~第77章 心の底から感じる幸せ~
「部長、すみません。何だか取り乱してしまって・・・」
「いや、いいんだよ。少しでも君の力になりたくて来たんだ。泣いても殴られても気にしないよ」
「殴るだなんて!」
「ふふ、それはないかな?」
「絶対にあり得ません!」
お互いに少し落ち着きを取り戻した私たちは、ベッドを背に寄りかかった状態で床に座り、横並びで話をしていた。抱き締められていた名残からか、涙を流した後のうら寂しさからか、未だ手だけは繋いだままだ。
「それにしても・・・どうして君たちの仲を取り持っているんだろうね・・・ふふ」
部長は、少し切なそうな顔で笑う。
その表情に私は、申し訳ない気持ちで一杯になり謝った。
「部長・・・わがままな私のせいで、部長まで巻き込んでしまって本当にすみません」
「僕は、君をわがままだなんて一度も思ったことはないよ。むしろ素直すぎるくらいだ。特に、顔を赤らめるところなんか、とても愛らしい」
そう言って彼はにっこりと微笑むと、私の頭をそっと撫でた。
「部長・・・あ!」
「え?」
私は、部長がここに来る前に、彼のためにと作っていたケーキのことをようやく思い出し、突然大きな声を出す。その声に驚き私を見つめる京也さんに、私はこう問いかけた。
「部長、今日はお誕生日なんですよね!?」
「え?何故それを?」
「友達が教えてくれたんです」
「・・・そっか・・・」
「少し待っていてください」
私は立ち上がると、キッチンに行き、冷蔵庫を開ける。取り出してみると、良い感じに仕上がっていた。
良かった!でも、緊張する!食べてもらえるかな・・・。
そんなことを考えながら、私は彼の元へ戻り、ローテーブルにそのケーキをそっと置いた。
「お待たせしてすみません。オレンジのレアチーズケーキです。部長みたいに料理上手じゃないので、お口に合わないかもしれませんが・・・お誕生日のケーキです。部長のお誕生日が今日だと聞いて・・・迷惑だとは思ったんですが、私も何かお祝いしたくて作りました。・・・こんな私でよろしければ、ぜひ一緒にお祝いさせてください」
一生懸命作った。頑張って気持ちも伝えた。
でも、いきなりこんなこと、やっぱり迷惑だよね。
私は、今更断られることが怖くなって、ぎゅっと目をつぶった。少しの間でも、彼が沈黙していることが怖かった。その沈黙は、私にはとてもとても長いものだった。
「葉月さん・・・君じゃなきゃ、お祝いされても意味がないよ・・・。ケーキ、ありがたくいただきます」
「部長・・・ありがとうございます!嬉しい」
長い沈黙を破り、彼の笑顔と共に聞こえてきた答えは、今の私にはとてつもなく幸せな答えだった。
「美味しい・・・葉月さん、とても美味しいよ」
「良かった。ふふ、嬉しいです」
ケーキを一口、二口、と口へ運び、嬉しそうに笑う彼。初めて見る彼の無邪気な笑顔。
私は、その寂しさの残っていない純粋な笑顔に、心の底から幸せを感じた。
「ありがとう。人生で一番幸せな誕生日だよ」
綺麗な顔でにっこりと微笑む京也さん。
その笑顔と、嬉しい気持ちからだろうか。ずっと言わないようにしていた彼の名前を、私は思わず口にしてしまう。
「京也さん・・・」
「っっ!!・・・まだ、そう呼んでくれるんだ?」
「あ・・・すみません」
桐谷くんに言われた。
彼氏である僕は、未だに苗字で呼ぶ、と。
それに、部長の彼女であったのは1日だけ。
名前で呼んでいいのも1日だけ。のはずなのに、ふたりだけで居ると、あの時の記憶が蘇り、呼んでしまいたくなる。
京也さん。と。
「謝らなくてもいいよ。本当に嬉しい。・・・僕は、君の力になりたいと言った。それは嘘じゃない。でも、もうひとつの本音は・・・たとえ、僕のそばに居てくれなくても、ただもう一度だけ・・・君に会いたかった・・・」
彼は静かにそう告げると、私を力強く抱き寄せた。
