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私に普通の恋愛を  作者: 月並 一葉
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~第78章 一之瀬 京也 VS 桐谷 冬真~

夏緒里さんに、彼氏を辞退したいと言ってから2日が経った夜の22時。僕は、彼女のマンションの前まで来ていた。本来なら、すぐに、エントランスを抜け、彼女の部屋へと向かうのだが、僕は今、それが出来ない状況にある。


なぜなら、そのエントランスから出てきた人物が、僕の望んでいない人だったからである。

いや、むしろ、望んでいると言った方が、彼女の為には良いのかもしれない。


180cmはある、すらりとした体型、仕事をそつなくこなすことができると見てとれる、きちんとしたスーツ姿。そして、女性を虜にするであろう美しく整った顔立ち。それは、間違いなく、彼女が思いを寄せている上司、一之瀬 京也であった。


彼が放つ大人の余裕。そして、優しい微笑み。


普段なら、それらもすぐに見てとれるのだか、街灯に照らされた彼の表情からは、全く感じることができなかった。それどころか、その顔は悲しみに沈み、涙さえ流しているではないか。


彼女を迎えにきた、夏緒里さんと気持ちが通じあった。その嬉しさから涙を流している。そう、信じたかった。しかし、そう思うには、あまりにも切なく、胸が痛む表情だった。


僕は、普段とはまるっきり違う、悲しみに暮れている彼を目の前に、声をかけずにはいられなかった。



「・・・一之瀬さん、どうかなさいましたか?」



僕が声をかけると、彼は、びくりと体を震わせた。そして、慌ててその手の甲で涙を拭うと、いつもと変わらない、といった様子で僕ににっこりと微笑みかける。



「やあ、桐谷くん。噂をすれば、だね。彼女の所に来たのかい?」



「・・・ええ」



僕が彼の問いを肯定すると、彼は知ってか知らでか、一瞬寂しげな笑顔になり、再び柔らかな笑顔をつくった。そして、再度僕に問いかける。



「じゃあ、僕がここまでする必要、なかったのかな・・・。もちろん、仲直りしに来たんだろう?」



「・・・え?」

 


「君は、彼女をふったそうじゃないか」



「何故それを?」



「僕がここに居るってことは、彼女から聞いたことくらい、わかっているだろう?」



なるほど。

夏緒里さんは、僕の望んだ通り、一之瀬さんに僕と別れることを話してくれた。


一之瀬さんは、彼女にプロポーズする。彼を愛し、僕に見切りをつけた彼女は、それを受け入れ、僕の元から去っていく。彼と共に・・・。


彼女を幸せにする為に作り上げたシナリオ。

それなのに、いざ彼女の伴侶となるべき人を目の当たりにすると、僕の胸はきつく締め付けられた。



「・・・僕は・・・夏緒里さんに、きちんと別れを告げにきたんですよ。・・・一之瀬さんは・・・夏緒里さんのこと、迎えにきてくれたんですか?」



「ふふ、そうだよ・・・」



「そうですか・・・良かった・・・」



彼の答えに、僕は安堵と、予想を遥かに超えた悲しみが一気に押し寄せる。


これでいい。ふたりが結ばれたならそれで。

わざわざ僕が彼女に会う必要もない。

それに・・・これ以上ここに居ても、僕が情けなく泣く姿を彼に見せるだけだ。


そう考えた僕は、彼に別れを告げ、立ち去ろうとした時、彼は思わぬことを口にする。



「・・・と、言いたいところだが、その逆だよ。桐谷くん」



「・・・え?一之瀬さん・・・逆・・・って・・・」



「そう。君たちの仲を修復しに来たようなものだ」



修復。その言葉に僕は愕然とした。

彼は夏緒里さんのことが好きで、また、彼女も一之瀬さんのことが好き。こんな僕と違い、彼には欠点など見つからない。彼と共に生きた方が、確かに幸せになれる。



「え?何故です?何故そんなこと!」



「何故って・・・、彼女には君の方がふさわしいだろう?」



「一之瀬さん、どうしてそんなことを言うんです?僕は、夏緒里さんを今すぐにでも幸せにできるのはあなただと・・・彼女にも、そう言ったんです!」



僕は、我にも無く取り乱した。

彼の気持ちも考えずに。



「・・・僕も・・・できることなら、そうしたいよ・・・」



「え?」



「君の元から無理矢理引き離して、連れ去ってしまいたい・・・でも・・・そんなことをしても、彼女の笑顔は見られないだろう?」



一之瀬さんが初めて僕に見せる、切なく苦しい表情。そんな彼の、彼女を心から思う気持ち。

それは、綺麗事でもなんでもない。

ただただ彼女を愛してやまない、ひとりの男としての悲痛な叫びであった。



「・・・」



「僕はね、彼女には幸せになってほしいんだよ。それができるのは、残念ながら僕じゃない。・・・君だよ。桐谷くん。彼女の心の奥底にはいつも君がいる。だからもう・・・彼女をこれ以上・・・傷つけないでくれ」



「・・・一之瀬さん・・・」



「それに・・・そんなに大切なら、二度と手を離さないことだ。彼女は、人を疑うことを知らない。本当に素直だ。だからこそ、自分の気持ちをしっかり伝えなければ、彼女に本当の思いは伝わらない」



彼の言う通りだ。

僕は肝心なところでいつも逃げてばかり。

彼女はいつだって、真っ直ぐに僕に気持ちを伝えてくれたのに。


彼の言葉に何の反論もしない僕に苛立ちを覚えたのか、それとも、彼女を傷つけたこんな僕自体が許せないのか、一之瀬さんは、珍しく強い口調で僕に告げる。



「今度こそ、葉月さんの心ごと、きちんと繋ぎ止めておけ。僕のような男に持っていかれる前にね」



そうして、彼はいつものような穏やかな表情に戻ると、彼女の部屋のある方を見上げ、今にも泣き出しそうな笑顔でこう言った。



「彼女は、自分の気持ちを・・・勘違いしただけだ・・・僕のことを好きだ、とね・・・。彼女は優しい。だから・・・叱らないでやってくれよ?」



「・・・はい」



僕の返事を聞くと、彼は僕の両肩を力強く掴んだ。そして、真剣な顔で真っ直ぐに僕を見つめ、ただ一言だけ僕に告げると、その場から去っていった。



「葉月さんを、頼む」



その声は、切なくも強く、心の底から彼女の幸せを願う、魂の籠った声だった。


彼のその言葉は、僕の胸に深く刻み込まれ、その頭と心をクリアにしていく。そうして、僕は、ある決意を固めた。



僕は、一体今まで何をしていたんだろう。

彼女の為、一之瀬さんの為だと思っていたことが、結果的にふたりをこんなに傷つけるなんて!



僕がここへ来る前に、彼と彼女の間にどんなやり取りがあって、どんな愛の表現があったのか、詳しいことはわからない。今、彼女の部屋に行けば、見たくない、知りたくない事実を突きつけられるかもしれない。再び彼女を傷つけるかもしれない。僕は、未だにそれが怖かった。


しかし、ふたりを傷つけた以上、僕が傷つくことを恐れるわけにはいかない。もしも、僕の心が傷つき、彼女に嫌われたとしたのなら、それは僕自身の過ちが引き起こした罪への罰だ。


だから、僕はもう何も恐れない。

今まで彼女が僕にしてくれたように、彼が僕にしてくれたように、僕も彼女に自分の心からの思いを伝えよう。


僕の最愛の女性(ひと)、夏緒里さんへ。





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