に、大きなスーツケースを引く人々が増えてくる。この中に一之瀬部長の姿もあるのだと、私はきょろきょろと辺りを見回した。そして、私の目は、出発時間までくつろぐことができる、ずらりと並んだ木製のベンチで止まる。
ゆったりと腰掛け、手元の本に目を落とすひとりの男性。柔らかそうな髪、ツンと尖った鼻、濃いグレーの細身のスーツ、高そうな茶色の革靴。そして、穏やかな微笑みをたたえた美しい横顔。それは、見間違えるはずもない。私が恋した上司、一之瀬 京也部長、その人であった。