そうして、本当に愛しい人を呼ぶかのように、私の名前を呼んだ。
「夏緒里・・・愛してる。このまま、君を僕のものにしてしまいたい」
「京・・・也・・・さん・・・」
その真っ直ぐで強い思いは、私の心に再び、ぐさりと突き刺さった。しかし、その力強さとは裏腹に、微かに震える彼の身体。これほどまでに好きだと言ってくれる彼。それでも、受け入れようとしない私。私は、京也さんが好き。その気持ちは変わらない。このまま彼を受け入れてしまえばどんなに楽だろう。
そんな風に考えてしまうほど、彼の思いは強かった。でも、桐谷くんのことを思うと、やはり受け入れられない。
私は、そんな京也さんと私自身の気持ちを考えると、堪えきれず、彼の身体をぎゅっと抱き返した。
「っっ!!・・・ごめん・・・。これ以上ここに居ると、歯止めが効かなくなりそうだ・・・」
彼は、震える声でそう呟くと、つらそうにゆっくりと立ち上がり、彼がここへ来た時にかけた上着をとろうとする。私は、そんな彼を見ているのが苦しくなり、自ら上着を取り彼に着せた。
釦を止め、服を整える彼の後ろ姿を見ていると、どうにも切なくなり、私は思わず彼を後ろから抱き締めた。
「京也さん・・・ごめんなさい。私・・・本当に京也さんのことが好きでした。京也さんのことは忘れられない。桐谷くんは、もう私のことなんて嫌いかもしれない。でも、これからは、桐谷くんと共に人生を歩んでいきたい、そう伝えてみます」
私の言葉を聞いた彼の身体は、一瞬ぴくりと跳ねたが、そっと私の手を握り、俯いたまま小さく呟いた。
「・・・ふふ、そうだね」
そして、そっと私の手を解くと、こちらに向き直り、今にも泣き出しそうな悲しさを含んだ笑顔で、こう言った。
「彼と幸せに。これは、部長命令だ」
「京也さん・・・本当にごめんなさい。ありがとう」
私は、こんなに優しい京也さんの為にも、しっかり桐谷くんに気持ちを伝えようと決意した。それでも駄目なら、潔く諦めよう。京也さんのように、彼の幸せを願いながら。
「今日は、本当にありがとうございました」
京也さんを送りに、玄関まで来た私は、深々とお辞儀をする。すると、そこには先程までの悲しげな彼はなく、いつもと変わらない爽やかな笑顔を向ける彼が居た。
「ふふ、こちらこそ。ケーキ、美味しかった。ありがとう」
「いえ、召し上がっていただけただけで幸せです」
「夏緒里・・・君は本当に可愛いね」
彼は、私の頭を、よしよしと言わんばかりに幾度となく撫でる。
「そうだ。空港へ見送り、もちろん来てくれるんだろう?」
京也さんのその言葉に、私は桐谷くんに見送りのこと聞いておいてと言われたことを、ようやく思い出し、はっとする。
「はい!」
「5月15日、土曜日。16時発。彼と仲良く送りに来てくれるね?」
「・・・はい」
彼と仲良く、その言葉に私は急に自信がなくなり、頼りない返事をする。
「そんなに浮かない顔をしないで。大丈夫だよ。彼に君の思いは伝わるさ。君はとても魅力的な女性だ。自信をもって」
「京也さん・・・」
「ほら、泣かないで・・・。そんな顔をしていると・・・」
彼に勇気づけてもらったにも関わらず、落ち込んでいる私を見た彼は、私の頬をそっと撫でると、そのまま唇に優しく口づけた。
「君を手放せなくなる・・・」
「・・・すみません」
「泣くのは君じゃなくて、僕の方だよ。大好きな彼女に2回もフラれて、もう立ち直れないかも・・・」
そう言って、手で涙を拭う真似をする彼。
「す、すみません!」
「ふふ、少しは元気出た?」
必死に謝る私に彼は優しく微笑むと、私の額にそっとキスをした。そうして、にっこりと微笑むと、こう言い残し、私の部屋から去っていった。
「君は笑顔が一番だ。じゃあ、またね。葉月さん」
彼が去っても私は、その笑顔が頭から離れず、京也さんが出ていったそのドアをずっと見つめていた。
京也さんの姿を探すかのように。




