~第81章 ドキドキが止まらない朝~
目が覚めると彼はまだ眠っていた。
私の隣で気持ち良さそうに寝息を立てている。
朝の淡い光が射し込むその静かな部屋で、私は彼がそばに居る幸せをじっと噛み締めた。
相変わらず綺麗な顔・・・。
こんなに素敵な人が私のことを愛してくれるなんて、本当に夢みたい。
私は、彼のサラサラの綺麗な髪に触れると、そのままそっと頭を撫でた。
「大好き、桐谷くん」
私は、彼がとてつもなく愛おしくなり、そう囁いた。すると、彼の長い漆黒の睫毛が微かに動く。起こしてしまったかな、と慌てて手を引っ込めると、彼は寝返りをし、私に背を向けた。
良かった。まだ、眠っているみたい・・・もう少し寝かせてあげたいもんね。
私は、ほっと胸を撫で下ろし、朝ごはんを作ろうとベッドから降りた。とりあえず洗面を済ませた私は、シャワーも浴びたいという気になったが、その間に彼が目覚めたらいけない、と朝食の準備に取りかかる。しかし、そこで最初から難題に直面する。
・・・ご飯と、パン、桐谷くんはいつもどちらを食べるんだろう。この二つの選択肢以外だったらどうしよう。・・・以前、彼が泊まった時は、彼が先に目覚めていて・・・彼に連れられ朝から高そうなホテルで朝食を摂った。その時は、パン、だったかな・・・というか、それ以前に、あんなに豪華な朝ごはんなんてうちにはないし・・・どうしよう・・・。
キッチンに立ったのはいいが、何を作ったらいいのかわからなくなり、何をするでもなく立ち尽くしていると、急に後ろから答えが返ってきた。
「パン、かな」
その声に驚き、私は振り返ろうとする。
が、間に合わず、背後から彼によって抱き締められた。
「おはよう、夏緒里さん」
彼は、嬉しそうに挨拶をすると、そのまま私の耳にチュッ、とキスをする。
「お、お、お、おはよう!」
この時間からの彼の大胆な行動に、私は思いきり動揺した声で挨拶を返した。
すると、彼はさらにぎゅっ、と私を抱き締め、私の耳元で話を続ける。
「ふふ、どうしたの?照れちゃって。さっき好きって言ってくれたの、嬉しかったな」
先程まで可愛らしく子犬のように甘えていたかと思うと、途端に大人びた艶っぽさのある声で囁く。
「っっ!!!!もしかして・・・起きてた?」
「起きていたというか、なんだか頭がふわふわ温かくて、目を開けようとしたら、大好きって・・・」
彼は、説明し終わるか終わらないかのうちに、私の首筋にキスをする。その唇の柔らかさと温かさに、私の身体はピクリと跳ねた。
「あ・・・そうだ!えっと、ほら、桐谷くんも今日学校でしょ?と、とりあえずシャワー、狭いけど、ど、どうぞ!」
恥ずかしさと、この身体の熱さを気付かれたくない私は、慌てて彼にそう提案する。彼が言う通りにするはずはないのに・・・。
と、思っていた矢先、彼は素直に肯定し、私から離れると、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、とりあえず顔、洗わせてください」
「あ・・・うん・・・」
あっけにとられた私は、彼に言われるままに洗面所へ案内し、必要なものを揃え、再びキッチンへと戻った。
「いただきます」
パンにサラダにスクランブルエッグ、そしてスープ。ありきたりだが、どうにか朝食が完成し、私たちは食事を始める。
彼は洗面が終わっても、素直にリビングに座り、朝食ができるのを待っていた。
「夏緒里さん・・・」
「ん?どうかした?美味しくない?」
彼が普段どういったものを口にしているのかはわからないが、あの豪華な食事のことを思うと、やはり不安になる。
「夏緒里さん、あなたが作る食事をいただくと、やっぱりいつも温かい気持ちになりますね。本当に美味しい。ありがとう」
彼は、そう言ってにっこりと微笑んだ。
「桐谷くん・・・嬉しい。ありがとう」
私は、安心と嬉しさで思わず涙が溢れそうになった。
そうして、私たちは爽やかで心温まる朝をスタートさせた。
食事を終えて、時刻は7時15分。
本当は一日中一緒に居たいが、前回も欠勤、彼も学校を欠席した為、今日はきちんと本分を果たさなければならない。私は、そろそろ支度しなければ、と提案すると、彼はまたいつものように突拍子もないことを言い出した。
「そういえば・・・あの雨の夜、僕を着替えさせてくれたの、夏緒里さんですよね?」
「え?そ、そうだけど・・・」
彼の質問に私は、恐る恐る頷く。
「すみません・・・ありがとうございました」
何を言われるのかと恐れていたが、彼の反応は意外にも謝罪と感謝という、私を落ち着かせるものだった。
「ふふ、もう謝らなくていいよ。私も、必死だったし」
私は、改まった彼の口調に、なんだか照れくさくなり、はにかんだ。
「それで、聞いておきたいことがあって・・・」
「聞いておきたいこと?」
「はい」
彼は、私をじっと見つめる。
何を聞きたいんだろう。彼が気にするようなこと・・・
「あ。あのスウェットなら、私がサイズを間違えて注文しちゃっただけだよ。だから着てなくて、でもなんだか勿体無くて捨てられなくて保管していたの。でも、役にたったから、とっておいて良かった」
「いえ、そうではなくて・・・」
何故、独り暮らしの私の家に、彼に丁度いいサイズの服があるのか、と、嫉妬しているのかと思ったが、違うようだ。他に彼が何を気にしているのか全く見当もつかない。
「え?じゃあ・・・」
私が他の答えを探していると、彼は恥ずかしがることなく、話し出した。
「着替えさせたということは、もちろん服を脱がせますよね?」
「う、うん・・・」
「脱がせると、肌が見えますよね?」
「う、うん・・・」
聞かれるままに、ただ頷いていく私。
このパターンは、何かとんでもないことを言われる前兆のような気がする・・・。
「どうでしたか?」
「え?どう、って・・・?」
「僕の裸、ですよ。少しはドキドキしてくれました?」
「は、裸って・・・あの・・・」
やっぱり!
私なら恥ずかしくて俯いて、なかなか言えないようなことを、彼は真面目な顔で平然と聞いてくる。
聞くのも答えるのも恥ずかしくて、私は顔が熱くなり俯いた。
「もしかして、忘れてしまいました?」
「えっと、あの・・・」
「そうですか・・・覚えていないなら仕方ありません」
仕方がない、と、諦めてくれた。
微かに嫌な予感がするものの、私はほっとし、会話は終わったかのように見えた。
「もう一度、思い出させてあげますよ」
彼は、にっこりと微笑むと、突然、私の目の前で、着ていたシャツを脱いだ。
「きゃっ!」
「ふふ、あなたって人は、相変わらず可愛らしい反応ですね。一之瀬さんで、慣れたかと思っていましたが」
驚きと恥ずかしさから、両手で顔を覆う私だったが、その手は彼により易々と解かれる。
そして、片手で私の両手を後ろ手にまとめあげると、空いている方の手で私の顎を捉えた。
「あ・・・部長とは、そんなこと・・・」
「なるほど。脱いだのは、あなただけ、と・・・」
「ちがっ・・・」
説明しようと焦る私の唇を、彼は自身の唇で塞ぐ。微かに触れる彼の素肌、熱い唇、私は一瞬で鼓動が最高速度に達した。
「・・・まあ、どちらでも構いませんよ。それより・・・顔は、こっち。下も脱ぎますから、ちゃんと見ていてください」
まとめられた手も、塞がれた唇も自由になった私は、すぐさま顔を彼から背けた。しかし、それはにっこりと微笑む彼により、またすぐに彼が視界に入る位置へと戻される。
私の体とはまるで違う、筋肉質でそれでいて滑らかな肌を持つ美しい体。その体に何度も抱き締められていたのかと思うと、私は嬉しいやら照れくさいやら様々な気持ちが入り交じり、やはり直視できなくなると、彼の名前を叫んだ。
「と、冬真くんっ!」
初めて私から彼の下の名前を呼んだことに、彼はベルトを外そうとしていた手を止めた。
そして、ゆっくりと私の方を見ると、一言こう問いかけた。
「シャワー、お借りしてもよろしいですか?」
「え?シャワー?」
「はい」
「あ、そ、そうだよね・・・。なんか色々、ごめん」
私は、からかわれるかと思いきや、真面目に尋ねてくる彼に拍子抜けし、そもそも彼がここに泊まることになったのも私のせいではないのかと昨夜のことを思い出し謝った。
そんな私を、彼はじっと見つめる。
「夏緒里さん・・・」
「はい・・・」
もはや、彼に名前を呼ばれただけで、私の胸はドキドキと高鳴った。
「一緒に入ります?」
「え?」
「お風呂」
と、にっこり。
「え?えぇっっ!?」
「ふふ、恥ずかしがることないでしょう?僕の奥さんになるんだし。一緒の方が、お風呂にかける時間短縮できますよ。ほら、もうそろそろ出勤しないと間に合わなくなるんでしょう?」
そう言って、壁にかかった時計を指差し、後ろから私を抱きしめたかと思うと、あっさりとブラウスを脱がされた。
「ちょ、ちょっと・・・桐谷くん!」
「なんです?」
上半身裸の為、彼の肌が直接、抱きしめられた私の背中に触れる。彼の熱い体、触れたところから伝わる彼の鼓動。その鼓動の速さに、私はドキドキしているのが自分だけではなかったのだと知ると、余計に胸が高鳴り、堪えきれなかった声が漏れた。
「・・・ぁ・・・桐谷・・・く・・・」
そんな私の様子に彼は、ふっ、と優しく笑うと、私の頬に軽く口付ける。
「ふふ、仕方ないですね・・・。じゃあ、もう一度、名前、呼んでくれたら解放してあげますよ」
私は、彼の言葉に、ドキドキし過ぎて震える声を一生懸命ふりしぼった。
「・・・冬真・・・くん・・・」
約束通り、彼は私の体を解放すると、にっこりと微笑み、私の額に自身の額をあてがった。
「はい、なんですか?ふふ、あなたって人は、本当に可愛らしい人ですね」
そして、そのまま優しく私の頭を撫でると、耳元でそっと、こう囁いた。
「これからは勿論・・・そう呼んでくれますよね?」
桐谷くんは、ズルい。
いつもとは違う、全身が痺れてしまうような色気に満ちた甘い声。そんな風に囁かれたら、私は頷く以外何もできないこと、知っているくせに。
「・・・はい」
彼の思惑通り、私は素直に頷く。
「楽しみに、していますよ」
そう言って彼は、子どものように無邪気に笑った。
この笑顔が見られるなら、私はなんだってしよう。
そんな風に思えるほど、純粋で綺麗な笑顔だった。




